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十五話 思いがけない邂逅

 珊瑚と紺々こんこんは来たる、雅会がかいの選考会を前に、二胡にこの練習に励んでいた。

 本日は紘宇こううは不在。珊瑚の狸を後宮の愛玩動物として登録をしに行ったのだ。

 なので、居間で練習していた。

 毎晩、紘宇の指導もあって、珊瑚はそこそこ演奏できるようになった。

 一時期、意識し過ぎて距離を置いていたが、今は元通りとなっている。

 紘宇は真面目で、異性として見られている気配はまったくなかった。

 接していくうちに夜の営みについても、恥ずかしがらずに真剣に考えるようになった。

 後宮とは、妃嬪と内官が子を成すための場所である。皇帝となる男児が生まれなければ、意味がない。

 紘宇は真剣に務めを果たそうとしているのだ。

 人となりを理解していくうちに、珊瑚は力になりたいと思うようになる。


 しかしその前に、出し物を披露する選考会で合格しなければ。

 二胡の演奏は紘宇の指導もあって、珊瑚は日々上達していた。一方で、紺々はいっこうに上手くならない。


「やっぱり、私には向いていないんですよ」

「こんこん……」


 もう、珊瑚も励ましの言葉が尽きてしまった。

 目を伏せる紺々の肩を抱き寄せ、頭を撫でる。

 しんみりとした雰囲気になっていたが、突然部屋の扉が開かれる。

 入って来たのは、狸を小脇に抱えた紘宇だった。愛玩動物の登録から帰って来たのだ。


「なっ、お前ら、そこで何をしているのだ!?」


 恋人同士のように寄り添う珊瑚と紺々を見て、紘宇は目を剥いていた。


「あっ、いえ、汪内官、違うのです!」


 慌てて弁解をする紺々だったが、紘宇は部屋から出て行くように命じた。

 狸の面倒も見るように言って、紺々共々追い出す。

 タン! と乱暴に扉を閉めた。振り返った紘宇の顔は、怒りで歪んでいた。


「こーう?」

「お前は、女官をたぶらかす余裕があったとはな」


 仲が良過ぎると、前から疑っていたと言われてしまう。

 珊瑚は首を横に振って否定した。励ましていただけだと弁解する。


「こーう、誤解です。こんこんが、悲しそうにしていたので、つい……」

「落ち込んでいる人を見れば、誰でもあのように肩を抱き寄せ、慈しむように励ますと?」

「いえ、それは……」


 誰にでもあのようなことをするわけではない。

 言葉に詰まる。

 そもそも、誑かしていたとはどういう意味なのだろうかと考える。

 紺々のことを惑わしていたわけではない。紘宇はただ、仕事をサボっていたと言いたかったのかと、勝手に解釈した。


「こーう、ごめんなさい」

「……」

「これからは、気を付けます」


 床に膝を突き、こうべを垂れる。


「目的を忘れるな」


 一言だけ言葉を残し、紘宇は執務室へと姿を消した。

 冷たい声色が、胸に深く突き刺さる。


 ◇◇◇


 それからの日々も、二胡の練習に時間を費やす。

 朝も昼も夜も、一心不乱に打ち込んでいた。


「珊瑚様!」


 紺々に名前を呼ばれ、ハッと我に返る。

 弦で指先を切り、血まみれになっていたのだ。


「傷に気付いてから痛みだすなんて、不思議ですね」

「少々、根を詰め過ぎていらっしゃるのかと」

「そうかも、しれないですね……」


 何を一生懸命になっていたのかと、自らを意味もなく追い詰めていたことを自覚する。

 心配する紺々を見て、周囲が見えていなかったことを、反省した。


「牡丹宮の雅会の開催は少ないですが、年に数回ございます。今回が駄目でも、次がありますから」

「はい」


 宮刑を受け、後宮に身を置く状況で、何か成果を出したかった。

 珊瑚は紘宇に認めてもらいたかったのだと気付く。


「……なんて、浅ましいですね」

「そんなことないですよ。珊瑚様がひたむきに頑張る姿は、素敵です」

「ありがとうございます」


 健気なことを言う紺々を抱きしめたかったが、仲良くし過ぎると紘宇に叱られてしまう。

 なので、ぐっと堪えた。


 しばらく休んで、練習を再開させる。

 楽譜でわからない音階があったので、紺々に聞いてみた。

 演奏はいささか微妙なものであったが、譜面は正確に読めるのだ。


「ここはですね、ふんふんふ~ん、の音階ですよ」

「……ふむ」


 珊瑚は顎に手を当て、考える。

 もう一ヶ所、難しい場所を教えるように頼んだ。歌う紺々。頷く珊瑚。

 それを数回繰り返した。


「こんこんは、お歌がお上手ですね」

「そんなの、初めて言われました」

「他の人の前で歌ったことは?」

「ないです」


 ここで、珊瑚はある着想を口にした。


「こんこん、選考会の時に、私の演奏する曲を歌ってくれませんか?」

「ええ!?」

「とても歌が上手なので、きっと合格できるかと」


 突然の申し出に、目を見開く紺々。


「私は祖国でもいろんな方の歌声を聞いてきましたが、その中でも一番好きです」

「そ、そんな……歌声を披露するなんて、恐れ多い……」


 珊瑚は問いかける。自分の言うことが信じられないかと。


「いいえ、珊瑚様のことは信用しております。その、褒められ慣れておらず、混乱していて」

「自信がないのですね」


 コクリと頷く紺々。珊瑚は強い目で見つめた。


「こんこん、一緒に頑張りましょう。そして、花札を戴くのです」

「し、しかし……」

「きっと大丈夫。こんこんは、私を信じて、歌姫になってください」


 熱烈に懇願したが、紺々は頷かなかった。


「すみません……」

「いいえ、無理に誘って、申し訳ありませんでした」


 今日のところは諦め、帰ることにする。


 ――数日が経った。


 手先は包帯だらけになっていた。二胡の練習のし過ぎである。

 はあと、憂鬱な気分で柱廊を歩く。

 ふわりと白い息が漂い、一瞬のうちに消えて行った。季節は冬となり、吹く風は肌を突き刺すよう。


 紘宇とはあの日から険悪な雰囲気だった。

 ほとんど会話を交わすことはない。

 年下の異性との付き合いは慣れているつもりだったが、どうにも上手くいかない。


 騎士の身分を捨てて宮官となり、剣の代わりに二胡を持つ。そんな慣れない生活を送ってきた。

 酷い毎日を想像していたが、実際は穏やかで、不自由のない日々だった。

 心優しい女官達がいて、可愛い狸がいる。尚儀部の指導のおかげで、言葉も覚えることができた。

 すべては、紘宇の采配である。感謝をしなくてはと、改めて思う。


 肌寒い柱廊を抜け、西の廊下へと進む。

 すると、前方よりぞろぞろと人を従えた女性がやってくる。


 珊瑚は壁際に避けた。

 途中で、やって来る者が誰か勘付く。


 黒い髪は漆のように黒く、光沢があって鮮やかに輝いていた。

 頭のてっぺんに髪で輪を作り、準輝石のピンや、翡翠の櫛で美しく飾られている。

 ひと際美しいのは歩搖ほようと呼ばれる竜を模った櫛に、房が垂れた金のかんざしであった。

 それは名前の通り、歩みを進めるたびにシャラリ、シャラリと澄んだ音を鳴らす髪飾りである。


 以前、紺々が言っていたのだ。

 歩搖ほようを頭に挿すことを許されるのは、一部の身分が高く特別な女性だけであると。


 艶やかな髪に、華やかな容貌、金の歩搖ほように、銀と刺繍がなされた美しい絹の上衣下裳じょういかしょうを纏っている。


 あのように、金の簪を挿し、贅が尽くされた衣服を纏った者など、牡丹宮に一人しかいない。


 ――星貴妃様だ。


 珊瑚は慌てて、頭の上で抱拳礼ほうけんれいを作る。


 雅会でお目にかかるとばかり思っていたので、まさかの邂逅に動揺していた。

 ドクドクと、胸が激しく鼓動を打つ。


 以前、紘宇が言っていた言葉が蘇ってきた。


 ――腐刑には気を付けろ。大変なことになる。


 腐刑とは、四夫人が処することができる、刑罰の一つである。

 死の次に辛いものだと言っていたが、具体的にどんな罰だったか。詳しく話を聞いていなかったことを、今になって思い出した。


 不興を買ってしまわないかと考え、緊張で額に汗が浮かんでいた。

 このまま通り過ぎてほしい。

 そう願っていたが、シャラン、シャランという歩搖ほようの音は、珊瑚の目の前で止まった。


「お主は――」


 声をかけられ、ハッとなる。

 顔を上げるように言われ、ゆっくりと姿勢を正した。


「噂になった、異国の宮官か?」

「はい」

「名は?」


 朱珊瑚だと名乗る。

 星貴妃は目を細め、じろじろと上から下まで値踏みするように眺めていた。


「ずいぶんと女官共が騒いでいたが、別に大したことはないな」

「――え?」

「元武官と聞いていたが、貧相な体ではないか。がっかりだ」


 ふんと鼻先で笑い、珊瑚の前から去って行く。

 シャラン、シャランという簪の音を聞こえなくなるまで、その場で動けずにいた。


 星貴妃――美しいけれど、どこか冷めていて、人を小馬鹿にするような目付きをする女性であった。


 気分を害せば、たちまち腐刑を処されてしまう。


 この先も、気を付けなければ。

 珊瑚は心に誓う。


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