番外編 星紅華の好敵手
その昔、華烈の民は狩猟民族だった。
彗星のように現れた英雄が部族をまとめ上げ、大きな国を作った。
苛烈な者が作った国であるが、華やかな国であるようにと願いを込めて、国名は『華烈』とした。
初代皇帝は七代続いたが、蛮族に攻め入られ一つの時代が終わる。
華烈の歴史は内乱と侵略を繰り返し、数多くの皇帝の首が飛んだ。
それこそ、夜空を駆ける流星の如く。
もう、このような愚かな歴史を繰り返してはならない。これからは、平和的な解決をしなければならないのだ。
血塗られた歴史からの脱却を、誰もが望んでいた。
結果、初めての女帝紅華の即位が決定する。
星紅華──星家の娘で、御年二十五歳。
文武両道で、才女であり一切隙のない武人でもある。
彼女を守るのは、汪家の武官絋宇。
それから、牡丹宮で過ごしていた時の愛人珠珊瑚だ。
政治面は、実家の星家が取りまとめる。
元より、星家は豪族の中でも中立的場立場であったゆえ、異議を申し出る者は少ない。
汪家の力も後押しとなって、新政府は驚くほどのまとまりを見せている。
国民も、女帝の即位を支持した。
紅華帝自身の美しさに魅入られている点もあったが、一番の理由は英雄を傍に置いていたからだろう。
狸の仮面を被った英雄は、危機に瀕した多くの国民を助けた。
そのため、絶対の支持を集めていたのだ。
国民人気もあって、女帝紅華の地位は確固たるものとなっていた。
◇◇◇
「ほうれ、珊瑚、干しあんずだ」
「むぐっ!」
珊瑚の膝枕に寝っ転がった紅華は、手にしていた壺の中から干したあんずを手に取り、珊瑚の口元へと持っていく。
「美味いか?」
「美味しい、です」
一生懸命咀嚼し、答える珊瑚を見た紅華は、目を細め口元は緩ませる。
現在、紅華帝一番の寵愛は、珊瑚にあった。
しかし、珠珊瑚は女性で、さらに既婚者でもある。
ただ、それを知る者はごく一部だ。
珊瑚は男性で、紅華の愛を一身に受けている羨ましい男──と思っている者も多い。
というのも、理由がある。
珊瑚は異国人で、背は華烈男性よりも高い。肩幅も広く、女性には見えない外見をしているのだ。
汪家の永訣より、結婚をと急かされていたが、紅華はまったく聞き入れなかった。
彼女の答えは「私は珊瑚とたぬきがいればいい」だったのだ。
後宮での世継ぎ騒動に巻き込まれた紅華は、すっかり男性嫌いになっていた。
ただ、紅華とていつ命を落とすかわからない。
次代の皇帝は、すでに指名してある。
それは誰にも教えず、金庫の中にしまってある。皇帝崩御となった時、初めて開封されるのだ。
ここだけの話、紅華が皇帝として即位させるように指名したのは、絋宇だった。次点はその兄である永訣。
もちろん、本人達には言っていない。
もしも、紅華に子どもが生まれたら、その権利はなかったものとし、子に継承権が移る。
しかし、紅華は子を産むことなど、まったく考えていなかった。
◇◇◇
「くうん! くうん!」
宮殿の庭を、たぬきが元気よく駆けまわる。
「おい、たぬき、あまり遠くへは行くな」
「くうん」
紅華の癒しは、たぬきと散歩をすることだった。
元気よく駆け回るたぬきを追いかけて行った先で、思いがけない邂逅を果たす。
庭に建てられた東屋に、見知った男が座っていたのだ。
「くうん、くうん!」
「なんだ、これは?」
珊瑚と同じ異国人の特徴を持つ、見目麗しい男。
メリクルだった。
彼は祖国へ継承権を放棄し、華烈へ外交官として滞在していた。
会うのは、以前の騒動以来である。
「くうん!」
「犬が、なぜここに……?」
「それは犬ではない。狸だ」
「タヌキ、だと?」
珊瑚も狸を犬だと勘違いしていた。どうやら、狸は華烈近辺にのみ生息する生き物のようだ。
「久しいな。メリクル・フォン・シトロン」
メリクルは立ち上がり、目礼する。
「よいよい。今は、通りすがりの女だと思え」
「……」
「命令だ」
そう命じると、メリクルの態度は恭しいものから、不遜なものに変わっていく。
「ふん。通りすがりの女帝など、聞いたことがない」
「なんだ、いきなり可愛くなくなったな」
「こうしろと命令したのは、そちらだ」
「まあ、そうだが」
話をしている途中であったが、紅華はメリクルが帯剣していることに気づいて口元の笑みを浮かべた。
「なんだ?」
「おい、メリクル・フォン・シトロン。剣の相手をしろ」
「は?」
「いいから私と戦え」
以前、紅華はメリクルと手合わせをして、あっさり敗北してしまった。
負けず嫌いの彼女は、ずっと引っかかっていたのだ。
星家の女は、剣で負けた者を夫として選ぶ。
そんなしきたりがあったので、誰にも負けないよう腕を磨いていたのだ。
以前戦った時は、体が鈍っていた。
今は、華烈一の将軍と言われている汪絋宇の稽古を受けている。
剣術も、上達していた。
問答無用で、紅華は剣を抜き、メリクルへと斬りかかったが──ほぼ不意打ちにもかかわらず、紅華の剣は宙をくるくると舞っている。
たぬきは剣の軌道を目で追っていた。その視線は、上から下へと下がっていく。
最終的に、紅華の剣は地面に突き刺さった。
「なぜ、勝てぬ?」
「お前が私よりも、弱いからだろう?」
「な、なんだと!?」
メリクルは不敵な面構えで紅華を見下ろし、ふっと微笑んだ。
「しかし、いい腕だ。我が祖国の者であったならば、専属の騎士にしていた」
たとえ話ではあったものの、自らの配下の一人にしたいと言うメリクルに、紅華は怒りを覚える。
「お前は、私を誰だと思っているんだ!」
「通りすがりの女なのだろう?」
「!?」
それは、紛うことなく紅華自身が言った言葉だ。
言い返す言葉が見つからず、奥歯を噛みしめる。
なぜか、メリクルには口でも剣でも勝てない。
こんな男は、初めてだった。
以降、メリクルは紅華の好敵手として認定する。
出会ったら戦いを挑んでいたが、一度として勝てたことがない。
今日も、紅華はメリクルと剣を交えていた。
その様子を、珊瑚と絋宇は見守っている。
「しかし、あの二人は仲が悪いな」
絋宇は呆れきっていた。
「しかし、喧嘩するほど仲がいいとも言いますし」
「いや、あれは水と油だろう」
そんなことを話していたが、数年後に二人は夫婦となるので、男女の仲はわからないものである。
「くうん!」
……たぬきは、わかっていたようだが。
そして、紅華が青い目の双子を産んだ際、珊瑚の子であると噂されたことは、言うまでもない。