百十七話 それから、それから
絋宇と会えない毎日を過ごしているうちに、あっさりと一ヵ月経ってしまった。
その間、珊瑚は紅華と共に剣の修行に明け暮れ、よりいっそう精悍な顔つきになったと絋宇の兄永訣に言われて一人切なくなる。
彼女が目指すのは、ふくよかでたおやかな、包容力のある女性だった。
だが、紅華と稽古をする中で筋肉が付き、女性らしさとは真逆の状態になりつつある。
「私、こんこんみたいになりたいです。こんこんは、可愛い……」
「いえいえ、珊瑚様も素敵ですよ」
「ありがとうございます」
このやり取りを聞いていた紅華は呆れかえる。
「お主らは、いったい何を言い合っておるのだ」
「こーか様も、お綺麗ですよ」
「はい。都一お美しい方です」
褒められた紅華は、団扇で口元を隠す。目は細められ、満更でもないといった感じだった。
このようにして、汪家に身を寄せる女性達は楽しげに暮らしていた。
そんな中で、嬉しい知らせが届く。
明日、絋宇が一か月ぶりに汪家の屋敷に戻ってくるというのだ。
「たぬき、明日、こーうと会えますよ」
「くうん、くう~~ん!」
たぬきは絋宇が帰ってくると知り、その場でくるくると回る。
珊瑚だけでなく、たぬきもこの上なく嬉しそうだった。
「だったら、めいっぱい着飾らないとな」
そんなことを言う紅華は、紺々に目配せする。
頷いた紺々が持ってきた長方形の木箱の中には、青に銀糸の牡丹模様が刺繍された女性ものの華装が入っていた。
「こーか様、これは?」
「この前、採寸を行っただろう? その時に、作るように頼んでいたのだ」
「わ、私に、ですか?」
「他に誰がいる」
恐る恐る、珊瑚は華装を手に取る。
絹で作られており、手触りはなめらか。うっとりするほど美しかった。
「こ、こーか様、ありがとうございます」
「よいよい。お主は頑張った。その、褒美だ」
紅華に労われ、今までの出来事が記憶の中から次々と甦ってくる。
メリクルを庇って宮刑を受け、牡丹宮へと送り込まれた。
そこで生涯、働くことを強いられたのだ。
死ぬよりましだと言い聞かせながら、後宮で生活を始めた。
異国の者に奇異の目を向ける華烈人が住む場所なので、恐ろしい目にも遭うかもしれない。
そんなことを想像していたが、違った。
牡丹宮に住む人々は、皆親切だった。
その中でも、紅華や紺々には、世話になった。
「こーか様には、お仕えする身でお世話になったというのも、おかしな話ではあるのですが」
「気にするな。私も、お主には世話になっていたからな」
紅華は珊瑚の肩を力強く叩き、激励する。
「明日、それで綺麗になって、汪絋宇のことをモノにしろ」
「も、モノって」
「ぼさぼさしていたら、盗られてしまうからな」
絋宇は戦争で活躍し、国民人気も高まりつつある。出世の道にも乗りつつあるので、すでに高嶺の花になっているだろうと紅華は言う。
「珊瑚よ、他の女に、盗られたくないだろう?」
「え、ええ……。しかし、私のこの体で、果たして受け入れていただけるかどうか」
「私は、お主のたくましい体は好きだぞ」
紅華の言葉に、珊瑚は切なげに「ウレシイデス」と言葉を返した。
わかりやすいほどの棒読みであったが、本人は気づいていない。
◇◇◇
翌日、珊瑚は紺々と汪家の女官を共に身支度を整える。
金の髪は丁寧に櫛を通し、椿の精油を塗り込んで艶を出した。
珊瑚の鍛え抜かれた体を、美しい衣が包む。
「こんこん、大丈夫ですか? 服、小さくありません?」
「珊瑚様、大丈夫ですよ。よく、お似合いです」
腰回りは銀の帯を巻き、上から金の紐を結んだ。
続いて、化粧が施される。
パタパタとはたかれる白粉が鼻をムズムズさせるが、なんとか我慢した。
紺々が、目元に筆で朱を入れてくれる。
頬紅が差されると、よりいっそう華やかになる。
唇には真っ赤な紅を塗った。熟れた果物のような、艶やかな唇へと変化を遂げた。
最後に、髪型を整える。
頭上で輪を二つ作り、櫨蝋を塗り込んで髪が乱れないようにした。
仕上げに、珊瑚で作られた薔薇の簪が差し込まれる。
これは、汪家から贈られた物だ。こういった品に疎い珊瑚でも、一目で大変価値のある物だとわかった。
永訣曰く、絋宇を戦場から連れ帰った褒美らしい。
絋宇の救出は珊瑚だけの手柄ではなかったが、紅華が受け取れと言うのでありがたく貰った。
「珊瑚様、いかがですか?」
紺々が鏡で姿を見せてくれる。
「こ、これが、私、ですか?」
「ええ、珊瑚様です。とっても、お綺麗で」
「わ、私が、綺麗、ですか?」
「はい!」
部屋の端で大人しくしていたたぬきも、珊瑚を見て嬉しそうに跳びはねていた。
「たぬき様も、大変お綺麗だと」
「あ、ありがとうございます」
紺々や女官の腕のおかげか、一見して華奢なように見える。
女性らしい、素敵な装いだった。
「きっと、汪様も、お悦びになるかと」
「えっと、そうだといいですね」
もうすぐ帰ってくるだろうとのことで、珊瑚はたぬきと共に絋宇の私室に案内される。
本人の許可も得ずに入っていいのかと思ったが、永訣は気にするなと言っていた。
当主がいいと言うので、お言葉に甘えることにする。
絋宇の部屋には本と武器がたくさんある、彼らしい空間だった。
「こーうの匂いはしませんね」
「くうん」
そんな話をしていると、女官が廊下から声をかけてくる。
絋宇が帰ってきたと。