第79話 停戦
怒号と絶叫、断末魔の悲鳴。剣が激しくぶつかる金属音、主を失った馬の悲しげな嘶き。生と死が交錯する騒々しい戦場が、レオンの召喚した白銀ドラゴンの出現により、突如として静寂が訪れていた。
ドラゴンの体長は通常の人間の十数倍はあり、その巨体は銀色の鱗でびっしりと覆われている。両眼は赤い光を湛え、雄大な翼を広げていた。ここ中央大陸にはすでにドラゴンは棲息しておらず、唯一召喚可能な精霊術士たちは滅多に里から出ない。そのため、ドラゴンを目撃した事のある者は皆無で、圧倒的な迫力の前に、双方の兵士は言葉を失うばかりであった。
ドラゴンに対して畏敬の念を抱く者が占める中、先程のエレナの呟きを耳にしていたシャドウは、ギラリと目を光らせていた。
(白銀のドラゴン……よもや、地・水・火・風、四大系統の最上位たる四聖竜を融合させるとはねぇ。さすがのルナトゥリアも、成す術無しでしたか。フフフ……。レオン、貴方という人は!)
不敵な笑みを浮かべるシャドウ、尊敬と驚きの眼差しをレオンに向けるエレナ。そしてポカンと口を半開きにするリディア。
(なんだろう……。あのドラゴンを見てると力が湧いてくる)
ボルダンの竜神の祠で感じたのとは違う、一種の共鳴とも言うべき不思議な感覚に、リディアは頭の芯が痺れた。
周囲の食い入るような視線を浴びながら、レオンがフランシーヌとシンの元へ歩いていく。その直線上にいた者は、自然と道を開けた。真上には、レオンの歩調に合わせて横滑りする、宙を漂うドラゴン。
「噂に聞く精霊術というやつか? だが、これほどとは……。あの少年は何者だ?」
フランシーヌ・オルトスと激しく斬り結んだ結果、浅傷を数ヵ所に負い、純白の毛並みが所々血で汚れたシンは、独り言のように呟いた。
「……あのお方は『運命の御子』であるレオン殿だ!」
「運命の御子だと!? 彼が……!」
重厚な斧槍・ハルバートの先端を地面にめり込ませたフランシーヌは、コーンワール城にて兄べネットにレオンが偽者の御子であると告げられた事が頭を過ったが、堂々と言い放った。シンの故郷アキシスにもその存在は認知されているらしく、人狼隊にざわめきが細波のように広がった。それはフランシーヌ側の一般兵も同様で、どよめきと共に隅々まで伝わっていく。そんな中、レオンはフランシーヌとシンの前で立ち止まった。
「姫様、私は争乱を避けて……いえ、姫様に押し付けて立ち去ろうとした事、お詫び致します」
レオンが深々と頭を下げると、フランシーヌは体がかあっと熱くなった。
「レオン殿が頭を下げる必要はありません。このアキシスの連中が、ふ、不届きにもレオン殿の命を奪うと宣言したのですから」
気丈な姫も、間近でドラゴンの姿をチラッと見上げ、やや落ち着きがなかった。シーラは色白の顔が一段と血の気を失い、オルトスも剣を鞘に納めて、強張った顔をしている。そこへ、べネットとジュール子爵もやって来た。
「御子殿がこのようなドラゴンを使役するとは……」
レオンを盗賊として扱っていたのも忘れ、べネットはひょっとしたら彼は本物の御子なのではないか、という錯覚に陥っていた。
「お揃いですね。今回の件、裏で糸を引いていたのはノエルという男です」
レオンは、ノエルがアキシスとルナトゥリアに接触し、利用したのを説明した。
「姫様、先程ドラゴンに吹き飛ばされたルナトゥリアとは、聖地に現れた連中です。あの新たな御子だけでなく、レオン殿の命も狙っていたようです」
「南方の戦士たちか……。そんな奴らまでレオン殿を付け狙っていたとは」
オルトスに耳打ちされ、フランシーヌが怒りを滲ませた。
「何処へ飛ばされたか知らんが、そやつらはもうよい。それより、幼い王子が拐われたと? 白狼将軍シンとか申したな。事実に相違無いか?」
指揮官であるべネット王子が、大柄な身体を揺すって訊ねた。
「事実です。王子を返して欲しければ、レオンという少年と戦えと。貴国に対する侵略など、念頭にありません」
「ふ~む……。そのノエルとやらは、何故我らを争わせた?」
腕組みをしたべネットがしかめっ面で唸った。両軍、少なからず死者を出している。隣国の軍隊との軍事的衝突は、互いにとって予想外であった。
「それはあの男の意図せぬ結果のようです。私を足止めしたかっただけのようですから」
「それはどういう理由で? ノエルとはそもそも何者かな?」
「…………」
レオンが沈黙していると、馬車が横付けした。御者台にシャドウが座り、待機している。レオンが口を開こうとする前に、頭上のドラゴンが語り始めた。
「この地に集いし者たちよ、よく聞くがよい。我は聖竜神テリオス」
全ての者の耳目が、ドラゴンに釘付けとなった。
「この世界に降臨するのは初めてだが……。どうやら大いなる災いが迫っているようだ。我を召喚せし少年よ、そなたが望むなら力を貸そう。さあ、急ぐのだ。世界を救うために」
そう言い残すと、ドラゴンはスーッと姿を消した。レオンは大きく息を吐き出し、気息を整えると挨拶もそこそこに、馬車の荷台へ乗り込もうとした。
(偽者の御子であるはずのレオンが、世界を救うだと? まさしく「運命の御子」ではないか!)
べネットは激しく動揺したが、フランシーヌは大いに感動し、瞳を涙で潤ませていた。
(適当に選ばれた子供などではなかった! レオン殿は神の御導きで必然的に選ばれた、正真正銘の「運命の御子」だったのだ!)
そのまま立ち去ろうとするレオンを、シンが慌てて呼び止める。
「待てっ御子殿! このまま貴殿を行かせたら、王子の身はどうなる? 我らはこの異国の地でどうすれば……」
必死の形相でシンが訴えると、レオンはにっこりと笑った。
「先程、ノエルの分身らしき者が現れました。王子の身柄は返すと言っていましたよ」
「それは本当なのか?」
「ええ。すぐに実行に移すかは分かりませんが……。もし彼の待ち受けるグリムガルに囚われているのなら、この手で救出します」
懐疑的な目を向けるシンに、レオンは力強く宣言した。
「ではべネット殿下、私たちはこれにて失礼します。後は宜しくお願い致します」
「お、おお」
豪傑王子と揶揄されるべネットも、気の抜けた返事をするのが精一杯であった。シャドウが御者台から一礼し、馬車は走り出した。
「殿下! 後続の歩兵部隊が見えます!」
皆が黙って馬車を見送っていると、オルトスが南を指差して叫んだ。2000を超える歩兵隊が、遅ればせながら小走りで行軍しているのが見える。戦闘が止んだとはいえ、人狼隊はまだ士気を保っていたが、これで完全に戦意を喪失した。剣や短槍を落とし、乾いた音を立てる。
「兄上、私はレオン殿と共にグリムガルへ向かいます。よろしいですね!」
馬に颯爽と跨がったフランシーヌは、有無を言わさず駆け出していた。オルトス、シーラや近衛騎士団の一部も、べネットとジュールに一礼して追い掛けていく。
街道上に舞い上がった砂埃が止むと、べネットはシンに向き直って告げた。
「シン将軍以下、人狼隊は捕虜とする」
「承知した。もはや戦う理由も無い」
シンが跪くと、人狼隊もそれに倣った。
「ジュール子爵、捕虜はカッシーナで引き受けてくれ。……グリムガル……か。王都に鳥を飛ばして、妹とレオン殿の事を報せよう。アキシスにも使者を遣わさねば。さあ、負傷者の手当て、死者の埋葬……やる事は山積みだ」
「はい。では早速取り掛かりましょう」
べネットとジュールは、部下に次々と指令し、忙しく立ち回り始めた。歩兵隊の足音が間近に迫った時には、日も傾きかけていた。




