第63話 天へ還れ
館の地下に設けられた、ルカの寝室。生贄の血を吸い尽くし、命を奪う食事場も兼ねている。外の激しい雷雨の音も、ここには殆ど届かない。
涼しい顔で侮蔑の言葉を並べ立てるシャドウと、怒りのあまり顔色を変える、実際は館を牛耳っていた少女・ルカ。
シャドウに半人前の吸血鬼呼ばわりされたのが、よほど腹に据えかねたらしく、身を震わせて叫んだ。
「誇り高き血脈を継承するこの私を愚弄するかぁっ!!」
「お気に障りましたか? しかし、よく生き延びてきましたねぇ。称賛に値しますよ。バンパイアなど、とうの昔に絶滅したと思っていましたから」
およそ200年前、バンパイアの血が万病に効能があり、不老不死をもたらすという根拠の無い噂話が大陸全土に流布した。各国の王侯貴族は永遠の命に憧れ、私財を投じて専門部隊を編成し、捜索させた。
欲望にまみれた人間の執拗な「吸血鬼狩り」で、一族が滅ぼされた辛い記憶が鮮烈に甦る。ルカは頭を激しく掻きむしった。
「対象を薬で弱らせ、ここで儀式を行わないと血を吸うことも叶わないようですね? 貧弱な牙に幼い容姿。貴女はバンパイアに成りきれなかった半端者。配下にしたあの兄妹も然り。出来損ないです」
反論も出来ず、呼吸が乱れる。シャドウが1歩前に出ると、ルカは自分の手には負えない相手だと直感し、じりじりと下がった。この地下室から脱出しようにも、抜け穴など無く、唯一の手段は階段から地上へ出る事のみである。
「哀れな……。貴女も配下と同じく私の糧として、大人しく永遠の眠りに就きなさい」
(何者だこいつ? 強大な負の力が滲み出ている……。こ、こんな奴が紛れ込んでいたなんて!)
つい先程まで、ルカは期待に胸を弾ませていた。一昨日、南の空に上がった闇の波動。レオンが発した黒い光の件は、使い魔であるコウモリやカラスによって、すぐさまルカの元へ報告されていた。シャドウが当初から睨んでいた通り、ルカはレオンたちが通過する道を予測し、一行を待ち伏せていたのである。
強烈な負の力を内包する少年。ルカは街道でレオンを一目見て、心が躍った。その力を我が物とすれば、完全無欠のバンパイアになれるのではないか。夜半に棺から目覚めた時、もうすぐ大いなる力が手に入るのだ、と夢見心地だった。ところが一転して訪れた危地。喜びは怒りへ、そして今、絶望へと切り替わる。
「いやああああっ!!」
突如湧き起こった生への渇望。ルカは咄嗟に手近な燭台やコップ、壁掛けの松明等を手にし、闇雲に投げつけた。シャドウはわずかに身を引いて避け、様々な品が石壁に当たって騒がしい音を立てる。それによって生じた空隙にルカが突っ込み、階段を駆け上がっていく。シャドウの予想を上回る俊足だった。
ルカはただただ、シャドウの手から逃れたかった。今にも足首を絡め取られ、階下に引き摺り下ろされるのでは、という不安が脳裏をよぎる。
外見は普通の少女でも、バンパイアの端くれである。ルカは体当たりで安っぽい木の扉を粉砕し、勢い余って壁に激突した。床には飛び散った木片と土塊が4つ。小間使いの残骸だった。
正面玄関へと走り出しながら、ルカはシャドウの言葉に嘘偽りが無い事を知った。もうここに未練は無い。屋外へ出て、闇に紛れ逃走を図る。拠点などまた造ればいい。時を置いて舞い戻ってもいいのだ。今は一刻も早く外へ。
全速力で玄関ホールに達したルカは、階段を降りてきたレオンと鉢合わせた。全身から淡い光を放つレオンにたじろぎ、ルカの足が止まる。
「お、お前まで動けるのか! ど、どけっ! そこをどけえええっ!」
あざといほどの子供っぽさと、無邪気な顔。それらをかなぐり捨て、牙を剥き出し突進してくるルカの姿に、レオンは深い哀しみを覚えた。
「ぎゃっ!?」
強い衝撃を受け、少女の体は後方へ吹き飛ばされた。レオンの放つ光は白く変化しており、指先からの魔力で宙に五芒星を描き、呪文を詠唱している。
「神聖……魔法? なぜだ! 負の……闇の力をその身に宿しながら、なぜ使える!」
うろたえた表情で更に後退ると、ドンッと背中に何かが当たった。ルカが振り返ると、冷酷な顔のシャドウが仁王立ちしていた。
「ひっ!」
顔が引きつり、一声悲鳴が漏れる。怯懦な内面をさらけ出し、ルカは震えを抑えられない。
「レオン、ここは私に任せて下さい」
シャドウはルカに取り憑き、魂まで喰らい尽くす腹積もりであった。レオンは『浄化』呪文を行使しようとしている。獲物をみすみす消滅させるのは惜しいので、シャドウは待ったを掛けた。
そんなシャドウの考えなど露知らず、レオンは大きくかぶりを振ると、右手を突き出した。
「浄化!」
屋根や天井の一部が崩れ落ち、ぽっかりと穴が開いた。そこから清浄な光がルカへと降り注ぐ。シャドウはやむ無く離れた。
「ああ……光に……包まれ……」
浄化の光を浴び、さらさらと砂になって崩れ行く指先、そして体を、ルカは恍惚の表情で眺めた。すっかり穏やかな様子になると、最期にレオンに向けて「ありがとう」と呟いた。
うす高く積もった砂山の中から光る玉――ルカの魂が浮かび、雨雲を割って輝く光の中へと昇っていく。
光の柱が消え、天を仰いでいたレオンの顔面にぽつぽつと水滴が当たる。雨風はだいぶ弱まっていた。
(もし生まれ変わるのなら、次は普通の女の子に……。)
魔物とは言え、レオンはそう願わずにはいられなかった。
「いやぁ、お見事お見事。出来損ないですが、曲がりなりにもバンパイアです。それを一撃で浄化するとは。やはり神聖魔法の威力が格段に向上しているようです。これもあの人のおかげですかねぇ」
褒めそやすシャドウの言葉が、レオンには白々しく感じられた。キアラの名前こそ口にしないが、暗に揶揄しているようにも聞こえる。
「まさかとは思ったけど、バンパイア、か……。僕が呪文の詠唱を止めたら、ルカをどうするつもりだったんだ?」
「何ですか? もちろん、今まで犠牲になった人たちの恨みを晴らすため、八つ裂きですよ」
残酷な宣言をさらりと言ってのけるシャドウ。当然の処置だと言わんばかりである。
「…………」
「言いたい事があるなら、はっきりと話したらどうですか?」
「……それなら訊こう。シャドウ君は……。アントニオとベアトリーチェ、2人を倒した後にどうした?」
「あの兄妹はルカの配下のバンパイアもどきですよ。何を気に掛けるのです」
「兄妹がバンパイアもどきなら、死ねば灰か砂になるはずだ。服が落ちていただけで、そんな痕跡はなかった」
「それで?」
「君が体内に取り込んだ……いや、同化したのか? そうとしか思えない」
かすかに口元を緩ませたシャドウが、じっとりとした目でレオンを見詰める。
「だとしたら?」
「君は今まで『人や生物の影を食べる』という行為を繰り返してきた。それだけでも十分に常識外れな存在だけど、今回は明らかに異質だ」
「フッ……。まあ、それは影を食べる行為の延長線上にある物と考えて下さい。話は終わりです。エレナとリディアは? まさかあそこに寝かせたままですか?」
強引に話を切り上げ、すたすたと階段を上がっていくシャドウの後を、レオンは嘆息しながら追った。
朝陽が昇り、段々と明るくなっていく。雷雲が通過し、一帯は清々しい朝を迎えた。
「ふわ~っ、よく寝た…………ふえっ?」
エレナは自分の手を握ったまま眠る、椅子に深くもたれたレオンの姿にどぎまぎした。
「レレレレオ様? これってどういう……えっと、昨夜は……あれ?」
寝起きの頭を回転させても、昨夜の記憶はよく思い出せない。
「おや、おはようございます」
シャドウが扉をそっと開けて部屋に入ってきた。それを拍子にレオンとリディアも目覚める。
「……あれ~っ、何で勢揃いしてるの? ちょっとレオン、いくらあんたでも女の子の部屋に何の断りもなく、朝っぱらから入ってくるなんて……」
「え? い、いやいやこれは仕方なく……2人が起きないから、物置部屋に隠して。全て終わった後に寝室まで運んで、えー、眠くなって……」
エレナからパッと手を離すと、レオンは大きな身振り手振りで弁解した。
「はぁ? 意味がわからないんだけど」
要領を得ない話にリディアが首を傾げると、シャドウが助け船を出した。
「2人とも危ないところだったのですよ? レオンと私で救出したのです」
「それってどういう事ですか?」
シャドウは深夜に起こった事件の顛末を説明したが、レオンとの会話や、アントニオとベアトリーチェを魂もろとも喰らった事は伏せた。ルカを含めた3人の魂を、レオンが浄化させた事にしたのである。
エレナもリディアも半信半疑であったが、玄関ホールの吹き抜けの天井に穴が開いていること、館から人の気配が消え失せていること。何より地下室の光景に言葉を失い、ようやく信じるに至った。
「お2人とも警戒しすぎとか言ってましたよねぇ? 見識の甘さを痛感しましたか?」
シャドウが腕組みしてふんぞり返る。これには2人とも返す言葉もなく、素直に頭を下げて謝罪した。
「お2人は食欲旺盛ですから、薬の作用が強かったのでしょう。具合はどうです?」
「特に異常は感じませんけど……。私たち、一服盛られてたんですか?」
「ええ。おそらく魔法に対する抵抗力を低下させ、体を衰弱させる類いの物でしょう」
「それじゃあ今朝のあれは……レオンが例の力で治療してくれてたわけか」
「ま、まあそういう事かな」
レオンは夜通しエレナの手を握り締めていたのが恥ずかしいのか、しきりに顔を掻いていた。
厩舎に行ってみると、馬や荷物に異常は見当たらなかったので、レオンたちは出発する事にした。館内を探索し、金目の物を物色しようとするリディアを思い止まらせ、全員で台所から食料品だけ調達した。
旅支度を整え、館を後にする。馬車は軽やかに走り出した。
御者台で手綱を握るレオンの隣で、エレナは手をそっとさすっていた。今朝のレオンの手の温もりが蘇ってくる。
「エレナ」
「は、はいっ?」
不意を突かれたエレナはあたふたした。
「言いそびれたけど……。昨日の服と髪飾り、似合ってたよ。か、可愛かった」
一拍置いて、エレナは感激のあまり瞳を潤ませた。
「あ、ありがとうございます! レオしゃぶぁっ、痛っ!」
口内――唇の裏を強かに噛んでしまったエレナは、痛みで固まった。
「か、噛みました」
「ああわかるわかる。痛いよね。治療呪文を掛けようか?」
チラチラと横目で見たレオンが、プッと噴き出した。
「だ、大丈夫です。さあまずは街道へ出ましょう」
道はあちこちぬかるんでおり、未明まで降った雨の激しさを物語っていた。日光を反射する水溜まりの上を車輪が通り、水しぶきが飛ぶ。
シャドウの言動とルカの最期の顔。かすかな不安と新たな悲しみを心に抱き、レオンは進む。