第1章 その11 『遠足 その1』
週末。四月十五日金曜日。
遠足当日。
遠足の集合時間はいつもの登校時間よりもさらに早かったため、当然輝跡は結夢の力を借りて起床していた。
「はぁーーー」
雲一つない空から日がさす絶好の遠足日和の朝に、輝跡が大きく溜息をつく。遠足の行先である動物園へ行くためのバスが来るため集合場所となっている学校にむかって歩みを進める輝跡は、いつもとは違う憂鬱に苛まれていた。
さすがに今の溜息で、結夢も輝跡の現在の心境を察することができたようだ。
「なに~?そんなに動物園嫌なの?私、けっこう楽しみだよ?」
「いや、まあ……嫌じゃないけど……嫌なのは別にあるっていうか……」
輝跡はクラスメイトのように動物園に飽きているわけでもなければ行きたくないわけでもない。
ただ今回は少しばかり、場合によっては少しどころではすまないような問題があるため、気負いが生じているのだった。
「でも班のメンバーはいつものメンバーなんでしょ?茂くんと、あとなんていったっけ?えーーっと……」
「榎下な」
「そうそう榎下くん!……あれ?そういえば三人か。そっちのクラスは4人1組だったよね?てことは……」
「……」
「ははぁ~ん」
輝跡の憂鬱の原因を理解した結夢が、ニヤリと口角を上げ、ジト目で輝跡を見つめる。これは人を小バカにするときの表情だ。
これからバカにされることはわかっているが、あえて輝跡は尋ねる。その表情が非常に不機嫌なのは、言われる内容まで予想がついているからであることは言うまでもない。
「……なんだよ?」
「いやぁ〜?別にぃ〜?そうかぁ〜もう一人のメンバーは知らない人かぁ〜」
正確には知らない人ではないのだが、そのことを言ったら言ったでまた説明が面倒くさくなるので輝跡はあえて口を噤む。
結夢は続ける。
「アンタ友達作るの下手だもんね〜そりゃ嫌になるね〜」
「……あのな」
「わかってる。友達作りが下手なんじゃなくて、友達作りを進んでしないだけって言いたいんでしょ?アンタコミュ力ないわけじゃないし友達いないわけじゃないもん。でもね」
そこで、急に結夢の表情が真面目なものへと変わる。輝跡もそれに気づき、反論しようと開きかけた口を閉じる。
「いつまでもそのままじゃ、ダメだと思うよ?」
「…………」
輝跡が結夢から目をそらす。輝跡自身、結夢と長い間友達付き合いをしてきていることもあり、結夢が友達を進んで作ろうとしない輝跡のことを心配していることは知っていた。しかしさすがにこのタイミングで言われるとは思っていなかった。楽しい楽しい(結夢談)遠足の朝にこんな重い話題が出ることを、誰が予想できただろう?
輝跡の頭に、この状況をうまく流す言葉は浮かんでこない。
結夢はかまわず続ける。
「ほら、これからの、大学だったり就職だったりでの人間関係にも関わってくるしさ!そろそろそんなスタイル変えていかないと、後々がキツイんじゃないかな~って!……そう思ったんだけどね~……」
「…………」
わかっている。そんなことは輝跡自身が一番わかっているのだ。この先良好な人間関係を自ら築いていけないということがいかに恐ろしいことなのかは承知しているのだ。しかし—————。
ぬぐえない過去がある。意識せざるを得なかった出来事がある。今の輝跡の『友達を自ら進んで作らない』というスタイルは、あろうことか幼いころに受けた身内からの言葉が原因していた。
輝跡のスタイルの原因を、結夢は知らない。知らないはずだった。なのに。
「それとも、やっぱり友達を作るのが怖い?」
「……!」
核心を、つかれる。輝跡の頭はすでに、誤魔化すことを諦めていた。
だからこそ—————。
「……大きな……お世話だ……!」
輝跡は、結夢から逃げ出した。もうすでにまっすぐ見えていた進帝高校の正門を目指し走り出す。後ろから結夢がなにかを言っている声が聞こえていたが、それを振り切り輝跡は進帝高校へと到達した。
すでにバスはクラスの数だけ校庭に停まっており、クラスごとの乗車形式となっていた。輝跡は結夢が校庭にたどり着く前に自分のクラスのバス内へと駆け込み、ちらほらクラスメイトが座っている中、だれも座っていない二人席の窓際へと腰をおろした。
しばらく自身を落ち着けることで、輝跡は少しばかり欠いていた冷静さを取り戻す。
(悪いことしちゃったな……。アイツは俺の身を案じてくれただけなのに……。あとで謝らないと……)
輝跡が大きく溜息をつく。その様はさながら、我ながら恥ずかしいと言いたげなものだった。
(友達……か……)
輝跡は窓に寄りかかり窓の外をぼんやりと眺めながら、改めて『友達』という言葉をかみしめていた。
輝跡は、決して友達が少ないというわけではない。その友達形成のほとんどが受動的であり、自ら積極的に励むことがあまりないため周りの人間ほどの交友関係の広さは持っていないが、それでも友人なんてものは割といるものなのだ。
しかしそれはあくまで浅い関係止まり。決して輝跡はそんなただの友人たちとの関係に深く介入することはなかった。
中学や高校、大学に在学中はあらゆる人と仲良くしていたのに、卒業した途端に大半の友人とは稀にしか連絡をとらなくなり、頻繁に連絡をとったり遊びにいったりする関係が続くのはほんの一部の限定された友人、いわゆる親友だけになるといったことはよく聞く話だ。
輝跡の場合、その限定された人というのが極端に少ない。そうなるように友人たちと深入りしない微妙な距離感を意図的にとってきた。故に、特に深い関係を築く親友なんてものは実は茂や結夢くらいしかいない。
しかも彼らとの関係の発端でさえもまた、輝跡が自ら強く望んでのものではなかった。
結夢は幼いころからの腐れ縁がずっと続いていることから、ずっと一緒に過ごすことに慣れてしまっていた。長い年月をかけて得た絆からなりえた親友である。
茂はクラスメイトにとどまらず、同学年の生徒全員と友達になるような人間だった。その中には当然輝跡も含まれており、だから最初は輝跡も茂を他の浅い関係の友人と同格に扱っていた。なのに茂はなぜか特に輝跡に入れ込むようになり、それがずっと続いたことから、いつしか茂は輝跡の心の城壁を突破していたのだった。
いや。
いつの日からか輝跡は、明るく振る舞う茂の瞳の奥に寂しさが存在していることを察しており、そこに自分に近しいものを感じていた。だからといって輝跡が自ら心の城壁を意図的に取り払ったかと言われればそうではない。しかし、無意識下で茂に対してだけは心の城門を少しばかり開いていたという可能性もあり、輝跡はそれを否定しきれないでいた。その点では茂との関係だけは輝跡の心が少なからず望んだ、例外のようなものだったのかもしれない。
また、輝跡には志狼という仲間もできたが、これはセカンドライフという特殊な状況下におけるケースであり、仲間になることを提案したのも志狼からだった。
(変わりたいと思ってないわけじゃない……。思ってないわけじゃないんだ)
しかし。
—————評価も、母さんも、なにもかも俺から奪いやがって!!
—————おまえは他人を不幸にする!これからも!おまえの身近なやつは不幸になる!絶対だ!!
—————周りの人間が不幸になることに苦しめ!!それがせめてものおまえへの天罰だ!!
輝跡の脳内で、兄の言葉がリピートされる。
(くそっ、もう4年も前のことなのにはっきりと思い出せてしまう)
輝跡が歯を食いしばる。
輝跡には4歳年上の兄がいる。お互いが小さいころには仲の良い兄弟だったのだが、兄が中学生になるころから輝跡は一方的に嫌われるようになっていた。
そして、輝跡の記憶にしみついて離れないあの言葉。あれは4年前に兄が東京の高校に合格して一人暮らしを始めるにあたって、当時金城兄弟が住んでいた鹿児島の祖父母の家を出るときに、輝跡に言い放った言葉である。
当時の輝跡は小学6年生に進級する年齢。小学生高学年なんてものはまだまだ子供だ。唯一の兄弟である兄の口から発せられた憎悪は、そんな当時の輝跡の心を刃物のごとく切り裂いた。
そしてこれが、のちに輝跡が他人との深い関係を避けるようになった原因である。
それから四年経った。心身ともに輝跡も成長した。また、他人との深い関係を避けてきた輝跡でも結夢や茂といった親友ができ、今になってもずっと付き合いが続いている。
そんなことからも輝跡の頭は、とある結論に至っていた。それは、『自分が周りの人を不幸にするなんてことはない』というもの。結夢や茂が不幸になったなどという話も輝跡は聞いたことがない。
しかし、輝跡の理性とは別に、心に根付く兄の幻影が輝跡に囁くのだ。『いや、まだこれからだ』と。『彼らはこれから不幸になっていくのだ』と。
結論はでているのに、毎度兄の声が聞こえる度に輝跡は不安に駆られる。
そんなことからも、輝跡の本能が他人と自発的に仲を深めることを拒否する。
そして、茂や結夢がいつ不幸になるのかを恐怖する。
そんなに怖いならばいっそ縁を切ればいいじゃないか、と。他の浅い友人たちと同格に扱えばいいじゃないか、と。そう考える人もいるのだろうし、それが一つの方法であり逃げ道であることも輝跡にはわかっている。
しかし輝跡は、この他人に深く関わらない生活の中で、それでも作ることのできた深い関係を捨てたくはない。せっかくの絆を大事にしたい。
だからこそ輝跡は願う。
このままなにも起こらず、平和な関係が続くことを。
なにもかも遅くなってから縁を切り、早々に縁を切るべきだったなどと後悔するような最悪な未来が訪れないことを。
「—————き。—————い、きせき!おい!聞いてんのか輝跡!!」
と、そこでだれかに呼ばれていることに気づき、輝跡は窓の外から車内へと視線を戻す。
通路から輝跡に呼びかけていたのは茂だった。
「あ、ああ。おはよう茂」
「はいよおはよ。ったく朝からなーにぼーっとしてんだ?いや、朝だからぼーっとしてんのか?今日もどうせ結夢ちゃんにたたき起こされたんだろ?」
いきなり茂の口から飛び出た結夢の名前に、輝跡の眉がピクリと反応する。
しかし、なんとかなにもなかったかのように取り繕うことができた。
「……まあな。いや、正確にはたたき起こされたんじゃなくて転がし起こされたんだけど……」
「はははっ!なんのこっちゃ!」
茂が軽く笑う。その反応からも、輝跡は結夢と朝なにがあったのかを茂に悟られなかったと思い、ホッと息をつこうとした。
しかしその時。
「んで?結夢ちゃんになにをやらかしちゃったんだ?」
ホッとつこうとした息が、急遽ゴホッゴホッといった咳に変わる。
「なんっっ……いや!なんも!」
なんでわかったといおうとして、慌てて再度なにもなかったかのように取り繕う。
しかし遅かった。これでは茂をだませない。
「はぁーーー、やっぱ『おまえと』なんかあったのか。道理で朝からあんなに落ち込んでるわけだな」
「落ち込んでるって……もしかして……」
「ああ。結夢ちゃんすんげー落ち込んで歩いてたぜ?」
「……」
輝跡は押し黙る。再度思い返してみれば、自分の行動は最悪だった。
ただただ良心から輝跡の将来のことを心配してくれた結夢に対し、それを余計なお世話だと振り払い、その場から逃げ出した。
あれでは結夢が、自分のせいで輝跡を追い詰めてしまったと思ってしまうことは少し考えればわかることだった。
(なにが悪いことしちゃったな……だ。なにが恥ずかしいところを見せちまった……だ。結夢がなんて思うか全く考えなかった!自分のことしか見えてないじゃないか!)
結夢の言葉に戸惑ったとはいえ、結夢が傷つくようなことをしてしまった。
こんな風に気づかず他人を傷つけ続け、それが精神的にもその人物の不幸感に繋がるのだとしたら、輝跡は自分が他人を不幸にしているという事実を否定できない。
輝跡は、自分を見つめなおさねばならないことを改めて実感した。
兄の言葉を現実にしないために。そして、結夢や茂との絆を手放さないために。
(まずは、動物園に着いてバス降りたら、速攻で謝りにいかなきゃな)
深く反省し、決意する。本当は今すぐにでも謝りに行きたかった輝跡だったが、どうやらもうバスが発進するようだった。
「てか」
そこで、ふと輝跡は気づく。
「茂。おまえ、わかっててカマかけたな?」
「ん?あははー」
茂が憎たらしい笑みを浮かべる。
しかし、今回のことは茂が気づかせてくれたのも事実。そう考えた輝跡は、直接言っては茂が調子に乗るので、心の中で静かに茂に対して感謝した。
「みんないるなー?動くぞー」
最後に森沢先生がバスに乗り込む。先生は生徒の人数を確認した後、運転手によろしくお願いしますと頭を下げる。
「それでは、発車します」
車内に運転手のアナウンスが響き、立っていた生徒たちが着席し終わると、ついにバスは出発した。
こうして、輝跡の人生で一番不安な遠足は始まった。




