第1章 その12 『遠足 その2』
数十分後。
進帝高校一年生を乗せたバスはついに目的地である動物園へと到着した。
「さて、降りるか」
そういうと茂は立ち上がり、バスから降りるクラスメイトたちの列に加わる。
しかし、隣に座っていた輝跡は立ち上がらない。
「あれ?輝跡降りないのか?」
「んー、俺は並びたくないしみんなが降り終わるまでここで待ってるわ」
「おーけー。んじゃ先に降りてんなー」
輝跡が並ぶことを面倒くさがっていると察した茂は、輝跡に背を向けたままひらひらと手を振ると、列の流れに従うように進んでいった。
しばらくすると、列の最後尾が見えてきた。最後尾にいるのは碇雷人と榎下志狼だ。
(あいつら一緒に座ってたのか……?雰囲気ギスギスしてただろうなぁ……)
しかし、輝跡の想像したような雰囲気は二人からは感じられない。
目の前には、なにやら疲れた様子の雷人と、興奮おさまらぬ様子でなにやらわなわなしている志狼がいた。
(わなわなしてんな……)
と、そこで、スラスラと流れていた列の流れが止まる。
「あれっ、あれ?入る時にはつっかえなかったのに……」
「だから下の荷物入れるところに入れさせてもらえっていっただろぉ?」
「ってかなにがそんなに入ってるのそれ……」
「えへへ~。お、お菓子……とか?」
「よく食うなあ……」
「角度変えたら?ここをこうして……」
どうやらバスの入り口でクラスメイトの一人の荷物が引っかかったようだ。あと1分ほどは列の流れは停滞するだろう。
「……………………(わなわなわなわなわなわなわなわなわなわなわなわなわなわなわなわな)」
「…………」
輝跡は、自分の座っている席の一つ後ろの席まで進んできていた志狼の落ち着きの無さを、振り向かずとも感じていた。
耐えかねたように、輝跡の隣にまで来ていた雷人が輝跡に声をかける。
「オイ、こらァ」
「うぇ?」
雷人から声をかけられるとは思ってもみなかった輝跡の口から変な返事が出る。
「な……なんだ……?」
「わかんねェのかァ?アイツだよアイツ……」
雷人が言いながら、親指で後ろの志狼を指さす。
「うざったくて仕方がねェ。どうにかしてくれェ。お友達なんだろォ?」
「あぁ……」
輝跡もこればかりは納得せざるを得なかった。
いまだに志狼はそわそわわなわなしている。
(こんなのが数十分も隣にいたら、そりゃ俺の手も借りたくなるか……)
「なんだか、すまないな」
「あァ、まったくだ。薬物の禁断症状みてェで、なにしだすかわかんねェんだよ」
そう述べる雷人からは、よくわからないものに対する恐怖さえ感じられた。
「そうだな。おい榎—————」
輝跡が了承し、さっそく志狼を落ち着かせようと声をかけたその時。
雷人の恐怖は的中した。
「わなわなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
バリィィインと、ガラスの割れる大きな音があたりに響く。
列の停滞に痺れを切らしたのか、あるいはじっとしていられなかったのか。
なんと志狼は急に輝跡の後ろの座席へ乗り上げ、窓を突き破って外に出たのだった。
「ぶふォおッ!?」
「わああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?」
あまりにも唐突、かつ予想だにしなかった事態に、雷人は吹き出し、輝跡は驚愕の声を上げる。
しかしそこからの輝跡は冴えていた。
「ガガガガガガ、ガラス!」
輝跡は、瞬時にガラスのあった場所に能力『創造』を以てしてガラスを創り出し、何事もなかったかのように見せかけた。
外の様子からも志狼が窓を突き破るところを直接見た者はいないようだったが、あれだけの大きな音に不審感を抱きあたりをキョロキョロと見回す者は多かった。
幸いにも周辺にいたクラスメイトたちの意識が、出口につっかえた荷物と、なにやら大きなだれかの荷物に注がれていたため、今回は目撃者がいなかったようだ。
「間……一髪……」
気が抜けたように、輝跡が溜息をつきながら再度席に腰を落とす。
ちょうど出口でつっかえていた荷物もとれ、列の流れは再開していた。
「……ちッ……心臓に悪ィな……!次はちゃんと見とけよォ!」
そう言い捨てると、列の流れに乗じて雷人も進んでいった。こればっかりは文句を言われても仕方あるまい。輝跡は心の中で、志狼の代わりに雷人に一言謝っておいた。
また、志狼が窓から強引に飛び降りたということは最後尾は雷人だ。雷人がすでにバスの出口の階段に足をかけているため、もう並ぶ必要もない。
「さて……、そろそろ出るかな」
輝跡は立ち上がり、バスの出口へと歩を進めた。
バスから出ると、一人のクラスメイトと彼の物と思われる大きな荷物がなにやら他のクラスメイトから注目を集めていた。
(……そういえば榎下が奇行に走った時にあれが注目を集めていたおかげで、奇跡的に目撃者がでなくて騒ぎにならなかったんだよな……。だれの荷物なんだ?)
ふと気になり、輝跡が人の群がるブツの場所へと歩み寄る。
なんとかやっとのことで隙間から持ち主を見る。
そこには—————
「……茂……?」
注目の的となっている荷物の持ち主は先に降りた輝跡の親友である暁茂であった。
「ったく、アイツなに持ってきたんだ……?」
輝跡が人の群れをかき分けて茂のもとへ向かう。
「おい!茂!」
「ん?おお輝跡!待ちくたびれたぞ!」
茂がすぐ傍まで来ていた輝跡に気づく。
茂の隣には、目測一メートル五十センチ程度の背丈で少し薄い棺桶が立てられていた。これが注目を集めていた荷物に違いない。
「おまえこれ……いったいどこにしまってたんだ……?」
少なくともバスに乗車している時に茂はこのような荷物を持っていなかった。
だとしたらどこにしまっていたのか。
「んあぁ、これな。バスの下に荷物入れるところあるだろ?あそこに入れてもらったんだよ」
「あぁ、なるほど……」
バス車両の下部にはたしかに荷物収納ゾーンがある。
めったに大きい荷物を持ってくる生徒がいない日帰り遠足では本来お目にかかることはない(今回は茂が利用したようだが)が、空港に向かう用のバスや旅行用のバス、また部活動の遠征などの大きい荷物や大量の荷物を有する乗客が多いバスではよくよく利用されている。
しかし、たしかにどこにしまっていたかわかったとはいえ、輝跡にはもう一つ疑問があった。
そのことについて茂に尋ねる。
「そんで?この中にはいったいなにが入ってるんだ?こんなでっかいのに入れてこなきゃいけなかったのってなんなんだよ」
その質問に対し、茂は一瞬真面目な表情を浮かべた後、輝跡に笑顔を向けて一言、こう返答した。
「ヒ・ミ・ツ♪」
そして茂はとある人物の方を見据える。
茂の視線の先には碇雷人。
向こう側もどうやら気づいたようで、茂に真っ向から目を合わせていた。
輝跡は彼らの間にいったいなにがあったのかを知らない。
その時の輝跡には、彼らの視線がそれぞれどのような意味を持っているのかわからなかった。
**********
バスから降りた後、生徒たちは一度動物園入り口付近に集合しなければならない。
碇雷人はバスから降りた後、特にだれとも合流するわけでもなく、一直線に集合場所を目指して歩いていた。
「あァ……バスん中で寝ようと思ってたのに、あれァ誤算だったァ……」
文句をブツブツと呟きながら、雷人が大きなあくびを一つかます。
バスでは隣に座っていた榎下志狼がそわそわわなわなと落ち着きがなかった。あのような環境下では雷人でなくとも到底落ち着いて眠ることなんてできやしないだろう。
「そういやァあのアホォはどこ行ったんだァ……?」
あのアホとは当然志狼のことである。
「あのヤロォ……あの勢いならどこぞで暴れてるんじゃ……」
ふと気になった雷人があたりを見回す。志狼が興奮のあまり能力を非プレイヤーの前で使用していたらと思うと気が気でないのだ。
しかしその心配は杞憂に終わった。
担任の森沢に首元をつかまれて集合場所まで引きずられている志狼の姿が目に入ったからだ。
(というか、暴走してた榎下を捕まえることができたのかァ……。森沢スゲェなァ……)
素直に感心する。志狼は能力や戦闘スタイルを見る限りプレイヤーの中でもすばしっこい部類なのは明らかだ。しかも当人は興奮で暴走状態。それを非プレイヤーであるはずの森沢教諭が簡単に捕まえるというのは、事情がわかっている雷人にとっては感心できることなのだ。
と、そこで。
雷人は自分に向けられた鋭い視線に気づく。
振り向けば視線の主はすぐにわかった。
暁茂だ。
(あの位置……。注目の的になって人だかりができてたのはアイツの荷物だったのかァ……)
どうやら金城輝跡と合流したことで群がっていたクラスメイトたちは捌けたらしい。
開けた視界から雷人の方を睨んで……いや、強い意志のこもった視線を向けている。
その隣には注目を受けていた荷物がその姿を露わにしていた。
棺桶。
先日の戦闘で茂が使った、能力ではないという謎だらけの物体。
それを、雷人と共に行動する今日という日に持ってきているということは—————
(引く気はねェってかァ。あんなに『忠告』してやったのに……バカヤロォがァ……)
雷人が舌打ちをし、茂と目を合わせる。
一緒に行動している間に、少しでも雷人が輝跡や志狼を攻撃する素振りを見せれば、茂は迷いなくあの棺桶の中の日本刀を先日と同じように振るうのだろう。
少なくとも茂は先日のようにボコボコにやられる覚悟を持ってきている。
ならばあとは根競べだ。
(仕方ねェ。テメェが折れるまで何度でも付き合ってやらァ。ただし、この間みたく生半可にはしねェ。こっちも覚悟決めてやらァ)
雷人は茂との戦闘時、茂に外傷や後遺症が残らないよう攻撃していた。
ただしこれは巷でよく言う『舐めプ』などとは違う。
雷人なりの配慮。そして、雷人の信条に基づいた努力である。傷を負わせずダメージのみを蓄積させるのは容易なことではないのだ。
しかし、それではダメだった。ならば多少なりとも傷を負わせるしかない。本当は非プレイヤーを傷つけることなどしたくない雷人にとっては苦行であるが、それが茂のためになるのであればやるしかない。
雷人が決めたのは、そういう覚悟だ。
まだ自分が相手である内に。まだ自分の手が届くうちに。非プレイヤーであると称する暁茂の手をこの戦いからひかせる。
みすみす彼が死ぬのを、黙って見過ごすことなどはしない。
(そのためには多少のケガは我慢しろよォ。……それでも……、他の誰かに殺されるよりはマシだろォ)
そして、雷人は茂に背を向け、再度集合場所へと歩き出した。
**********
「…………」
しばらく茂と視線を交わしていた雷人だったが、また集合場所へと歩き始めたようだ。
しかしまだ茂は雷人の背中を見据え続けていた。
「おい、茂!」
「ん?おお、悪いな」
輝跡の予想とは反して、茂は一度の輝跡の呼びかけで反応し、視線を輝跡の方へと戻した。
輝跡が、生じた疑問を単刀直入に茂に尋ねる。
「いや、いいんだが……。おまえ……碇となにかあったのか?」
「んーーー、まぁ、あったといえばあったかな~。ハハハ」
と、そこで輝跡が怪訝な顔を浮かべる。
「……おい茂。おまえ……もしかして、入学式の日の屋上でのことを詮索して、首を突っ込んだんじゃないだろうな?」
「……(察しのいい奴め……)」
茂の口からボソッと小言が漏れ出る。
「ん?なにか言ったかぁ?」
「ええ?いや、なんでもねーーよ?」
どうやら無意識下での小言だったらしく、茂も慌てて取り繕った。輝跡にはかろうじて聞こえていなかったようだ。
「おまえなぁ……俺も榎下も口をそろえて首を突っ込むなって言っただろ!?」
「いや、まぁ、うん。とりあえず落ち着け輝跡!!俺はただ碇に、二度とあんなひどいことはするなと忠告しただけだぞ?」
茂はとっさに思いついたことを述べ始める。
「だって、おまえらがあんなことされてよ!黙ってられないだろ?だから一発言ってやらなきゃ気が済まなくてよ!でも、それ以降簡単に良好な関係が気づけるわけないだろ?だから目が合うとあんな風にぎこちなくなるんだって!ハハハー」
「……」
輝跡が、多少早口になった茂の弁明を聞き、黙りこくる。
茂のこの弁明は要約すれば、屋上での件に憤りを覚えた茂が一言雷人に物申した、というもの。
雷人と戦闘したこと、能力者の存在について知っていること、輝跡や志狼のおかれている状況を知っていること、そのすべてをひた隠しにしたうえでの、輝跡が納得する(であろう)完璧(?)な弁明となっていた。
茂が喉を鳴らす。
(……納得する……よな……?……いや、オブラートに包んで包んで包みまくって、もはや外装がかろうじてわかるくらいの弁明になったが、大丈夫……。事実とはあまり違いない!)
否。違いだらけである。
輝跡が傷つけられたことに憤怒して文句を言いに行くのと、輝跡に害をなすからといって殺しに行くのとを同一視してはいけない。
しかしてその、とっさながらも説得力を持った弁明は、輝跡を納得させえるに足りる内容だったようだ。
「……なるほど。わかったよ。でもアイツは危ないヤツなんだ。あんまりちょっかいは出すなよ。あと引き続き詮索はするな。わかったな?」
「わかったよわかった!ゴメンゴメン~」
手を合わせながら、あまり反省の見えない謝り方をする茂だが、輝跡は特にそれに対してはなにも言わない。少しおちゃらけた風が茂の自然体なのだ。
「ほんじゃま、集合場所に行きますか。もうみんな並び終わりそうだ」
輝跡はそういうと、先に集合場所へと歩き出す。
「おう」
茂もそのあとを追う形で歩き出す。
と、そこで。
ふと茂が輝跡に尋ねた。
「なぁ、おまえらがなんか秘密にしてることさ。いつかは、俺にも明かしてくれるか?」
さっきのおちゃらけた雰囲気とは一転、その口調はいたって真剣なものだった。
「…………」
輝跡は少しばかり間を置いた後、振り向くことなく歩きながら、こう答えた。
「あぁ、いつかな」
その瞬間、茂は容易に察することができた。
今の輝跡に秘密を明かす気はないこと。その『いつか』はいつまでも来ないこと。そして、親友の自分にすら、プレイヤーとプレイヤーによる戦いというのは明かせない秘密なのだということを。
茂は「そうか……」と呟くと、そのあとにぼそりと一言、輝跡には聞こえない声量で「残念だ」と付け加えた。
そして、茂は思った。輝跡と同じ土俵に立ちたいと。
この思いは、この先も消えることはない。
**********
集合場所に生徒全員が集まったことを先生たちが確認し、遠足の開会式のようなものは始まった。
しかしそれは朝礼等に比べればとても短く、校長の話の後に注意事項を聞かされ、あとは解散して自由行動にうつるだけとなった。
〆を務めるのはどうやら輝跡たち1年4組の担任であり、遠足を楽しみにしていた森沢教諭のようだ。
森沢教諭がマイクを持ち、マイクテスマイクテスと、今まで使われていたにも関わらずマイクの調子確認をしてからしゃべり始めた。
「えー、今日はみなさん楽しんでいきましょー!」
ここまでであれば、皆いえーいとでも声を上げながら動物園に入場していっていただろう。
しかし今回は、森沢教諭のテンションが必要以上に上がっていたことが災いした。
「それでは、動物園だけに周りの人には迷惑をかけズー(Zoo)に!解散!」
どうやらひときわ強い春先の冷たい風が、進帝高校1年生の集合場所にのみ吹き抜けたようだ。
後に進帝高校1年生の動物園への入場風景を見ていた客はこう語る。
あのような、遠足に来た学生全員が無言無表情でゲートをくぐる様は他に見たことがない、と。




