第8話 目撃者の依頼
ガル・ブランカ城下町の酒場が盛り上がっていたのと、時を同じくして――――城内の一室で、1人の若者が荒れ狂っていた。
「トロイアめっ……父上に告げ口したな!」
ガレア公爵家の御曹司ラウルは、自らの行状を棚に上げて、恨めしそうに家臣の名前を吐いた。先刻、父である18代目当主グラン=ガレアに、レオ(レオン)と名乗る冒険者を捕らえたい、と願い出たが、にべもなく断られた上に、激しい叱責を受けていた。
トロイアはラウルの性格上、レオという冒険者をこのままにしておくとは到底思えず、父親の力を借りて報復するだろうと考えた。そこで先手を打って、今まで握り潰していたラウルの悪事を、主君にありのまま報告していたのである。
ラウルは普段から、兵士や身分の低い者には横柄な態度で接し、橋の上で道行く人々から金品を巻き上げるのも、ほんの軽い気持ちからであった。もっとも、交易商人などは素通りさせていた。なぜなら、商人ギルドから訴えがあると面倒だからである。ラウルはそういう小狡い面もあった。
「まったく面白くもないっ! いつの間に、耳飾りまで……あの石が無ければ、フレイムの魔法も使えぬっ……!」
ラウルは豪華なベッドに腰掛けると、靴を脱いで壁へ思いきりぶん投げた。靴は壁に飾られていた絵に当たり、床に転がった。
「おのれ、よくも俺にあのような屈辱を……待っていろ、必ず後悔させてやる!」
夜光石(第2話参照)のランプに照らし出されたラウルの顔は、酷薄な笑みを張り付かせ、その瞳は復讐に燃えていた。
酒場での楽しい一時を過ごしたレオンとエレナは、その場を後にすると多少ふらつきつつ、宿屋へと向かった。
「エヘヘッ、レオ様ぁ~、お酒ってこんなに気持ちよくなれるんですねぇ~」
「エレナ、飲み過ぎだよ……。僕もついつい飲んじゃったけどさ……。あれ、そういえばエレナって何歳だっけ?」
「私は~15歳ですよ~?」
エレナはレオンの腕に両手を絡ませてまとわりついた。
「僕の方が2歳上だったのか……。故郷では15、6でも酒を飲むと怒られたけど、この国では特に制限は無いし、まぁいいか。ほらエレナ、ここで少し休んでいこう」
2人は民家の入口にある石段に座った。冷たい夜風が酒で火照った体には心地よかった。エレナは、なにかむにゃむにゃ言いながらレオンの肩にもたれかかっている。レオンはボーッとしながら、通りの石畳に目を落としていた。
「こんなとこで寝たら駄目だよ。そろそろ行こうか」
「……ふぁ~い」
寝惚け眼のエレナを立たせて、レオンが歩き出す――
その後ろ姿を物陰から血走った目で凝視する男がいた。城内から抜け出してきた、ラウルであった。その手には夜目にもわかる、白銀に輝く見事な弓を携えていた。城下町の酒場に若様を負かした冒険者がいた、という兵士の立ち話を耳にして、無理矢理に門を開かせ、猛然と飛び出してきたのである。
(フフフフ……見付けたぞ! のこのこと我が城下にやって来るとは……この狙った獲物は必ず仕留める魔法の矢で、息の根を止めてやる。)
ラウルが弓に矢を番えると、鏃から矢羽まで淡い光が包み、徐々に輝きを増した。
(俺を本気で怒らせたお前が悪いのだ……喉を射抜いてやる!)
レオンの首にピタリと狙いを定めると、己の力の限界まで引き絞り、矢を放った。空気を切り裂く音がして、レオンの首に命中した……かに見えた。
「殺った! …………ん?」
レオンの首を貫いたかに見えた矢は、背後に出現した黒い影……シャドウに阻止されていた。真っ白な光を帯びた魔法の矢は、ゆっくりとシャドウに吸い込まれたかと思うと、目にも留まらぬ速さでラウル目掛けて射ち出された。
「うっ……がっ!?」
なんとラウルの左胸には深々と矢が突き刺さり、背中まで貫通していた。ゴボッと口から血を滴らせ、驚愕の眼差しでレオンを見詰めると、急速に意識が遠のいていった。
(バカな……奴は……一体……。)
崩れ落ちるように倒れたラウルをシャドウは憐れんだ。
(愚かな男です。このような闇討ちを仕掛けてくるとは……。自尊心を傷つけられ、我慢できなかったのでしょう。レオンも油断しすぎです。)
酒も入り完全に油断していたレオンは、矢の飛来する音には気付いたものの、背後での一連の出来事はわからなかった。
「あれ? シャドウ、何か変な音がしなかった?」
ズズズッ、とレオンの首筋に引っ込みながら、シャドウは、なんでもありません、とだけ答えた。
翌朝、ラウルの変わり果てた姿が発見され、報せを受けたトロイアが血相を変えて城から出てきた。すでに現場には人だかりが出来ており、ヒソヒソと話し合う者が多くいた。それらを下がらせて、遺体がラウル本人であると確認すると、トロイアは暗然として声も出なかった。
(若様っ……なぜこのような最期を……? …………この弓矢は、若様ご自慢の……。自らの矢で貫かれているとはどういうことだ? 何者の仕業か……。)
トロイアは若き冒険者の顔がチラッと頭をよぎったが、このような真似をする男ではあるまい、と、すぐに切り替えた。ラウルの亡骸を城内へ運ばせ、率先して周辺で聞き込みを行ったが、目撃者は見つからなかった。
グラン=ガレア公爵は、朝から舞い込んできた悲報に愕然とし、嘆き悲しんだが、それも束の間の事であった。息子の死を悼むよりも、家門に傷が付くことを憂慮したのである。夜間に飛び出して朝まで帰らぬラウルの事を、まるで気にも止めていない門番や、精一杯悲しんだ振りをする城内の者たちに腹を立てたが、改めて息子の人望が皆無である、という事実を痛感させられた。
名門貴族の跡取りが何者かに自らの矢で討ち取られるなど、不名誉なこと極まりなかった。公爵は長男ラウルの死を病死と発表し、合わせて王都に使者を走らせ、次男を跡取りとする事を届け出て、王家に承認された。城下では、ラウルの遺体を目にした者が多くいたので、色々と噂が立ち、祝杯を上げる者までいたが、真相は不明であった。
レオンとエレナは飲みすぎたおかげで、いつもより遅く目覚めた。朝から物議を醸した少し離れた通りでの事件など、知るはずもなかった。
宿屋から表通りに出ると、さすが王国屈指の大貴族の城下町だけあって、なかなかの賑わいを見せていた。エレナはトコトコと歩きながら、左右に視線を走らせている。そのうち雑多な商品を扱うよろず屋が現れると、嬉しそうに入っていった。
「レオ様、念導師エレナの役に立ちそうな物がありそうですよ!」
「念導師、ねぇ……」
「何言ってるんですか。レオ様が考えた称号ですよ? あの魔法は念導術と呼んでください」
様々な小物が並べられた売場を食い入るように見つめた後に、安物が詰まった箱をガサゴソと漁るエレナは、いかにも楽しそうであった。やがて、古ぼけた髪飾りと木製のボタン、薄汚れた小さな布製人形などを選び出すと、レオンに向き直った。
「というわけでレオ様ぁ~、私の戦力向上のために、これを買ってくださ~い」
レオンはエレナの突然の甘え声に頬を赤らめた。そのままボケッとしていたレオンは、店主が咳払いをすると、我に返って代金を支払った。
「いや~、やっぱり女性の持ち物のほうが、強い念が籠っていますね~」
エレナは1人で納得したような事を言いながら、初めて馬を引いて歩いていた。そんなエレナと微笑みながら歩いていたレオンであったが、急に表情が引き締まった。
(レオン、気付いていますか?)
(うん、どうやら尾行されているみたいだね。鋭い視線を感じる。)
「どうしたんですか? あっ、またシャドウと内緒話ですか? 私にも聞かせてくださいよ~」
「エレナよく聞いて。僕たちは尾行されている……。振り向いちゃ駄目だ」
突然の事に慌てて頭を回そうとしたエレナを鋭く制し、尾行者に悟られぬように歩調を変えずに歩き続けた。
レオンには心当たりはなかったが、シャドウは昨夜の件と絡めて考えていた。
(昨夜、目撃者がいたのでしょうか? ならば、公爵家の手の者ですかね。)
そのような事をシャドウが考えているとは知らず、レオンは尋ねた。
(尾行者は何のために僕たちを? シャドウはどう思う?)
(さぁ……とりあえず相手の出方を窺いましょうか。)
「エレナ。このまま町を出て、大街道へ向かおう」
「はい」
レオンは大街道に入るとシャドウに後方を確認させた。レオンのうなじからわずかにはみ出た黒い影は、一定の距離を空けて付いてくる人物を捉えた。
「尾行者は1人ですね。猟師のように見えますが」
「あそこがちょうどいい。あの林で待ち伏せよう」
右方向への曲線の途中に、尾行者の視界から隠れるのに都合の良い林が断続的にあったので、レオンたちはその中の1つに息を潜めて待った。ほどなく尾行者が追い付いたが、レオンたちの隠れた林の側でピタッと止まった。
「なーんだ、ばれてたのかぁ……」
尾行者はあくびをした瞬間、素早い身のこなしで茂みを揺らし、レオンたちの真横に現れた。レオンとエレナは距離を取って身構えた。
「あー、待って待って。そんなつもりはないから。初めまして。私はターニャ。通称は山猫ターニャっていうの。ちょっとそちらのお兄さんに頼みたい事があるんだけど」
「なんですか? 話の内容によっては考えますよ」
レオンは警戒しつつ、ターニャを観察した。年齢はさほど変わらない少女であった。山猫の名が指す通り、山野を駆け巡って鍛えられたのであろう、逞しさと生命力に溢れていた。なめした革の服をまとい、小型の弓と背中には矢筒、腰には2本の短剣を差していた。先程の動きを見る限り、しなやかさと敏捷性を併せ持っているらしい。
「昨日の夜……見てたよ? 凄いね~、あの魔力を帯びた矢を正確に撃ち返して、相手を仕留めるなんて。その腕を見込んで声を掛けようと思ったんだけど、宿屋の外で待った挙げ句、だらだらとここまで付いてきちゃった」
「昨日の夜? 何の事?」
「……ふ~ん。とぼけるんだぁ? まあいいわ。昨夜の技を見て不気味に感じたけど……人成らざる者と言うか……野性の勘ってヤツ? でもこうして近くで見ると、私好みのなかなかいい男じゃない?」
ターニャはスッと近寄り、レオンの顔を撫で上げた。レオンはエレナとは違う魅力を感じて硬直した。
「ちょ、ちょっとレオ様から離れなさい!」
エレナはターニャを引き離そうとしたが、びくともしなかった。
「そ、それで頼みたい事って?」
「ああ、そうそう。私、一応冒険者ギルドに登録してるんだけど、この辺は最近あまり依頼が無いの。だからほとんどの冒険者は北へ流れちゃって。そしたら1件、高額の依頼が来たの。で、1人で片付けようとギルドに教えられた場所へ急行したんだけど、逃げてきたの。お願い! 報酬山分けで、一緒に来てくれない?」
ターニャは急にしおらしくなって、両手を合わせた。レオンは困惑しながらも、尋ねた。
「僕は冒険者ギルドには登録してないよ。それに、なんで僕なの?」
ターニャは少しためらうと、レオンの目を真っ直ぐ見据えて答えた。
「…………相手は魔法の射手なんだ」
「魔法の射手?」
レオンとエレナは同時に声を上げていた。