第31話 死霊使い(ネクロマンサー)
深い霧に包まれた山間の村に迷い込んだレオンたち。そこは、村人全てが生きる屍――――ゾンビとなって徘徊する恐怖の地であった。その元凶である、死霊使いイヴォールに、シャドウが戦いを挑もうとしていた。
シャドウは左手に握り締めた鋼鉄のメイスをダラリと下げ、ゆったりとした足取りで歩みを進めた。尖端がガリゴリと音を立てて地面を削り、一筋の線が跡となり、刻まれていく。
霧の中にイヴォールが作り出したこの空間は、見えない壁で仕切られているかのようであった。その霧の壁に、ゾンビが鈴鳴りになっていた。
「さて、君は我が野望を潰すそうだが、その鈍重なメイスで叩くつもりかね? 我が死者の障壁の前に、お仲間の攻撃が徒労に終わったのは承知の上かな」
「…………」
(こやつめ……。勝算でもあるのか?)
漆黒の杖で地面を突いたイヴォールが、得意の死霊術を唱えた。
「死霊の怨念!」
怨念の塊である、黒や紫色に発光する小さな髑髏が、四方八方からシャドウに襲い掛かった。
「精神的苦痛を与える呪文よ! フハハハ、いつまで強がっていられるかな?」
ところが、シャドウは涼しい顔をして静かに立っている。取り巻く髑髏も消えてしまった。
「……むっ? よほど強力な魔除けを所持していると見える。ならばこれはどうかな!」
杖を高く掲げたイヴォールが、次なる呪文を唱える。
「負の奔流!」
憎悪や怨み等の負のエネルギーが、さながら滝のように降り注いだ。レオンたちの方へも飛び散ったが、レオンがマジックシールドを唱え、寸前で防いだ。
「くっ……。少しかかっただけなのに、シールドがボロボロになるなんて」
「シャドウは……?」
ピッタリとレオンに身を寄せ、後ろに隠れていたエレナとリディアが顔を出すと、シャドウは何事もなかったかのように、平然と立っていた。
「なっ……! シールドも無しにどうやって凌いだのだ?」
驚いて杖を取り落としそうになり、イヴォールはまじまじと平凡な外見の男を見つめた。
「お~、全然大丈夫みたい。ネクロマンサーのおじさん、効かないみたいよ。大したことないね」
リディアにプライドを傷付けられたイヴォールは、顔を引きつらせながら、一段と強力な呪文の詠唱態勢に入った。
「地獄の雷よ、来たれ! 闇の雷撃!」
杖から放射状に電撃が広がった。これでは避けようがない。更に杖を振り下ろすと、追い撃ちを掛けるように、シャドウ目掛けて落雷した。バーンという凄まじい轟音が響き、白い光芒が走った。
「どうだ! これを食らって無事でいた者などおらぬ!」
強い光と衝撃に目を背けた全員が視線を戻すと、そこには何ら変わらぬ姿のシャドウがいた。
「どうやら無事のようですねぇ。あなたのご自慢の呪文に耐えた、最初の1人となったようです」
シャドウのこの宣言を聞くと、イヴォールは悲鳴に近い叫び声を上げて、狼狽した。
「ふざけるな! 我が呪文を浴びて無事でいられるはずがない! 何者だ、貴様は! 認めぬ! 認めぬぞ! 我は最強の死霊使いだ!」
漆黒の杖に魔力を込めて地面を叩くと、魔法陣が出現した。そこから、大きな鎌を携えた、絵に描いたような死神が召喚された。骸骨の眼窩が赤く光り、真っ黒なローブを纏い、フワリと浮くその下半身は見当たらない。
「あれは死神! あんな存在まで使役するなんて……」
エレナは、いくら実体を持たないシャドウとはいえ、魂を刈り取る死神の鎌に斬られたらどうなるのか、危惧した。ひょっとしたら、何らかの魂を宿しているのかもしれない、と考えたのである。
「死神の鎌は、通常の武具では受け止める事すら出来ん! いくら貴様とて、こればかりは防げまい! 仲間の魂も奪ってやる。お前たちの旅は終焉を迎えるのだ」
しかし、シャドウは微動だにしなかった。
「覚悟を決めたか? フハハハ、私をここまで焦らせるとは、大したものよ。だがこれで終わりだ。行け、死神よ!」
死神の鎌が、シャドウの胸の辺りを一閃した。
「あっ!」
思いの外、あっさりと斬られたため、レオンたちは驚きの声を上げた。
「よし、次はお前たちの番だ」
ところが、死神はそのままの体勢で動かない。
「どうした? 早くあの者たちの魂も……」
イヴォールは杖を前方へかざしたが、死神はピクリとも反応しなかった。それどころか、形が崩れていく。
「なんだとっ?」
あろうことか、死神は消滅してしまった。訳がわからず、茫然とするイヴォールは、シャドウが体内に手をズズズッと、突っ込んでいくのを目にした。その手が再び外に出ると、掌に小皿のような物が乗っていた。エレナの危惧は、杞憂であった。
「な、なんだ? お前の体はどうなっている? それに、その手にあるのは……」
己れの理解の範疇を超えた存在に、イヴォールは恐怖を抱いた。シャドウが1歩、前進する。
「あなた、先程言ってましたよねぇ。闇魔法は親和性があると。私に向けて立て続けに放つものですから、魔導器の修復に利用させて頂きました。欠片が元通りに吸着し、ヒビも若干、消えたようですね」
「そ、それが魔導器だと!? 現存していたのか……。フ、フハハハ……道理で我が魔法が効果が無いわけだ。とうの昔に喪われたと思っていたが……ハッ?」
シャドウから発せられる、異様な殺気と圧力を感じたイヴォールは、後退りすると小石に躓き転倒した。
「よ、よせ! 来るな! 寄るな!」
イヴォールは尻餅を着いたまま、最後の抵抗とばかり、無茶苦茶に杖を振り回した。空いた片方の手で、村長の家の玄関先にある、木のバケツや鉢植え、小石などを手当たり次第に投げつけたが、非常に見苦しいものであった。レオンたちには、惨めさを際立たせただけに思えた。
扉の前に追い詰められたイヴォールは、この期に及んでシャドウの懐柔を試みた。
「ど、どうだ? 私と組まないか? 我らが組めば、きっと……」
(ええ。私はあなたの力が欲しい。)
小声での返答に、シャドウが了承したと解釈したイヴォールの顔は、喜びに満ちた。しかし、それも束の間であった。
(私の糧となりなさい。)
イヴォールから笑みが、消えた。
「何をしているんだ、シャドウは? ここはいっそ、僕が……」
2人の会話はレオンたちの耳には届かず、様子を確かめに走り寄ろうとした。するとその時、シャドウがイヴォールに覆い被さるように倒れ込んだ。ギャーッという悲鳴と共に霧が晴れ、村人のゾンビは一斉に倒れた。その体から、光が天に昇っていった。
「お~っ、壮観だね~」
「綺麗ですね」
エレナとリディアは空を見上げて、雲間に消える光を眺めた。
(ヤツが死んだ事で魔法の霧が消え、村人の魂が解放されたか。どうか安らかに……。)
チラッと空を仰ぎ見たレオンは、にわかに震動を感じた。それはみるみるうちに大きくなった。
「きゃっ、地震?」
エレナとリディアはしゃがみこんで抱き合い、レオンも身を屈めた。ゴゴゴゴ、と鳴動し地面に亀裂が入ったかと思うと、村長の家周辺が陥没し、バキバキと派手な音を立てて崩れ、揺れが収まると瓦礫の山が残された。
「シャドウ!」
レオンが駆け付けると、スルスルと黒い影が穴から這い上がり、いつもの青年へと変身した。
「この崩落は?」
「さて……。地下で何らかの研究をしていたのが、彼の死を機に崩壊したのでは? 彼の死体は穴の底、膨大な瓦礫の下です。もはや知る術はありません。悪行に相応しい死に様ですね」
シャドウ愛用の鋼鉄製のメイスは、穴の縁ギリギリに転がっていた。レオンが察するに、陥没する前に投げたものと思われた。
「最後は何か話していたのか? それに、何を使って止めを刺したんだ」
「…………私を相棒にしたい、なんて言い出しましてね。無論お断りです。まさか絶体絶命の窮地で、敵の説得を試みるとは、面白い人物でしたね」
「……そうか。まあこれ以上の悲劇は食い止める事が出来たんだ。ここに迷い込まなければ、近い将来大変な事態になっていたに違いない。魔導器も少し修復したようだし、エレナのお手柄だ」
そこへ、エレナとリディアがやって来た。
「レオ様~、何が私の手柄なんですか?」
レオンが説明して褒めると、エレナは照れた。
「なんではにかんでるのよ。道に迷ったとわかった時は、涙目になってたのに。たまたまでしょ。偶然よ偶然」
リディアがふざけて泣き真似をすると、エレナは膨れっ面で追い掛け回した。2人はしばらくの間、キャッキャッと走り回っていた。
「なにをやってるんだか。まったく、子供だな」
レオンが少々呆れていると、シャドウはただの死体に戻った村人の遺体を、黙々と集め始めた。
「1人1人埋葬するのは大変ですから……。せめて、この穴にまとめて葬ってあげましょう」
レオンたちも手伝ったが、シャドウが持ち前のパワーを発揮し、その殆んどを巨大な陥没穴に放り込んだ。レオンの太陽剣から発する火球と、エレナの火炎呪文で瓦礫と一緒に燃やし、盛大な火葬となった。
あちこちから黒煙が上がり、女子供の遺体が燃え始めると、一行はその場から立ち去った。背後から、燃えた瓦礫がパチパチとはじけ、ガラガラと崩れる音がした。
村の入口で待たせていた馬の世話をし、軽い休息を終えると、レオンたちは馬車に乗り込み村を後にした。霧の晴れた空は、抜けるように青かった。




