百十六話 それから
戦争は終わった。
メリクル王子の活躍もあって、事態は瞬く間に解決していく。
戦争を仕掛けられた華烈は、多額の賠償金を貰うことになった。
危機的な財政状況であったために、想定外の収入に官吏達もホッと胸を撫で下している。
そして、すぐに新政権発足のため、動き始めることになった。
まず、最初に行われたのは、維持費のかかる後宮の解散だ。
皆、未練はないからか、四夫人はあっさりと去る。
絋宇は兵部に戻った。戦争で活躍した優秀な将軍であった彼の復帰を、兵士達は大いに喜んでいた。
珊瑚は紺々、たぬきと共に、汪家の永訣に都に残るように言われていた星貴妃のもとで暮らす。滞在先は、汪家の屋敷だ。
絋宇は忙しいようで、家には一度も戻ってこない。兵部の宿舎で寝泊まりしているようだ。三日に一度、手紙のやり取りをする程度である。
寂しさは募っていたものの、絋宇は望んでいた場所に帰ることができたのだ。今は我慢するしかない。
汪家の屋敷は牡丹宮よりも遥かに大きく、一人では迷ってしまいそうなほど部屋の数も多い。
星貴妃は貴賓扱いを受け、丁重にもてなされていた。
だが、特にすることはなく、半日過ごしただけで雅な生活は飽きてしまったようだ。
そのうち、珊瑚に剣の稽古をするように命じてきた。
この日より珊瑚と星貴妃は汪家の庭で剣を交え、ひたすら武を極める時間を過ごす。
そんな様子を、紺々は膝にたぬきを載せて、見守っていた。
◇◇◇
「ほれ、珊瑚、見てみろ。腕に筋肉が戻ってきたぞ」
「私もです。筋肉なんて、いらないのに」
「いや、筋肉は必要だ。精神を強くしてくれる」
「筋肉と精神は関係ないような」
「あるぞ」
「私には、まだ理解できません」
「だったら、まだまだ鍛錬が必要だな」
「いえ、私は、ふくよかな体になりたく……」
地味に、絋宇から女であるはずがないと断言されたことを気にしていたのだ。
「安心せい。ふくよかでなくとも、お主は魅力的な筋肉を持っている」
「こーか様……嬉しくないです」
星貴妃は貴妃の位でなくなったため、紅華と呼ぶようになった。
珊瑚が微妙に絋宇の名と発音が似ていると言うと、全然違うと修正される。
しかし、珊瑚は古代語の発音が残る華烈の人名を上手く言えずにいた。
「まあ、お主のそういうところが愛いのだけれどな」
「あ、ありがとうございます」
そんな珊瑚達を、メリクル王子が訪問してきた。
「お久しぶりです」
「ああ、元気そうだな」
「メリクル王子も」
ここで、メリクル王子は驚きの報告をする。
王子の位を捨て、外交大使として華烈に住むことになったのだとか。
そんな話をしていると、紅華が険しい顔で会話に割って入る。
「お主、珊瑚を追ってそこまでしているのではないよな?」
「それは違う。私は、この土地が気に入ったから、こうしてやって来たのだ」
「なるほどな」
話が途切れると、紅華はメリクルの腰に差さっている剣に気づき、口元に弧を描く。
庭へ繋がる掃き出し窓を広げ、中庭へと誘う。
「では、歓迎の儀だ」
そう言って、紅華はすらりと剣を抜く。どうやら、メリクルの腕試しをするようだ。
「あの、こーか様、彼……メリクル様は、結構強いですよ?」
「なおさらよいではないか」
「それに、負けず嫌いです」
「奇遇だな。私もだ」
やる気なのは紅華だけではなく、メリクルもだった。売られた喧嘩は買う主義のよう。
負けず嫌い同士の想定外の戦いが、始まろうとしていた。
「ど、どうしましょう、こんこん」
「えっと、困りましたね」
「くうん……」
珊瑚、紺々、たぬきは揃っておろおろするばかりである。
美しく整えられた庭に対峙する紅華とメリクルは、一枚の絵画のように美しかった。
木から一枚の葉がはらりと落ちる。
それが合図となり、戦闘開始となった。
先に攻勢に出たのは紅華のほうだった。三日月のような刃を軽々と振り上げ、遠慮なく斬りつける。
もちろん、相手が回避するとわかった上での大きな一撃であった。
その期待にメリクルは応える。
ひらりと華麗に回避し、ぐっと足を踏み込むと、自らの剣を水平に斬りつけて反撃に出る。
横からの一撃を、紅華は剣の腹で受け止めた。
想定状に重い一撃だったからか、眉間に皺が二本増える。
カァン、カァンと刃物が重なり合う音が響く度に、珊瑚は気が気でならなかった。紅華とメリクル。どちらにも怪我をされたくないからだ。
耳をつんざくように高く鋭い金属音が聞こえる度に、珊瑚は目を瞬かせる。
「こんこん、なぜ、こんなことに?」
「大変な事態ですが、紅華様の表情は、なんと言いますか──」
珊瑚は紺々につられ、紅華の顔を見る。一見して苦しげな様子だったが、口元は笑っていた。
どうやら、好敵手であると判断したらしい。
そして、三十分ほど猛烈な打ち合いの末、一本の剣が折れてしまった。
くるくると回転しながら天へと上がり、太陽と一瞬重なってキラリと煌めく。
その後、落下して地面に突き刺さった。
「なっ──!?」
折れたのは、紅華の剣であった。
同時に、地面に膝を突いてしまう。
「運が悪かったな」
メリクルはそう言いながら剣を鞘に納め、紅華に手を差し出す。
「……」
「どうした? 休むならば、家でゆっくりしろ」
「まあ、そうだな」
紅華はそう答え、メリクルの手を取る。
初めて、彼女が自分から異性に手を伸ばした瞬間であった。
「珊瑚様、なんだか、あの二人ってお似合いですね」
「ええ。私も今、そんなふうに思っていました」
男性嫌いな紅華であるが、その苦手意識も薄くなっているようだった。