第73話 接触
「ちょっと探ってきたわよ」
三日月型の耳飾りを付けた女が、待機していた仲間に声を掛ける。クライアの町を見下ろせる小高い丘の上に、3人の男女が集まっていた。布を幾重にも巻き付けた民族衣装。黒い髪と褐色の肌。彼らはレオンの命を狙う南方のカマルミード国の刺客、通称ルナトゥリアであった。
「イスラ、ご苦労だった。それで首尾は?」
湾曲した剣・シミターを腰に差す男、ジャハルが労いの言葉を掛けながらも、偵察によって得た新たな情報を急かす。
「黒い御子が捕らえられて、あそこの城に連行されたそうよ。表向きはただの盗賊となってるみたい。だけど……」
「だけど、何です? 早く話して」
双子の妹サミラは、姉のイスラがもったいぶるので、焦れったそうにしている。
「施錠された地下牢から、煙のように消えたそうよ。見張りも気付かぬうちにね」
「先日、我らと刃を交えた時の御子……。あの禍々しき力をもってすれば、牢の破壊など容易いだろうな。それ以前に、おめおめと捕縛されるとは思えないが」
つい数日前、山間の町リムカントの郊外で、レオンをあと一歩まで追い詰めたルナトゥリア。しかし、レオンが全身から黒い光を放ち、不気味に変貌を遂げて恐るべき強さを発揮してからは、まるで歯が立たなかった。腹部に重傷を負ったイスラは、仲間の「月光魔術」の治療を受けたが、完治には3日を要した。
「卑劣にも御子の知人の少年を2人、人質にして投降を呼び掛けたらしいわ。隊を率いるのは、第2王子のべネットという人物よ。今は脱獄した御子の捜索に大わらわみたいね」
腹を擦りながら、双子の姉はフンッ、と鼻を鳴らして城に侮蔑の視線を向ける。
「うーん……御子はどうやって牢屋から脱け出したのかしら……。他に変わった事は?」
「立派な裸馬が1頭、町の西門を走り抜けて外へ出たらしいけど、特に馬が逃げ出したという届け出は無かったって。変な話よね」
妹の問いに、イスラは首を傾げながら答えた。ジャハルは町の様子を眺めていた時に、誰も騎乗していない白馬が街道へ出て、北へと走り去るのを目撃していた。だが、さほど気に留めていなかった。レオンの姿を借りたシャドウが、影となって牢屋の鉄格子をすり抜け、フランシーヌに化ける。更に様々な人物に変身を繰り返して城外へ出てから、白馬になって駆け去るなど、彼らが想像出来るはずもない。
「本当にあの黒い御子は、この世に大災厄をもたらす存在なのでしょうか」
サミラが大それた事をぽつりと漏らしたので、ジャハルが目を剥いた。
「大神官様の御神託は絶対だぞ!」
「そうよ。あんた何をバカな事を言ってるのよ?」
自身の耳にぶら下がる星を象った耳飾りを指先で撫でながら、サミラは遠い目をしていた。
「私たちが白い法衣の御子を仕留めた際、黒い御子の少年が見せたのは、激しい怒りと深い悲しみ。白い御子の亡骸を抱えて去りました。それに悪の化身ならば、人質を救うためにむざむざ捕まるでしょうか」
「何かしらの意図があったのだろう。もういい。下らん議論は終わりだ。奴が人智を超えた、滅ぼすべき存在なのは確かだ」
「でもあんな化物どうやって倒すのさ?」
イスラに指摘され、苦虫を噛み潰したような顔をして、ジャハルが唸る。この男にとって、敵に背を向けて逃げたのは屈辱でしかなかった。
「……あの暴走状態になる前に仕留めるしかない」
絞り出すように呟いたジャハルは、先日レオンが仲間と離れて一人きりでいたのが、いかに千載一遇の好機だったのかを悟った。
「あら? 城から誰か飛び出して来ました」
サミラの声にジャハルとイスラも目を凝らすと、城門から騎馬が1騎町へと向かっていく。ジャハルが両手の親指から中指までの先端を合わせて眼前に輪を作り、魔力を込めた。町の様子が拡大され、人々の顔や動きが手に取るように分かる。月光魔術の1つ、「遠見」である。騎乗する者に合わせると、その顔が鮮明に映し出された。
「ん? あれは聖地で見た姫君ではないか」
「あの綺麗な顔したお姫様か。何やら黒い御子にご執心のようだったけど」
町の西門から街道に出て、進路を北に取ったフランシーヌを見て、ジャハルの目が輝きを増した。
「……! イスラ、サミラ。姫の後を追うぞ」
姉妹は合点がいかず、不服そうであった。ジャハルはニヤリと笑う。
「姫は本物の御子の行き先を掴んだに違いない」
「どういうこと? 捕まっていたのは偽者だと言うの?」
「おそらくな。説明は後だ。行くぞ」
捕縛されていたのは、御子があの力で生み出した分身のようなもの、とジャハルは解釈した。姫は本体の居場所に心当たりがあるのではないか。真っ先に北へ駆けていくのを見て、そう推測したのである。
丘の麓には、どこから調達したのか馬が3頭、木に繋がれていた。3人が駆け下りようとしたその時――――
「もう少し話を聞かせてほしいなぁ」
「!?」
不意に背後から親しげに声を掛けられ、ルナトゥリアの3人に戦慄が走った。瞬時に振り返り武器を取って身構える。
(この至近距離まで、我らに全く気配を悟らせないとは……。)
ジャハルの背筋を冷たい汗が流れ、神経が高ぶる。静かに佇立する、灰色の髪をした青年。右手には何色にも明滅する奇妙な剣を携えている。身に付けているのは白い布切れの腰巻きだけで、上半身は裸。細身の割りには筋肉質で、均整の取れた身体をしていたが、それが却って異様に映った。
「ああ、こんな格好で失礼。変わった魔術の波動を感知したから、来てみたんだ。月光魔術だね? 初めて見たよ」
「何者か!」
ジャハルが鋭気を込めて凄んだが、青年はにこやかな表情を崩さない。
「私はノエル。まだ完全に目覚めてから日も浅く……。ははっ、それはいいや。で、君たちこそ何なの? なぜレオンを狙うのかな?」
「盗み聞きしていたのか!」
「そう、暫く前からね」
「貴様、御子の仲間か?」
「とんでもない。違うよ。それより御子? 御子って……。えっ? レオンが古くからの伝承にある『運命の御子』なのかい?」
ノエルは大袈裟な身振り手振りで驚いてみせたが、妙に嘘臭く、不自然な動作であった。
「何なのこいつ……。不気味ね」
「珍しく同感です。でも敵意は無いみたいですね」
姉妹はすっかり拍子抜けし、構えを解いた。ジャハルもシミターを鞘に納める。
「そうだ。黒い御子レオン。我らは神託に従い、御子の命を奪わんとする者」
「そうかぁ。彼とは昨日会ったけど、道理で普通じゃないと思ったよ。惜しかったな~。そうと分かっていれば……。ああごめんなさい、こっちの話。それなら手を貸してあげようか? ささやかな贈り物さ」
唐突な申し出に戸惑うルナトゥリアを尻目に、ノエルはにこにこしながら光の門を出現させ、微笑みながらそこへ手を突っ込んだ。
◇ ◇ ◇
一方でレオン・エレナ・リディアの3人は、事前に定めた合流地点である、街道沿いの村で小休止し、シャドウが来るのを待ちわびていた。
「遅いな。ラルフとビリーは無事に解放されたのかな。まあシャドウの事だから、捕まっても逃げるのは簡単だろうけど」
街道に面した旅人相手の飯屋に入ったものの、レオンはちょくちょく街道へ出ては、背伸びして南の方角に目を遣った。
「ほらほら、レオ様も一緒に食べましょうよ。あっ、パンお代わり下さい」
エレナはこの地域の名産である蜂蜜をパンに塗りたくって、頬張っていた。パンから垂れて指先に付くと、丁寧にねぶっている。
「夕飯前に食べ過ぎじゃないの?」
頬杖をついたリディアが、自分も口周りをベタベタさせながら、エレナに注意した。
「そうだよ。夕食が美味しく食べられなくなる」
席に戻ったレオンにまでたしなめられ、エレナは膨れっ面になった。
「大丈夫です。そんな事を言うなら、レオ様の分も頂きます!」
エレナは、小さな素焼きの陶器にまだ殆ど残っているレオンの蜂蜜を、サッとぶん取った。今度はスプーンで直接口に運んでいる。
「ん~甘い。幸せです」
ほくほくした笑顔で急に機嫌を直すエレナに、レオンはプッと吹き出した。リディアもつられて笑っていると、店主の「いらっしゃい」という声が聴こえた。一応どんな人物かレオンが確認しようとすると、後ろから抱き付かれた。
「さあ、参りましょうレオン殿」
その類稀な容姿、凛とした声。フランシーヌに紛れもない。
「ひ、姫さ……」
レオンたちは周囲の目をはばかって、口をつぐんだ。レオンが強引に外へ連れ出されたので、エレナが銀貨を1枚置いて追い掛ける。近くに停めていた馬車の荷台に2人の姿が消え、エレナとリディアは慌てふためき乗り込んだ。
レオンにしがみつくフランシーヌを、エレナが引き剥がしにかかる。相手が一国の姫君であろうと、突然の振る舞いが許せなかった。
「は、な、れ、な、さい!」
元々、剛力で鳴らした姫である。非力なエレナでは、びくともしない。
「ひ、姫様がこんな真似をするはずがない! シャドウ、シャドウだなっ?」
「えっ?」
狭い荷台でもつれ合っていた3人の動きが、ピタリと静止した。
「おやおや、バレましたか。もう少し楽しみたかったのに」
するりとレオンから離れると、いつもの青年の姿になったシャドウがそこにいた。
「良く考えたら、お姫様が独りで来るわけないわね。まったく、人騒がせなんだから」
ほっと胸を撫で下ろすリディアと、プルプル震えるエレナ。レオンも溜め息をついた。
「姫様に接触したんだな?」
「ええ。さすが高貴な方の影は一味違いますね。レオンも絶世の美少女に迫られて、悪い気はしないでしょう?」
「それはまあ……って、何を言わせるんだ」
レオンが横目でエレナを見ると、眉をピクピクさせている。
「なんで私を怒らせるような事をするんですかっ!」
「エレナが嫉妬する様子が可愛くて、楽しいからです」
「なっ……」
赤面して絶句したエレナが、恥ずかしそうに俯いた。
「……それで? ラルフとビリーは?」
レオンが気を取り直して訊ねると、シャドウはフフッと含み笑いを漏らした。
「私と引き換えに自由の身になりましたよ。私の差し出した偽物の宝剣を、べネットは嬉しそうに受け取りました。今頃は血眼になって城内を探しているでしょうねぇ。その有様を見届けられなかったのは残念です」
(本当に困った性格をしているよな……。)
レオンが嘆息していると、シャドウは御者台に移動した。
「さあ、暗くなる前にこの地方とおさらばしましょう。飛ばしますよ」
「ちょっと、わっ!」
急に馬車が発進して加速したので、荷台の3人は体勢を崩して転ぶ羽目になった。レオンたちは夕刻には小さな関所を通り抜け、カルバン地方を後にした。




