二十五話 女官達のひととき
雅会の開催が近付き、牡丹宮の人々は活気づく。
各内侍省の女官達は、忙しなく働き回る。
当日、演奏を担当する尚儀部は楽器の手入れに余念がない。
工芸を行う尚功部の女官達が、雅会の会場となる『花房の間』を美しく飾る。
真っ赤な絨毯を敷き、灯篭も満月を模ったものを出す。
壁にあるのは『結芸』と呼ばれる、一本の赤い紐で作られた飾り。花や蝶の形をしたものが吊るされている。
星貴妃が座る席の背後には、皇帝と皇后を表す鳳凰の絵画を置いた。
久しぶりの雅会なので、尚功部の者達も気合が入っていた。
尚食部の者達は、宴のために特別な料理を作る。
中心となる食材は蟹。雌がたくさんの卵を抱いている姿は子孫繁栄を象徴し、ハサミを動かす様子は、ツキを招いているように見えることから、縁起の良い生き物とされている。
さらに、火を入れるとめでたい色とされる赤になることも、好まれる理由であった。
本日後宮へと運ばれたのは、大閘蟹。川に生息している小型から中型の蟹である。栄養価が高く、健康にもいいことから、貴人達にも人気を博していた。
調理法はさまざま。
一品目は、蒸蟹。もっとも基本的な、蟹料理である。生姜入りの酢醬油で食べる。
二品目は、酔い蟹。紹興酒に漬けた蟹のこと。一週間ほど漬ける。
三品目は、蟹粉豆腐。蟹味噌をふんだんに使った炒め物。
四品目は、蟹粉小籠包。蟹味噌を利かせた小籠包。
と、挙げたらキリがないほど豊富な品目がある。
大閘蟹は星貴妃の大好物でもあるので、尚食部の料理人達は、腕によりをかけて作っていた。
尚服部は、星貴妃の衣装作りで忙しかった。
白い布地に青い襟を合わせ、薄紅の花を糸で刺す。
羽衣のような布地で羽織を作り、団扇に張った布地には、白い牡丹の花を刺繍した。
服に合わせる帽金の帽子冠も宝物庫から持って来て、手入れする。
忙しなく働くのと同時に、彼女らは口も動かしていた。
「この前の晩の事件、聞きました?」
「ええ、ええ。妃嬪様が、中庭で珠宮官を押し倒していた話でしょう?」
「そう! びっくりしたわ~」
星貴妃と珊瑚の中庭で起きた事件は、あっという間に牡丹宮内で広がっていた。
「妃嬪様は大の男嫌いだから、いろいろ諦めていたんだけどねえ」
「男嫌いは仕方がないわ。私でも、嫌になる事件だったもの」
四人の妃が立てられ、次代の皇帝を産むために作られた四つの後宮。そこには、国中の美男子が集められた。厳選に厳選を重ねた結果、牡丹宮にも数十名送られる。
星貴妃は四人の妃の中で一番年上となる、二十五歳。よって、牡丹宮に送られた男達は総じて焦っていた。
三十になったら、妃を交代すると言われていたからだった。
星貴妃は気が強く、誰にも弱みを見せない。
男達がどれだけ口説いても、微笑むことすらしなかった。
そんな星貴妃の強情が原因で、男達は次々と寝込みを襲い、腐刑となった。
「あの殿方達もツイてなかったわね」
「ええ」
星貴妃の周辺には、護衛の女官がいる。寝込みを襲った男達は、その女官に捕まったということになっていた。
実際は違った。
星貴妃は武芸に長けた姫君で、すべて彼女が一人で返り討ちにしてしまったのだ。
それと同時に、護衛の女官は必要ないと、全員牡丹宮から追い出してしまった。
「なんでも、ここに来る前は、戦って勝つことができた男を、夫として迎えるとおっしゃっていたのですって」
「だから、独身でしたのね」
絶世の美女である星貴妃であったが、武を極めるあまり、夫となる男がいなかったのだ。
そんな娘に手を焼いていた星家の当主である父親が、厄介払いとばかりに、後宮に送ったのだ。
「ってことは、妃嬪様のご実家は、後継者争いに消極的ってことなの?」
「みたいね。もともと、星家の領地は異国の文化を取り入れた、独自の暮らしをしている土地ですし、帝都でのいざこざに興味がないのかもしれません」
星貴妃は自らを倒した者を夫とする。
そのことについて詳しく調べていたのは、汪家だけだった。
星貴妃に子どもを産ませるために、ある男に後宮入りを命じた。
一族の中でも見目麗しく、武芸に長けた汪紘宇を送り込んだわけだったが、本人はやる気がないようで、星貴妃に近づくことすらしない。
「汪内官と妃嬪様はお似合いだと思うんだけど」
「そうよねえ」
女官達は紘宇と星貴妃が並んだ姿を想像し、うっとりする。
「なぜ、お勤めを果たそうとしないのか……」
「武官をされていたらしいので、妃嬪様にも勝てる実力はあると思いますが……」
「妃嬪様がお好みではなかったとか?」
ここで、口元に孤を描いた女官が話しだす。
「汪内官は噂があって――」
秘密の話なので、あまり大きな声では言えない。手招きして、近くに寄せる。
「なんでも、男色の趣味があるらしいの」
「やだ~」
「ええっ、そうなの~」
潜めた声のまま、語り続ける。続きはさらに、内緒の話らしい。
「早く言って」
「気になるわ」
「ここだけの話、実は――珠宮官に片想いをしているらしいの!」
「あらあら!」
「まあまあ!」
珠珊瑚。三ヶ月前に牡丹宮にやって来た異国人。
すらりと高い背に、金糸のような美しい髪。瞳は空の青さを閉じ込めたかのよう。優しげな甘い容姿を持ち、微笑みかけられた者は誰であろうと陥落してしまう。
女官達のほとんどを魅了する者であった。
「いったいどうして、汪内官が珠宮官に懸想していると思ったの?」
「この前、珠宮官のたぬき様の捜索をされていて」
「あの、誰にも興味を持たない汪内官が?」
「ええ。珠宮官のために、必死になって後宮内を捜していたみたい」
しかし、ここで誰かが指摘する。
「それだけでは弱いわ。もしかしたら、ただの狸好きの可能性もありますし」
汪紘宇は狸愛好家で――狸を可愛がる様子を想像し、ちょっとほっこりしてしまった女官達。
「狸はいいとして、二人は同室なのよ。怪しい関係に決まっているわ」
「もしかして、あなたの妄想なの?」
「当たり前じゃない。そんなの勘よ、勘! 絶対、あの二人は相思相愛なの!」
確固たる証拠はないが、珊瑚と紘宇はできている。
女官は信じて疑わない。
「まあ、でも、夢のある話よね」
「ええ。珠宮官は、妃嬪様とでも、汪内官とでも、どちらでも絵になる御方だわ」
女官達は想像を膨らませ、恍惚の表情を浮かべていた。
「まあでも、汪内官との関係はどうでもいいとして、珠宮官が妃嬪様の心の拠り所になればいいけれど……」
星貴妃はずっと、心休まる時もなく、自らの貞操を守るために、気を張りながら暮らしてきた。
今はもう、星貴妃を狙う野心家の男はいない。
なので、今度は安らぎを得てほしいと女官達は思った。
あの心優しい珠宮官ならば、星貴妃と心を通わせることもできるのではと、女官達は願ってやまない。
「でも、妃嬪様が珠宮官を押し倒していたっていうから、脈ありよね?」
「ええ、そうよ!」
「しかし、妃嬪様から押し倒すなんて……」
「もしかしたら、お稽古をしていたのかもしれないわ」
「床入りの?」
違うと、肩を強く叩く。
「珠宮官も武官だったらしいから、武芸のお稽古をしていたのかもって意味!」
「ああ、なるほど」
着衣の乱れはなく、星貴妃が珠宮官に馬乗りになっているだけだったらしい。なので、床入りのお稽古をしている可能性は低かった。
「夢がないわ~」
「でも、妃嬪様が誰かに興味を持ってくれるのは、嬉しいことだと思うの」
「それもそうね」
ここで、今まで大人しく刺繍をしていた女官がポツリと呟く。
「もう、後宮の雰囲気が暗くなるのは嫌だわ」
「ええ、そうね」
そのためには、雅会を成功させなければならない。
女官達は星貴妃に楽しんでもらうため、準備に力を入れる。
待ちに待った雅会は、もうすぐだった。