第75話 襲撃
レオンたちがカルバン地方を後にした翌日――
レオン一行を追って北へ向かったフランシーヌは、王族で父方の従兄に当たるジュール子爵の領地を目前にして、関所で足留めを食らっていた。
「何度言えばわかる! 私を誰だと思っているのだ? 斧槍戦姫の異名を持つフランシーヌの名を、知らぬはずはあるまい! 早く通さぬか!」
馬上から居丈高に叫ぶフランシーヌであったが、関所に詰める兵士たちは槍衾を組んで牽制した。その数、10名余り。
「姫様なら先刻、馬車で通過された! この偽者め! 王家の名を騙るなど、重罪だぞ!」
関所を預かる一際体格の良い隊長格の男が、はったと睨み付ける。
「何だと? 愚か者、本物は私だ! 先に通った方が偽者だぞ!」
そう言われて、ようやく隊長は眼前の女騎士の出で立ちに目を凝らした。顔は瓜二つだが、先刻通行を許可した、馬車の手綱を握っていた者と比べて、気品や威厳が備わっている。馬具には王家の紋章があしらわれており、立派な鎧の肩と胸部にも同様に刻まれている。手に提げている斧槍・ハルバートにも凄味があった。威圧された兵士たちは怖じ気づき、隊列がやや乱れた。
(私に化けた偽者が、ここを……昨日、城に現れたのと同じ奴か?)
クライアの町を治めるコルベール城において、レオンに扮したシャドウが地下牢から忽然と姿を消した。フランシーヌはその正体までは知るべくもなかったが、直前に面会した時に、グリムガルについて質問された事が気に掛かっていた。
(レオン殿はただの興味本意だったのか? だが、馬車は町を出てボラス街道を北へ向かったと聞いた。そのまま行けばグリムガルに行き着く。何処かで仲間と合流し、あの地を目指しているのでは? しかし……一体、何のために……。)
関所の兵士たちは空元気を出してワーワーと騒いでいたが、フランシーヌは上の空で聴いていた。地下牢にてレオンへの愛の告白はやんわりと拒絶されたが、身分の差を憚った遠慮だろうなどと、前向きに考えていた。
(例えレオン殿が偽者の御子だろうと、王家の一員という身分を捨て、あの方と添い遂げる。そんな生き方も悪くない。むしろ私に相応しい!)
むくむくと、熱い想いがフランシーヌの心に沸き起こる。聖地でレオンが見せた、恐るべき力。あの力を使って、鉱山都市の封印でも破壊する気なのか。考えれば考えるほど、その深意を知りたいと姫は強く思った。
(何を成さる気か皆目わからないけど、事が済んだら、私はレオン殿と共にどこかでひっそりと暮らす。新天地を探して他の大陸に渡るのもいい。)
相手の都合を無視した、随分と虫がいい話ではあるが、即断即決、すぐに行動に移す勝気な姫君である。もう居ても立ってもいられない。
「いい加減にしないと、蹴散らして押し通るぞ!! 覚悟はいいか!!」
片手で軽々と豪壮なハルバートを振り回し、ぶうんっと刃風が唸ると、ぎりぎりで保たれていた兵士たちの戦意は挫けた。隊長も気迫に押され、黙って部下たちを左右に下がらせ、ついに道を開けた。フランシーヌは弾かれたように疾走を開始し、関所の門を駆け抜けた。彼女を追ってべネット以下、近衛騎士団が関所に現れたのは、それから間も無くの事であった。
更に後方からは、ノエルから贈り物を受け取った、ルナトゥリアの3人も――――
◇ ◇ ◇
昨日、小さな村で落ち合ってから、街道を駆けに駆けたレオンたち。手綱を華麗に捌くシャドウは、リディアの雷光槍を借り受けると自身の一部で包み、姫愛用のハルバートに見せ掛けた。
ジュール子爵領の関所に詰める兵士たちは、突然来訪した麗しい美貌の姫に狼狽した。自ら馬車の御者を務める姿に若干の違和感を覚えたものの、姫の代名詞とも言えるハルバートを振り回され、慌てて通行を許可していた。
その日は戸数が10軒にも満たない、街道から少し外れた集落で夜を明かし、レオンたちは早朝には出発していた。
「シャドウも悪戯が過ぎます。関所の兵士や旅人が目を丸くしていましたよ。もう、お姫様になんて化けないで下さい」
昨夜から何度にも渡る、エレナの抗議であった。やや小柄ではあるが、世間一般では、エレナも相当な魅力がある美少女である。旅の途中で、酔っ払いやキザな男にちょっかいを掛けられたのも、一度や二度ではない。しかし、大陸随一の美女と謳われるフランシーヌ姫と比較すれば、自分は到底及ばないと自覚していた。昨日、姫に化けたシャドウに対するレオンの反応を間近で見て、それを痛感したのである。
「おや、偽者とはいえ、姫がレオンに顔を擦り付けるのは面白くありませんか?」
クククッ、とシャドウがくぐもった笑いを漏らす。
「あ、当たり前です!」
「それなら、あんたもやればいいじゃない」
御者台にいるレオンを顎で差すと、リディアが目をつぶり、顔を擦り付ける仕草をした。
「ななっ? そ、そそそんな事を、わ、私が」
「何をあたふたしてるのよ。そもそもシャドウって体温を感じさせないというか……とにかく冷たいじゃない? 北上して涼しくなってきたし、エレナがやれば身も心も温かくなるわよ」
「で、でもこんな状況で危険ではないですか? レオ様が馬車の操作を誤るかも」
「いいから。こういう時だからこそよ。レオンは喜ぶって。不意にやれば効果は抜群よ」
「レオ様が喜んでくれるなら……。わ、わかりました」
ガタガタと揺れる荷台の中を、エレナが中腰でレオンの方へと近づいていく。シャドウとリディアはレオンの反応を想像し、わくわくしながら成り行きを見守った。
エレナが両手を伸ばし、意を決して抱き付こうとした瞬間、馬たちがヒヒーンと嘶いて棹立ち、馬車は急停車した。エレナは咄嗟に荷台の幌に掴まり、気を抜いていたリディアは、転倒して荷物に頭をぶつけた。
「痛っ! ちょっとどうしたの?」
リディアとシャドウも移動し、前方を確認した。道が二手に分かれており、「直進 サンバリエ 右 カッシーナ」と木製の大きな道標が立っている。
そのカッシーナ方面へ、もぞもぞと進む黒い集団。必死に応戦する数名の冒険者たち。
「あれは……アリ? 巨大なアリの群れだ!」
左側の草地を埋め尽くさんばかりに街道を横断する、猫ほどの大きさがある赤茶けたアリの大群。数千匹どころか、万を超えるかもしれない。これだけ密集していると、地面が波打ってるように見える。群れの中心には、手や顔面に泥を塗った術者らしき者がいた。頭上や周囲には、レオンの顔より大きい黄色の毒蛾が数百匹、ふらふらと飛び交っている。どうやら虫たちを統率しているらしい。
「まさか、あいつが操ってるの?」
「これは大変珍しい。蟲使いのようですね。人を襲うとは解せませんが」
アリの一部が、顎をガチガチ鳴らしてレオンたちを標的として捉えたが、シャドウはまるで他人事のようであった。交戦している冒険者たちは逃げる体力も無いのか、助けてくれと嘆願している。普通の戦士ばかりで、魔法の心得がある者が居らず、苦戦を強いられていた。
「蟲使いだって? とにかく、彼らを助けないと。どのみちやるしかない。エレナ、魔導器を活用して高位呪文を!」
レオンは御者台から颯爽と飛び降り、突撃した。仲間も後に続く。アリは動きも鈍く、個々は弱いが、強力な顎を持ち、集団だと脅威となり得る。レオンは太陽剣に魔力を注入すると、ファイアボールを放った。火球が何発か乱れ飛び、数十匹のアリが爆散する。リディアは早々に片をつけようと、蟲使い目掛けて槍から電撃を放った。しかし、何匹かのアリと毒蛾が身を呈して主人を護った。
「小癪な!」
蟲使いが手をレオンたちの方へと突き出すと、群れの右側が方向転換し、大挙としてレオンたちに襲い掛かってきた。しかし、高熱を帯びたレオンの剣が縦横無尽に斬りまくる。電撃を纏ったリディアの槍が旋回し、「炸裂」の呪文を唱える度に、土砂とバラバラになったアリが舞い上がる。更に大斧を高速で振るうシャドウが加わり、次々と死体の山を築くアリの群れ。
「むっ? 貴様ら!」
先の冒険者たちとは比べ物にならないレオンたちの強さに目を剥いた蟲使いは、総力を上げて襲い掛かってきた。
「インフェルノ!」
前衛の仲間が戦う間に、素早く闇の炎と風の複合魔法を発動させたエレナが、小皿に似た魔導器を握り締める。民家の3階ほどの高さはあろうかという、黒い炎の旋風を操り、ゆっくりと動き始めた。レオン、リディア、シャドウは下がって姿勢を低く保った。
この複合魔法は、魔導器の持ち主であったケッセルの邸宅の庭において、大木を消し炭にした程の業火である。所々に生い茂る草が焼け焦げ、鼻に付く臭いが風に乗って漂う。毒蛾は毒の燐粉を撒き散らす機会も無く、旋風に吸い込まれ全滅。多くのアリも竜巻の中で回転しながら灰と化した。蟲使いも予想を上回る強力な呪文に成す術がなかった。
「ぐおおおおっ!?」
蟲使いは熱風を避けて足元の雑草にしがみつく。術者の心が乱れれば、虫たちの指揮もままならない。統率を失ったアリたちは、草原の彼方へ逃走を始めた。
群れの半数近くを薙ぎ払った地獄の業火が消えると、うつ伏せになって耐えていた蟲使いは身を起こそうとしたが、何者かの足先が眼前にあるのに気付いた。見上げると、鼻先に大斧の刃がピタリと止まった。
「降参しなさい。頼みの綱である虫たちに逃げられては、蟲使いは無力です」
「わ、わかった。降参する」
蟲使いの男は、静かに胡座をかいた。レオンは重傷を負った冒険者を治癒呪文で手当てし、リディアは通行の妨げになる、街道上のアリの死骸を槍で払い除けていた。
「蟲使いといえば、精霊術士と同様に、世俗には関わらず密かにその技を継承する存在。少なくとも、一般の人間と敵対はしていないはずですが?」
「そうだな」
ぶっきらぼうに答える蟲使い。
「まさか、何者かに唆されたとか」
「いや、違う。蟻塚を壊したあいつらを懲らしめようとしただけだ。命まで奪うつもりは無い」
「とんだとばっちりじゃないですか!」
「申し訳なかった。可愛いアリたちの巣を面白半分に壊されて、頭に血が上っていたようだ」
エレナが怒りを露にすると、蟲使いは頭を下げて素直に謝罪した。治療を終えたレオンが来ると、シャドウが説明した。
「そうでしたか。僕たちも身を守るためとはいえ、あなたの虫たちを多数殺してしまいました」
「いや、問答無用で襲わせた私が悪い」
「……彼ら冒険者もかなりの手傷を負いました。双方、これで引き下がるべきではありませんか?」
レオンの仲裁に、蟲使いの男は「うむ」と小声で頷いた。
「では、僕たちは先を急ぐので、彼らにもそれで納得してもらいましょう」
地面に座り込んでいる冒険者たちの方へレオンが向き直ると、彼らは北の方角を凝視して何か喚いていた。
「何を騒いでいるんだ?」
レオンも彼らに倣って、視線を動かした。すると、街道の先に複数の光の門が出現し、正体不明の一団が続々と転移してくる。
「あれは……」
ただならぬ雰囲気を察知し、レオンは緊張した。リディアは早くも槍を低く構え、戦闘態勢に入っている。革や鉄の鎧を装備しているが、手足は長い毛に覆われ、頭部も人間とは異なっている。
「人狼隊だ……!」
蟲使いの男が息を呑み、そそくさと逃げ出した。背中に斜め掛けした剣を一斉に抜き、雄叫びを上げる獣人族の集団。尋常ではない殺気がビリビリと伝わってくる。レオンは厳しい戦いになる事を覚悟した。




