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第60話 ルカ

「止んだみたいね」


 夜半から降りだした雨が、朝方になってようやく止み、リディアが馬車の荷台から手を伸ばし、掌を掲げて確認する。


 昨日、夕闇の訪れと共に、リムカントの町から追い払われる形となったレオンたち。


 否応いやおうなしに闇夜の移動を開始し、ボラス街道を北へと進んだ馬車は、峠の大木の下で雨宿りしていた。


 葉から落ちる水滴が、ほろに当たって音を立てる。そのまま夜を明かす事にしたレオン一行は、荷台で簡単に食事を済ませると、布やローブを被って眠りに付いていた。


 欠伸あくびをしたエレナが寝ぼけ眼を擦りながら、外に放置していた鍋に溜まった雨水を沸かし、お茶と食事の準備を始める。


「レオ様、朝食が出来ましたよ。起きてください」


「いつまで寝てるの?」


 女性陣の声で、レオンは目覚めた。すぐに起き上がろうとしたが、思わず硬直した。体の節々が痛む。まるで全身が悲鳴を上げているかのようだった。


(痛っ……。昨日の戦いの反動かな?)


 仲間、特にエレナに心配を掛けたくないレオンは、その事はおくびにも出さない。


 にこにこするエレナから木皿を受け取り、暖かいスープを口に運んでいると、レオンの首筋から黒い影が伸びた。


「シャドウも起きたのか」


 いつもの青年に変身したシャドウは、焚き火を挟んでレオンの向かい側に座った。


「おはようございます、レオン。あいにくの空模様ですね。……ところで、何か訊きたい事があるのではありませんか?」


 動きをピタッと止めたレオンは、スプーンと木皿を置くと、顔を掻いたり、目頭を押さえている。エレナとリディアも、食事を中断して交互に視線を走らせた。


 やがて、意を決したレオンがおもむろに訊ねた。


「僕が体内に宿す黒い光。あれはひょっとして……『黒の秘呪』の1つなのか?」


「!」


 エレナが少しむせ返り、リディアは目を丸くする。


「そう思う根拠は何ですか?」


「昨日、僕が正気に戻った後にシャドウが呟いていた内容さ」


 エレナとリディアはその呟きをよく聞き取れていなかったので、2人の会話に口を挟めない。


「ほう……」


「エレナは初めて秘呪を詠唱した後に、身動き出来なくなるほど憔悴した。戦闘に支障は無いけど、僕にも反動らしき痛みがある」


「なるほど。ですが、的外れでしたね」


「そ、そうですよ。レオ様がそんな……」


「…………」


「あの黒い光は、レオンの負の感情が具現化した物でしょう。おそらく、キアラさんの死に起因した力と推測します」


「シャドウ!」


 またレオンの表情が曇ったので、エレナが非難の声を響かせる。


「おっと、失敬。私はあの光が秘呪に近い性質を持つと判断したまでのこと。レオンの思い過ごしですよ」


(本心なのか、誤魔化しているのかわからないな。)


「要はレオンが平静を保てばいいのよ。またあんな事態になっても、私たちが何とかするから。ハハハハ!」


「もう! 軽々しく言わないで下さい! レオ様に魔法を撃つなんて、2度としたくありません」


 リディアに強めに背中を叩かれ、思考が中断されたレオンは、シャドウの真意が推し量れなかった。


 空気は湿り、いつまた降りだすかわからない。もやが掛かり、峠からの眺望は無いに等しかった。食後すぐに出発した馬車は、緩やかに蛇行する山道を降りていく。


 平地に出てから今のところは一本道だが、相変わらず見通しはあまり良くない。道の先はかすんでいる。厚い雲が垂れ込めたままで、遥か遠くで雷鳴が轟いていた。


 ついに、雨がしとしとと降り始め、手綱を握り空を見上げたレオンの額や頬を濡らした。分かれ道に差し掛かり、馬車が停止する。石の道標が置かれていたようだが、何者かによって破壊されていた。エレナは荷台に移って地図を確認する。


「どちらを行っても先で繋がっているみたいです。ん~、右の方が距離的に短いかも? いずれにしろ王国東部の詳細な地図を、どこかで購入した方がいいですね」


「そうだね。では、右の道を行こう」


 レオンはエレナの見立てに従い、右へと進路をとった。段々と雨足が激しさを増す。


「また雨宿りした方がいいよ、これじゃ」


 なめした革のローブをレオンに手渡しながら、リディアがぼやく。レオンもそうしたいのはやまやまだが、街道沿いは一方は切り立った岩肌、もう一方は木々が密集しており、適当な場所が見当たらない。


 稲光がしたかと思うと、遅れて雷鳴が聴こえた。先程より近い。


「きゃっ!」


 エレナがリディアにしがみつく。


「何してるのよ。まさか、雷が怖いわけ?」


「は、はい」


「呆れた。普段、雷系の呪文を使ってるのに」


「フフフ。おかしな話ですねぇ。次は私に抱き付いても構いませんよ」


「シ、シャドウまでなんですか! ま、全く別物です。怖いんですから仕方が……」


 エレナが口を尖らせていると、不意に馬がいななき、馬車が止まった。


「レオン、どうしたのよ?」


「あそこに女の子が」


 全員が前方に目をやると、雷雨の中、道の真ん中に12~13歳の少女が突っ立っている。茶色く長い髪が胸の辺りまで伸び、波うっている。裾からはしずくが滴り落ちていた。


「あの子、こんな雨の中でどうしたんでしょうか」


「うーん、乗せて欲しいのかな? その割には様子が変だけど、声を掛けてみるよ」


 少女が一向に動く気配が無いので、レオンが御者台から降りようとした。すると、スーッと真横に近付いてきた。服は所々、肌が透けて見えるほどにぐしょぐしょに濡れていた。


「旅の方、どこまで行くんですか?」


 ニッと白い歯を見せながら、少女は満面の笑みでレオンを見上げた。


「ずっと北だけど……。君こそどうしたんだい? 家まで乗せてあげるよ」


 少々面食らったレオンであったが、このまま放ってはおけないので、荷台に乗るよう促した。


「ありがとう! でもこのまま進んだら危ないよ。この時季は雷がしょっちゅう落ちるの。毎年のように、住民や旅人が打たれて死んでるよ」


「ひえっ!」


 短い悲鳴を漏らしたエレナは、小刻みに震えた。


「このままだと雷も雨も、もっともっと激しくなる。私がいい所へ連れていってあげる。そこでやり過ごすといいよ」


「レ、レオ様、早くそこへ待避しましょう」


 若干の違和感は覚えたものの、エレナの怯えぶりに、レオンは少女の薦めに従う事にした。


「では案内をお願いするよ。僕はレオン。君は?」


「ルカです」


「よし、では行こうか」


 荷台に乗り込んだルカは、髪や体を拭くこともせず、御者台に身を乗り出してはしゃいだ。


「きゃははっ、楽しい~っ! あっレオンさん、そこを右ー! あとは道なりでーす!」


「ちょっと! そこ閉めないと雨が吹き込むから!」


 眉間にしわを寄せたリディアが、力づくで引き戻した。布の覆いを降ろして固定し、穴を閉じる。溜め息をついたエレナが、きょとんとした顔の少女に問い掛ける。


「なんであんな所でずぶ濡れのまま立ち尽くしてたの?」


「ん~、何でだろ?」


 頬に人差し指を当て、宙に目線を向ける仕草はやけに子供っぽく、あざとさを感じさせた。


「家族とはぐれたの? まさか、人買いや盗賊の元から逃げ出したとか?」


「違うよ。でも私みたいな可愛い娘なら高く売れるかも? きゃはははっ」


(自分で言いますか! それにしても変わった子ですね……。)


 呆れたエレナが口をつぐむと、代わりにリディアが質問した。


「これから行くのは、どういう所なの?」


「着いてのお楽しみ。たぶん、豪華な食事をご馳走してくれるよ」


 それを聞いてエレナとリディアは頬が緩んだが、ますますわからなくなってきた。


(服装からして、普通の村人か町娘って感じだし、裕福とは思えないけど。)


「まさか、()()()を待ち伏せていたんですか?」


 突然ズイッと顔を寄せてきたシャドウに、ルカは初めて表情を固くした。だがそれも束の間で、元の笑顔に戻った。


「見ず知らずの旅人さんを待ってるわけないです。何を言ってるんですか? も~っ」


「そうですか」


 それきりシャドウは押し黙り、エレナとリディアはぽつぽつと訊ねたが、明確な返答はなかった。


 やがて、レオンは立派な門の前に馬車を停めた。木立ちの間から、風に揺れる水面が見える。開け放たれた門扉の向こうに、4階建ての館があった。


 湖の畔に建つ青色の屋根瓦と白っぽい石材からなる造りは、王族か貴族の避暑地といった風情である。


「ここか……」


 レオンは門を潜ると、馬車で中庭にそのまま乗り入れていく。


 その様子を、4階の窓から見下ろす男女がいた。


「お兄様、お客様がいらっしゃいましたわ」


「そのようだね。小間使いに歓待の準備を命じなければ」


「ウフフ……。楽しい宴になりそうですわね」


 真っ赤なドレスを着た女の目が、妖しい輝きを放ち始めていた。

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