プロローグ 『ゲーム・スタート』
金色。
一切他の色が介入することを許さないといわんばかりの一面の金世界。
そんな空間に、いつしか異物はいた。
人間の姿をした異物は、その銀色の髪をなびかせながら金世界の奥へと歩みを進める。目指す先には機械じみた巨大な『なにか』があった。
その『なにか』にたどり着いた異物は、すぐにその『なにか』の操作を始めた。
しばらくし、操作の末に出力された結果を眺めながら、異物は呟く。
「……やはり足りないか……」
異物はその結果を数分吟味し、考えを巡らせた末、再度その『なにか』を操作し始めた。
「今すぐに始めるならやはりこの手しかないね。仕方ない」
苦渋の決断というには軽く、一見特に重要な案件のそれではないように見えるこの決断が、人間としてであれば大きな案件の決断であるということは、この時点ではだれも知らない。
そして、異物は一連の操作を終え、呟く。
「さあ、始めようか」
微笑を含んだ口元から発せられたその小さな呟きは、自分に対してのものでも特定の人物に対してのものでもない。
世界に対してのものだった。
**********
西暦2001年 1月1日 1時
とある病院にて、ひとつの命が誕生してから1時間後。
「新年、しかも21世紀の幕開けと同タイミングで産まれた子供ですかあ。すごいですね」
「ああ、こんなことはめったにないぞ」
新年の幕開けの瞬間における出産に立ちあった医者と看護師が、別室のカプセルに移されたその産まれた赤ん坊を眺めながら感慨に耽る。
「もしかしたらこの子は、成長してからなにか、世界を巻き込む大きなことを成し遂げるかもしれないな」
「そうなったら先生、絶対に自慢しますよね。あの子の出産には俺が立ちあったんだー!とか言って」
赤ん坊の未来を思い描くことを楽しむ医者と看護師。彼らにとっては産まれた時間が特別奇跡的であったという点以外においてはごく普通の出産であった。
いつもと同じように、その状況に最も適切な方法や手順を用いて無事に出産を成功させる。
今回もなんの失敗もなくうまくいった。
そのはずだった。
「せっ……先生!!」
突如、廊下を走ってきたのか息を切らしたまた別の看護師が医者のもとへと駆け寄る。
「ど……どうしたんだねそんなに慌てて……!」
医者も、看護師のそのただならぬ慌てぶりを見てすぐになにかがあったことを察知し、先ほどの雑談で笑みを浮かべていた顔を引き締め、応じる。
「金城さんに異常が……!出産直後は特に問題はなかったんですが、急に奇声をあげながら苦しみ始めてっ!」
「ばかな……!?いったいなにが……!?」
「とにかく至急来てください!!」
医者と、一緒にいた看護師は、急いで奇跡の赤ん坊の母親の元へと向かった。
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問題の母親の病室に近づくにつれてその悲鳴が医者の耳にも入ってくるようになったことで、よりいっそう医者に緊張が走る。
病室に急ぎながらも医者は考えを巡らせる。なにが起こっているのか、なにが原因なのかについて。
しかし特になにも思い当たらないまま、病室に到着した。
「とりあえず君は鎮痛剤と精神安定剤の用意をしてくれ!」
「わっわかりました!!」
片方の看護師に応急処置の用意を任せた医者は、苦しむ母親のいる部屋に入ると、一緒に病室にきたもう一人の看護師や他にもその病室にいた看護師たちに指示を出しながらその母親のもとへと歩を進めた。
母親は、なおも悲鳴をあげながら苦しんでいる。
「金城さん!私の声が聞こえますか!?どこか痛みますか!?」
「せん……せい……うぐううううああっっ!!」
なんとか医者の声に気づいた母親が、かろうじて反応する。
その時点で医者は、パニックを起こしているという考えを捨て、激痛からくる苦痛と悲鳴であると判断した。
「どこが痛むのですか!?ジェスチャーでも構いません!大丈夫!もう少しで鎮痛剤がきます!あと少しの辛抱ですよ!」
「せん……せい……ぐうっっ!!……私はもう……多分んんっっ!……助かりません……ゴホッゴホッ!!これはっっどうにもならないっ……!」
「なっ……!?」
医者はその言葉に一瞬戸惑う。母親から返ってきた言葉は質問に対する答えではなく諦めの言葉。赤ん坊を産んだばかりの女性が、生にすがりつくことなく死を受け入れている。
(そんなことがあっていいはずがない!)
「そんなことを言ってはいけない!諦めてはダメです!私があなたをなんとしても救います!私を信じてください!」
「ちが……うんです……はあっはあっ!……これは……人間にはどうしようもない……!それよりもっっくはあっっ!!……先生……!今からいうことを……よく聞いてっっ……!あの子の……名前……!」
「だめです!あの子の名前を初めて呼ぶのはあなたでなくてはならない!それを私に託してしまってはダメです!」
この女性の夫は現在行方不明で消息がつかめないという。
つまり母親がここで諦めてしまったら、産まれた赤ん坊は実の親に一度も名前を呼んでもらうことはなくなるということだ。
この母親はおそらく子供の名前を医者に伝えたら逝ってしまう。子供の名前を伝えることが唯一の心残りとして彼女をこの世に止めている。
医者は母親を励ましている間も常に触診等で原因を探り、最適な対処法を考えた。
しかし思いつかない。わからない。なにが起きているのかがさっぱり。
今にも母親は心残りを解消しようとしている。母親が子供の名前を言おうとする度に励ましの言葉で遮る。そんなことを繰り返す。
だが医者の焦りがついに頂点に達する。心残り関係なくこれ以上彼女が苦痛に耐えるのは無理ではないか、と医者の心が折れかけたその時、
「先生!鎮痛剤と精神安定剤の準備できました!」
応急処置の準備を任されていた看護師が準備を完了させて部屋へと到着した。
そのことがなんとか医者の心を踏みとどまらせた。
(応急処置で時間を作る。そのうちに解決策を必ず導きだす!)
「急いで鎮痛剤を投与だ!もう大丈夫ですよ金城さん!今から……」
医者が母親を安心させるために声をかけ始める。
この時、医者の心は幾分か余裕を取り戻していた。そこからほんの一瞬、気の緩みが生じた。
それがアダとなった。
「輝跡……。輝く跡と書いて……『輝跡』……です。」
空白。
今、母親の口から発せられたのはまぎれもない子供の名前。
医者の脳内が、真っ白に塗りつぶされる。
直後、病室内に響いていた絶叫が残響を残して止んだ。
「先生!!金城さん心肺停止です!先生!!しっかりしてください!」
代わりに響く看護師の大声にハッとする。
「しっ……心肺蘇生を……!」
再び色を取り戻し始めた頭で、医者は次の指示を出す。
その後、どのような手を尽くしても、奇跡の赤ん坊の母親が息を吹き返すことはなかった。
原因の追究も行われたが、結局は原因不明の心停止という結論に終わった。
**********
金色の空間で銀の髪をなびかせる異物の口角が一瞬あがる。
異物は、再度世界に向けて一言、こう呟いた。
「ゲーム・スタート」
これから始まるのは、人に『奇跡』をもたらすゲームである。