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二十六話 口の虎身を食み、舌の剣命を断つ

 雅会の当日となる。珊瑚は今までにないほど緊張していた。

 ソワソワする珊瑚に、紘宇は呆れたような視線を向けていた。


「お前な。雅会は年に一回開催でもなんでもない。まあ、牡丹宮は他よりも少ないが、それでも、二、三ヶ月に一度はある」

「え、ええ、そうなのですが」


 メリクル王子から下賜された剣を取り戻すことは難しいと発覚したが、それでも、今回の雅会は珊瑚にとって一大事である。

 二胡を教えてくれた紘宇の想いや、歌を歌ってくれる紺々、麗美の頑張りが、演奏に込められているのだ。失敗をするわけにはいかない。


 昼食が終わると、衣装室で身支度の時間となる。風呂に入り、爪を磨かれ、金の髪は丁寧に梳られる。それから、珊瑚のために作られた盛装が用意された。

 いつもは無地の青い華服を纏っているが、本日は華やかな衣装だった。

 青い生地には白い糸で牡丹の花が刺されている。帯は黒地に銀の蔦模様。羽織は白地に、青い襟が合わせられている。

 髪は頭上で纏められ、式典用の幞頭ぼくとうを被った。

 目じりには、魔除けの赤化粧がいつもより広い範囲に塗られた。

 三時間にも及ぶ身支度が完了した。

 紺々は着飾った珊瑚の姿を見て、ほうと溜息を吐く。


「珊瑚様、世界一美し……いえ、素敵です」

「こんこん、ありがとう」


 にっこりと微笑みを返すと、紺々は頬を朱色に染めた。


「こんこんも、今日は盛装ですか?」

「せ、僭越ながら」

「楽しみにしていますね」

「あ……う、はい。頑張って着飾って来ます」


 紺々もこれから身支度に取りかかるというので、別れることになった。

 部屋に戻っていると、中庭にポツンと、背筋をピンと張って大理石の椅子に腰かける女性の後姿を見つけた。

 すぐに、珊瑚は星貴妃だと気付く。


「セイ貴妃様」


 名を呼ぶと、振り返る。珊瑚だと気付くと、顔を顰めた。


 見たところ、星貴妃は着飾っていない。紺の華服を黒い帯で締めるという、この前会った時よりも地味な恰好となっていた。

 雅会まで残り三時間ほど。そろそろ身支度を行う時間だろう。

 座っている星貴妃を見下ろすわけにはいかないので、珊瑚は地面に片膝を突いて見上げた。


「あの……こちらで、何を?」

「見てわからぬのか。女官共が本日の装いのことでキイキイ揉めだしたから、逃げて来たのだ」

「な、なるほど」


 女官達は星貴妃を美しくするために一生懸命であった。そんな中で、意見がぶつかってしまったらしい。


「まったく。話し合ってから来ればいいものの」


 星貴妃はかなり苛立っている様子だった。よくよく見たら、離れた位置に女官がいた。怒りが収まるのを待っているのかもしれない。


「女官達は、セイ貴妃様に心から惚れこんでおりますので、そのようになってしまうのでしょう」

「惚れこむとは……、ふむ。まあ、よい」


 ちらりと、珊瑚を横目で見る。切れ長の目を細めながら、真っ赤な紅を引いた唇が三日月のような孤を描いた。

 今から何を言われるのか。固唾を呑んで待つ。


「それにしても、本日のお主は、馬子にも衣裳という言葉が相応しい」


 馬子にも衣装――華烈の古い言葉である。

 馬子とは、華族の家などで馬の世話をする召使いのことで、下働きをするような身分のない者でも、素晴らしい衣装を着たらそれなりに見える、という意味であった。

 決して、褒め言葉ではない。

 しかし、珊瑚は馬子にも衣裳の意味を知らない。

 無邪気な様子で、星貴妃に意味を問いかけていた。


「セイ貴妃様、それは、どういった意味でしょうか?」


 あまりにも、純粋な目を向けて尋ねてくるので、星貴妃はぎゅっと唇を結び、顔を盛大に顰める。

 わかりやすい意地悪であったが、珊瑚にはまったく通じていなかった。


「あの?」

「その……アレだ。馬子にも衣裳は、良く、似合っておる、という意味だ」

「セイ貴妃様! ありがとうございます。すごく嬉しいです!」

「う、うむ」


 さらに、珊瑚はキラキラした目で話しかける。


「セイ貴妃様の雅会の装いを、今から楽しみにしています!」

「わかったから、下がれ」


 珊瑚は左手で拳を作った右手を包み込み、頭の上に上げる。抱拳礼の形を取って、命じられたとおり中庭から去った。


 ◇◇◇


 部屋に戻ると、盛装姿の紘宇が寝室から出て来る。

 誰の手も借りずに、身支度を行ったようだ。

 以前、麗美が言っていたのだ。紘宇は雅会に一度も出たことがないので、今回も不参加なのではという話を。だが、姿を見る限り、今宵の宴に出ることは明らかである。

 本日の装いは、とても華やかで、美しかった。

 青い華服には銀糸で牡丹の花が刺され、黒い帯には金糸で蔦模様が描かれている。純白の羽織に、深い青の襟と、宮官の盛装よりも勢が尽くされた仕様となっている。

 目元の赤は、瞼の線を沿うように普段よりも長く引かれている。キリリとした目元は、いつもよりも色っぽく見えた。

 見惚れていると、声をかけられる。


「おい、どうした?」

「いえ、あの……」


 なんと声をかけていいものか。珊瑚は美しい男を絶賛する言葉を知らない。

 しかし、ここで先ほど星貴妃に教えてもらったぴったりの褒め方を思い出す。


「こーう、あの、馬子にも、衣裳ですね!」

「は!?」

「えっと、その、すごく、素敵です」


 紘宇の表情が強張ったので、間違えて覚えたのかと思い、すぐに別の言葉に言い換える。


「その言葉、誰に習った?」

「セイ貴妃様に、さきほど」


 紘宇はこめかみを指先で揉みながら、盛大な溜息を吐く。


「星貴妃が……? お前は、それを言われて、喜んでいたわけか」

「はい」


 しばらく考える素振りを見せたあと、「今後、馬子にも衣裳という言葉を使うのは禁止だ」と言われた。

 高貴な人しか使うことの許されない言葉なのかもしれない。珊瑚はそう思って、しっかりと頷く。


 紘宇は苛ついているように見えた。

 また、怒らせてしまったと、珊瑚はしょんぼりと肩を落とす。


「こーう、すみません」

「なぜ、謝る?」


 詰め寄られ、壁際に避難する。目が合うと、さっと顔を逸らす。

 怒った顔を見るのは、辛いことであった。

 気まずくなって後ろに下がろうとしたが、踵が壁に当たった。

 もう、逃げ場所はない。成す術もなく、俯むいてしまう。

 紘宇はドンと、珊瑚の肩のすぐ横に、手を突いた。驚いて、顔を上げる。

 ジロリと睨まれ、低い声で忠告された。


「お前は、星貴妃に近づくな」

「それは、どうしてですか?」

「どうしてもだ」


 きっと、何か粗相をしたのだろう。またやらかしてしまった。珊瑚は深く落ち込む。何と答えていいのかわからず、パチパチと目を瞬かせると、眦から涙が浮かび、玉となった雫は頬を伝って落ちて行った。

 その様子に、紘宇はぎょっとする。


「おい、泣くことはないだろうが!」

「ご、ごめん、なさ」

「い、いや、違う。お前は、悪くない。悪くないから、泣くな」


 そう言われても、溢れる涙は止まらない。

 せっかく紺々が綺麗に引いてくれた目元の朱色は、滲んでしまった。


 いつまで経っても涙が止まらなかった。紘宇は舌打ちをして、珊瑚の前から去る。

 執務室へ向かったようだった。

 珊瑚は立つこともままならなくなり、ズルズルと壁を伝ってしゃがみ込む。


「くうん」


 寝室にいたたぬきが、心配そうに珊瑚のもとへと駆け寄って来た。


「くうん、くうん」


 励ますように、頬ずりしてくれた。珊瑚はたぬきを抱き上げ、ふかふかの毛に顔を埋める。

 今まで眠っていたのだろう。ほかほかしていた。

 紘宇はすぐに戻って来る。

 珊瑚の目の前に片膝を突くと、たぬきを掴んで床に下ろした。


「あ、たぬき……」

「たぬきはあとだ」


 代わりに、蜂蜜を固めたような、丸い玉が差し出された。


「これは?」

「琥珀だ」


 華烈に伝わるお守りらしい。


「琥珀は、五臓――肺、心、脾、腎、肝を穏やかに落ち着かせ、物の怪や悪神を遠ざける力がある」


 琥珀は虎の亡骸が結晶化したものだと言われている。


「トラ、ですか?」

「ああ。お前の国にはいないんだな」

「はい」


 金の毛並みに黒い縞模様があり、牙は鋭く、爪は尖っている。

 性格は獰猛で、人の血を啜り、肉を食べる。

 森で出会ったら最後。死を覚悟しなければならない。


「そんな虎は、強さ、名声、権威の象徴とも言われている」


 身に着けていたら、ありとあらゆる災いから守られるだろうという伝承があった。


「これを、お前にやる」

「私に、ですか?」


 紘宇は頷いた。


「心配なんだ。いつか、私の知らない場所で、傷つきそうで――」


 そこで、珊瑚は気付く。

 紘宇は怒っていたのではなく、案じてくれていたのだと。


 珊瑚は琥珀を手のひらに持つ紘宇の手を左右の手で握りしめ、礼を言った。


「こーう、ありがとうございます。大切に、します」


 すると、紘宇は心から安堵するような、やわらかな表情となった。


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