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二十九話 好ましき者

 消えてしまった角灯を拾い、火を点けた。ぼんやりと、部屋を照らす。

 結局、琥珀の入った小袋は見つからなかった。

 この暗い中では、見つけることも困難なのかもしれない。

 それに、星貴妃と出会ってしまった。今日のところは帰ろう。珊瑚はそう思う。


「セイ貴妃様、もう、帰りましょう」

「うむ。そうだな」

「お部屋まで、お送りしても?」


 星貴妃はきょとんとした表情で珊瑚を見る。にこりと微笑みかけたら、ジロリと睨まれた。

 気を許してくれたといっても、まだ信頼は得ていないようだった。


「あの、変なことはしません。危ないので、お部屋にお送りするだけです」

「本当だな?」

「はい、剣に誓って」


 珊瑚は癖で、剣を佩いていた腰辺りに手を移動させたが、そこには何もない。

 現在の珊瑚は、貴族でもなければ、騎士でもない。剣も、身分も、名前すら、奪われてしまった。

 切ないとも悔しいとも言えない想いがこみ上げて来て、腰にあった手を胸に当てて、ぎゅっと握りしめる。

 ここにいるのは、なんの身分もない、異国での名を与えられただけの者。

 誓いの言葉を確かにするものは、何もなかった。


「お主、剣はどうした?」

「う、奪われて、しまいました。私は、罪人、なので――」


 何をしたのかと訊かれたが、答えることはできない。

 舌を抜かれようとも、メリクル王子に被せられた罪を口にすることなどできなかった。


 今になって初めて、己はなんの力を持たない無力な人間であると痛感してしまった。

 祖国では貴族であるシュタットヒルデ家が、近衛騎士であるという身分が、珊瑚という人間のアイデンティティに繋がっていた。

 しかし、ここではそれが何もない。

 この気持ちは、なんと表せばいいものか。


 言葉を失った珊瑚に、星貴妃は一歩前に出て、話しかける。


「なるほどな。お前の剣は、心と共に在る、と」


 ドキンと、胸が跳ねた。

 珊瑚は何もかも、失ったわけではなかった。

 騎士の志と、師の教え、それから、日々鍛錬していた剣技がその身に残っていた。

 しかし、それを言葉で証明するのは、酷く難しいことである。

 けれど、星貴妃は違った。

 珊瑚の握りしめた手に、そっと自らの指先を重ねる。


「疑って悪かった。お主は、立派な武人だ。この前の戦いぶりは、素晴らしいものだった」


 それからと、星貴妃は言葉を続ける。


「皆、お主のことは、真面目な人間だと言っている。誠実でもあると」


 女官達の男を見る目は厳しいらしく、そんな彼女達からの最高の評価であると、星貴妃は話していた。


「珠珊瑚――私は、お主を信じたい。だから、私の前でも、強く、真面目で、それから裏切ることなく、誠実であってくれ」


 珊瑚は気付いた。

 この、気高くも美しい人と共に在ったら、騎士でいることができると。

 家柄や身分は関係ない。大事なのは、こうであるべきだと思う心だった。


 星貴妃のことを、守りたいと思った。

 この先、何が起ころうとも。


 星貴妃の手が離れた瞬間、珊瑚は床に片膝を突いて、こうべを垂れた。

 それは、主人に忠誠を誓う騎士の如く。


「面を上げよ」


 命じられた通りにすると、目の前に剣が差し出されていた。それは、星貴妃が帯剣していた物だった。


「これを、お主に与える」

「え!?」

「受け取れ」

「し、しかし」


 宮官の帯剣は認められていない。

 それに星貴妃より品物を下賜されることなど、恐れ多いことだった。


「よい! 私が許す。早く受け取れ!」

「あ、はい」


 星貴妃の言うことは絶対である。珊瑚は慌てて剣を受け取った。

 それは、ずっしりと重かった。

 祖国で使っていた諸刃の剣とは違い、弓のように湾曲している剣である。この、華烈の武人が腰に差していた得物であった。


「それは、三日月刀と言う。私のお気に入りの剣だ。大事にしろ」


 恐れ多いと思いつつも、しっかりと握りしめ、頭を下げる。

 こうして、珊瑚は剣を得ることができた。


 さっそく、部屋まで護衛するという務めを果たす。

 その前に、疑問に思っていたことを口にした。


「あの、護衛の者は付けていないのですか?」


 あの事件以来、再度、女性の武官が送り込まれた。生殖能力がなくても、男の形をしている閹官を牡丹宮に入れるのは嫌だと言ったからである。


「奴らは私がこうして抜け出しても、気付かなかった」

「はあ」


 先の事件のせいで、後宮内はピリピリしていた。

 またいつ襲って来るかわからないからだ。


「あの、危ないので、夜の散歩はお控えになったほうが」

「散歩ではない。見回りだ」


 怪しい者がいたら、切り伏せるつもりなのだと、星貴妃は言う。なので、三日月刀を佩いていたと。


「御身に何かあったら、皆、悲しみます」

「それは、私も同じ」


 星貴妃は、前回の事件で傷ついた女官がいたことに対し、怒り、嘆いていたのだ。


「奴ら、見つけたら、切り刻んでやる。この、牡丹宮に在る者は、すべて私のものなのに!」

「セイ貴妃……」


 女官達が星貴妃を守りたいのと思うのと同じように、星貴妃も女官達を守りたいと思っていたのだ。

 なので、こうして剣を佩き、後宮内の見回りをしていたと。


「セイ貴妃……いいえ、妃嬪様、これから見回りをする時は、私をお連れ下さい」

「それは――」

「お願い申し上げます」


 必死になって頭を下げる。

 もしも、星貴妃が一人で傷つくことがあれば、牡丹宮の女官達は悲しむ。この平和な後宮で、血を流すことなど、あってはならないことだと思った。


「面を上げよ」

「……はい」


 顔を上げると、星貴妃の黒い目と視線が交わる。

 その瞳は、すっと細められた。

 目を逸らしてはいけないと、じっと見続ける。


 先に視線を外したのは、星貴妃であった。


「わかった」

「え?」

「許そう」

「あ、ありがとうございます!」


 珊瑚は深々と頭を下げた。その様子を、大袈裟だと言われる。


「お許しいただけて、嬉しいです」

「お主がどうしてもと言うからだ。だが、その前に聞きたいことがある」

「はい?」


 星貴妃は一歩、後退し、珊瑚に質問を投げつけた。


「お主は、男と女、どちらが好きなのだ?」


 質問の意図がわからず、珊瑚はポカンとする。頭上にある目には見えない疑問符ハテナが、左右に揺れていた。


「妃嬪様、それは、どういう――?」

「だ、だから、アレだ! 男と女、恋愛対象なのは、どちらかと、聞いておる!!」

「あ、ああ……」


 それは、珊瑚も同僚に訊かれたことのある質問であった。女性から恋文を貰ってしまうので、女性が好きなのでは? と。

 別に、女性に対しては、困っているようだから、手助けをしたりするだけで、恋愛対象として見ているだけではない。その手の質問には、すぐに否定していた。

 まさか、この地でも同じような質問を受けるとは、想定もしていなかった。


 騎士をしていた時代は、軽く受け流していた。

 しかし今は、恋愛対象の男性という言葉を聞いて、ある人物が頭に浮かぶ。

 たいてい不機嫌で、なのに面倒見が良く、優しい人――汪紘宇。

 彼のことを想うと、胸がきゅんと切なくなり、また温かくなる。

 ここで、珊瑚は気付いた。

 もしかしなくても、紘宇のことを、異性として意識していると。

 顔が燃えるように熱くなり、指先で冷やす。

 いつ、好ましく思うようになったのか、振り返ろうとしているところに、星貴妃に話しかけられた。


「珠珊瑚、答えを述べよ」

「あ、はい、す、すみません!」


 全身が熱くなり、水風呂にでも入りたいような気分だった。

 このような気持ちは、初めてだった。


 動揺を誤魔化すように、星貴妃の質問に答える。


「あの、私は、その、男性を、好ましく、思っています」

「や、やはり、そうなのか。玉を取られると、女に欲情しないというのは、本当だったのだな」


 星貴妃は何やらブツブツと呟いている。小さな声だったので、聞き取ることはできなかった。


「まあ、そういうことならば、許そう」


 どういうことかわからなかったが、珊瑚は「ありがとうございます」と礼を言った。


勘違いまとめ


珊瑚→周囲が自分を男と勘違いされていることに、まったく気付いていない。


紘宇→珊瑚のことは男だと思っている。その珊瑚のことを好きなのではと気付き、自分には男色の趣味があるのではと、戦々恐々としている。


星貴妃→珊瑚のことは生殖能力のない男だと思っている。子どもを成す力がなく、男を好きだと言うので、男であるが、傍にいることを許した。


紺々→わけあって、男装している身だと思い込んでいる。唯一、珊瑚を女だと知る人。しかし、周囲に女だとバレたらいけないと思っており、誰にも喋っていない。


麗美→シンプルに、珊瑚を男だと思っている。


たぬき→珊瑚と紘宇はつがいだと思っている。いつ、子どもが生まれるのか、ワクワクが止まらない。

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