百八話 戦場へ── その二
華烈軍の駐屯地へは、一日一回都から運ばれた物資が馬車で届けられる。
交渉して、こっそり乗せて行ってもらえることになった。
珊瑚、メリクル王子、ヴィレの三人は荷物と荷物の隙間に縮こまって座る。
この地は開拓が完全でなく、道も整っていないからか馬車は大いに揺れた。
地面からの衝撃を吸収するばねが入っていない車体は、ガタゴトと大袈裟な音をたてながら道を進むのだ。
戦場までの道のりは三時間ほど。
揺れる馬車の中、ヴィレが珊瑚に話しかけてくる。
「それにしても、コーラル。劣勢の敵軍に交渉に行くとか、正気?」
「劣勢だからこそ、行くのですよ」
おそらく、華烈軍は藁をも掴みたいような状況に違いない。
「このまま騎士隊に戻っても、メリクル王子に害を成す一派がこの戦場でのまとめ役だったら、私達の存在はなかったものにされてしまいます」
大事なのは、王族に忠誠を誓う多くの騎士に、メリクル王子の生存を認識されること。
そのために、珊瑚は華烈に交渉を持ちかけるのだ。
辛い移動時間を耐え、華烈軍の駐屯地に到着する。
そこはポツポツと天幕が張られており、見張りの兵士が行き来していた。
皆、顔色が悪い。言わずもがな、酷い疲労困憊状態のように見える。
検品を行う兵士がやって来たので、珊瑚は一歩前に出て星貴妃より預かった巻物を見せた。
「わたくしは牡丹宮より派遣されました、宮官の珠珊瑚と申します。こちら、星将軍への密書をお届けするためにまいりました」
兵士はぽかんとした表情を見せていたが、急を要する内容だと言うと報告に行ってくれた。
続いて、将軍の副官を名乗る若い青年が現れる。
珊瑚は副官に、星貴妃からの密書を手渡した。
三十分後、星将軍のもとへと案内される。
「コーラル、伝令体制も、めちゃくちゃになっているね」
「もう、寄せ集めの状態になっているのでしょう。皆、配属された部門とは、別の仕事をするしかないように見えます」
すぐそばで、救護を行う兵士を見ながら珊瑚は話す。
大勢の怪我人がいた。
救護用の天幕に入りきらないのか、外にまで兵士達が寝かされている。
隣では、慣れない手つきで包帯を巻いていた。
しだいに血の匂いが濃くなり、珊瑚は眉間に皺を寄せる。
重傷人がいるであろう天幕の中からは、断末魔のような叫びが聞こえてきた。
珊瑚は思わず立ち止まり、奥歯を噛みしめる。
そんな彼女の背を、メリクル王子は鼓舞させるように叩いたあと耳打ちした。
「コーラル、早く終わらせるぞ」
「ええ、そう、ですね」
華烈の国旗がはためく天幕の中には、星貴妃の親戚である星将軍が険しい顔で腰かけていた。
その表情から、事態の厳しさを珊瑚は読み取る。
メリクル王子が天幕に入ってくると、星将軍は立ち上がって会釈していた。
「メリクル殿、お初にお目にかかります」
「ああ。貴殿の噂はかねがね聞いていた。私も、会えたことを光栄に思う」
星将軍は国民人気が高い将軍の一人で、過去の戦争の武勇はいたる場所で語り継がれていたようだ。
メリクル王子は見聞の旅の中で、何度も星将軍の話を聞いていたようだ。
「清廉潔白な人物で、信用に足る者だと誰もが話していた。ここを取りまとめるのが貴殿だからこそ、私はこうして会いに来たのだ」
「メリクル殿……」
星将軍の警戒は、メリクル王子との会話を重ねるうちに和らいでいく。
見事な人心掌握術を、珊瑚とヴィレは目の当たりにしていた。
「時間がない。本題へと移ろう。私の生存を、多くの騎士達に知らせたい。さすれば、戦争は終わる」
「しかしそれは、どうやって?」
戦場となったら、誰も聞く耳は持たないだろう。
かといって、今更親書を送っても取り合うわけがない。
「奇襲するという情報をあえて流し、それに応戦する騎士達に、訴えるほかない」
「なるほど。それで、その密告をする兵士は?」
ここで、ヴィレが「あ!」と声をあげる。
「ヴィレ、どうかしましたか?」
「いや、嫌な予感がして」
メリクル王子はヴィレを振り返り、ふっと柔らかな笑みを向けていた。
「ヴィレ、正解だ」
「ええ~~!」
メリクル王子はヴィレに命じる。密告書を騎士隊へ届けるようにと。
「任務を抜け出してきたお前に、ぴったりなひと仕事だろう?」
「ううっ……」
メリクル王子が考えた脚本はこうだ。
任務を放棄し、勝手に抜け出したヴィレは華烈軍へと拘束されてしまった。
しかし、隙を突いて抜け出す。
ついでに、華烈軍の極秘作戦を入手した。
華烈軍側の動きを網羅した騎士隊は、それの裏を掻く作戦を考えるだろう。
「こうして集まった騎士に、私の無事を伝えたら──」
「戦争は終結となる?」
「ああ、そうだ」
果たして上手くいくのか。それは誰にもわからない。
しかし、やるしかない。
「コーラル、お前もヴィレと行け」
「私も、ですか?」
「ああ。ヴィレの捕虜として同行し、汪絋宇を連れ帰ってくるのだ」
「!」
まさかの役割に、珊瑚は胸が熱くなる。
「しかし、殿下の護衛は?」
「お前は、もう私の騎士ではないだろう?」
「しかし」
「お前は、お前の人生を生きろ。私も、私の人生を生きる」
メリクル王子は、珊瑚に抱拳礼をしてみせた。
それは、祖国との決別のようにも見える。
今はもう、主従関係ではない。
そう、訴えているようにも見えたのだ。
珊瑚も、同じように抱拳礼を返す。
彼女もまた、祖国との決別を決意した。