第78話 覚醒
幼馴染みであるキアラの命を奪った仇敵・ルナトゥリアの3人を目の前にして、全身の力を徐々に奪われ、視界がぐらぐらと揺れ出すレオン。極限まで睡魔と格闘しているような、ふわふわとした感覚に陥っていた。背後から戦場の喧騒が響き、エレナとリディアが何事か叫ぶのを聴きながら、レオンは地面にうつ伏せに倒れた。意識が遠のいていく――
真っ暗な空に覆われた草原に、レオンは独りでぼんやりと佇んでいた。星や月は出ていないが、膝下まであろうかという草がぼんやりと光っている。見渡す限りそれ以外に何も無い。
「ああ、これは夢か」
レオンは自分が夢の中にいるのだと、はっきり自覚していた。当てもなく、前へと歩き出す。またキアラに再会でも出来るのかと、期待を寄せながら――――
(レオン……レオン、起きなさい)
ガサガサと草を鳴らしながら歩いていると、何者かの声が響いてきた。以前、ルカの屋敷で深い眠りに落ち、夢の中からレオンを呼び覚ましたのは、シャドウの声であった。どこからともなく聴こえる呼び声に「あぁまたか」とレオンは思ったものの、声の響きがより女性的である事に気付いた。しかし、キアラとも違っており、どこか懐かしさを感じさせた。
「僕を呼ぶのは誰だ? それに僕はもう……」
気絶する前の事を思い返し、レオンの気力は萎えかけていた。ジャハルがノエルから譲り受けたという剣を前に、抗う術もなく、ルナトゥリアたちの勝利を確信した顔が目に焼き付いている。
(ここで諦めると言うのですか? 何を弱気な。あなたには使命があるはず……。さあ、立ち上がりなさい)
「使命? 待ってください! 貴女は一体……」
天上から光が溢れ、レオンを包む。あまりの眩しさに手をかざすと、ハッと目覚めた。急速に感覚が戻り、倒れた際に口に入った砂埃がザラザラと舌を刺激する。視線の先には、いつになく高揚したのか、高笑いをするジャハルと、レオンに向けられた剣の切っ先。そこへ吸い込まれる魔力、そして光の槍を構える双子の姉妹、イスラとサミラ。どうやら、気を失っていたのはほんの短い時間に過ぎなかったのを、レオンは悟った。
四肢に力を込めたレオンが、すっくと立ち上がった。動作が緩慢になり、力を吸い取られて倒れていたのが、嘘のようであった。だが、未だにレオンの身体からジャハルの剣へと、光の帯が動いている。現に魔力の吸収は継続していた。
「なっ……? なぜ動ける! もう余力など無かったはず」
狼狽するルナトゥリアの面々を見ても、レオンはこれまでのように激しい憎悪を抱かず、暴走状態に入る素振りは見せない。
「サミラ!」
姉のイスラはレオンが平然と立ち上がり、落ち着き払った様子でいるのを脅威に感じ、即座に討ち取る決意を固めた。妹に呼び掛け、瞬時に息を合わせた2人が、10歩と離れていない至近距離で光の槍を投擲した。常人の目には留まらぬほどの速さであった。
「あっ!」
あまりの早業にリディアは反応が遅れ、エレナは身体の自由を取り戻したレオンに喜んだのも束の間、へなへなと崩れ落ちた。絶望の淵に沈められた気がしたエレナであったが、ルナトゥリアたちが驚愕した表情をして後退りしているのが目に入った。
「素手で私たちの秘術を防いだ? この距離で見切ったというのですか?」
口をぱくぱくさせている姉に代わり、サミラが驚嘆の声を漏らした。後ろにいたエレナには判らなかったが、レオンは胸と腹を目掛けて飛んできた光の槍を、寸前の所で両手に1本ずつ掴んでいたのだった。だらりと両腕を垂らすと、槍が溶けるようにスーッと消えていく。
「レオ様! 無事なんですねっ!?」
感極まったエレナが、そっと涙を拭いた。リディアも大きな溜め息をつく。レオンはサッと振り返ると、わずかに頬を綻ばせてみせた。
(フフッ、ハラハラさせますね。それにしてもこれは……。レオンにはまだ未知の力が? 私が感知出来ないとは驚きです)
そう思いつつシャドウがレオンの元へ歩み寄ろうとすると、レオンは左手でそれを制した。
「大丈夫。僕独りで十分だよ」
そうしている間にも、レオンの魔力はジャハルの剣に移っていく。剣身に嵌め込まれた白濁した魔唱石には膨大な魔力が蓄積され、輝きが一段と増していた。
「くっ……御子よ、お前の魔力は底無しなのか?」
怖いもの知らずのジャハルも、冷や汗が止まらない。先程とは打って変わって、その場にいる者たちの目には、怯むどころかレオンの力は増大しているようにしか映らなかった。双子姉妹が苦し紛れに月光魔術の光弾を連射したが、レオンは無造作に手で払い除けた。ルナトゥリアに焦りの色が浮かぶ。
「こんな馬鹿な……うわっ!?」
高熱と痺れを感じ、のけ反るジャハル。手には剣の柄しか残っていない。許容量を超える魔力を吸収し続けたせいで、ジャハルの持つ剣は根本からポキリと折れてしまっていた。今まで吸い込んだ魔力が、レオンへと還っていく。これによって、ますますレオンの纏う力が高まった。そして折れて地面に落ちた剣身から、一筋の煙のような物が噴き出した。それがノエルの顔に変化していく。
「あれあれぇ? ルナトゥリアの皆さん、失敗しましたか」
「ノエル!」
レオンたちもルナトゥリアも、宙に現れた半透明のノエルを睨んだ。
「おい、何だこの剣は? 最初は上手くいっていたのに突然折れるとは!」
「え? それはレオンの魔力が並外れて多かったから……それだけの事でしょ。僕のせいじゃない」
「…………」
ノエルの返答に、忌々しい顔をするルナトゥリアの3人。
「レオン、君の足止めは思うようにいかなかったね。対魔法使い用の魔剣『マジックイーター』をへし折るなんて、計算外だよ。変だなぁ」
さも意外そうに、ノエルが目を見開いてグリグリと目玉をせわしなく動かした。
「その魔剣が、皮肉にも僕の新たな力を呼び起こしたんだ」
「へえ、そうなの? 驚いたなぁ。後ろも派手にやってるね。せっかく説得して人狼隊を担ぎ出したのに、あの軍隊はレオンが手配したのかい?」
後方で激闘を演じるアキシスの人狼隊と、エリクセン王国の近衛騎士団ら混成部隊。レオンたちとの戦いで多数の怪我人を出していた人狼隊は、善戦及ばず旗色が悪くなっていた。先にジュール子爵の隊と交戦していた部隊は、べネット隊の攻撃で崩れかかっている。白狼将軍シンは、フランシーヌとオルトス、さらにシーラの魔法攻撃を相手に苦戦していた。
「違う。それに何が説得だ! 幼い王子を人質を取るなんて、卑劣極まりない!」
怒りを露にしたレオンに、ノエルはニヤニヤと嫌らしい笑みを見せた。
「あれ? 彼らに聞いたんだ。もう王子なんてどうでもいいけどさ。気が向いたら返すよ」
「ふざけるな!」
「まあそう怒らないで。おっと、そろそろ限界だ。もう準備に入らないと……。ああ、こっちの話。僕の所へ来るなと言っても乗り込んでくるつもりでしょ? グリムガルで待ってるよ。では……」
ノエルを形作っていた煙が揺らめくと、レオンたちの頭上へ上り、弾けるように消滅した。
「相変わらずムカつく話し方だわ」
槍の石突きで地面をドンッと突いたリディアは、憤慨していた。生理的に受け付けないらしい。
(グリムガルで決戦だ!)
レオンが決意を新たにし、静かにルナトゥリアへと視線を移した。それに反応し、ジリジリと下がる3人。対照的に、馬車はレオンの後方へと移動した。
(レオ様はキアラさんの仇を討つつもりなのかな?)
エレナが水晶の杖を構えると、その肩を軽く叩いてシャドウが前に出た。レオンの背中越しに、ルナトゥリアへ呼び掛ける。
「貴殿方とはゆっくり話す機会がありませんでしたが……。運命の御子レオンは、この世界に破滅をもたらすような存在ではありません。むしろ救う方です。そちらの国では真逆のようですね」
「我らが間違っていると?」
「ええ。大災厄を招くのは、グリムガルにいるノエルの一味です。これだけは断言出来ます」
「………………」
当惑の表情で互いに顔を見合わせるルナトゥリアに対し、レオンがおもむろに口を開いた。
「今の僕なら、君たちを倒すのは簡単だと思う」
「……!」
つい先程まで、レオンは己れの体内に宿る力を上手く扱えず、もどかしい思いで一杯だったが、意識を取り戻してからはまるで違っていた。今ははっきりと感じ、行使が可能となったのを自覚していた。
「僕はキアラの仇を討とうと、憎悪に捕らわれていた。でも、君たちを殺してもキアラが生き返るわけでもない。虚しいだけだ。だから……このまま立ち去り、2度と僕の前に現れないで欲しい」
「ちょっと、それでいいの?」
レオンの意外な提案にリディアは心底驚き、エレナは様々な感情が交錯し、微妙な表情を浮かべた。
「まさか見逃そうとは。クククッ、よかったですねぇ。レオンの温情に感謝しなさい」
イスラとサミラは勝ち目が無いのを痛感していたので、レオンの提案は渡りに船だったのだが、ジャハルは敵に情けを受けるのは我慢ならなかった。
「同じ相手に……2度も背を向けられるかあっ!」
魔剣・マジックイーターの柄を投げ捨て、愛刀シミターを抜いたジャハルは、正面からレオンに斬りかかった。
「はあっ!」
レオンが気合いを発すると、赤・青・茶・緑、4色の光の玉が体内から飛び出し、回転して空中で合体した。ジャハルは吹き飛ばされ、イスラが受け止めた。
「これはっ!?」
ルナトゥリアの3人が見上げると、白銀に輝く鱗を持つ、神々しいドラゴンの姿があった。その口が大きく開き、耳をつんざく咆哮と共に、強力なブレスが吐き出された。
「うわああっ!」
地面が抉られ、大量の土砂と一緒に、ルナトゥリアの身体は宙へと舞った。追い打ちを掛けるようにドラゴンが魔法陣を形成し、魔法の球体に包まれた3人は、遥か空の彼方へ猛烈な勢いで飛ばされていった。
(す、凄い。四聖竜が合体した? そんなの聞いたこともない……。)
エレナが呆然としていると、喧騒が止んでいるのに気付いた。いつしか戦場は静まり返り、敵味方問わず、宙に浮かぶ白銀のドラゴンとその下に佇立するレオンを交互に見詰めていた。




