第59話 傷心
山々が、水田が、そして盆地全体が真っ赤に染まる黄昏時――
河原におけるレオンとルナトゥリアの衝突に端を発した一連の戦いは、エレナの「黒の秘呪」によって幕を閉じた。その影響で何処かへ飛び去っていた鳥たちが、森へと帰っていく。
シャドウとリディアより少し遅れて、レオンとエレナは町へ向かって並んで歩いていた。
自分を正気に戻すためとはいえ、仲間同士で激闘を繰り広げていた事実に、レオンは心を痛めていた。唯一救いだったのは、その間の記憶が一切無い点であった。
ルナトゥリアに対する憎悪、怒り、殺意。
レオンの心は、意識を失うことで完全に負の感情に囚われ、全身から黒い光を発して戦闘力が飛躍的に向上した。
「レオ様は元々黒い鎧を着用してますけど、本当に手足の先まで真っ黒でした。なんと言うかこう、黒い御子様って感じで」
努めて明るく振る舞うエレナは、両手を目一杯に広げて、黒い光を表現した。
(黒い御子か……。ルナトゥリアもそう呼んでたな。)
意識が飛ぶ前の事を思い返していると、前方から数人の男たちが走ってきて、すれ違った。弓を持ち、毛皮を纏った猟師もいる。皆一様に、レオンに無遠慮な視線を投げかけていった。エレナはムッとしてその背中に悪態をついていたが、レオンは俯いて下唇を噛んだ。
やがて、夕日を背にしたリムカントの町の外観が見えてきた。一際高い見張り台が、長い影を落としている。
東門前では、一足早く到着していたシャドウとリディアが、町の者と揉めていた。
「あっ、来たぞ!」
「あの若者です!」
レオンの来訪を告げる声が、あちこちから上がる。すでに町中に噂が広まっていたが、特に最前の戦いを見物していた町人たちの顔には、恐怖の色が張り付いていた。エレナの召喚した巨大な黒蛇もさることながら、やはりレオンの尋常ならざる風貌が目に焼き付いていたからである。
レオンに集中する視線。御子として好奇と羨望の眼差しには慣れていたが、敵意と怖れに満ちた目が一斉に注がれるのは、心にずしりと堪えた。
(そんな目で見ないでくれ!)
胸に手を当ててうなだれ、叫びたい衝動を必死に抑え込むレオン。その様子に、エレナも胸が締め付けられる思いがした。
どのみち、旅立つには宿屋に預けた荷物と馬車を回収せねばならない。レオンが門に近付くと、町に入れまいと数人の男たちが懸命に門扉を閉じようと試みる。シャドウが怪力を発揮して阻止すると、線の細い男のどこにこのような力があるのかと、周囲から感嘆の声が漏れた。
「彼は元に戻ったの! だからもう危険は無いって言ってるでしょう!」
集まってきた男たちにリディアが怒声を上げると、道を開けろ、と声が聞こえ、人混みが割れて1人の男が進み出た。50代とおぼしきその中年男性は、立派な身形と風格を備えていた。
「私はこのリムカントの町長を務めるロダンと申します。そちらの黒い鎧の若者が邪悪の化身で、凶事を運ぶと町の者から報告を受けたのですが」
「彼がそのような存在に見えますか?」
身の丈の倍はある木製の門扉を、片手で楽々と開放したシャドウが、静かに問う。
「……いいえ。報告とは違い、ただの冒険者か傭兵としか見受けられませんな」
「町長! 今は普通ですが、先刻まで次々にモンスターを倒していた姿は、まさに邪悪そのものでした!」
「モンスターを狂わす怪しげな奴め!」
「町へ入れたら、何をしでかすかわからねぇ!」
そうだそうだ、と賛同する男たち。
「押し通る気か? ま、町で騒ぎを起こして人命や家屋に被害が出たら、お前たちは賞金首……と、討伐対象になるぞ! 立ち去れ!」
先程逃げ帰った冒険者の1人――――革の鎧に身を包んだ剣士風の若者が、虚勢を張る。レオンたちの戦いぶりを目撃した者は、怯懦の姿勢が顕著であった。戦闘だけは避け、このまま黙って、何処かへ去ってくれる事を願っていた。
「そ、そんな!」
エレナは憤慨したが、これ以上揉めて話がこじれ、冒険者ギルドに目を付けられるのは願い下げであった。腕利きの者たちの標的になれば、おちおち眠る事も出来なくなる。
リディアはむさ苦しい男たちと再び口論を始めていた。レオンは無言で立ち尽くしている。
やがて、レオンが道ですれ違った連中が足早に戻って来た。
「モンスターの死体なんかどこにも無かったぞ!」
「田畑は踏み荒らされてたけどよ」
「そんなはずは……。おーい、ギリアン! お前はそこから一部始終見てたろ!? 降りてこいよ!」
見張り台に立つ青年は下から大声で呼び掛けられると、するすると梯子を降りてきた。そして開口一番「すまない!」と頭を深々と下げた。
「でっかい黒蛇が空中から這い出してきた所までは見てたんだけど……。恐ろしくてうずくまってたんだ」
モンスターの亡骸はその黒蛇が残らず平らげるか、巻き付いて異界に引き摺り込み、還っていったのだが、町人は誰も目撃していなかった。
「第一、お前らが言ってたリムだのカシャだの、熊や大猿のモンスターは、深山に棲む奴らだ。こんな人里まで来るものかよ」
猟師の男が疑問を呈した。
「な、何を言ってるんだ。現に農夫や俺たち、大勢が見てる。見張りだって半鐘を鳴らしてただろ!」
数ヵ所で町人同士の言い争いが勃発した。町長が仲裁に入るが、収拾がつかない。
「鎮まりなさい!!」
突然の大音声。シャドウの一喝で人々は動きを止め、一帯は静まり返った。
ここでシャドウは一芝居打った。
「あの戦いの少し前に、南方のカマルミードの戦士たちが通りませんでしたか?」
何人かが、町中で怪我人を支えて歩く浅黒い肌の3人を見た、と申し出た。
「やはり。あそこにいるレオンは、その3人組……ルナトゥリアと呼称する連中に、南方の邪術を掛けられ、あのような変貌を遂げたのです。そうですね、レオン?」
全くの口から出任せだったが、レオンはその嘘に便乗し、小さく頷いた。エレナとリディアも同調する。
「そ、そんな話で納得出来るはずがないだろう」
「それが本当だとしても、なぜこんな山間部であんたが標的になる? おかしいじゃないか」
またざわめきが起こりだしたが、ここは町長ロダンが制した。
「静かに! これ以上の議論は無用です」
「おわかり頂けましたか?」
ニヤリとシャドウが笑うと、ロダンがレオンを見やった。
「レオンとお仲間が呼んでましたが、宜しいか?」
「……はい」
ずっと押し黙っていたレオンが、ようやく口を開いた。
「ではレオン殿。町の者がでたらめを言うとは思えませんし、私は今一つあなたが信用出来ない。よって、あなた方には即刻、この町の周辺からの退去を命じます。どこへなりと去り、二度とこの町には来ないこと」
「何よ、その言い草は!」
これにはリディアがカッとなったが、レオンが宥めた。
「いいんだよ、リディア。町を治める者として、混乱と危険を未然に防ぎ、排除するのは当然の事だ。大人しく従おう」
「宿屋の荷物は?」
「それは私が責任を持って西門まで運ばせます。外を迂回して下さい」
ロダンにそう言い渡されると、リディアとシャドウも引き下がった。
夕闇が迫っていた町の家々に明かりが灯され、人々は松明を掲げた。
その内の1つを貰い受けると、門は固く閉ざされた。暗闇に浮かび上がる門扉。レオンたちは町を囲む柵と壁に沿って、反対側の西門へ歩く事を余儀無くされた。
「フフフ、あの程度の作り話は通用しませんでしたか。今晩の宿だけでも、と思いましたが」
「いや、深夜に襲撃でもされたら困るし。これでいいんだ」
山間の闇は深い。
星空と山々の稜線の境界が、くっきりと判別出来る。
「街道を北へ行くとしても、今夜は野宿かな」
ギュルルルル――――
足音だけが響く中、エレナの腹の虫が盛大に鳴った。
「何? もうお腹空いたの? 遅めの昼飯を食べたじゃない」
「黒の秘呪で、精神力と体力を消費したんです!」
暗くて見えなかったが、弁解するエレナの顔は、真っ赤になっていた。
やがて西門の外へ辿り着き、暫くすると、宿屋の女主人がレオンたちの馬車を引いてやって来た。物陰から荷物が引き渡されるのを確認すると、ロダンは黙って踵を返した。
「日が暮れてから追い出すなんてねぇ。よくわからんけど、モンスターを倒してくれたんだろ? 荷台に食べ物積んでおいたから。私からの贈り物だよ」
女主人の計らいに、密かに食事の心配をしていたエレナの顔が、パッと輝いた。
2頭立ての馬車が、街道を右に折れて北へと進路を取る。エレナが魔法のランタンを点灯させると、リディアが槍にひっかけて飛ばし、道を照らす。
町の明かりが遠のいていき、盆地から山道へ入ると、ふいに消えた。
「どこか適当な場所で夕食にしましょうね」
御者台で手綱を握るレオンはエレナに生返事をしながら、考え事に耽っていた。
(僕は正気を失ってから、ルナトゥリアを……あの3人を撃退したのか? 彼らを倒し、キアラの仇を討つまでこんな事を繰り返すのだろうか……。)
そして、我に返った後にシャドウが呟いた内容。
(確か、術の親和性、相殺……。僕はエレナの呪文に助けられた。ということは?)
導きだされた結論は1つ。
(僕の体内に宿る黒い光とは、黒の秘呪の1つなのか!?)
レオンは戦慄した。かすかに震えるその後ろ姿を、荷台に乗るシャドウは黙って見詰めていた。




