最終話 彗星乙女後宮伝
汪家に滞在する紅華のもとに、国の重鎮たる男達が訪ねてくる。
紅華はふんぞり返って、彼らの対応をしていた。
「まったく、なかなか実家に帰してくれぬなと思っていたら」
「本当に、すまないと思っている」
謝罪するのは、国の最高行政機関である中書省の長官であった。
「何度も話し合いを重ねた結果、次代の皇帝候補を絞り──」
「して、私に女帝となれと、雁首揃えて頼みに来たと?」
「まあ、そう、だな。まだ、あくまでも候補であるが」
中央官僚機関である三省六部のうち、半数が紅華を支持しているらしい。
残りは、数名上がった候補を推している。
「おそらく、すべての者が納得する皇帝を選出するのは難しいだろう」
「正当な皇位継承者がおらぬのだからな」
紅華はあくまでも皇帝の遠縁で、皇位継承権はない。だが、今回の戦争の星家の活躍や、もっとも戦績を上げた汪家が支持するため有力候補となっている。
ただ、女の皇帝は今まで例がほとんどない。
そのため、強く反対する者が出ているのだとか。
「そもそもだ。許可もなく勝手に祭り上げてくれよって」
「その件も、すまないと思っている」
「まあ、都に引き留められた時点で、予感はあったがな。ただ、一言言ってくれたのならば、私も剣の稽古以外にやることもあっただろうに」
「本当に、申し訳なかった」
「もう、謝罪はよい。本題へと移れ」
紅華は今回の要件が皇帝候補であると知らせるだけではないと、勘づいていた。
「話が早くて助かる。今宵、皇帝の最終決定会議を行うわけだが、紅華殿も参加してほしい。可能であれば、狸仮面の剣士と共に」
「ほう? なぜ、狸仮面の剣士も?」
「彼は、民より絶対的な支持を得ている。三省六部にも、感謝している者は多い」
「なるほど。狸仮面の剣士の人気にあやかろうとしているのだな」
「はっきり言ったら、まあ、そうだな」
「ふむ」
紅華の背後には、絋宇と珊瑚が控えていた。彼らに、紅華は問いかける。
「狸仮面の剣士の出動要請があったが、どう思う?」
「……」
「……」
珊瑚はちらりと絋宇を見たが、険しい表情でいる。
「こーうは、どう思います?」
「狸仮面の剣士の存在を、政治的に利用することは、個人的にはどうかと思いますが、そもそも、どのような目的で作ったのか、お聞きしたいなと」
「狸仮面の剣士の存在意味か? ああ、あれは、わかりやすい英雄像を作って、民の心の支えにしたかったのだ。政治的な目論見はまったくない。狸仮面の剣士の存在は、真心と正義の擬人化だ」
「なるほど」
だったらと、絋宇は自身の考えを紅華へと伝える。
「私は、今の時代に真心と正義は必要だと思います。新しい皇帝の傍に、それがあったら、民も安心し、支持することでしょう」
「ふうむ。それは一理ある。珊瑚は、どう思う?」
「私は──狸仮面の剣士がいることによって安心する人がいるのならば、必要かなと思います」
「わかった。狸仮面の剣士と共に、参上しようではないか」
中書省の長官はホッとした表情を見せていた。
これから紅華は、狸仮面の剣士こと珊瑚と絋宇を引き連れ、次代の皇帝を決める会議へと向かう。
◇◇◇
今日、新しい皇帝が誕生する。それなのに、会議の場の空気は最悪だった。
女性を皇帝とすることを認めない一派は過激派で、またしても波乱の世が待ち構えていると訴えているのだ。
そこに、紅華が絋宇とメリクルを引き連れやってくる。
戦争で活躍した絋宇の登場で、場の雰囲気はいささかよくなった。
国に貢献した絋宇を、悪く言う者はいない。
同じく、戦争を止めてくれたメリクルも、好意的な視線を浴びていた。
戦争での賠償金の取引を行ったのは彼で、今の時点でもかなり国に貢献していたからだ。
紅華は左右に美しい男を侍らせ、満足げな様子でいる。
女帝反対派は、その態度も気に食わないのか、ヤジを飛ばしていた。
当然ながら、紅華は涼しい顔をしていてまったく取り合わない。
本日は皇帝候補が一人一人、思いの丈を訴えるようになっている。
紅華の他に二名、男性がいた。
一人目は年若い、十七か十八歳くらいの少年である。体の線は細く、場の空気に委縮しているようだった。わかりやすい傀儡であると、この場にいる者のほとんどは思っていた。
二人目は、四十代ほどの、黒く長い髭を蓄えた人物である。いかにも野心家といった空気を放っていた。
三人目が、星家の紅華である。
一人目の気弱そうにも少年は、巻物に描かれている宣言文をしどろもどろと読む。
とても、皇帝の器には見えない。
二人目の野心家の男は、何も見ずにハキハキと国の将来について語っていた。
しかしそれは、軍事力を高め、他国への侵略をもとに国を大きくしていくという、危うい政策を掲げていた。
最後に、星貴妃が思いの丈をぶつける。
「私が女帝となった暁には、腹を空かせた子が一人もいないような国を作りたい。以上だ」
あまりにも短かったので、ざわつく。
ここで、中書省の長官が紅華の支持者を紹介することになった。
「なんとあの、狸仮面の剣士は、星紅華殿に仕える者だったのだ」
会議室はさらにざわつく。
狸仮面の剣士は、民に最大の人気を誇る英雄だ。彼がついているとなれば、皇帝は絶対の支持を受けることは明らかである。
扉が左右に開かれ、狸仮面の剣士が入ってきた。
一歩、一歩と近づき、星貴妃に忠誠を誓うように、頭を垂れている。
驚く者、感嘆する者、舌打ちする者と、反応はさまざまだ。
狸仮面の剣士が付いているのならば、紅華を支持するしかないのか。
そんな空気になっていたところで、反対派の一人が指摘する。
「その者が本物の狸仮面の剣士であるという証拠はどこにある!?」
その一言をきっかけに、そうだ、そうだと責められた。
珊瑚が狸仮面の剣士である証拠は、どこにもなかった。
過激派の一人が、吐き捨てるように言う。
「たしかに、皇帝陛下のもとに、伝説の神獣である狸が現れる伝承はあるが、それを利用して皇帝の座を射止めようとするのは、あまりにも無礼だ」
「なんだ、その狸の伝承とやらは?」
「古い神話だ。皇帝となる者の前に、狸が現れる。その者は将来、かならず皇帝になるだろうというもので──」
説明の途中、会議室の扉をカリカリと引っ掻くような音が聞こえた。
扉の前に立っていた者が不審がって開いた。
すると、扉の前に茶色いもふもふとした獣が立っていたのだ。
「なんだ、あれは?」
「犬か?」
「誰の犬だ?」
過激派の一人がいち早く気づく。
「あれは、狸だ!」
「くうん!!」
獣はそうだとばかりに、大きな声で鳴いた。
そして、まっすぐに紅華のもとへと駆け寄ってすり寄る。
「くうん」
「お前も来ていたのだな」
「くうん!」
狸を抱き上げる紅華を目の当たりにした過激派一派は、わなわなと震えている。
中央省の長官は、にやりと笑いながら話しかけた。
「これで、誰が次代の皇帝か、決まったな」
汪家の絋宇に、異国の外交官のメリクル、狸仮面の剣士に加え、伝説の神獣狸が現れたとなれば、紅華を女帝と認めるほかない。
「今、この瞬間に、星紅華を、次代の皇帝とす!」
意義を唱えられる者は、誰もいなかった。
◇◇◇
長い長い皇帝不在は、終わった。
玉座には、美しき女帝が腰かけている。
戴冠式には、大勢の民が押しかけた。
その美貌に加え、見目麗しい男達を侍らせる様子は実に様になっている。
苦しい時代は終わった。
希望に満ち溢れた民は熱狂し、全力で女帝を支持した。
その期待に、紅華は応えたのだ。
女帝紅華は、華烈に平和をもたらした。
民からも絶大な人気を誇る、皇帝だったのだ。
即位した二年後に、彼女は双子を産んだ。
誰の子か明らかにされておらず、世間では狸仮面の剣士との間の子ではないかと噂されていた。
狸仮面の剣士が女であることなど、知る者はほとんどいない。
紅華に近しい者だけが知る秘密である。
狸仮面の剣士扮する彼女は彗星のごとく華烈に現れ、多くの者達を正しき方向へと導いた。
そんな昔話を、紅華は孫に語る。
恐ろしく天然で、勇敢な女性がいたという、童話のような夢物語を。
子ども達は、いつだって目を輝かせながら聞いていた。
「おばあちゃん、この物語は、なんという題名なの?」
「物語、か。そうだな、これは、私が一番大好きな物語だ」
それは、後の世で多くの者達に語り継がれることになる。
題名は──彗星乙女後宮伝。
平和を愛する華烈の民に、もっとも愛される物語となった。
彗星乙女後宮伝 完
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
なんというか、感無量です。
一時期書けなくなってしまった時期がありまして、感想欄で励ましていただき、読者様の力を得て完結まで書ききることができました。
本当に、ありがとうございました。感謝の気持ちは言い尽くせません。
ひとまず完結ですが、あとから番外編なども発表できたらいいなと思っています。
そして、感想欄を解放しておりますので、ご意見ご感想などいただけたら幸いです。
書籍化作業中、読み返していると、整合性の取れていない場所が数か所あり、その点は申し訳なく思っています。いつ、修正できるとは言えないのですが、把握しております。すみません。
そして、いったん中止となった書籍発売ですが、きちんと発売できるようお話は進んでおります。
発売日など決まり次第、お知らせできたらいいなと思っております。
なにはともあれ、無事に完結できました。レビューもいただき、涙が出そうでした。とても、嬉しかったです。
これからも、楽しんでいただける物語が発表できるよう、頑張ります。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。