百十四話 愛のために
あと少しだったのに、レノン隊長に見つかってしまった。
騎士達の中には、弓兵もいる。無傷で逃げ切ることは難しいだろう。
珊瑚は即座に判断し、馬から降りると両手を上げて、戦う意思はないことを伝える。
「そこを動くなよ。攻撃されたくなければ、名前と所属、階級を言え」
辺りは暗いので、誰か判断できないようだ。珊瑚はずっと目を閉じていたので、目が闇に慣れている。
レノン隊長の問いに、珊瑚ははきはきと答えた。
「私は──」
もう名乗らないと思っていた祖国の名、コーラル・シュタットヒルデであると叫んだ。
「コーラル・シュタットヒルデだと?」
「はい。私は、彼、こーうを助けるため、潜入しました」
「やはり、そうだったのか」
珊瑚の骨格を見間違えるはずはない。自分の目は確かだったのだと、レノン隊長は主張していた。
会話の半分ほどを理解している絋宇は、珊瑚に知り合いなのかと尋ねる。
珊瑚は即座に否定した。レノン隊長が一方的に珊瑚のことを把握していたのだと、主張する。
絋宇は嫌悪感を露わにしながら、レノン隊長を「極めて危険な変態である」と評した。
なんでも、捕虜である絋宇のことを見に、一日三回もやって来ていたとか。
話しかけることもなく、ただ見つめるだけの様子は、不気味の一言でしかなかったようだ。
「おい、二人でこそこそ何を話しているのだ」
「あ、いいえ、なんでも」
珊瑚はびしっと指差され、レノン隊長から疑問をぶつけられる。
「お前は……なぜ、国を裏切ってそのようなことをする?」
「彼が、私の大事な人だからです」
「自分のしていることが、どれだけ大変なことかわかっているのか!?」
「わかっています」
もう、祖国に心残りはない。今はただ、ここ華烈で平和な暮らしを続けたい。それが、珊瑚の望みである。
ちらりと、相手部隊の状態を見る。
騎士の数は三十ほどか。とても、絋宇と二人で相手にできる人数ではなかった。
このままでは、逃げ切れないだろう。
そう思い、珊瑚は騎士として最後の戦いをレノン隊長に挑んだ。
「私は、あなたに決闘を申し込みます」
「!?」
珊瑚が申し込んだのは、騎士が一対一で戦うことを義務付けられている決闘だ。
これは、第三者の介入は許されておらず、負けたほうは勝ったほうの主張を聞かなければならない。
「コーラル・シュタットヒルデよ、お前の望みはなんなのだ?」
「私の望み──それは彼、こーうです」
「なるほど」
レノン隊長は、すらりと剣を抜く。
どうやら、決闘を受けるようだ。
「コーラル・シュタットヒルデよ、もしも、私が勝ったら、お前とその男、両方の身柄は預かるぞ」
「……」
珊瑚は即座に遠い目となる。絋宇と二人して、レノン隊長の世話になるなんて最悪だ。再度遠い目を浮かべてしまったが、ぶんぶんと首を横に振る。
決闘に集中しなければ。
絶対に、負けることのできない戦いとなる。
騎士達が松明の数を増やし、周囲を明るくする。
珊瑚とレノン隊長は対峙し──どこからか鳴らされた銅鑼の音を合図として、戦いが始まった。
まず、先に動いたのはレノン隊長であった。
一直線駆け、振り上げた剣を迷うことなく珊瑚に向かって振り下ろす。
珊瑚は即座に、レノン隊長の攻撃を剣の腹で受けた。
衝撃が加わったのと同時に、びりびりと指先に痺れるような感覚を覚える。
とんでもない強さの一撃であった。
珊瑚が剣を弾き返すと、再度剣先を一回転させて振り下ろしてくる。
あの猛烈な一撃は、何度も受け止めきれない。
そう思い、珊瑚か体を捻って回避させた。
レノン隊長はただの変態ではない。剣の腕は確かである。
このままでは勝てないと判断し、剣を片手に持ち替え、空いた手に短剣を握った。
剣を前に突き出し、短剣は下方に構える。
レノン隊長の繰り出す一撃をひらりと躱し、右足を深く踏み込んで剣を突き出す。
肩を狙った一撃は避けられた。だが、この一撃はフェイクである。
珊瑚はもう片方に持った短剣で首筋切りつけた。
これも、皮膚を裂く寸前で回避されたが、薄皮一枚は確実に裂いた。
その攻撃はレノン隊長の一瞬の隙となり、珊瑚は重たい剣を捨て、振り向くのと同時に回し蹴りを食らわせた。
「ぐうっ!!」
脚から繰り出された一撃は脳天に当たり、レノン隊長はからあしを踏んだあと倒れた。
「……これは、騎士の、戦い方じゃない」
「こーうに、習ったのですよ」
「な、なるほどな」
騎士達は珊瑚のもとに詰め寄ろうとしたが、レノン隊長は制する。
「俺は負けた。彼らを止める権利はない。下がれ!」
どうやら、逃走を見逃してくれるようだ。
珊瑚は胸に手を当て、レノン隊長に敬意を示す。
「隊長!! あんな奴らを、見逃すのですか!?」
納得できない騎士の一人が抗議する。決闘の結果はどちらかが絋宇を手に入れるかというものであったが、逃がすのはまた別の問題だと主張していた。
「コーラル・シュタットヒルデは、たった一人の男のために国を捨てる決意をしているんだ。簡単にできるものではない。愛に生きる者の美しさに、私は今、感動しているのだ」
「しかし──」
レノン隊長が騎士にさらなる説得を試みようとした刹那、遠くから「伝令!」という叫びが聞こえた。
「メリクル殿下が帰還された! 皆、戦闘は放棄せよ!」
どうやら、メリクル王子は上手い具合に騎士達の前に出ることができたようだ。
今この瞬間、二国間に起こった戦争は終息となる。
人々を苦しめた争いは、実にあっけなく終わったのだった。