第6話 エステル大橋
田園におけるラバーノの一団との戦いを終え、大街道を西へと進むレオンたち。
なるべくなら野宿は避けたい一心で小走りしていたが、すぐにばててしまった。エレナは杖を頼りに、腰を曲げてなんとか前に進んでるような状態であった。
「レ、レオ様ぁ~……私、急にフラフラしてきましたぁ。念を全力で操るのも、人と戦うのも初めてで……」
「僕もこの剣に、まるで生命力を吸いとられたみたいだよ……」
2人は戦いの後にしっかり休息したつもりだったが、想像以上に消耗していた。
(この剣……柄に埋め込まれた赤い宝石……宝物庫の真ん中に飾られてただけはあるな……次に抜く時は、うかつに魔力を使わないよう、注意しないと)
「エレナは馬に乗って。もう限界でしょ」
レオンはよたよたと歩くエレナを見兼ねて、キアラに乗るよう促した。
「で、でも……」
「もう薄暗くなってきたし、遠慮しないで。さあ」
「ではお言葉に甘えて……」
レオンに手伝ってもらい、エレナはキアラに乗った。そして、レオンがランタンの灯りを点けようとすると、エレナは小さなランタンを取り出してきて、レオンに渡した。それは通常のランタンよりはるかに明るく、光が安定していた。
「これは?」
「母様が発明した、魔法のランタンです。わずかな魔力で一定時間光り続ける、優れものですよ」
「へぇ。どういう仕組みかわからないけど、エレナのお母さんって凄いな」
「私も仕組みまではわかりません。教えてもらう前に、死んじゃったから……」
エレナは悲しそうに、消え入りそうな声で答えた。レオンは雰囲気を変えるため、わざとらしく明るい口調で、
「前から気になってたんだけど、魔法使いと魔術師の違いってなんなのかな?」
と、後ろ向きに歩き出して、魔法のランタンでエレナの顔を照らした。
「攻撃魔法である黒魔法の専門家、という点では同じですね。魔術師は師匠から認定されたり、高位の呪文を複数修得したら自称する人もいます。明確な決まりはないみたいです」
「そうなのか。ひとつ勉強になったよ」
すっかり日が暮れて、空に星が瞬く夜になった。その綺麗な星空は、森を通る道に入ると、ほとんど見えなくなった。
ホーホー、とフクロウの鳴き声がする。小動物であろうか、ガサガサと音がして、茂みが揺れる。闇をつんざく、ギャーッという動物の吠える声。
「夜の森って、意外と騒々しいんだな。それに、闇が深くて不気味だ。何か怪物とか魔物が今にも出てきそうだ」
「近年、この国では、冒険者や傭兵にモンスター・魔物狩りを奨励したので、大街道沿いは、ほぼ安全です。それで交易が盛んになったんですよ」
「なるほどね。なら心配ないか。この魔法のランタンの明かりが魔物や獣除けになるだろうし」
レオンがランタンを高く掲げたり、道の両側を照らしたりしていると、森を抜けた。すると、前方にランタンの明かりらしき灯が見えた。数人が固まって歩いている様子だったが、街道のの右側に現れた建物へと入っていった。
「あ、レオ様、多分あれは宿駅ですよ!」
「宿駅?」
「はい、大街道近くの村や町が共同で、街道に沿った場所で経営する宿屋です。よかったねキアラ、おいしい干し草が食べられるよ」
エレナが首筋をポンポンと叩くと、キアラはフンッと息を吐き、まるで急かすかのように、レオンの背中を鼻先で軽く押した。
その宿駅は塀に囲まれており、街道を挟んだ門の向かい側には、ここを経営する村へと通じる道が、延びていた。
レオンたちが門の前に到着すると、ちょうど宿の主人らしき男が扉を閉めようとしていた。
「おや、またお客さんかい? 今夜は大繁盛だ! いらっしゃい、さぁどうぞどうぞ」
キアラを馬屋へ預けると、レオンとエレナは建物の中へ入った。左に2階への階段と倉庫、正面カウンターの横には台所と食堂があり、宿泊客が食事をしていた。
レオンが1人部屋を2つ、と言う前に、主人はさっさと階段を上がって、こちらです、と案内した。
「今夜は珍しく、お客さんで満室になりました」
「へぇ。そうなんですか」
2階にはいくつもの部屋があり、主人は一番奥の角部屋の鍵を開けた。
「こちらの部屋になります」
そこは小さな窓が1つと、粗末なベッドが2つあるだけの部屋であった。
「ええっ!? 2人部屋? 他にないのかい?」
「あいにくと、空いてるのはこの部屋だけですよ」
レオンは想定外の事態に、激しい動悸がした。エレナを横目で見ると、目を見開いて固まっている。レオンはどうしたものかと、頭に手を当てて悩んだ。
「私は構いません! この部屋でいいです。さあレオ様、食堂へ行きましょう」
「えっ、うん。あっ、それではこの部屋でお願いします」
「はい。では食事を2人分用意しましょう」
2人が荷物を運び入れると、主人は鍵を手渡し、ニコニコしながら階段を下りて、台所へ注文を通した。
レオンとエレナは食堂の端のテーブルに向かい合って座ったが、そわそわとしていた。レオンは背伸びをしたり、天井を見上げたりを繰り返し、エレナは髪の毛を指先にくるくると巻いたり、キョロキョロと食堂内を見渡したりしていた。料理が運ばれてくると、2人は互いの顔をちらちらと見つつも、黙々と食べた。
「そ、そろそろ部屋に戻ろうか」
「は、はい」
ぎくしゃくとした動きで、2人は部屋へと戻り、それぞれベッドに腰掛けた。
「き、今日は疲れたね。あんな戦いもあったし」
「そ、そうですね」
エレナはあたふたと帽子を脱いで、両方の膝頭をぎゅっと掴んだ。
「例の魔法だけど、ああいう念が籠った物って、どこで手に入れるの?」
「大抵の物には、少なからず残留思念がありますけど、今回使用した強さの物はなかなかないです。街へキノコや山菜を売りにいくついでに、古道具屋のガラクタ売り場で買ったり、道端や、ご、ごみ捨て場で拾ったり……」
「ふーん、そうなのか」
「………………」
「………………」
会話が途切れ、部屋が静寂に包まれると、レオンは青黒いウロコの鎧を外して、ゴロンとベッドに寝転がった。それに倣うかのように、エレナも横になった。
「明日に備えて、もう寝ようか。お休み、エレナ」
「はい、お休みなさい」
部屋に持ち込んだ魔法のランタンを床に置いて、2人は眠りにつこうとしたが、心身共に疲労しているのに、目が冴えていた。しばらくすると、2人はほぼ同時に寝返りを打って、互いに背中を向け合う形になった。
(出会って間もない女の子と、同じ部屋に泊まるなんて……。)
(今朝出会ったばかりのレオ様と、こんな狭い部屋で2人きりになるなんて……。)
2人は奇しくも、似たような事を考えていた。
エレナは早く寝なきゃ、と自分に言い聞かせたが、一向に眠れなかった。すると間もなく、背後でごそごそと動く気配がした。
(レオ様も眠れないのかな……。)
エレナがそんな風に思っていると、不意に頭をスーッと撫でられた。その手は、肩までかかった赤毛の毛先まで、何度も同じ動作を繰り返している。エレナは硬直した。
(ふぇっ? レ、レオ様、ななな、何を……!)
やがてその手が離れると、エレナはモジモジしながらレオンの方へ寝返りを打った。
「あ、あの、レオさ……ま?」
なんと、そこにはレオンに抱き付く少女の姿があった。
「わっ!? プ、プルナ? 何を…………あ、シャドウか」
思わず跳ね起きたレオンだったが、すぐにシャドウの仕業と気付いた。
「まったく、脅かすなよ。あっ、エレナにはまだ話してなかったんだけど……」
しかし、レオンの言葉は何もエレナの耳に届いていなかった。眉毛をピクピクと動かし、ゆらりとベッドから立ち上がった。無論、近くに住んでいたとはいえ、交流の無い村人のプルナを知るよしも無い。
「なっ……なんなんですかこの娘は!! いつの間に、どうやって入ってきたんですかっ? もうっ、馴れ馴れしい! レオ様から今すぐ離れなさい!!」
「ち、ちょっとエレナ、落ち着いて! 頼むから」
エレナの思いもよらぬ気迫に、レオンは不覚にも、たじたじとなった。今にもこの狭い部屋の中で、魔法でも使いかねない気色である。ここでようやく、プルナに化けたシャドウが変身を解いて、元の黒い影に戻った。これがますます、エレナを怒らせた。レオンに魔物が取り憑こうとした、としか思えなかったのである。エレナが魔法の杖を手にした時、レオンが飛び掛かって、なんとか抑え込んだ。
「フフフ、レオン、少々いたずらが過ぎましたかね? エレナ、落ち着いてください。私は敵ではありません」
「そうだよエレナ、大丈夫。彼はシャドウっていうんだ」
レオンはシャドウの存在について、その出会いから今日までの3日間の事を、かいつまんで話し始めた。
◇ ◇ ◇
「……というわけで、ちょっと困った所もあるけど、僕の旅の鍵を握る案内役とでもいうか、んー、そんな感じかな」
(…………腑に落ちない部分もあるけど、私はレオ様を信じて付いていくだけ。)
「わかりました。でも、先程みたいに頭を撫でたり、驚かすのはやめてくださいね」
エレナはよほど気分を悪くしたのか、まだ膨れっ面をして、プイッと顔を背けていた。
「王家の直轄地はこの辺りまでです。ガレア公爵領に入るとすぐエステル大橋ですけど、そのまま西へ向かうんですか?」
エレナはそっぽを向きながら、今後の方針を尋ねた。
「そうですね……ひとまずこの大街道の西の終点、ベルカンナポートへ行きましょう」
シャドウが初めて明確な目的地を語ったので、レオンが理由を聞こうとすると、エレナが興奮しだした。
「ベルカンナポート? 昔、母様と姉様との3人で行ったことがあります! 王国のみならず、この中央大陸最大の港町で、様々な航路を結ぶ一大拠点です。各地の珍しい物品が集まってるので、見るだけで楽しいですよ! あ、それから新鮮なお魚が食べられます! 海の幸が豊富で、他にも貝とか海藻とか……あっヨダレが……」
突然、目を輝かせて大きな身振り手振りで勢いよく喋りだすエレナに、レオンは目を丸くした。
「おい、さっきからうるさいぞ! 眠れないじゃないか!」
扉をドンドンと激しく叩く音がして、男の怒鳴り声が廊下に響いた。レオンは丁重に謝罪し、その後はエレナともども、深い眠りについた。
翌朝――小さな窓から入る朝日と、小鳥のさえずりで2人は目覚めた。深く眠れたのか、すっかり疲れも取れ、朝の爽やかな空気を吸い込むと、手足の先まで活力が満ち溢れた。
「いやぁお客さん、昨夜はずいぶんとお楽しみで? 隣の部屋の方が文句言ってましたよ」
「お楽しみって……あっ、いやそれは、違っ……」
宿泊代のお釣りを受け取る際に、主人にあらぬ言葉を掛けられ、しどろもどろになるレオンであった。エレナも気まずい顔をしていたので、手を引いて、そそくさと宿駅をあとにした。
出発してからというもの、エレナは家族の楽しい思い出の地が目的地と知って、気が急いているのか、どんどん先へと歩いた。ある程度離れると、立ち止まって手を振っている。レオンが小さな林とゴツゴツした岩山の間を抜けて、エレナに追い付くと、視界が開けた。
「遅いですよレオ様。ほらっ、あれがエステル大橋です」
その場所からは、石造りの立派な橋の全景が見渡せた。川幅がある分、全長も通常目にする橋とは比べ物にならない。ここは関所も兼ねており、通行料と通行証の呈示が必要であった。橋の両側にはガレア公爵家の兵士の詰所と、いざという時は橋を封鎖出来るように、鉄の格子戸を落とすための塔が設置されていた。
レオンの一行が到着すると、兵士が数人、詰所から出てきた。
「2人と馬1頭か。締めて銅貨8枚だ。通行証も出してもらおう」
エレナは紙の通行証を見せたが、レオンは例の首飾りを出した。兵士の1人が驚いて周りの仲間に耳打ちすると、態度を改めて丁重に通された。
橋を渡り始めると、中ほどに馬に乗った騎士らしき姿があった。槍を手に、道を塞いでいるらしい。数人が立ち往生していたが、なにやら頭を下げて、その騎士の横を1人ずつ通り抜けていた。
「何をしてるんでしょうか?」
「さあ、なんだろう」
騎士はレオンたちが目の前まで来ると、槍をサッと横へ繰り出して道を塞ぎ、居丈高に怒鳴った。
「ここを通りたかったら、そこの籠に金を入れていけ!」
その騎士は兜は着けていないが、全身を鉄製のプレートメイルで固め、左手には騎士が愛用する、幅広のカイトシールドを持っていた。盾の中央にはドラゴンの紋章が刻まれている。
「通行料なら、もう支払いましたけど。なぜあなたにまで渡す必要があるんです?」
1歩進み出たレオンに対し、まだ20歳前後の若い騎士は、フフンと鼻で笑った。
「俺を誰だと思っている? よく聞け。俺の名はラウル=ガレア。ガレア公爵家の次期当主だ。橋の通行料など関係無い。これは俺個人へ納める税金とでも思え」
「王国屈指の大貴族の跡取りがこれでは、先が思いやられるな。民や商人も迷惑だろうね。まっ、僕たちは払いませんけどね」
「そうです。誰が払うもんですか」
エレナはベーッと舌を出した。
「き、貴様らぁっ!!」
ラウルと名乗った騎士の顔が、みるみるうちに怒りで赤黒くなっていくのがわかった。
(レオン、いいですか?)
(なんだ、こんな時に。)
レオンは口を手で隠して、少し下がった。
(あの男の耳飾り、あれを奪い取るのです。こんな男には相応しくない物ですよ。)
(そう言われても……。)
(いいから言われた通りにして下さい。)
「わかったよ。やればいいんだろ。エレナは下がって!」
その瞬間、ラウルの槍がレオンの胸を目掛けて、ビュッと突き出された。レオンはそれを寸前のところで躱すと、槍の柄を両手で掴んで、離さなかった。
「貴様っ、離せっ!」
やがて、橋の両側からやって来た旅人や地元の民が、遠巻きになり、固唾を飲んで2人を見守っていた。レオンは馬上で喚くラウルに対して、ニコッと笑った。