番外編 紘宇と珊瑚の初夜
皇帝の護衛を務める珊瑚と紘宇は、結婚したのにすれ違いの連続だった。
朝から夕方の護衛を珊瑚が勤め、夕方から朝までの護衛を紘宇が勤めているからだ。
珊瑚はそれでも幸せそうだったが、紘宇は納得いっていないようで抗議の声を上げていた。
「陛下、私達は一週間前に結婚しましたが、初夜すら行っていない状況です」
紘宇は執務室にただ一人いる皇帝に、強く訴える。
皇帝──紅華は膝の上のたぬきを撫でつつ、にやりと笑いながら言った。
「なんだ、初夜もしておらんかったのか」
「陛下が、休みなく仕事を命じたからです!」
「そうはいっても、一時間ほどであれば、会う暇はあるだろう?」
「その短時間に、初夜ができるとでも?」
「そうか、できなかったか。ふむ。それは悪かった」
悪いと思うのならば、夫婦ともに過ごせるよう休日を作ってほしい。
紘宇は切実に訴える。
「陛下、そもそも、なぜ、このようなことを?」
「面白くなかったからだ。珊瑚は私の一番愛しい人なのに、お主が奪ったから」
「はい?」
「珊瑚も、私を好いていた。ずっと私のものだと思っていたのに……」
紘宇は奥歯を噛みしめ、紅華を睨みつけた。
「ああ、なんという反抗的な目なのか。とても、臣下には見えない」
「夫婦ともに休日をいただけたら、尊敬の眼差しとなるのですが」
「ふうむ。そうだな。まあ、意地悪もこれくらいにするか」
紅華はめんどくさそうに、執務机の下に置いていた巻き物を紘宇へと差し出した。
「これは?」
「一週間、珊瑚と共に好きに過ごせという証書だ」
「陛下!」
「一ヵ月後に渡す予定だったが」
「どれだけ働かせるつもりだったのですか!」
「お主は半年ほどならば、休みなく働けるだろう」
「無理に決まっております!」
紘宇の口調は反抗的だったが、顔はゆるんでいた。珊瑚と休日を過ごせることが、嬉しくてたまらないといった感じだった。
「もういい。下がれ」
「はっ!」
紘宇は深々と頭を下げ、執務室から出て行く。
扉が閉まり、足音が聞こえなくなったあと、紅華はぼやいた。
「……ふう。あの男を引き止めるのは、苦労する」
「くうん」
実を言えば、夫婦の生活をズレさせたのには理由がある。
珊瑚が恥ずかしがって、心の準備ができていなかったからだ。
結婚式の日、珊瑚は紅華に「こーうがカッコよすぎて、直視できません。初夜なんてしたら、鼻から血を噴きそうで」と言った。
男が初夜の晩に鼻血を噴く話は聞いたことはある。しかし、女性は初めてだった。
珊瑚に出血させるわけにはいかない。
そのため、紅華はあえて夫婦をすれ違いさせたのだ。
「そろそろ、腹も括っていることだろう。なあ、たぬき?」
「くうん!」
こうして、夫婦の夜が始まる。
◇◇◇
紘宇は逸る気持ちを押さえながら、帰宅した。
やっと、愛しい妻とゆっくり過ごせるのだ。
速足で帰宅すると、使用人達がぎょっとした表情で迎える。
「なんだ?」
「あ、いえ、今日は、朝方まで仕事だと、うかがっていたので」
「誰か、来ているのか?」
「いいえ、どなたも、いらっしゃっておりません」
「だったらいいが」
すぐさま、紺々が珊瑚に紘宇の帰宅を知らせに行ったらしい。
しばし間を置いて、愛妻・珊瑚の部屋へと向かった。
ドキンドキンと、胸が高鳴る。
やっと、珊瑚を抱けるのだ。
部屋までの道のりが、長く感じた。やっとのことで、珊瑚の寝室の前に辿り着く。
「珊瑚」
「ここに」
戸を開くと、珊瑚は剣を手に持った勇ましい状態で紘宇を迎えた。
服装は男装である。
寝台の前に、仁王立ちで待っていた。
初夜の晩を迎える色っぽさは、欠片もない。
「……お前は、なぜ剣なんか持っているんだ?」
「あの、こーうが、早く帰ってきたので、何か悪いことがあったのかと」
「違う」
珊瑚の手から三日月刀を引き抜き、寝台の縁に立てかける。
「とりあえず、座れ」
「ええ」
珊瑚はキリリとした表情を崩さなかった。
きっと、紘宇が早く帰ってきたので、緊急事態だと思い込んでいるのだろう。
警戒も、解いていなかった。
珊瑚の強くキラキラとした瞳を前に、紘宇は思わず噴き出してしまった。
「こ、こーう?」
「すまない。私は、何かあったから戻ってきたのではない。皇帝に休みをくれと陳情し、許可されたのだ」
「そう、だったのですね……! びっくりしました。てっきり、何か事件が起きたのかと」
「私も、びっくりしたぞ。お前が、勇ましく待っていたから」
「す、すみません」
珊瑚の凜とした雰囲気はなくなり、おろおろしだす。
紘宇は珊瑚のこういうところが、たまらなく愛らしいと思っているのだ。
「今宵は、お前とゆっくり過ごせる。いいか?」
珊瑚を見ると、頬が真っ赤になっていた。青い目も、波打つ海のように潤んでいる。
「嫌ならば、今日でなくても」
「こーう」
珊瑚は紘宇の手をそっと握り、恥ずかしそうに言った。
「ずっと、待っていました。今、この瞬間を」
「珊瑚……」
やっと、珊瑚は紘宇だけの存在となる。
嬉しくて、幸せで、胸が張り裂けそうだった。
珊瑚を抱きしめ、耳元で囁く。
「珊瑚、愛している」
「私も、です」
こうして、二人の影は重なる。
結婚から七日目の晩に、夫婦は初夜を迎えたのだった。