第42話 辺境の地で
レオンたちの乗る馬車が、光の柱に包まれて消え去った直後――――
悄然として座り込むシンシアの前に、門番や見張りを始末した、クロードとキースが現れた。
「おい、今のはお前の仕業か? 御……いや、あの冒険者たちをどこへやった?」
クロードが少女の首に、剣の切先を突き付けて脅した。
だが、その返答を聞く前に大地が激しく揺れ、つんざくような轟音と共に、古城が崩壊を始めた。城だけでなく、四隅の尖塔や小さな庭園、アーチ状の入口……。丘の上全体に波及している。
クロードはやむ無く、無気力状態のシンシアを連れて退避した。坂を全速力で駆け下りる。街道まで達してから振り返ると、丘の中腹で崩壊は止まっていた。
大量の砂埃が晴れると、城の痕跡など、どこにもなかった。これでは、城内にいた盗賊団に、生存者がいる可能性は皆無である。
悪名高い『鉄血団』は、壊滅した。
「あ……」
愛しい首領の遺体、略奪した金品、そして盗賊団の仲間たちも全て、飲み込まれてしまった。一声漏らしたシンシアの胸に去来したのは、空虚。果てしない孤独感であった。
「今のも、お前がやったのかい? ド派手だねぇ」
キースがヘラヘラしていると、シンシアは胡座をかいた。
「違う……違う! あいつがやったんだ。斧を床に叩き付けたと思ったら、大広間が……。それに、矢が効かない。人間じゃ無い、あんなの……」
「……?」
シャドウの能力を知らないボルダンの特務部隊は、シンシアの話す内容が理解出来なかった。今一つ要領を得ないので、クロードは質問を変えた。
「では、あの転移魔法は? あの馬車を何処へ飛ばした?」
「転移……魔法? あいつらは、消滅したんだろ!? 私はあの人の……仲間たちの仇を討ったんだ!」
2人に食って掛かったシンシアは、あっけなく地に這わされた。クロードが腹這いになったシンシアに馬乗りになり、髪の毛を掴んで毟った。
「寝惚けるな。お前、何か天に掲げていただろう? 魔法の珠か知らんが、あれは転移魔法だ。かつて目撃した事がある」
「……あれは旅の商人から……巻き上げた物だ。詳しくは知らない」
頭を押さえ付けられたシンシアは、身を捩って暴れたが、虚しい抵抗に過ぎなかった。その際に、宝珠が懐から転がり落ちた。
つい先程までは、乳白色の宝珠は艶やかな光沢を放っていたが、輝きが失われていた。灰でも被ったかのように、やや変色している。
「これか。余計な真似をしてくれたな」
「隊長、それを使って追い掛けましょうよ。おい姉ちゃん、使い方は? 盗賊風情が熱くなるなよ」
その黒き魔剣・悪魔の啼声の柄で、シンシアの手の甲をグリグリと躙るキース。その疼痛に、少女の口から呻き声が漏れる。
「待て。この宝珠は魔力を失ったようだ。回復するには、それなりの時を要するだろう。おい女、じっくり話を聞かせてもらうぞ」
敵意を剥き出しにするシンシアを、クロードは手刀で気絶させた。近くの村人たちが少しずつ集まり、丘を見上げて口々に騒ぎ立てるのを尻目に、特務部隊の2人はシンシアを担ぎ上げて立ち去った。
◇ ◇ ◇
いざ坂を下って盗賊団の手から逃れようとしていたレオンは、光に包まれ馬車が宙に浮かんだかと思うと、周りの風景が一変しているのに驚いた。
鳥のさえずり。
爽やかな空気。
寒冷な北部地帯にいたはずなのに、ぽかぽかと暖かな日差し。
「みんな無事か?」
御者台のレオンが白い幌に覆われた荷台を覗くと、エレナ・シャドウ・リディアの3人も、同様に戸惑っていた。
全員が馬車から降りて、周辺の様子を探り、観察する。森の中にぽっかりと開けた空間、その中央にいた。馬車の真後ろには大木が1本、それと苔むした石碑。レオンは何が刻まれているのか気になり、顔を寄せたが、文字は判読出来なかった。
(……心なしか、シャドウが封印されていた場所の石碑に似ているな。)
「レオ様、何かわかりました?」
「いや……。それにしても、何事だろう」
「シンシアが何か天に掲げたのが見えました。おそらくは……」
「強制的な転移魔法、ですね」
エレナの言葉を継ぐように、シャドウが断言した。
「転移魔法……」
「しかも馬車ごととは、かなり膨大な魔力が必要です。何かしらの魔法道具を使用したのでしょう」
「攻撃ではなく、何故そんな事を?」
当の本人であるシンシアは、レオンたちを倒すつもりで使用したのだが、意に反した結果をもたらした。レオンが困惑するのも無理はない。
「さて、それはわかりかねますが」
「そんなことはどうでもいいよ! ここは何処なの? 早く現在位置を確かめなきゃ」
リディアが石碑を背にして、行進するかのように、手足をきびきびと動かし真っ直ぐ歩き出した。顔を見合わせたレオンとエレナは、苦笑して後に続いた。森といっても木々は密集しておらず、起伏もなだらかで、馬車が進むのに支障はなかった。
エレナが馬車の手綱を握り、レオンは後方を警戒する。リディアとシャドウは、馬車の通行の妨げになりそうな石をどかし、枝葉を払った。
途中、ゴブリン数匹や化けキノコ、大ネズミなど、弱小モンスターの襲撃が幾度となくあったが、物の数ではなく、悉く倒した。
シャドウは体内から大斧をズズズッと取り出し、戦いに用いた。盗賊団の首領、ルードの持ち物であったが、自分の物としたらしい。しばらく愛用していた鋼鉄のメイスは、いつしか消えていた。
(これからは、あの斧で戦うのか。魔唱石が嵌め込まれているようだけど……。ルードと同じ衝撃波を放ってたな。シャドウは魔力なんて無いはずじゃ?)
折を見て訊いてみるか、とレオンが考えていると、どうにか森を抜け、細い道に行き当たった。
前面には荒れ地が広がっており、所々に生えた草が、風にそよぐ。
肌で感じる気温と風景からして、かなり南に来たことは疑いようが無い。太陽の位置を見て、レオンは北を目指し、右に進路を取った。
荒涼とした大地を過ぎ、草原を抜け川を越えると、野菜畑があり、ようやく小さな村が現れた。もう夕暮れである。
「あそこに泊まるか。ここがどの辺なのか訊いてみよう」
小さな宿屋兼酒場が1つあるだけの、のどかな田舎村であった。そこで現在地について訊ねると、エリクセン国でも南東部の、ダクランという村だという。
地図で確認すると、南のカマルミード国との国境に近い、まさに辺境と呼ぶに相応しい地である。
「フフフッ、思い切り飛ばされましたね」
「笑い事じゃないでしょ、シャドウ! ここから鉱山都市グリムガルに行くとなると……」
酒場のテーブルに地図を広げたリディアが、現在地を指でトントンと叩く。
「今度は東回りでこのまま北上することになるね。そうすると、ここは避けて通れないな」
街道を指先でなぞっていたレオンは、とある地で止めた。
『マーゴ』と記されている。
「そこは聖地になっている、レオ様の……」
身を乗り出したエレナの顔が、パッと明るくなり、目の輝きが増した。
「うん、僕の故郷だ」
レオンの帰郷は、7歳の時、御子に認定されて王都へ移って以来、10年振りになるのだが、気分が高揚することはなかった。
母の死後、後妻を迎えて自分を邪魔者扱いした父。厳しく当たる継母。全く懐かない、腹違いの幼い弟妹。家族の楽しい思い出など、殆ど無い。
「へー、ここの出身なんだ。……家族がいるんでしょ? こっそり顔でも出したら?」
沈鬱な表情で地図に目を落とすレオンに、リディアが実家に立ち寄る事を勧めたが、レオンはかぶりを振った。家庭の事情は誰にも話した事がなく、仲間にも知られたくなかった。
「いや、実家は『御子様の生家』として、巡礼地になっているらしい。小さな村が聖地と呼ばれるまでに変貌を遂げるなんて、思いもしなかった。僕の家族は大勢の信者から多額の寄進を受けて、大きな家を建てた。そう教団の者から聞いたよ」
「でしたら、そちらにご挨拶を! レオ様のご両親にお会いしたいです」
「嫌だ! 行くもんか!」
激しい剣幕で拒絶され、エレナは悲しげにうつむいた。
「ご、ごめんなさい……」
「なんでそんなに怒るわけ?」
リディアは謝るエレナを見て、抗議した。
「……あっ、こちらこそ怒鳴ったりしてごめん、エレナ。たとえ家族といえども、僕の居場所が特定される危険は避けたいんだ。街中だってそうだ。僕が子供の頃を知る人が、面影で気付くかもしれないし。顔を隠して、なるべくならマーゴは素通りしたいな」
「……ここはレオンの意見を尊重しましょうか」
シャドウが静かにそう述べると、エレナとリディアも何かを察したのか、レオンに賛同した。
◇ ◇ ◇
エリクセン国の王都・エリクシアのほぼ真南に位置する、カマルミード国の王宮、パラティウム――――
峻険な山の頂にある、その宮殿の某所に、浅黒い肌をした数人の男女が、密かに集まっていた。
そこは、月の女神を祀る神殿であった。奥には、三日月と星を象った紋章を頭上に戴く、美しい女神の石像が鎮座している。眼には青い宝石があしらわれ、その神秘性を高めていた。
「……神託は下された。伝承にある『大災厄の日』は近い」
「大神官様、それでは?」
「うむ。隣国で『御子』と称される者、そやつが大きく関わっておる。……その者を消せ! 災いを未然に防ぐのだ」
「……その御子は、何処に?」
大神官と呼ばれる白髪の老人は、胸まで伸びた顎髭を撫でた。
「このマーゴという奴等の聖地で、事は起こる。宿命を背負った者たちが、集う……。行け、ルナトゥリアよ。御子の息の根を絶つのだ!」
「はっ、女神ミテラに誓って、必ずや」
男1人と女が2人、計3人が一礼すると、勇躍し出発した。
新たな脅威が、レオンに迫る。聖地マーゴは、今や風雲急を告げる地になろうとしていた。




