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一話 伯爵令嬢コーラル・シュタットヒルデの憂鬱

 ――美しき男装の騎士は悩める人の姿で、空を見上げていた。


 伯爵令嬢コーラル・シュタットヒルデは、第三王子メリクルに仕える騎士である。

 シュタットヒルデは古くから王族に使える一家で、優秀な騎士を輩出していた。

 コーラルは女性にしてはすらりと背が高く、身体能力も抜群。十八の時に、三つ年下の王子の近衛騎士として選ばれたのだ。

 実力もさることながら、凛々しい容姿も騎士隊の中で抜きんでている。

 金の髪は絹のように美しく、長い髪を一本の三つ編みに結んでいた。切れ長の目は空のように澄んだ青。女性らしい体の線ではないが、均等の取れたしなやかな姿は中性的な魅力に溢れていた。

 コーラルは紛うことなき、男装の麗人なのだ。


 それから三年、コーラルは立派に護衛としての職務を果たしてきた。

 二十一歳となり、そろそろ騎士を辞めて結婚をという周囲の声もあったが、王子の結婚を見送ってからと言い続けていたのだ。

 今月の初め、メリクル王子は隣国の美しい姫君と婚約を結んだ。

 祝福ムードに包まれていたが、結婚前に国王陛下より外交使節の大役を命じられる。

 当然ながら、コーラルも護衛として同行することになった。


 とある日の午後。庭の木陰で休憩を取る青少年が二人。

 よくよく見れば、片方は女性であった。

 金糸に縁取られた赤い詰襟の服は近衛騎士の証である。纏うのは、メリクル王子の騎士、コーラル・シュタットヒルデと同僚その一。

 美貌の騎士コーラルは、青空を仰ぎながら珍しく憂いの表情を浮かべていた。


「コーラル、どうかした?」

「いえ、参ったなと思いまして」


 珍しく、コーラルは弱音を吐いた。


「コーラルが参ったって? 意外だな」

「ええ、ちょっとというか、かなり不安で」


 会話に応じるのは同僚の騎士、ヴィレ。コーラルより五つ年下、十六歳の公爵家子息である。

 飴色の髪に、パッチリとした目、整った顔立ちをしている。五男で継げる爵位がないために、騎士をして身を立てている勤労美少年なのだ。


「コーラルが悩んでいるの、初めて見た」

「私は常に、悩める子羊ですよ」

「冗談だろう?」


 近衛騎士となったコーラルとの武勇伝を思い出しながら、ヴィレは謙遜しないでくれと返した。


「前から思っていたが、コーラルは羨ましい性格をしている」

「?」

「まさか、さまざまな伝説を持っている自覚はないのか……」

「伝説って?」


 コーラルは身に覚えがなく、きょとんとしている。


 ヴィレは、淡々とした口ぶりで、コーラルのありえない伝説を述べていった。


 伝説一つ目。

 近衛騎士に任命された日、コーラルは隣国の姫君に見初められ、国に来ないかと誘われた。父王に言って、国一番の騎士にしてくれると言われたが、その場で辞退したのだ。ひと時も迷わず、即決だったので、周囲はざわついた。


 伝説二つ目。

 近衛騎士になって半年後、レンブランド侯爵とのお見合いの予定が入っていたが、メリクル王子の仕事を手伝った結果、時間に間に合わず、その場で話はなくなった。国内で結婚したい男ナンバーワンとの見合いをすっぽかした女傑として、名を馳せる。


 伝説三つ目。

 一年後、メリクル王子の命令で、国王陛下主催のチェス大会に参加し、空気を読まずに決勝まで進み、対戦相手だった国王を負かした。

 国王陛下の騎士隊長を務める、父親の寿命が縮んだのは言うまでもない。


 等々、コーラルは今まで怖いもの知らずな行動を繰り返していたのだ。

 なので、困っている様子をヴィレは新鮮に思っていた。


「と、そんな風にいろんな大事件を、なんともないようにさらりと受け流していた。そんな鋼の心のコーラルが悩んでいることだから、今回の件は大丈夫なのかと思って」

「いえ、あまり大丈夫では……」


 眉間の皺を指先で解しながら、はあと溜息を吐く。いったいどうしたものなのか。聞きたいような、聞きたくないようなヴィレも眉と眉の間に皺を作る。

 しかし、気になるので、ヴィレは質問した。


「で、コーラルを悩ませる憂い事とは?」

「それは――」


 コーラルの不安とは、外交先での言語問題であった。

 馬車で三日ほど移動し、船を乗り継いだ先にある大国、『華烈かれつ』。

 独特な言葉遣いと複雑な文字は最高ランクの難易度で、堪能に操る者は国内にもごく少数。

 コーラルも幼少期より努力を重ねていたが、他国の言葉よりも習得が難しく、喋りは片言、聞き取りは半分ほど理解と、残念な結果となっている。


「そんなことで悩んでいたのか?」

「言葉がわからないことは大問題ですよ」

「そうか? 会話は通訳が付くだろうし、私達は警護を頑張ればいいのでは?」

「まあ、そうですけどね」


 なぜか胸がモヤモヤとする。

 胸騒ぎを覚えることはあまりないので、コーラルの中で強い違和感となっていた。

 ヴィレは初めての外交だからだろうと一蹴する。そうであればいい。コーラルは切に願った。


 ◇◇◇


 あっという間に外国へと派遣される日がやってきた。

 結局、コーラルの胸騒ぎは当日まで晴れることはなかった。


 外交使節団は三十名ほどで構成されている。

 外交官が五名、護衛が十名、通訳が五名、召使いが十名。

 メリクル王子は皆の前で演説をし、出発となる。

 列を成した馬車は次々と出発していく。

 銀髪に青い目の麗しい王子は不機嫌だった。


「なぜ、この私が外交をせねばならぬのだ……!」


 靴の踵で馬車の壁を蹴る。

 メリクル・サーフ・アデレード。十八歳の青年王子は気位が高く、高慢な性格である。

 周囲より花よ蝶よと育てられた結果であった。

 元々、気の強い性格は外交向きではない。頭脳明晰なメリクル王子は内務向きである。国王陛下の気が知れないと、王太子がこぼしたほどだ。

 一応、他の者が行ったほうがいいのではと、王太子や第二王子が意見したが、成長に必要な課程と主張し、国王陛下は引かなかった。

 その大きな決定には裏がある。

 半年前メリクル王子は、国王の寵愛する公妾について物申した。彼女の浪費が無視できない額となっていたので、止めさせるように進言したのだ。

 王妃亡きあと、公妾を心の拠り所としていた国王であったが、浪費に気づいていなかったことを重く受け止めたのか、関係を解消させた。

 反省をしていたものの、思うことはある。

 今回の無茶振り外交はそれが原因なのではと、裏では囁かれていた。


 その噂を先ほどヴィレから聞いたコーラルは、胸騒ぎの正体はこれに違いないと思う。

 どうか、何も起きませんように。神に祈りを捧げるしかなかった。


 一週間の長い移動を経て、華烈に到着する。

 自国とは違う赤を主張とした街並みに、外交使節団の一行は圧倒されていた。

 家の色、服、銅像と、至る場所に赤が取り込まれている。そのすべてが、というわけでもなく、うまい具合に合わせてあるのも特徴だろう。

 独特の街並みは、外交使節団を魅了させる。

 今回の外交は、華烈との文化交流が目的。

 華烈は人口二億人ほどの大国で、国家間の外交はほとんどなかったが、今回、対等な国交を目的に会談が執り行われることになった。


 一日目はそのまま宿に案内され、外交官との食事会を行う。

 通訳を通じた意思の疎通は、そこそこ上手くいっていたように見えた。

 華烈の食事はメリクル王子の口に会わなかったようで、しきりに顔を顰めていた点は褒められたものではないだろう。

 竹を編んだ蒸篭せいろと呼ばれる器には、蒸した点心と呼ばれる料理が並べられている。

 練った海鮮が薄い皮で包まれた物に、ふわふわの蒸しパン、胡麻がまぶされた餡団子、葉に包まれた蒸し米など。

 初めて食べる味わいの料理ばかりであった。

 堅いパンとスープ、焼いた肉などが主食であるので、噛み応えのない品々に違和感を覚えてしまうのだ。

 近衛騎士であるコーラルらも、交代で食事を取る。

 器に美しい絵が描かれた皿はどれも美しく、見入ってしまうほどであった。

 磁器と呼ばれる物で、陶器よりも薄く、透けるような白が美しい。


「是非、母上にお土産として買って帰りたいです」

「観光する時間があればいいが」

「現状では、難しいかもしれないですね」


 華烈にやって来て、メリクル王子の機嫌はさらに悪くなった。

 食べ物は口に合わない。それから、都は工業が盛んなため、空気が悪い。さらに、何かを探るような外交官の態度も気に入らないと零していたのだ。

 教育係が諫めれば諫めるほど、雰囲気は険悪なものとなる。


「それよりも、無事に帰れるのかが、目下の問題だ……」

「それはなぜですか?」


 ヴィレがぐっとコーラルに近付き、低い声で耳打ちする。


「この国には、結構エグイ噂がある」


 現国王は王太子時代、『首狩り天子』と呼ばれていた。気に食わない者は誰であろうと処刑を命じるのだ。三年前、即位をしてからは控えているらしいが、それでも首が飛ぶ日はあるという。


「この国は血で染まっても問題ないように、家具も絨毯も、壁も赤で統一されているらしい」

「ああ、血濡れの国と習いましたね。それも、怪しい教えですが」

「いや、その通りなんだと思われる。見ただろう、あの外交官の様子を」


 国の規模はコーラルの国のほうが遥かに大きい。本来ならば華烈と平等な国交をすることなどありえない話だったのだ。

 けれど、華烈側の外交官は、高慢な態度で食事会へとやって来た。メリクル王子が怒るのも仕方がない話なのである。


「武官である私達ができることは多くない。けれど、覚悟はしておこう」

「そうだな」


 透明なスープを啜りつつ、コーラルは諦めたような笑みを浮かべた。


 ヴィレはスープに入っていた黒い肉を匙で掬い、近くにいた給仕係に問いかける。


「すまない、これは、なんのスープだろうか?」


 通訳を通じて返事を聞く。答えはそっと耳打ちされた。


「なっ……!」

「ヴィレ、私にも教えてください」

「これは、海蛇のスープらしい」

「海に、蛇がいるのですか……?」

「驚き点がズレている」


 異国での初めての夜は、静かに過ぎていく。


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