第53話 尖兵
夕焼けに真っ赤に染まる大地と空。山の尾根から射す西日が、色濃い影を落とす――
深い山間にある精霊術士の隠れ里。森に張り巡らされた結界により、外界の者やモンスターの侵入を防ぎ、集落は護られている。
不思議な事にレオンにはその結界が意味をなさず、素通り出来るようであった。境界まであと一歩のところで、茜空から飛来した複数のモンスターに、挟み撃ちにされてしまったレオンたち。
有翼の魔犬を複数従えているのは、昨日倒した合成獣キメラに匹敵する、立派な体躯のモンスターであった。
獅子の体に巨大な蝙蝠の羽。前足の爪は鋭く伸び、尾はサソリで、先端には毒針がある。何より奇怪なのは、深い皺が刻まれた老人の顔をしている事だった。
「また合成獣……しかもマンティコアか!」
「それって確か、南方に生息するモンスターですよね」
「ほほう。少年、それに魔法使いの少女よ。よく知っていたな」
そのしゃがれ声は、モンスターのものであった。
「なにこいつ? 人間の言葉を話せるの?」
リディアは反射的に槍を構えようとしたが、鍛冶師に預けたので手元には無い。
(丸腰で戦う羽目になるなんて。視認出来る距離じゃないと、雷光槍は呼び寄せられないし……。)
鍛冶師の家と工房は、もはや木々に隠れて見えない。普段なら率先して突撃する女竜騎士も、さすがに慎重になった。
「このような山間のわずかな草地に怪しい連中がいると思えば……。グフフッ、ワシも運が良い。お前たちが聖地から去った御子の一行だな?」
「お前のようなモンスターが、どうしてそれを?」
何故自分を知っているのか、昨日のキメラの仲間なのか。そもそも南方の魔物が、こんな北まで出張っている理由は? レオンの頭の中を様々な疑問が駆け巡った。
「南方のモンスター……。よもや、ルナトゥリアの手先じゃないですよねぇ?」
突然のシャドウの指摘に、マンティコアは渋面になると、怒気を含んだ声で吠えた。
「手先だと……? ワシが人間の走狗に成り下がったとでも言うのか!」
「おや、図星でしたか。主人の狩りのお供をする猟犬、といったところですね。獲物はレオンですか。まあこのまま戦えば無駄死にするだけですから、早く主人の下へ帰りなさい」
「だ、黙れ! 八つ裂きにしてくれる! かかれ!」
実際、マンティコアはルナトゥリアの魔獣召喚で呼び出され、レオンの探索を始めた矢先であった。本来なら発見の報告をする義務があるため、すぐさま帰還するべきだったのだが、シャドウの安い挑発に乗ってしまったのである。
総勢20匹はいる魔犬が、唸り声を上げながら前後から襲い掛かってきた。
今回、レオンは戦闘補助の魔法を唱えていない。おまけにリディアは丸腰である。後方はリディアとエレナが対処する事になった。
「はっ!」
掌から電撃を放つリディアであったが、雷光槍も魔唱石も無い状態では、いつもより格段に威力は弱かった。魔犬に致命傷など与えられず、すぐに間合いを詰められ、手足に噛みつかれる。だが、彼女の青竜鱗の鎧は強固である。
「離れろ!」
電撃を至近距離で浴びせると、魔犬の牙が鎧に食い込んだまま欠け、ギャンッと悲鳴が上がる。
エレナは森への延焼を避けるため、火炎呪文は唱えず、氷・雷系の呪文で迎撃した。だが、低位の呪文を連射して寄せ付けないようにするのが精一杯で、効果的なダメージが与えられなかった。
「また……ルナトゥリアか!」
怒りに満ちたレオンの太陽剣がいつもと異なり、高熱を帯びて赤く光った後に、刀身が火に包まれた。斬られた魔犬が一瞬で燃え上がり、絶叫する。
炎がパッと消えると、黒焦げの死体がブスブスと音を立て、厭な臭いが漂った。シャドウも大斧を振るい2匹を倒した。前方の魔犬たちが怯む。
「貴様、魔法剣士か!」
(この力は……。ルナトゥリアに対する怒りでしょうか?)
マンティコアと同様に、シャドウも剣の変化に目を見張った。
「臆するな!」
配下を叱咤し、魔獣の巨体がレオン目掛けて動き出す。それを見て魔犬たちも一斉に飛び掛かった。
「きゃっ!」
その勢いに自然と後退したエレナが転倒した。魔犬の牙が迫る。
「!」
まさにエレナの肢体に噛みつかんとする寸前で、レオンが魔犬の頭部を斬り飛ばして救った。しかし、マンティコアの爪で横殴りにされ、草地にもんどり打って倒れるレオン。口の端から一筋、血が流れていた。
「今の手応え、骨が折れ内臓も損傷したか。神の子といえども、人間とは脆いものよ。止めを刺してやるぞ」
皺面を歪めてニヤリと笑い、魔獣は地面に伏すレオンに歩み寄っていく。
「レオ様!」
目に涙を浮かべるエレナの心は千々に乱れ、呪文の詠唱が上手くいかない。リディアとシャドウも自分の事で手一杯であった。
絶体絶命かと思われた瞬間────
レオンはすっくと立ち上がった。淡く光る手でそっと口を拭い、剣を構えると再び火が噴き出した。
「なんと? かなりの重傷のはず! それが瞬時に回復しただと?」
「うおおおおおっ!!」
周囲を威圧する強大な『気』。
雄叫びを上げたレオンの右半身は黒、左半身は白い光を発していた。その神々しさに、モンスターさえも動きを止めた。
その時、魔犬が数匹悲鳴を上げた。背中や横腹に矢が刺さっている。
「リディア! ほらっ槍っ!」
駆け付けたのは、ターニャであった。雷光槍が主人の下へ飛んでいく。
「よし、これなら!」
愛槍を手にしたリディアが躍動し、斬り立てる。シャドウも大斧で斬り、衝撃波で倒す。レオンの気に当てられた魔犬たちは、明らかに動きが鈍っていた。エレナも集中力を高め、中位の呪文・コールドやサンダーボルトで片付ける。
「あ、あれレオンなの?」
困惑しながらも、弓矢と短剣で援護するターニャ。ついに魔犬は全滅した。
「ぐおおおっ!?」
マンティコアが苦痛でのたうちまわる。レオンが剣を天に掲げると、白い光の柱がその身に降り注いだからに他ならない。
「これは神罰の光。神聖魔法では数少ない攻撃呪文だ……死ね」
レオンの言葉にはゾッとする冷たさがあった。魔獣にも恐怖が芽生えた。配下の魔犬は全て哀れな骸と化し、もはや勝ち目は無いと判断した。
(これは逃げるしかないわ!)
マジックシールドを張ると、マンティコアは羽をはためかせ、ふわりと舞い上がった。だが、リディアも同時に跳び上がっていた。
「はっ!」
電撃を帯びた槍が、片方の羽を裂いた。魔獣が落下し、地響きが起こる。
「降参しなさい。訊きたい事があります」
シャドウが降伏を促して近付くと、マンティコアは尾の毒針による一撃をその胸に叩き込んだ。
「無防備すぎるぞ! ふはは……はっ?」
「効きませんね」
シャドウは毒針を抜くでもなく、スッと一瞬影になり横移動して逃れると、無事なもう片方の羽を大斧で切り裂いてしまった。
「ぐわっ? き、貴様は一体……」
「えっ? 今の何? すり抜けなかった?」
ターニャは目を擦ってパチパチさせたが、誰も答えない。
恐怖に駆られたマンティコアは、里の方へ向けて走り出した。結界は効力が失われており、レオンたちも追う。
傷を負っているせいか、その逃げ足はあまり速くなかった。すかさず、レオンが左手から光の玉を幾つも放った。背中や足に命中し、小さな爆発を起こす。集落の中心地、里長の家の前で、マンティコアは勢い余って倒れた。
騒ぎを聞き付け、集落の家々の窓や扉が開く。子供は悲鳴を上げてすぐに扉を閉め、何人かの大人は魔法の杖らしき物を持って出てきた。レオンたちも追い付く。
「死出の道連れにしてくれるわ!」
死を悟った魔獣は、悪あがきとも取れる最後の攻撃を試みた。
尾を振り回し、先端部分にある小さな無数の毒針を、周囲に飛ばした。レオンが黒く光る右手をかざすと、毒針は消え去った。里の者は地系の精霊術で壁を発生させて防いだ。
次の瞬間には、レオンが身動きの出来なくなった魔獣へと躍り掛かっていた。
「死ね! 死ね! ルナトゥリアの犬め!」
魔獣の悲鳴が木霊する。返り血を浴び、哄笑しながら剣を何度も突き立てるその姿は、正視に耐えないものであった。
その場にいる者は、あまりの無惨な光景に目を背けたり、呆然と見詰めていた。レオンは散々切り刻んだ後、剣を収めると両手をかざした。すると、地面に魔法陣が現れた。
「消滅!」
すでに事切れていたマンティコアは、光の渦に飲み込まれ、塵となった。
魔法陣の光が消えると、レオンはがっくりと膝から崩れ落ち、元に戻った。日も完全に落ちて、急激に暗くなる。人々は家に明かりを灯し、ランタンを片手にした1人が恐る恐るレオンを照らした。
「大丈夫ですか?」
弾かれたようにエレナが駆け寄り、レオンの両肩を揺すった。
「……エレナ? 無事で良かった。あれっ、あのモンスターは?」
「レオ様、何も覚えてないんですか?」
「エレナを助けようとして犬に斬りつけた所までは記憶にあるけど」
「そんな……。でも良かった」
エレナはレオンの胸に顔を埋めて、少しだけ泣いた。
「ね、ねえ。レオンってあんな力を隠してたの? どう見ても普通じゃないんだけど」
若干青ざめた顔で、ターニャが呟く。リディアは救援に来てくれた礼を述べてから、さあね、とだけ答えた。
「リン? リン! しっかりしなさい!」
僅かに開いた里長の玄関の扉から、里長サビーネの悲痛な声が漏れ聞こえてきた。レオンたちや里の者が集まって扉を開けると、7~8歳位の少女が倒れている。
その右手の甲や手首に、毒針が何本か刺さっていた。外を覗いた際、慌てて扉を閉めて難を逃れようとしたが、間に合わなかったらしい。強力な毒により、すでに紫斑が出ていた。里の者が解毒の精霊術を掛けたが、効果は無かった。
「あなたよ! あなたのせいで娘が! やはり災いをもたらす者だわ!」
取り乱したサビーネが、レオンを激しく非難した。
レオンは顔を曇らせたが、何も言わずしゃがむと少女の手を取った。レオンか白い光を放つと、毒針がぽろぽろと抜け落ち、紫斑が消え、少女は目を覚ました。
「おお、リン!」
サビーネがレオンを突き飛ばすようにして押し退け、我が子を抱き締めた。わあっと歓声が上がる。
「し、失礼しました。……中へお入り下さい」
自分の行動を恥じたサビーネが、レオンたちを奥へと招き入れた。
「…………」
1人だけ外の離れた場所から眺めていたシャドウは、ゆっくりとした足取りで家の中へと入っていった。




