百十二話 戦いが始まる
珊瑚に耳打ちされた作戦は、すぐに決行された。
「た、大変だ!!」
ヴィレが慌てた様子で、外にいる騎士に報告する。
「おい、どうしたんだ?」
「何事だ?」
「捕虜の男が、苦しんでいるんだ!」
「なんだと!?」
天幕の中で手足を縛られた捕虜珊瑚は苦しげな声を上げ、のたうち回っている。
「何かの発作か!?」
「今すぐ、医師の手配を」
騎士達の素早い対応を、ヴィレは制止する。
「待って! これはうちの医者ではわからないかもしれない」
華烈独自の病気で、不治の病である旨を伝える。
あまりにも珊瑚が苦しそうにするので、騎士達は心配そうに目を細めていた。
「いったいどうすれば、彼はよくなる?」
「君は柑橘を絞った水を用意して! さっきから、彼が欲しいって言っているんだ」
「わかった」
時間稼ぎのため、あえて柑橘入りの水を頼んだ。これも、ヴィレの考えた作戦である。
そして、捕らわれている華烈の将軍絋宇ならば、発作の止め方を知っているかもしれない。ヴィレは聞きに行こうと提案する。
「あの男は、医者ではないだろう?」
「三人に一人が発症する病気なんだ。きっと、何か知っているはずだ」
必死の形相で言われ、ついに騎士は「わかった」と頷く。
「しかし、俺達の中の誰も、華烈語は喋れないぞ」
「僕が話せるから。君、案内して」
ヴィレはもう一人の騎士にも、指示を出しておく。
「君は彼を見張っていて」
「もちろんだ」
こうして、怪しまれずにヴィレは絋宇のもとへ案内させることに成功した。
◇◇◇
数分後──柑橘入りの水とチョコレートを持ってヴィレが戻ってくる。
苦しむ演技をする珊瑚にチョコレートの欠片を与え、柑橘水を飲ませた。
さすれば、発作は落ち着く。
騎士達は最後まで演技だと気づかずに、よかったと安堵していた。
「協力ありがとう。貴重な捕虜が死んでしまうところだったよ」
騎士達は気にするなと言って、部屋を出ていく。
ヴィレと珊瑚は視線を合わせ、息を吐いた。
まず、ヴィレは騎士から受け取ったチョコレートを齧った。
「うわ、まっずい」
兵糧食のチョコレートは固く、粉っぽい。口当たりが滑らかになる生クリームなどが入っていないからだ。
口溶けをよくする加工をすると、保存性が悪くなる。そのため、兵糧食のチョコレートはあえてそのように作られているのだ。
ヴィレはしかめっ面で懐にしまっていた羊皮紙を広げ、レノン隊長の筆ペンを握り何かを書き始める。
それは、駐屯地の地図のようなものであった。
珊瑚にヴィレの描いた地図が手渡される。
レノン隊長の天幕から三つの天幕を通り過ぎた先に、絋宇が拘束されているようだ。
書かれていたのはそれだけではない。
絋宇の健康状態も描かれている。
怪我の治療がなされ、服も綺麗なものを纏っていると。肌の状態もよく、目は血走っていない。
報告を見る限り、絋宇は元気そうだった。
ヴィレの片言以下の華烈語を聞いた絋宇は、終始「はあ?」と言わんばかりの表情だったらしい。「ゆっくり喋れ」と言った言葉を、適当に「発作はチョコレートが効く」と通訳したようだ。
なんとか無事に、場所を知ることができた。
ただ、絋宇は警戒されているのか、騎士の数は八人も配備されているらしい。
作戦実行時には、減っていることを祈るしかない。
珊瑚は地図をじっと見つめ、作戦を考える。
絋宇が捕らわれている天幕の裏は厩の絵が描かれている。ここから馬を借りて、華烈軍に合流すればいいだろう。
ヴィレは珊瑚を拘束する縄に手をかける。
縄を解いたあと、きちんとしばられているように見えるように巻き付けてくれた。
そして、ヴィレはぐっと珊瑚の耳元に近づいて囁く。
「もうそろそろ、お別れみたい」
「ヴィレ……ありがとうございます」
「お礼のキスをしてくれる?」
珊瑚は微笑みながら、ヴィレの額にキスをした。
「あ~あ。報酬が子ども騙しのキスなんて」
「これが私の精一杯ですよ」
「そっか。そうだよね」
天幕にヴィレを迎えに騎士がやってくる。
二人は目も合わせずに、別れることになった。
入れ替わりに、別の騎士が珊瑚の見張り役をする。
ヒョロリとした体型の、若い騎士だった。
大柄の騎士が配備されなくてよかったと、心から思う。
珊瑚は耳を澄ませ、作戦実行の時を待った。
◇◇◇
太陽は沈み、戦場にも夜の帳が降りる。
珊瑚に食事が用意された。
黒パンに、塩味のスープ。
拘束は解かず、騎士が食べさせてくれる。
久々に食べた故郷のパンは、口を切りそうなほど硬かった。
スープは冷えていて、煮えていない野菜の欠片をカリカリと音を立てながら食べる。
目を閉じているので、余計に味覚が冴えているような気がした。
このような食事を絋宇も食べているのか。
高貴な身分の人なのに、自由を奪われ、慣れない食事を与えられている。
珊瑚は思いがけず、切ない気持ちになった。
食後、周囲がざわざわと騒がしくなる。
そろそろ、作戦開始なのだろう。
華烈軍がこの駐屯地に奇襲をかける作戦に応じるため、騎士達は戦闘配備につく。
準備が整ったあと、再び周囲は夜の静けさを取り戻した。
おそらく、華烈軍を油断させておいて、反撃する作戦に出るようだ。
珊瑚の見張りをする騎士は、二人目となっていた。小柄な少年で、年ごろは十五歳くらいだろう。
夜勤になれていないのか、うつらうつらしている。が、物音を聞いてハッと目覚めた。
ついに、華烈軍の襲撃が始まったようだった。