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十二話 大いなる勘違い

 たぬき――ネコ目イヌ科タヌキ属の哺乳類。生息地域はごく僅かで、稀少動物に分類されている。雑食で、狩りはしない。


「なるほど。たぬき、ですか」

「そうだ。一応イヌ科だから、間違うのも無理はないが」

「たぬき……」


 珊瑚は狸を持ち上げ、顔を覗き込む。

 クリッとした丸い目に、むくむくとした体。手触りの良い毛皮に、太い尻尾。

 世の中にこんな可愛い生き物がいるのかと、珊瑚は感激している。


「いっておくが、狸は愛玩動物ではない」

「え、そうなの、ですか? こんなに、震えるほど、可愛いのに?」

「可愛いか?」

「可愛い、です」


 狸を紘宇こううに見せるが、そうでもないと言われてしまった。


「雑食だから肉は不味いし、毛皮は臭い。人間にとって、利益のある生き物でないことは確かだ」

「その評価は、可哀想、です」

「私の個人的な評価ではない。世間一般から見た狸の評価だ」


 もしも、好んで飼う者がいるとしたら、大変結構な変わり者であると。

 遠回しに悪口を言われた珊瑚であったが、当の本人は気付いていない。


「まあいい。まず、牡丹宮の者で何か知っている者はいないか、回覧板で情報の周知を行う」


 紘宇は紺々こんこんに、紙と筆を執務室から持って来るように命じた。

 筆を握った紘宇は、丁寧な字を流れるような動作で書く。


 ――西柱廊にて子狸を保護。飼い主は名乗られたし。


「なぜ、このような阿呆なことを知らせなければならんのか」

「こーう、お知らせに、狸の絵も、お願いします」

「はあ?」

「そのほうが、かわいい……ではなく、わかりやすい、です」

「お前が描けばいい」


 珊瑚は紘宇から筆を渡されたので、別の紙に狸を描く。

 真剣に、一生懸命に描いていたが、彼女は絶望的に絵が下手だった。


「こーう、どうです?」

「死ぬほどヘタクソ」


 珊瑚は言葉の意味がわからず、紺々に尋ねる。


「え、え~~っと、そうですね~~、あの、その、独創的な絵だと、おっしゃっています」

「なるほど」


 その昔、絵の才能はないと家に出入りしていた画家に言われたことを思い出し、紘宇は傷つかないように優しく指摘してくれたのだと思う。優しい人だとも。

 自分の絵では伝わらないだろうと思ったので、もう一度狸を描いてもらうように頼んだ。


 キラキラと輝く視線を受けた紘宇は、深い溜息を吐きながらさらさらと紙の上に筆を滑らせた。

 ものの数秒で、完璧な狸を完成させた。


「こーう、凄い。あなたは、すごく、みやびな人、なのですね」

「……」


 珊瑚の発言に一瞬だけぽかんとした表情を見せた紘宇であったが、すぐにハッと我に返り、無言で狸の絵と通知書を差し出した。

 お礼を言って受け取り、紺々へ手渡す。内侍省の回覧板で回すよう頼んだ。


 紘宇と紺々がいなくなり、珊瑚はなんとか一日乗り切ったと、ほっと息を吐く。

 内儀尚で習ったおかげか、いささか言語も発達したように実感していた。

 まだ発音は怪しかったが、紺々の通訳を頼りに、なんとかやり過ごしている。

 願わくば、平和的な毎日が遅れますようにと、願っていた。


 その後、珊瑚は夕食、風呂と済ませ、寝所に向かう。


 寝室は無人だった。居間も同じく。

 部屋でお留守番をしていた狸だけが、トコトコと出迎え、「くう」と鳴いた。

 狸を抱き上げ、温かくふかふかの毛に頬ずりする。


 先ほど、紺々とお風呂に入れて洗ったので、毛並みはさらにふかふかツヤツヤになっていた。


「こーうは?」

「くうん?」


 狸は紘宇の行方を知らないようだった。

 おそらく、執務室で仕事をしているか、星貴妃の寝所に呼び出されたか。

 そこまで考えて、恥ずかしくなる。

 家庭教師より、そういった授業を受けていたが、もう十年も前の話だった。

 母親に傷物だと言われた背中の刺青のこともあり、自分は結婚しないだろうと考えていた。なので、それらのことは頭の隅に追いやっていたのだ。


 国王の妻達が暮らす後宮――四夫人と、子を成すために国中から集められた男達が暮らす宮殿である。

 目的は良く理解していた。

 だが、先ほどまで狸の絵を描いていた、二つか三つ年下の少年とも青年とも言い難い男が、そういう行為をしていることを想像すると、なんとも言えない気持ちになるのだ。


 ぶんぶんと首を横に振り、雑念を追い払う。

 紘宇の不在――それは、珊瑚にとって好都合なのだ。

 夜、眠る時はどうしても無防備になる。一人で眠ったほうが、いろいろと安心なのだ。


「くうん」


 狸が切なげに鳴く。珊瑚はくすりと笑い、そっと優しく抱き上げた。


「今日は一緒に、眠りましょう。そのほうが、温かい」


 狸は尻尾を振って、紘宇の布団に潜り込んだ。珊瑚も、寝転がって布団を被る。

 今日はなかなか眠れなかった。

 一時間ほど微睡んでいたのか。途中で扉が開く音が聞こえて、目を覚ました。

 薄目を開くと、紘宇が戻って来たことに気付くが、珊瑚は下着を身に着けていない無防備な寝間着姿だったので、起き上がることはできない。


「なんだ、起きていたのか」

「あ、はい。紘宇は、今までお勤めを?」

「ああ」

「お疲れ様でした。その、案外、早かった、ですね」

「は?」

「え?」


 紘宇は何が早かったのだと問う。

 気恥ずかしくて、星貴妃のところで頑張っていたのだろうとは言えなかった。


「いつもより、遅い時間まで励んでいたが?」

「そ、そうなの、ですね。すみません」


 珊瑚は布団を頭まで被って、動揺を押し隠す。

 一方で、紘宇は首を傾げながら布団を捲ったが――


「は、はあ!?」


 紘宇の布団の上で腹を上に向け、熟睡する狸。

 目覚める様子もなく、ぷうぷうと寝息を立てながら眠っていた。


「お前、狸っ……、なんでここに眠っているんだよ」


 乱暴に狸を掴もうと手を伸ばしていたので、慌てて狸を自分の布団へと引き寄せる珊瑚。


「狸を布団に引き入れたのはお前か?」

「……はい」

「なぜだ?」

「あの、こーうが、今日帰って来ないと」

「夜中の間、ずっと働くと思っていたのか?」

「すみません、よく、知らなくて」


 紘宇はイライラとした様子で、布団に狸の毛が抜け落ちていないか確かめる。

 獣臭くないかも調べていた。


「大丈夫、狸はこんこんと洗いました。獣臭さはないですし、綺麗です」


 布団には抜け毛はないし、獣臭もなかった。

 紘宇はふんと鼻を鳴らし、横たわる。

 珊瑚は狸を胸に抱き、布団に潜り込んでいた。


「お前にも覚えてもらうからな」

「え!?」

「え、じゃない。なんのために、ここにやって来たと思っているのだ?」

「こーうが、私に教えるの、ですか?」

「私の他に誰がいる」


 紘宇より房中術ぼうちゅうじゅつ――男女の夜の営みを教えると言われ、珊瑚はぎょっとする。

 まさか、このようなことを命じられるとは、夢にも思っていなかったのだ。


「わ、私が、お手伝いすること、あるのですか?」

「たくさんある」

「たくさん……」


 珊瑚は狸をぎゅっと抱きしめ、戦々恐々とする。


「別に、最初から難しいことを頼むわけではない。簡単なことから教えてやる」

「簡単な、こと」


 夜の営みに難しいことから簡単なことがあるのか。珊瑚は少女時代に習ったことを思い出そうとした。だが、最終的には夫となる人に身を任せるという話だった。具体的なことなど、何一つ知らない。


「どうした?」

「いえ、知識も経験もないので、自信がなく」

「皆、最初はそうだろう。失敗して、経験を積んでいくのだ」

「こーうは、経験豊富、なのですね」

「豊富というわけではないが、武官をしていた時代も、上司と毎日していたことだ」

「毎日、上司と………」


 上司は男なのか、女なのか。どうなのか。その点も気になってしまった。

 華烈の者達の貞操概念はどうなっているのか。わからないことだらけだった。


 頭の中は混乱状態で、理解が追い付いていない。

 けれど、珊瑚は宮刑を受けた身。

 命があるだけでも、奇跡のようなものなのだ。


「おい」

「はい?」

「覚えるのは、お前が言葉を覚えてからだ」

「そ、そう、ですよね」


 房中術を覚えるのはもう少し先。

 そうだとわかった珊瑚はホッとする。

 役目を言い渡されるまで、忘れることにした。


 この件について、珊瑚が盛大な勘違いをしていたことが発覚するのは、しばらく経った後の話だった。

 紘宇が怒り狂ったのは言うまでもない。


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