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二十三話 星貴妃と珊瑚

 まさかの星貴妃との邂逅に、珊瑚の額に汗が浮かぶ。

 考えごとをしていたので、人の気配にまったく気付かなかった。騎士失格だろう。もう、今は騎士でもなんでもないが。


 星貴妃は供も連れずに歩き回っていたようだ。

 服は寝間着ではなく、紫色の華服に金の帯で締めた姿である。無地の生地で仕立てられており、この前見た時よりも質素な印象があったが、それでも、彼女は美しかった。

 艶やかな美しい髪は、夜闇を丁寧に磨き上げたかのような深い漆黒である。その髪を飛仙髻――頭の上で輪を二つ作るようにして結い上げていた。

 切れ長の目には、朱が差してあった。魔除けの化粧であるが、星貴妃の美しさを際立たせているように思える。スッととおった鼻筋、ふっくらとした唇、陶器のようななめらかな肌と、目の前の女性は絶世の美女である。

 月灯りが姿をぼんやりと照らし、怪しげな魅力をかきたてていた。

 旅人を湖へ誘い、水底に沈めてしまう妖精のような――。背後に池があるので、余計にそういう風に見えるのかもしれない。

 珊瑚が星貴妃に見惚れていると、ジロリと睨まれてしまう。


「お主、そこで何を……!」


 言葉が見つからず、立ち上がって一歩前に踏み出すと、星貴妃は叫ぶ。


「ち、近付くな!」

「あ、危ない!」


 珊瑚を警戒した星貴妃は、一歩足を引いた。

 しかし、すぐ後ろは池だ。


「きゃあ!」


 星貴妃の身体は後方へと傾いた――が、珊瑚が駆け寄って腰を抱きよせた。

 間一髪。冷たい池に落ちずに済む。


「大丈ぶ――」

「無礼者!!」


 星貴妃は混乱状態にあったのか、珊瑚の肩を力いっぱい叩いた。

 すると、星貴妃を支えきれず、珊瑚は体の均衡を崩す。


「わっ!」

「なっ!」


 そのまま、珊瑚は星貴妃を胸に抱いたまま転倒してしまった。

 相手に衝撃がいかないようぎゅっと抱きしめ、背中から転んだ。地面は草が生えていたので、そこまで痛くはない。

 星貴妃が珊瑚を押し倒したような体勢となる。

 二人は至近距離で見つめ合う形となった。

 黒く濡れた星貴妃の目は、宝石にも劣らない美しさである。これが、生の輝きであると、珊瑚は思った。

 その瞳からは、彼女の揺るがない強さを感じる。

 またしても見惚れていると、ジロリと睨まれてしまった。


「お主、何をする!?」

「も、申し訳ありません」


 しかし、星貴妃が退かないと、起き上がることはできない。小柄な紺々ならまだしも、彼女の体は成熟した大人の女性のものであった。


「……」

「……」


 珊瑚は睨まれ続ける。どうすればいいのかわからず、硬直していた。

 それは、相手も同じなのか。否――違うと気付く。

 どうやら、腰を抜かしているようだ。微かに、震えているのにも気付く。


 星貴妃は男性が嫌いだと麗美から聞いた。後宮の仕組みを利用しようとした、野蛮な男達に襲われたからだ。

 なので、男装している珊瑚の姿が怖いのかもしれない。


 なるべく優しい声で、話しかける。


「あの、セイ貴妃、私は、大丈夫です。あなたを、害したりしない」


 その言葉に、星貴妃は言葉を返す。


「そんなの、口ではいくらでも言えるであろう!」


 か細い反応とは違い、口から出る言葉は勇ましかった。

 珊瑚の上にいる星貴妃は、身体を硬くしながら話続ける。


「お主も、他の男どものように、私を孕ませるために、いろいろと画策しているのではないか? 今日だって、ここに夜、散歩をしていることを知っていて、待ち伏せをしていたのだろう?」

「はい?」


 星貴妃の口調はだんだんと早口となり、半分も聞き取れなかった。

 唯一わかるのは、男装姿の珊瑚が気に食わないということである。


 気の毒な女性である。

 政治のために、この後宮に身を捧げることになったのだ。

 珊瑚は、どういう言葉をかけていいのかわからない。


「なんとか言ったらどうなのだ!」

「わ、私は――」


 星貴妃を見上げる。その表情は――泣きたくても泣けない。そのように見えた。

 かつてのメリクル王子と重なってしまう。孤独な王子は、誰にも理解されなかった。

 頑張っても王族として当たり前の務めだと周囲から認められず、父親の愚かな行いを指摘すれば、逆に不興を買ってしまう。

 心の拠り所がなく、自らで自らを奮い立たせて強く生きるしかなかった。


 その孤独は、計り知れない。


 珊瑚も、ここに来たばかりのころは、辛かった。皆、親切だったのに、言葉と文化の壁があって、身の置き所がわからずに心がザワザワとしていた。

 しかし、珊瑚には親身になってくれる紺々がいた。支えてくれる紘宇だっていた。明るい麗美の姿には、暗くなってはいけないと励まされた。

 それから、珊瑚には可愛いたぬきがいた。

 周囲の人達のおかげで、なんとかやってこれたのだ。


 星貴妃も、そんな心安らぐような存在を見つけてほしい。

 そう思って、恐る恐る話しかける。


「あの、セイ貴妃、私の、たぬきと会ってみませんか?」

「は?」

「たぬきです。フワフワで、賢くて、とても、可愛くて……」


 たぬきの可愛さを、一生懸命星貴妃に伝えた。


「お主、狸なんか飼っておるのか?」

「はい。せんえつながら」


 西柱廊で偶然狸を発見し、飼い主がいないというので、紘宇に愛玩動物の登録をしてもらったことを話す。

 星貴妃はポカンとした顔で、珊瑚の話に言葉を返した。


「狸を好んで飼う者など、聞いたことがない」

「そう、みたいですね。最初、犬かと思いまして」


 ここで、やっと身体を動かせるようになったのか、星貴妃は上体を起こす。

 そして、そのまま立ち上がると思いきや、珊瑚に馬乗りの状態となった。


 前髪をかき上げ、珊瑚を見下ろす。


「……変な奴」


 呆れた顔で、ボソリと星貴妃は呟いた。表情から、強張りや警戒心などが取れたように思えるのは、気のせいかと思う。


「お主のような変わり者など、見たことがない」


 変わっているというのは、元同僚のヴィレにも言われたことがあった。二人目なので、きっとそうなのだろうと、自らの評価を受け入れる。


 ここで、バタバタと柱廊を走る音が聞こえた。


「星貴妃様!」

「妃嬪様!」


 女官達の声が聞こえた。

 どうやら、星貴妃は誰にも言わずに部屋を抜け出していたようだ。


 女官達は中庭の人影に気付き、駆け寄って来る。


「星貴妃さ――きゃあ!」

「どうかなさっ――まあ!」


 星貴妃は、珊瑚を押し倒した姿で発見される。

 女官達は顔を真っ赤にして、両手で顔を隠す。

 最初は眉を顰めていた星貴妃であったが、その意味に気付くと、女官と同じように頬を朱に染めた。


「違う! お主達、何を心得違いしておる!」


 女官達は主人と噂の宮官が中庭で子作りをしていたと、勘違いしていた。

 無理もない。

 星貴妃は珊瑚に馬乗りの状態となっていた。この姿勢でやることなど、一つしかない。


 珊瑚はここで、そろそろ起き上がらなければと思い、空気も読まずに起き上がる。

 星貴妃の腰を掴んだ状態で、上体を起こした。


「えっ、きゃあ!」


 再度、顔が近くなった二人。唇が触れ合いそうなほどの距離だった。


「セイ貴妃、失礼いたします」

「へ?」


 珊瑚は星貴妃の身体をずらして自らの上から退かすと、すっと立ち上がる。

 すぐに、星貴妃へと腕を伸ばし、身体を横抱きにした。


「部屋まで、送ります」

「なっ!」


 星貴妃は顔を真っ赤にさせて、口をパクパクとさせている。

 珊瑚は女官に、部屋に案内するよう願った。


「は、はい、ただいま!」

「こ、ここでは、なんですものね!」

「?」


 女官の言葉の意味がわからなかったが、今は星貴妃を部屋に連れて行くことを優先させなければならなかったので、深く追求はしなかった。


 長い廊下を抜け、北柱廊を通った先に星貴妃の寝殿があった。

 女官は先回りして、左右二枚ある引き戸を開く。

 部屋には灯篭が点されていた。薄明りの中に敷かれた布団に、星貴妃をゆっくり下ろす。

 その刹那、胸倉を掴まれた。胸の前で重なった襟を引かれ、首元がぎゅっと締まる。


「んっ!?」

「お主、こんなところにやってきて、どういうつもりだ?」

「ゆ、ゆっくり、お休みいただこうと」

「は?」


 思いがけない言葉に、星貴妃は珊瑚の服の襟から手を離す。


「セイ貴妃、おやすみなさい」


 襟を正し、片膝を突いた姿の珊瑚は、深々とこうべ下げて寝殿を去る。

 出入り口にいた女官が何か言いたげであったが、微笑みだけ返しておく。


 なんとか無事に送り届けることができた。

 あとは、翌日にお咎めがありませんようにと祈るばかりである。


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