第33話 潜入
マルマラの街角で、硬貨と魔導器を入れていた革袋を、レオンから盗もうとした幼い兄弟。シャドウに見咎められ、取り押さえられた2人は観念し、おとなしく従った。
シャドウは弟を抱き抱え、兄の首根っこを掴まえたまま、街中を歩いた。買い出しを終えたレオンたちは、一旦宿屋に戻り、部屋で話を聞く事にした。すると、兄はキーノ、弟はユンと名乗った。
「まずは着替えだな」
ユンは捕まえられた時に、シャドウの迫力に恐怖し失禁していたので、レオンは宿屋に洗濯を頼み、通りで買い求めた古着に着替えさせた。
「なんで赤くなってんのよ」
リディアが肘でエレナを突っついた。
「だ、だって……」
目の前で素っ裸になったユンを、直視出来ないエレナであった。いくら幼児とはいえ、男性の裸を見るのは恥ずかしいらしい。
兄弟を壁際のベッドに座らせ、レオンたちが取り囲む。リディアは椅子を引き摺ってきて、背もたれにしがみつくように、逆向きに座った。
「そろそろ話を聞こうか。ボルダン人らしいけど、君たちはスリをするために、わざわざ国境を越えて来るわけじゃないんだろう?」
レオンは努めて優しく問い掛けた。
「スリはついでだよ。ここで集めた情報を売るんだ」
「盗られた方はたまったものじゃありませんねぇ。ま、抜け道に案内するなら、不問にします。あるんでしょう? そういう道が。断るなら、役人に突き出しますよ」
「……本当だな? 秘密の抜け道を教えればいいんだな」
キーノはまだ怯えている幼い弟を庇うように、しっかりと抱き寄せた。
「やはりありましたか」
「約束する。でも、そのままボルダン国内まで案内してもらう。盗みも辞めるんだ。それが条件だ」
厳しい表情になったレオンが、条件を提示した。
「……あんたたちは、俺たちの国に何しに行くんだ?」
敵意に満ちた眼差しで、警戒の態度を崩さないキーノ。
「疑う気持ちもわかるけど、僕たちは諜報員とかじゃない。近々予定されている戦争には反対だ」
「…………」
(聖戦と称する今回の戦いに、僕が神の御子として参加するはずだったと知ったら、この兄弟はどう思うだろうか……。)
子供の足で2国間を行き来するのだから、国境に近い村に住んでいるのであろう。エスクーダ城塞が陥落し、国境を突破されたら、彼らの村も略奪され、戦火に焼かれるに違いない。
そんな憂いを帯びたレオンの瞳に、兄弟も何かを感じたようであった。
「兄ちゃん、この人は悪い人じゃないよ」
シャドウに捕まってから、捨てられた仔犬のように震え、怯えていたユンが、初めて口を開いた。弟の言葉に後押しされたのか、キーノは少し考えた後、レオンを仰ぎ見た。
「わかった。何をするつもりか知らないけど、案内するよ。だけど、俺たちの村には連れていけないぜ」
「フフッ、心配せずともそちらに用はありません。すぐ帰りますから。それに、よそ者の我々は目立ちますし」
「よし、決まりだな。まだ昼前だし準備が出来次第、出発しよう」
レオンは宿代を数日分前払いし、馬車と荷物の管理、馬の世話を頼むと、ボルダンへ向けて出発した。
一方その頃、ボルダンでは――――
ゴラン王が、居城ブリスクスの玉座の間で、酒杯を傾けつつ、険しい顔で配下の報告を聴いていた。
「特務部隊からの連絡は途絶えたままか?」
「はっ。残念ながら……」
「クロードめ! 何をしておるのだ!」
怒ったゴランは、酒杯を配下の足元へと投げ付けた。酒が赤い絨毯を濡らし、酒杯がカラカラと音を立てて石床を転がった。
ゴランは御子レオンが王都から逃亡した情報を受け、クロード率いる特務部隊に捕縛を命じていた。しかし、間もなく御子と接触するので吉報をお待ち下さい、という一文を鳥で飛ばして来てから、ふっつりと音沙汰がない。
「最近は敵前線拠点のマルマラでも、御子失踪の噂が流れておるそうではないか。御子を捕縛して柱に括り、奴等の前に押し立てたらさぞ愉快であろうな」
「陛下、かえって敵は御子を取り戻そうと躍起になるのでは? 戦意を高揚させては逆効果かと」
立派な顎髭を撫でながら、一見するとむさ苦しい顔立ちの王はフンッと鼻を鳴らし、居並ぶ家臣の1人の意見を退けた。
「いや、敵勢は信奉してきた神の無力さを悟るだろう。工作員を潜入させ、神の御加護はもう無い、終わりだ、負けだと各所で吹聴させれば戦意喪失するに違いない。戦わずして敵は瓦解するであろう。そこを追撃し、版図を拡大してみせようぞ」
そこまで語ると、ゴランは玉座の肘掛けをドンッと叩いた。
「その為にも、そろそろ御子をここへ連れてきて欲しいのだが……。クロードめ!」
湿地帯の戦いでエレナの放った黒の秘呪、黒縄地獄によって、自慢の特務部隊が揃って異次元に飲み込まれたなど、ゴランに想像がつくはずもなかった。標的であるレオンが、自らの領内に潜入しようと計っている事など、なおさらである。
「そろそろ、余が前線へ出向くか。兵の士気も上がるであろう。御子の代わりに、評判の斧槍戦姫でも出てこぬものか? 一騎打ちで組伏せて、我が城に連れ帰るのも一興よ」
これ以上、王を刺激しないように家臣たちはその考えに賛同し、口をつぐむしかなかった。
◇ ◇ ◇
マルマラ近郊の森にある小道を通り、森の中にある集落を経て北西へと突き進む一行がいた。キーノとユンに先導されたレオンたちであった。
「おちびちゃんは足手まといかと思ったけど、なかなかやるじゃない」
実質上の国境であるエスクーダ城塞までは、大人の足でも半日以上かかる。リディアは幼い弟を連れ回す兄キーノの神経が理解出来なかったが、その歳に似合わぬ健脚ぶりに驚いていた。かえってエレナのほうが音を上げそうな始末である。
「へんっ、俺たちはしょっちゅう駆けずり回ってるんだ。ユンを甘く見るなよ! ほら魔法使いの姉ちゃん、ぐずぐずしてると置いてくぞ! 日が暮れる前に、抜け道にたどり着かないと。夜はモンスターが活発になるんだ」
遅れ気味のエレナは、すでに話す余裕もなく、息を切らせていた。その後、体力の限界を迎え完全にへばってしまったので、シャドウが背負って先を急いだ。
「ほら、ここだ」
薄暗くなり、フクロウの鳴き声が響き始めた頃、森の外れにある窪みに穴があり、岩山へと続いていた。キーノが松明に火を付け、入っていく。
入口から暫くは、姿勢を低くしないと進めないほどの高さしかなかった。直前まで背負われていたエレナは、魔法のランタンを魔力で点火し、率先して後に続いた。
「もう大丈夫なの?」
「へ、平気です、さあ行きましょう!」
情けない姿を晒し、これ以上レオンに気を使わせたくないエレナは、空元気を出した。シャドウは大柄な男に変身したままでは面倒なのか、影に戻ってレオンに張り付いた。先を行く兄弟は全く気付かない。
「このまま朝まで過ごすとしましょうか」
「久しぶりだな、シャドウのこの感じ」
耳元でのシャドウの声にレオンが笑うと、最後尾となったリディアが腰に手を当てながら、羨ましそうにつぶやいた。
「あーあ、私もレオンに張り付いて運んで欲しいわ」
穴の中は狭く、所々で枝分かれしていた。初めての者では、間違いなく迷うであろう。同じような岩肌が延々と続くので、前を行く仲間をを見失わないよう、注意して進んだ。
段々と腰を屈める必要が無くなり、穴は縦横ともに広くなった。
「こっちだよ」
キーノの声が反響して、耳鳴りがした。
「どこまで進むのよ。私お腹が空いた」
ついにリディアから愚痴がこぼれたが、間もなくそれなりに広い空間に出た。岩肌が濡れ、地下水が湧き出し池となっている。キーノとユンはすでに水を汲み、湯を沸かしていた。
「今夜はここで休むぜ。俺たちも良くここで寝るんだ」
見ると、簡単な石組みの竈や、藁を敷いた寝床が用意されていた。
兄弟が見ていない間に、シャドウがレオンから離れ、大男になって姿を現した。
「おっちゃんの図体じゃあ、きつかったろう?」
キーノがニッと笑うと、シャドウは涼しげな顔で、そうでもないですよ、と答えた。
夕食を済ませると、エレナとリディアの食べっぷりに唖然としていた兄弟に、レオンが訊ねた。
「こんな事をしょっちゅうして、両親は心配してるんじゃないの?」
「……もう父さんも母さんも死んだ。抜け道を教えてくれたのは父さんなんだ。畑は村の大人に取られちまった。色々と手伝いはしてるから、食い物は多少もらえるけど……。」
「そうだったのか。すまない」
「別に謝らなくてもいいよ。俺たちはいつか、あんな村は出ていってやるさ」
「ただの生意気なコソ泥かと思ったら、苦労してるのね」
「うるさいな、槍持ちの姉ちゃんは! 大体その槍は何なんだよ。俺も騎士や兵士の槍はたくさん見てきたけど、そんなボーッと光る槍なんて初めてだ」
目の前にあるのが、竜騎士の持つ雷光槍と知る由もなく、少年の心は強く興味をそそられた。
「ふふん、2度とお目にかかれない逸品よ。目に焼き付けておきなさい」
リディアが槍から軽く電撃を放射すると、暗い岩肌を青白い稲妻が這った。兄弟は感嘆の声を上げ、リディアはその反応に満足し、得意気であった。
「こんな場所で何をやってるんだ……。全く調子に乗って。ほら、もう寝よう」
魔法のランタンの光が揺らめく中、皆は眠りに就いた。
「あれ? あのおっちゃんはどこ行った?」
明朝、消えかけた魔法のランタンの横で、松明に火を付けたキーノがレオンたちを照らした。穴の先に入って様子を見に行っている間に、エレナはランタンに再び魔力を注入し、起き上がったレオンからシャドウがするすると出てきて、変身した。リディアは寝惚け眼でボーッとしている。
「いないなぁ。……あれっ? おっちゃんどこにいたんだよ」
「フフッ、気にしなくていいんですよ」
そこでユンが最後に目覚め、おはようございますと挨拶した。
「…………。起きたか、ユン。さあ、朝飯食ったらさっさと行こうぜ」
朝食後、すぐに出発したレオンたちは、また狭い穴へと入った。何とか立ったままでいられる高さしかなかったが、昨夜より遥かに楽であった。
どれほど進んだであろうか。ようやく外の光が射し込んできた。緩やかな坂を登ると、深い茂みで覆われた場所に出た。
「俺たちの村はこの先だ」
「では、ここでお別れですね」
「お兄ちゃん、お姉ちゃんさようなら。変なおじちゃんもさようなら」
屈託のない笑顔で手を振るユンに、レオンたちも自然と笑みがこぼれた。
「さようなら」
「すぐ帰るって言ってたけど、結局どこ行くつもりなんだ? 訳わかんねぇや。この岩山伝いに竜を祀った祠があるけど、石像だけで何もないしな」
シャドウの目がキラリと光った。
「帰りは自分たちで何とかしろよな」
キーノが捨て台詞を残し、兄弟は茂みの奥へと消えた。
「さてシャドウ、僕たちはどこへ向かうんだ」
「林や茂みに身を隠しながら、山伝いに北上しますよ」
「……ってことは、キーノの言ってた祠か?」
シャドウがうなずくと、レオンたちは周囲に気を配りながら、慎重に茂みから出て行った。




