第57話 迫り来る脅威
のんびりと水田の水を調節したり、草むしりをする農民たち。畦道を走り回る子もいれば、赤子を背負ってあやす子もいる。
稲穂が風に揺れ、順調に育っている。この山間の盆地で特産の米を生産する農家の、いつもの風景。
最初に異変に気が付いたのは、子供たちであった。渓流がある山の方角から、鳥たちが騒ぐのが聴こえ、一斉に飛び立っていった。間もなく、土手の上に浅黒い肌をした南方の男女3人が現れ、怪我人らしき真ん中の女を支えながら、リムカントの町へと向かっていく。
ぽかんとして見送った子供たちが次に目にしたのは、黒い革鎧を身につけ、全身から黒い光を放つ少年、レオンであった。
正確には、白い光の輪郭の中が黒く染まっているような状態である。時折、漏れだした黒い光がまるで残像のように後方に流れた。レオンは重々しい足取りで進んでいく。
「ルナトゥリア……殺す……キアラの仇」
呪詛のように、レオンは同じ言葉を繰り返した。その異様な姿に恐怖した子供たちは我先に逃げ出し、近くにいた農夫に助けを求めた。最初は相手にしなかった農夫も、子供たちがあまりに真剣に訴えかけてくるので、作業の手を休め、町へと延びる小道を窺った。
男は一定の距離までレオンに近づくと、子供たちの話が真実である事を悟った。
「な、なんだあれは? 人……なのか? まさか町に向かっているのか! こうしちゃいられない! 町に報せなければ!」
頻繁ではないものの、大型の獣が山から人里へ降りてきて田畑を荒らしたり、小規模なモンスターの集団が町を襲撃する事があった。そのため、畦道に立てた小さな鐘を鳴らしたり、簡単な狼煙を上げる事で、周囲の農家や町に危険を報せる習慣になっている。
瞬く間に、盆地の広範囲に鐘の音が木霊し、狼煙が数ヵ所から立ち上った。
町の見張り台で、夕食や晩酌の事ばかり考えていた当番の青年は、突然の事態に飛び上がった。遠目が利くので、身を乗り出して眼を凝らす。
まだモンスターは目視出来ないが、青年は激しく半鐘を打ち鳴らした。
町の食堂でレオンの帰りを待つ、エレナ、リディア、シャドウ。のんびりくつろいでいると、突如鳴り響いた半鐘。
エレナは大きな魚をぶら下げて帰るレオンの姿を何通りも想像し、楽しく妄想に耽っていたが、急に現実に引き戻された。
「何の音? 騒がしいわね」
リディアが通りを覗くと、町人が慌ただしく動き回り、男は武器を用意している。冒険者ギルドの建物にも人が出入りしていた。
「モンスターの襲撃だ! 店仕舞いにするぞ」
店の主人が興奮を隠しきれずに、上ずった声を出した。見物でもするつもりなのか、血が騒ぐらしい。
「ここは私たちの出番ですかねぇ? 存分に力を奮って……」
そこでシャドウが口を閉ざし、ガタッと椅子から腰を浮かすと、東の空を見上げた。
「どうしたんですか?」
エレナが訊ねても、シャドウは見向きもせず、一言「来る」と呟いた。
モンスターを指すにしては様子が変だな、とエレナとリディアが感じていると、シャドウがくるりと向き直った。
「エレナ、魔導器は持っていますね?」
「ええ、レオ様から預かってますけど、なかなか使いどころがなくて」
「どうやら使う時が来たようです」
「えっ? それほどの強力なモンスターか、とんでもない大群が迫っているんですか?」
「大群ではありませんが……」
「どっちにしろ、腕が鳴るわ」
リディアは強化を施した雷光槍の威力を試したくて、うずうずしている。
その時、町の東門を潜り、レオンと一戦交えたルナトゥリアたちが店の外を通ったのだが、喧騒のせいで3人は気付かなかった。
「この町の連中、あの禍々しい御子と戦うつもりか? それなら好都合だ。今は安全な場所まで逃げ、イスラを治療せねば」
ジャハルは痛みに耐え、うめき声を漏らすイスラを気遣った。
「どうやらモンスターの襲撃と勘違いしているようですが……。先を急ぎましょう」
サミラは姉の容態を確認すると、荷物を預けている安宿へと駆けていった。
「おーい、何か見えるか?」
見張り台に立つ青年に対し、下から声が掛かるが、彼はじっと遠くを見据えたまま答えない。
「あれは?」
青年の目が、レオンを捉えた。まだ大分遠いが、その人らしき者から黒い光の柱が一瞬天高くまで上がったかと思うと、空気を震わせて生暖かい風が吹き抜けた。
「今のは……」
思わず屈んでいた青年が頭をもたげると、稲穂や田畑を踏み荒らしながら、大きな影が接近して来るのがわかった。近隣の山々から降りてきたモンスターであったが、町ではなくレオン目掛けて疾走している。
その黒い光を放つ人物は、剣と魔法を駆使して、襲い掛かって来る敵を次々と倒していく。青年はモンスターを引き寄せる人物に困惑しながらも、下にいる人たちに「モンスターと独りで戦っている人物がいる」と大声で告げた。
エレナたち3人は、店を出て東門の近くまで来ていた。家族を連れて避難してきた農夫が、唾を飛ばして説明している。
「だから、黒い鎧を着た、黒く光る若者だよ! なんと言うかこう、不気味で……とにかく普通じゃない!」
「なんだそりゃ?」
「わけがわからねぇよ。夢でも見てたのか?」
町の人が一向に理解を示さないので、農夫は苛立っていた。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
耳に入ってきたその話に、エレナは心臓が締め付けられる思いがした。風貌をもう一度確認すると、どう考えてもレオンである。
「レオンがまさか、白い光と半々じゃなくて、黒1色に染まったの?」
「そ、そんな……」
つい先程まで帰るのを心待ちにしていたのに、エレナはへたり込んでしまった。
「おい、見張りが言うには、その若者がモンスターをばったばったと片付けてるらしいぞ」
「モンスターはこっちに来ないのか?」
「とりあえず行ってみようぜ!」
腕に覚えのある町の男たちと、冒険者ギルドに滞在中だった冒険者数名を含む、総勢30人ほどが東門から出撃した。
エレナもそれを聞くと、レオンがまだ正気を保っているかもしれない、と一縷の望みを持った。リディアとシャドウに励まされ、どうにか力を振り絞って、皆の後を追った。
町を出て間もなく、今回の件の異常性を全員が認識した。ちらほらと方々の山から大型のモンスターが降りてくるのだが、エレナたち人間の集団には目もくれず、レオンに突進していく。
「おっ、あれか!」
二又の尾を持つ魔犬、ジャッカル。熊が魔物化した、通称リム。その派生型で、フクロウのような頭をしたアウルベア。赤ら顔をした大猿、カシャ。それら、群がるモンスターを無造作とも言える一振りで斬り捨てていく、黒い光を放つ少年――レオン。
その不気味な様相と凄惨な笑みを貼り付かせた顔に、全員が息を飲んだ。早くも後退りする者もいる。
モンスターたちは様子が明らかにおかしくなっており、猛り狂ったか、まるで恐怖に駆られたように歯を剥き出し、唾や涎を撒き散らしていた。
いつしか攻撃が止み、死体の山を築くと、レオンが再び町の方へ歩き始めた。
「こっちに来るぞ!」
「じょ、冗談じゃない! あんなのと戦えるか! 敵わねえよ」
「これは、ギルドの依頼を超えてるぜ!」
及び腰になった町人と冒険者は、ジリジリと下がった。
「ここは私たちにお任せを。皆さんは下がってください」
一見ただの優男にしか見えないシャドウが、大斧を担いで前に出た。そして青白い光に包まれた槍を持った女騎士と、昨今では珍しい魔法使いの少女。全員が黙って従った。
「レオ様、どうしてこんな……」
精霊術士の隠れ里の時より、レオンの容貌は邪悪さに満ちていた。エレナは悲しみのあまり、泣き出しそうになっていた。
「ルナトゥリア……どこだ~っ?」
レオンが憎悪を込めて唸る。黒い光が一段と強くなり、圧倒的な力が感じられた。
「これは、引っぱたいたくらいじゃ元に戻りそうにないね。どうするの?」
槍を低く構えたリディアが、シャドウに問い掛けた。
「エレナ、あなたがやるのです。魔導器と……黒の秘呪を使って」
「私が?」
涙が溢れそうになるのを堪えながら、エレナは魔導器の入った腰の革袋にそっと触れつつ、水晶の杖を強く握り締めた。




