番外編 天帝の神使
この世には、皇帝に勝る存在がいる。
世界を造り、人を見守る創世神『天帝』である。
天帝は人の世に干渉しない。
血が流れ、国が滅びても、天から見下ろすばかりである。
しかし、気まぐれに使いを寄越す時がある。
皇帝が死に、親族を滅ぼされた瞬間、天帝は地上に使いを送ることに決めた。
『また、人の子が悪さをしておる。まったく、何年、何百年、何千年と経っても懲りぬ奴らめ。このままだと、悪い気が巡ってしまう。浄化するのは一苦労だ。お前が地上に行って、新しい皇帝を導け』
その命令に、使いが返事をした。
「くうん!」
◇◇◇
狸の姿をした天帝の神使は命令を受け、地上に降り立った存在である。
穢れた土地を浄化し、新しい皇帝となる存在の選定を行っていた。
街中を見て回ると、やせ細った者、家がない者、親がいない子どもと、悲惨な状況である。
よい皇帝を選ばないから、こうなってしまうのだ。
放っておくと、人は過ちを何度も何度も繰り返す。
それでも天帝は、ほとんど世の中を正そうとしない。
人が背負うべき、咎だからだ。
「──おい、むくむく太った狸がいるぞ!」
「肉だ!」
「捕まえろ!」
「くうん!!」
のんびり街を見回っていた狸であったが、腹を空かせた者達に襲われそうになる。
短い足をバタバタと必死に動かして、全力疾走した。
追い詰められた人は、悪鬼と化す。
天帝もよくぼやいていた。
そんな者達が、国を亡ぼすのだとも。
天帝は話を続ける。
差し迫った状況の中で魂を燃やす存在こそ、皇帝の器であると。
街中で、燃えるような魂を見つけられなかった。
今度は、高い塀の中にある建物の中で探すことにする。
そこは警備が厳しく、門から入れそうにない。
仕方がないので、狸は穴を掘って入ることにした。
「くうん、くうん!」
土だらけになりながらも、一生懸命穴を掘る。
半日かけて、狸一匹が通れるほどの穴を掘った。
もしかしたら、塀の向こう側には皇帝の器を持つ者がいるかもしれない。
狸は期待を込めて、潜入する。
「くうん!!」
しかし──塀の向こう側にいる人々も、どんよりと荒んでいた。
誰も彼も、輝きを失っている。
大地の浄化を施しても、人の悪い感情に影響されて汚染されていった。
この状態が続けば、この地は人が住めなくなってしまう。
天帝はこの状況を予見していたので、狸を派遣したのだろう。
狸は諦めなかった。
広い敷地の中を、探して探して、探しまくった。
しかし、燃えるような魂は見つからない。
諦めかけたその時、遠くのほうに流れ星が飛び込んでいく様子が見えた。
あれはいったいなんなのか。
「くうん?」
皇帝の持つ燃える魂ではない。
しかし、どうしてか惹きつけられる輝きだった。
狸は走って、流れ星が飛び込んだ場所まで向かう。
たどり着いたのは、皇帝の妃が暮らす宮殿。
牡丹宮と呼ばれる場所である。
建物全体が、ほんのりと光っていた。
ここで間違いないと、狸は飛び込む。
壁が、床が、天井が、ほんのりと光っていた。
奥に進めば進むほど、光が強くなっていく。
そして──狸は出会う。
見たこともないほどの輝きを持つ魂の持ち主を。
金の髪に、青い目を持つ娘だった。
その魂は夜空に輝く明星のようだった。
これは、皇帝の燃える魂ではない。
しかし、神使である狸ですら圧倒させるような、清浄なる魂の持ち主だった。
「くうん、くうん」
声をかけると、娘は狸を見つける。
娘と狸の手と手が触れた瞬間、光が散り散りになり、澱んでいた空気を浄化してしまった。
狸が苦労をして行っていた浄化を、娘は一瞬にして成し遂げたのだ。
「くうん……!」
心底驚く。
彼女の存在は、なんなのか。
その秘密は、牡丹宮の妃と娘が触れ合った瞬間より、明らかとなる。
牡丹宮の妃が、娘に心を許した瞬間、妃の魂が大きく燃え上がった。
皇帝の燃える魂であった。
娘は己の中にある清らかな魂で、人々の心を再起させる力があったのだ。
なんて温かく、奇跡のような力なのか。
狸は驚きを隠せなかった。
こうして、狸は次代の皇帝を見つけることができたのだった。
◇◇◇
役目を終えたたぬきは、天帝より皇帝を見守るという新たな命を受ける。
皇帝紅華に気に入られたたぬきは、可愛がられていた。
「たぬき、今日も、もふもふよの……」
「くうん!」
たぬきと遊んで満足した皇帝紅華は、しばし微睡む。
暇を持て余した時は、こっそり宮殿を抜け出して冒険する。
今日は中庭散策だ。
「あらあら、たぬき様、どちらへ行かれるのですか?」
柱廊から草木の生える庭へと飛び出した瞬間に、麗美に見つかってしまった。
「くうん!」
麗美はあとを追いかけてくるので、たぬきはある場所まで導く。
草木をわけ、池にかかる橋を通過し、まっすぐ走っていく。
麗美も続いていた。
ついに、目的の場所へと到着する。
たぬきは目の前にあった障害を軽々と飛び越えたが、麗美は引っかかってしまった。
「たぬき様、待って──きゃあ!!」
「うわっ、何!?」
そこは、珊瑚のかつての同僚、ヴィレが昼寝をよくしている場所であった。
彼はメリクルと共に国を出て、華烈で外交長官の補佐官をしていた。
昼休みは中庭の芝生の上で眠ることを日課としている。
これは、たぬきだけが知る情報であった。
「びっくりした。君、大丈夫?」
「もう、なんですの!」
「ごめん。ここ、人が来ないから」
「あら、あなたは、珊瑚様と同じ国の御方?」
「珊瑚の知り合い?」
「ええ、まあ」
「名前は? 僕はヴィレ」
「わたくしは……麗美」
二人の様子を見て、たぬきは「よしよし」と頷く。
以前から、麗美とヴィレは気が合うのではと思っていたのだ。
このように、たぬきは縁結びも行っていた。
早く番になって、子どもが見たいなと思うたぬきであった。
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