第32話 マルマラの街
前日、レオンの一行は、山間の村で死霊使いイヴォールを倒し、その狂気に満ちた、途方もない計画を阻止した。
細い山道を、馬車が下っていく。いつも手綱を握るレオンが珍しく席を譲り、御者台にはエレナとリディアが並んで座っていた。荷台では、レオンがシャドウを正面から見据えていた。
「……どうかしましたか?」
「……魔導器を出してくれないか」
シャドウは無言で腹の辺りに手を入れ、レオンに差し出した。事情を知らない者が見たら、さぞ不気味に映ったであろう。なにしろ、手首から先が体内に消えているのだから。
国中を死者で埋め尽くし、その上に君臨するなど正気の沙汰ではない。イヴォールは最強の死霊使いを自負するだけはあり、その呪文の威力は非常に高かった。レオンは魔導器をかえすがえす眺めた。まだヒビこそ入ったままだが、欠けた部分は復元している。
(これのおかげで、死霊術は無効化され、死者の怨念を吸収して少し修復も果たした。……シャドウはそれを狙っていたのか。)
不思議な紋様が刻まれている事を除けば、ただの小皿にしか見えない。レオンはシャドウに荷台の後方へ移るように促し、腰を下ろすと、魔導器に視線を落としつつ、レオンは訊ねた。
「ここ最近は目まぐるしくて、考えが及ばなかったんだけど……。ちょっと異常じゃないか?」
「何がです?」
「伝説の竜騎士リディアが仲間になり、エレナが太古の伝説の魔法『黒の秘呪』を会得した。それを補助する伝説の魔導器も、比較的あっさりと入手できた。魔唱石だってそうだ。この短期間に、まるで僕たちに吸い寄せられたかのように集まってきた」
レオンは御者台の方に首を回した。女子2人は何やらおしゃべりしている。ガラガラと車輪の音が混じり、よく聞き取れない。こちらの会話も同様に聞こえないだろう。
「僕は偽者の御子だ」
「ええ。そうらしいですね」
「教団が適当に選んだ普通の子供、それが僕だ。本物の『運命の御子』なら、今の状況も納得出来るんだけど。神のお導きで邪悪な存在を討ち滅ぼすために、集められたとか……」
レオンがふと顔を上げると、シャドウは柔らかな表情を浮かべている。
「……雰囲気が変わったね。変身時はずっと無表情だったのが、嘘みたいだ。それに、新たに力を秘めたような印象を受ける」
「そうですか」
「…………そろそろはっきり答えてほしい。君が最初に話した、彼の地とはどこなんだ? 旅の目的は?」
レオンの両眼には、今日こそは聞き出してみせる、という断固たる意志が漲っていた。シャドウは暫くの間、沈黙していたが、やがて重い口を開いた。
「……いいでしょう。お答えします。私の目指す地は、グリムガルです」
「!? グリムガルって、魔唱石の産地だったあの鉱山都市の?」
「そうです。前に、エレナも交えて話しましたね。魔唱石戦争以後、王家によって閉鎖された、様々な噂が囁かれる禁断の地」
「そんな所に何の用があるんだ。君は一体……」
気が昂ったレオンが、腰を浮かせて詰め寄ろうとしたが、シャドウに両肩を掴まれ、その怪力で強引に押さえつけられた。
「落ち着きなさい。あなたが少なからず私に疑念を抱くのも、無理はありませんが……。私がこの世に災厄をもたらすような、邪悪な存在とでもお考えですか?」
「いや、そこまでは……。でも、なぜグリムガルに直行しないんだ」
レオンを押さえていた手を離し、シャドウは元の位置に座った。
「まだ機が熟していない、とでも言っておきましょう。この話はここまでです。今の会話の内容をエレナとリディアに伝えるかは、レオンの判断に委ねます」
「わかった」
◇ ◇ ◇
馬車が山の麓まで降りると、少しはまともな街道に出た。エレナが通り掛かった人を呼び止め、地図で現在地を確認する。
「レオ様~、この先に村がありますよ。今夜はそこに泊まりましょう」
「そうか。もうすぐ日も暮れるし、そうしよう」
その村に宿泊したレオンたちは、翌朝夜明けとともに出発し、西へ進むこと半日、ボルダンとの国境に程近い、マルマラの街に到着した。
すでに前線では小競り合いや挑発行為が頻繁に起こり、いつ本格的な戦闘になってもおかしくない、一触即発の状況であった。マルマラの街はエリクセン王国の拠点として、正規の軍隊が国中から集結する予定となっている。
レオンは本来、魔唱石戦争後の混乱期にボルダンに侵略された領土の奪還、あわよくばボルダンを征服・併合する聖戦の象徴として、担ぎ出されるはずであった。レオンの逃亡により延期を余儀無くされた王家と教団では、まだ公式発表は控えていた。
日が落ち、暗くなった街に明かりが灯った。宿屋に馬車と荷物を預けたレオンたちは、近くにある酒場に繰り出した。
店に入ると、遠慮のない視線が向けられた。エレナとリディアを見て、ヒューッと口笛を吹き、露骨に欲望を剥き出しにする者もいた。傭兵と思われる、人相や柄の悪い連中が多かった。早速、ちょっかいを出そうと席を立った男が、最後に入ってきたシャドウを見て、息を飲んだ。
あちこちで、ヒソヒソと声が上がった。
「お、おいあれって……」
「間違いねぇ、『暴れ牛グラン』だぜ」
シャドウはいつもの平凡な青年冒険者から、屈強な大男へと姿を変えていた。筋肉の盛り上がった太い腕に、愛用の鋼鉄のメイスがよく似合い、凄味を帯びた。レオンたちが空いている席に座ると、隣接するテーブルから、慌てて移動する者まで現れる始末であった。
「ねぇ、シャドウが注目を浴びてない?」
「場所柄を考慮して、以前港町の酒場で会った戦士の姿を借りたのですが。どうやら多少名の知れた人物だったようですね」
「ちょうどいい。効果覿面だよ。絡まれる事もなさそうだし」
「私は食事さえ出来れば満足です」
エレナはその発言通り、周囲の喧騒も気にせず、運ばれてきた料理を口に運んだ。リディアは何杯もビールをお代わりしている。レオンは周囲の客の会話に聞き入った。
「おう、今度のボルダンとの戦争に、御子様が先頭に立つらしいぞ」
「本当か? それ。俺はその御子様が王都から逃げ出した、って聞いたぜ」
「その噂は王家と教団が否定してたんだろ? 城下に御触れも出たらしいし」
「考えてもみりゃ、逃げ出すわけないか。何か城内で騒ぎがあったのは確かだが」
(噂はここにも届いていたか。その御子は目の前にいるぞ。……王家と教団は、僕がいなくても戦争を始めるのだろうか。それとも身代わりを押し立てるのか?)
偽者の御子の、そのまた偽者を擁立する? レオンは自嘲気味に笑った。
冒険者たちが固まっている場所からは、冒険者ギルドにはもう目ぼしい依頼が残っていない、とか、街周辺のモンスターはあらかた討伐された、などと聴こえてくる。
「んで~? この街からどこへ向かうのすゎ。シャドウは魔導器を修復出来る場所に、心当たりがあるんでしょ~ぅ?」
少し酔いの回ったリディアが、シャドウに訊ねた。ろれつが怪しくなっている。
「死者の念が必要なんですよね? それだと墓場とか廃墟とか……古戦場跡……。まさか、最前線で大規模な戦闘に参加するんですか?」
血生臭い戦場になど行きたくないエレナは、早くも沈痛な面持ちをしていたが、シャドウはそれを否定した。
「いいえ、死者の念はおそらくもう十分です。戦場には赴きません。国境を越えて、ボルダン領内に潜入しますよ」
「簡単に言うけど、城塞をどうやって突破するんだ? 警戒も厳重だろうし」
レオンの意見は、至極当然であった。12年前の魔唱石戦争後、エリクセンの混乱に乗じて侵攻してきたボルダンが、数年の歳月をかけて完成させたエスクーダ城塞。岩山の間に築かれた高い城壁を越えなければ、潜入などおぼつかない。
「たとえ上手く入り込めたとしても、私たちの国と違ってよそ者は目立つんじゃないですか?」
「長居するつもりはありません。用があるのは、城塞の目と鼻の先です」
その時、テーブルがドンッと揺れた。真剣な話し合いの最中にも関わらず、リディアは突っ伏して寝てしまった。
「も、もう1杯……」
寝言を漏らすリディアをシャドウが背負い、席を立った。
「もうお開きにしましょう。今夜はゆっくり休んで、この続きはまた明日ということで」
周囲の好奇な視線を受けつつ、シャドウはさっさと出ていってしまい、レオンとエレナも仕方なく後を追った。
「いや~、悪いね。昨夜はつい飲み過ぎちゃって。で、何だっけ? 私たちだけでボルダンに攻め込むんだった?」
「そんなわけないでしょう! たった4人でどうするんですか」
「エレナって本当に真面目ちゃんだね~、冗談よ冗談」
ポカポカと叩いてくるエレナに、リディアは笑いながら、されるがままになっていた。
「ほら、もう出掛けるよ」
レオンが先頭になって宿屋を出た。マルマラは近隣では最大の街だけあって、大いに賑わっている。兵士の数もそれなりにいるが、戦乱を避けて国境付近から避難してきたと思われる、農民たちもいた。子供連れも多い。
「あら、珍しく綺麗な顔立ちのお兄さんね。あなたなら安くするわよ。どう?」
「ちょっ……、あの、僕は……」
通り掛かったレオンの腕を引き、淫靡な女が誘う。この街の娼婦は昼も夜もないらしく、堂々と客引きをしていた。淫売宿からは女たちの嬌声が聴こえ、窓際で女の肩を抱きながら、酒を呷って往来を見下ろす男もいる。
エレナが必死の形相で娼婦を押しのけ、レオンの手を取って引っ張り、その場を離れた。
「レオ様、何やってるんですか。早く買い物を済ませましょう」
レオンたちはシャドウの注文で、松明や目立たない衣服を購入しよと、歩いていたのであった。レオンが立ち止まり、頭を掻きながら通りの左右を見渡した。すると、腰の辺りに何かがぶつかった。
「あ……。お兄ちゃんごめんなさい」
薄汚れた格好をした、5~6歳の子供であった。
「気にしなくていいよ」
「うん、ありがとう」
子供が頭を下げてトコトコと歩き出すと、人混みから声が上がった。
「痛ぇ! 離せっ、離せよっ!」
あっという間に出来た輪の中心に、10歳くらいの少年の腕を捻り上げる、シャドウがいた。
「ちょっと、通して下さい!」
レオンが人を掻き分けて中へ入ると、先程ぶつかってきた子供も、大人の足下をすり抜けて入ってきた。
「どうしたんだ?」
レオンが説明を求めると、シャドウは少年の懐から袋を取り出した。
「スリですよ。レオンにぶつかった子供が、後ろを通ったこの少年に素早く袋を手渡しました。なかなか見事な連携でしたが、私の目は誤魔化せませんよ」
「あっ、その袋は!」
娼婦の色香に骨抜きにされたわけでもあるまいが、レオンは不覚にも全く気が付かなかった。中を確かめると、一昨日シャドウから預かったままの、魔導器も入っていた。
「おや、そこに入れていましたか。危ないところでしたねぇ……。さあ皆さん、もう終わりました。散って下さい」
筋骨逞しい大男の威圧感により、野次馬は去った。
「兄ちゃん!」
「バ、バカ! なんで逃げないんだ」
「ほう、兄弟でスリを……。どうしますか、レオン?」
「盗られた物は返ってきたんですし、もういいじゃないですか」
幼い兄弟の荒んだ生活を想像し、哀れんだエレナが、銅貨を数枚渡そうとした。
「ふざけるな! エリクセンの奴等になんか、恵んでもらいたくねぇ!」
少年は自由な左手で、エレナの手を払った。銅貨が石畳に散らばり、1枚はコロコロと転がった。
「おーおー、エレナの厚意を無下にしちゃって。可愛いげのないガキだね~。私がお仕置きしてやろうか?」
「いや、待って下さい」
シャドウが少年にズイッと顔を寄せた。気丈な少年にも、さすがに恐怖の色がありありと浮かんだ。
「あなたたち、ひょっとしてボルダン人ですか?」
少年の顔色が変わった。答えはその反応で十分であった。
「野性味溢れる目付きに加え、エレナに対する台詞。やはりね。ボルダン人がこの街で盗みを働くと、どうなるかはわかるでしょう? 役人に突き出したら、いくら子供でも、ただでは済みません」
「た、頼む見逃してくれ! せめて弟を村に帰してやりたい……」
「ふむ……。レオン、どうやら国境を越えられそうです」
レオンは怪訝な顔をし、首を傾げた。
「秘密の抜け道を通って、行き来しているに違いありません。罪を許す代わりに、手引きさせるのですよ」
不自然な作り笑いをしたシャドウが、立ちすくんで動けない弟の方も捕まえ、兄弟並んで摘み上げた。よほど怖かったのか、弟は失禁していた。




