百九話 いざ、行かん! その前に
珊瑚が華烈の捕虜役をするには、変装をしなければならない。
まず、メリクル王子が使っていた黒く長い鬘を借りた。
「これは、人込みの多い場所で着用していたものだ。ここは異国人には、優しくない国だからな」
メリクル王子は、ヴィレが何もしていないのに処刑されそうになったことを恨みに思っているようだった。
「ま、まあ、一部の人達でしょうが」
近くに華烈の兵士がいたので、珊瑚はメリクル王子の批判を和らげるよう補足する。
周囲に不信感を抱かせないように、華烈の言葉で会話しようと提案したのはメリクル王子だ。
しかし、先ほどのように心の内を隠すことなく批判しては、まったく意味がない。
こういう時、語学が堪能だと困るのだ。
しかめ面となった兵士に、珊瑚は会釈をしつつ謝罪する。
メリクル王子はまったく気にしていないようだった。
「コーラル、少しでも危険を感じたら、戻ってくるんだぞ」
「はい」
「ヴィレも、コーラルを頼んだぞ」
「仰せの、通りに」
一度、解散となる。
珊瑚は物置として使っている天幕の中で、身支度を整えるようになった。
メリクル王子に借りた鬘を被り、一つに結ぶ。
捕虜感を出すために、ぼさぼさの状態にした。
続いて、華烈の兵士から借りた防具を装着する。
メリクル王子は、女性である珊瑚には大きいかもしれないと言っていたが──寸法はぴったりだった。
完璧な兵士の変装となったが、女性の身としては複雑だ。
しかし、男のような体格のおかげで、絋宇や星貴妃、紺々、たぬきと出会えた。
よかったと思うようにしよう。
珊瑚は自身にそう言い聞かせる。
身支度を終え、外に出るとヴィレやメリクル王子が待っていた。
二人の視線を一心に受け、珊瑚はしどろもどろな様子で質問する。
「えっと、ど、どうですか?」
メリクル王子は目が合ったらサッと顔を逸らす。
ヴィレは、はあと盛大なため息を吐いた。
「ダメ、ですか?」
その問いかけには、ヴィレが答えてくれた。
「いや、ダメっていうか……男前過ぎるというか」
そんじょそこらの男より恰好良いと評される。
「え、ですが、服もボロボロですし、頭もボサボサで」
「それが、なんか怪しい色気をかもしだしているというか。言いにくいんだけれど、女性としての色っぽさじゃなくて、良い男感のあるやつ」
「なんですか、それは」
思いがけない評価に、珊瑚はがっくりと肩を落としてしまう。
「そういえば、今回指揮している隊長、綺麗な顔の男が好きなんだ」
「え!?」
「だから、オー・コーウーは、良い部屋で手厚い看護を受けていたんだと」
「あ、あの、こーうは、無体を働かれていたりしませんよね?」
「それは大丈夫。怪我人に変な気は起こさないって言っていたから」
「そうでしたか」
紳士でよかったと、珊瑚は思った。
しかし、このままでは目を付けられてしまう。何か対策を取る必要があった。
「どうすれば、普通の捕虜っぽくなりますか?」
「ちょっと、顔を土で汚してみたらどう?」
メリクル王子がさすがにそこまでしなくていいと止めたが、珊瑚は普通の捕虜になるため積極的に顔に土を塗り付けた。
「今度こそ、大丈夫ですよね?」
メリクル王子とヴィレのほうをみたが、二人同時に顔を逸らされた。
「あの?」
「コーラル、ごめん」
「え?」
「正直に言ってもいい?」
「ど、どうぞ?」
「顔に土塗ったら、男ぶりが上がった」
ヴィレの感想に、珊瑚は大きく息を吸い込んで叫んだ。
「私は、男ではありません!!」
華烈にやってきてから、一番主張したかった言葉なのかもしれない。
叫びには、珊瑚の切実な思いがこれでもかと込められていた。
「いや、わかっているけれど、鏡で見てみなよって、鏡なんか持っていないか」
「ええ」
鏡を持っていない時点で、女性としての何かが欠けているのかもしれない。
さらに、ヴィレに鏡を持っていないだろうと断言されてしまったことも、よくないことだろう。
女性が身に着けておくべき美意識が乏しい証拠だ。
「まあ、目を付けられた場合も、汪絋宇の傍に行けるかもしれん」
メリクル王子が明後日の方向を見ながら言った。
先ほどから、メリクル王子は一度も目を合わせない。
気の毒過ぎて、直視できないのだろう。
代わりに、ヴィレが珊瑚の手を握って激励した。
「コーラル、もしもの時は、思いっきり股間を蹴り上げるんだよ」
「そういう状況には、なりたくないものです」
「僕も、なるべく加勢するから。こうなったら、徹底的に味方するよ」
「心強いです」
「任せて!」
ヴィレは胸をどんと叩き、心配は何もいらないと言った。
そんなこんなで、珊瑚とヴィレは偽の作戦が書かれた密書を持って騎士隊の駐屯地を目指す。
ヴィレは珊瑚の手足を縄で縛り、馬の上にうつ伏せに乗せた。
自らも跨り、白旗を掲げながら馬を歩かせる。
そして──見張りをしていた騎士が、ヴィレを発見した。
瞬く間に取り囲まれ、尋問を受ける。
「お前、逃亡した公爵家のドラ息子じゃないか」
「そうです……ドラ息子です」
ヴィレは自身の悪口を素直に受け入れ、降参の姿勢を取る。
「逃げたあと、華烈軍に見つかってしまって。でも、耳よりな情報と、華烈のお偉いさんの息子を捕虜として捕まえました」
「何?」
騎士は珊瑚の顎に剣の柄を当てた。目の色を見られないよう、さっと瞼を閉じる。
「これは──薄汚れているが、綺麗な顔をしている」
「レノン隊長が好みそうだ」
「連れて行くか?」
「ああ、そうだな」
騎士達の会話を聞いた珊瑚とヴィレは目を細め、共に明後日の方向を向いた。