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三話 奪われた名前

『その者の命、私がもらい受けよう』 


 おう尚書の発言で、シンと静まり返る室内。


 華烈かれつの言葉を解するメリクル王子は目を見開く。一方で、言葉の意味を理解できなかったコーラルはぽかんとしていた。


 武官は汪尚書にメリクル王子が妻を部屋に連れ込み、一晩共にしたことを伝えた。

 姦通罪は処刑と決まっている。この場で切り伏せると言って聞かない。


『けれど、この者が代わりに命を捧げると言ったのだろう? それでよいではないか。この、客をもてなす春月殿を血で穢すな』


 武官は納得していないようだった。奥歯を噛み締め、メリクル王子を恨みがましく睨みつけている。

 汪尚書は、ふうと溜息を吐き、質問を武官に投げかけた。


『お前、名はなんと申す?』


 自分が今、誰に歯向かっているのかわかっているか、問いただしていた。

 狐のような目をさらに細くして、武官を見る。


『だが、この男は、俺の妻を――』

『引かぬというわけか。よい、よい』


 手にしていた扇をポンポンと手のひらに打ち付け、笑顔を浮かべた。

 そして、扇の先端で武官を指し示し、背後にいた配下に命じる。


『この、命令も聞けぬ無礼な男を連れて行け』


 部屋に入って来た男達に拘束され、武官は連行されて行った。

 文句を言う怒鳴り声も聞こえたが、殴打をするような鈍い音が聞こえ、静かになる。

 静かになった部屋で、汪尚書はにこやかにメリクル王子へと話しかけた。


『殿下、そういうことだ。この者の命は、わたくしがもらい受けるぞ』


 メリクル王子は首を横に振り、容疑を否認した。コーラルも渡せないと主張する。

 けれど、自らの証言だけでは難しいと汪尚書は切り捨てる。扇を広げ、余裕たっぷりに扇ぎながら、問いかけた。


『ならば、ご自慢の武官に聞いてみては? 昨晩の警備担当は?』


 メリクル王子は護衛騎士の名を呼ぶ。

 出てきた二人の騎士は、気まずそうな表情でいた。

 昨晩のできごとを、嘘偽りなく報告しろと命じると、押し黙る騎士達。

 身の潔白に自信があったのか、王子は重ねて報告しろと叫んだ。


「さ、昨晩、殿下は、その、女性を寝所にお連れになって……」

「なん、だと……?」

「私も見ました。間違いありません」


 いくつもの国の言葉を解する汪尚書は騎士の報告を聞き、満足げに頷いた。


『言い逃れはできぬようだな』


 メリクル王子に睨まれても、汪尚書は動じない。


『外交先で他人の妻に手を出す。良いご身分よ。もしも、皇帝が知れば、国家間の問題となる。もしかしたら、貿易なども止めてしまうよもしれぬ』


 華烈とは、いくつかの貿易を行っている。

 その中心は茶葉である。国内の茶葉の六割は、華烈から輸入しているのだ。


 輸入規制が起きれば、国内の流通が混乱状態となる。

 貴族のたしなみの一つであるお茶が規制されたら、大変な事態になることは目に見えていた。


 メリクル王子は、天秤にかける。コーラルの命と、外交問題を。

 奥歯を噛み締め、感情の整理をする。

 コーラル・シュタットヒルデ。明るく誠実で、正義感溢れる真面目な人物である。メリクル王子にとって、忠誠心が高く、信頼の置ける騎士だった。ここで失うには惜しい人物でもある。

 けれど今は、個人の感情よりも、国の代表としてやって来た者としての判断をしなければならなかった。

 念のため、コーラルをどうするのか、メリクル王子は汪尚書に尋ねる。


『この者は美しい。利用価値がある。今は、それだけしか言えぬ』


 殺されるわけではない。今はまだ。

 王子は決意を固めた。


「わかった……この者を、好きにするがいい」


 汪尚書はパタンと優雅に扇を閉じ、笑顔でお礼を言った。

 言葉が通じていないように見えるコーラルに、事情を説明する時間を与える。

 部屋からでて行ったのを見計らい、メリクル王子は人払いをして、コーラルと話を始めた。


「どうやら、私は嵌められたようだ」

「ええ……なんと言って良いのやら」


 もしも、見も知らぬ女と関係があったのならば、寝所はもっと乱れている。なのに、寝台の上のシーツは綺麗に敷かれた状態であった。ぜったいに性交はしていないと、言い切った。


「だが、意識が足りていなかった。私がもっと、酒に強かったら……」


 メリクル王子はコーラルに謝罪する。


「すまなかった……どうやら、処刑は逃れられたようだが……」

「ええ」

「あの汪という礼部の長官が、お前の身元を引き受けるらしい」

「左様でございましたか」


 命は助かった。けれど、この先何が起こるか推測もできない。

 華烈はほとんど国交のない場所である。文化も、風習も、未知の領域であった。


「一度国に帰り、お前を返してもらえるよう、父に頼むから、どうかしばらくこの地で耐えてくれ」

「もったいないお言葉です」

「私のためにすまない……」

「殿下の命をお守りするのが私の役目です」

「ああ……ありがとう……」


 時間切れだと、武官が間に割って入る。

 最後に、メリクル王子は手にしていた王家の紋章入りの剣をコーラルに手渡した。


「殿下……!」

「諦めるな。必ず、助けてやる」


 コーラルは腕を引かれ、王子の寝室から連れ出される。

 手にしていた剣と、腰に佩いていた剣は、武官に没収されてしまった。

 遠くからヴィレの叫びが聞こえる。

 剣を突き付けられているので、振り返ることもできなかった。


 ◇◇◇


 案内された部屋に、汪尚書がいた。コーラルは床に片膝を突き、頭を垂れる。


 まず、コーラルの国の言葉で、どの程度喋れるか聞かれた。

 華烈の言葉で答えるように言われる。


「少しダケ、喋れル……」

「なるほど。これはてんで使えぬ」


 表情を見ていたら、言葉はわからなくても、褒められていないのはわかる。

 もう少し、華烈の言葉の勉強に力を入れておけばよかったと、コーラルは後悔した。


「名は?」


 汪尚書はコーラルにわかりやすいよう、ゆっくりと話しかけてくる。

 これも、華烈の言葉で答えるように命じられた。


「私の名ハ、コーラル・シュタットヒルデ、デス」

「ふうむ。コーラル・シュタットヒルデ、か。言いにくいな」


 その名は捨てるようにと、命令された。

 コーラルは奥歯を噛み締め、耐える。


「今日から、珠珊瑚しゅ・さんごと名乗れ。いいな?」

「サンゴ、私、名前……?」

「そうだ。コーラルと同じ意味の言葉を選んでやったぞ」


 新しい名は、珊瑚。

 今までの自分は捨てるように言われて、複雑な気持ちになった。


 けれど、この状況はメリクル王子の命を守った結果。

 この先も胸を張って、生きなければいけないと、自らを奮い立たせる。


 コーラル改め珊瑚は、無慈悲な運命を受け入れる。

 それだけのしたたかかさが、彼女にはあったのだ。


「決意はついたようだな。あとは――」


 バンと、勢いよく扉が開かれる。

 珊瑚は驚き顔で振り返った。汪尚書は目を細め、扉の前に堂々と立つ、見目麗しい男に視線を向ける。

 背は、珊瑚と同じくらいか少し高いくらいか。髪をきっちりと撫でつけ、丸く尾の付いた黒い帽子を被っていた。見た目は若い。十代後半くらいだろうと、珊瑚は思った。

 胸の前で襟を合わせる華服の上に、襟口や袖のゆったりとした貫頭衣のような服を着て、腰回りは革の帯で縛っていた。帯には、細長い剣がぶら下がっている。

 衣服に使われている布地は、見たこともないような鮮やかな青。

 剣も宝石などで美しい宝飾がなされていた。男の切れ長の目には、朱が刺してある。

 ここにいる武官とは、身なりがまるで違い、華やかだった。身分が高い者であるということが、一目でわかる。

 男は汪尚書に、話しかけた。


汪紘宇おう・こうう、参りました。兄上、火急の知らせとは――?」

「紘宇よ、ようきた」


 珊瑚はかろうじて、紘宇という名前と、兄と弟という単語を拾う。

 紘宇と呼ばれた男は、床に跪いている珊瑚の存在に気付き、顔を顰める。


「なんだ、この者は。おかしな髪と、目の色をしている」

「西の国の者だ。美しいだろう?」

「兄上、いったい、どこから」

「ちょうど、ちょっとした騒ぎがあって、私は彼の者の身柄を預かったのだ」

「使用人にするのですか?」

「否、後宮に召し上げるのだ」

「はあ!?」


 汪尚書は弟に命じる。異国人の珊瑚の面倒を見るようにと。また、逃げ出さないように監視をするようにと、指示を出した。

 珊瑚は二人の顔を交互に見る。淡い微笑みを浮かべる汪尚書と、驚き顔の紘宇。

 話している内容はほとんどわからなかった。


「次代の皇帝は、汪家の者を。後宮での役目を、忘れてはおらぬな?」

「……」


 汪尚書の言葉を聞いた紘宇は、苦虫を食い潰したような表情を浮かべていた。

 一人、言葉がわからない珊瑚は、きょとんとするばかりである。


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