第3話 西へ
王都エリクシアの城下町にある中央広場――――
酒場や大衆食堂も店を閉め、窓から明かりが漏れている家も無く、街灯だけが夜の街を照らしていた。すでに人々は寝静まり、時折、犬の遠吠えが聞こえる位であった。
広場の中心には、白っぽい色の円筒形の石碑が建っており、街道の起点となっている。周囲の2階建ての民家や商店を、遥かに上回る高さがあり、遠目にも良く見えた。いつの頃からか、旅人はこの石碑に触れて旅の安全を祈願するのが習慣となっており、数多くの旅人が触れたためか、手の届く範囲は変色して黒ずんでいた。
この石碑から北側の道は王城へ続いており、その少し先から、貴族や騎士階級の邸宅が並んでいる。そして、東西には真っ直ぐ、馬車が数台横並びになっても、まだ充分に余裕がある、幅広い道が延びていた。古くはクラシオン街道、今では単に大街道と呼ぶのが一般的となっており、その先は、それぞれ巨大な門に通じている。王都は高い城壁に囲まれた城塞都市であり、南門を含めて3箇所の門が、出入口となっていた。
中央広場の北西の角地に、一際目立つ建物があった。立派な店構えをしており、入口の上には王家の紋章である、鳥獣グリフォンが掲げられていた。これは王家御用達商人である事を示している。そう、ここはレオンが乗り込んだ荷馬車の持ち主、ラザンの店であった。
ラザンが荷馬車を止めて、正面入口の扉を叩き、使用人や下働きの者を呼んでいる隙に、レオンはタルから静かに出た。荷物を抱えて近くの路地裏に入ると、身を屈んで通りの方を窺った。
「ほら、うまくいったでしょう、レオン」
「あの荷馬車のおかげだ。幸運だった」
そこでレオンは、ふと思った。
(そういえば、城門の近くに来てから、シャドウは黙り込んでいたが……それに何だ? 今の口振りは? まるで、あの商人の出現と、僕が取る行動を予期していたかのような……。)
かすかな疑念が、レオンの脳裏をよぎった。
「どうかしましたか?」
レオンの微妙な感情の変化を感じたのか、シャドウがレオンの視界を塞ぐかのように、胸元から不意にヌッと出てきた。
「いや、何でもない」
改めて見ると、なんと奇妙な存在であろうか。この黒い煙のような物体が意思を持ち、何処かへ導こうとしているのだ。
レオンはかつて、大聖堂の書庫で、魔物や精霊について書かれた本を何冊か読んだ事があったが、シャドウやそれに類する物は記されていなかった。
(魔物や邪悪な存在ではないとしても、何故、大聖堂の敷地内に封印されていたのか……。)
その時、レオンの視界の角で、何かが動いた。
「ニャー」
一匹の猫が近付いてきたが、シャドウに気付くと毛を逆立て、シャーッ! と怒り、逃げ去った。
「フフフフッ、私も嫌われたものですねぇ。それはさておき、もう街の外へ出ますか?」
「それは難しい。外へと通じる大門は、夜間は固く閉ざされている。衛兵の数も城門とは比較にならない。よほどの事態が起これば、話は別だけど……」
「城内に閉じ込められてた割りには、よく知っていましたね」
シャドウは少し縮んでから、するするとレオンの耳元へ移動し、からかうように言った。
「教団の僕の教育担当は、お喋りでね。教義とは関係無い事も色々と教えてくれたよ。いずれにしろ、門を通るには朝まで待つしかない」
「朝になったら、あのダルバとかいう男も目を覚ますでしょう。すぐ騒ぎになるのでは?」
「僕の部屋の机に、城内を散策してきます、と書き置きを残しておいた。僕が一向に姿を見せなければ、徐々に騒ぎが広まって城内で捜索が始まるだろうが、いきなり逃亡したとは思わないはず」
レオンは両手を上げて、大きく伸びをした。
「御子様が行方不明になるなど、教団にとってあってはならないこと。その事実が城外に漏れれば、国民も大いに動揺するのは間違いない。公然と探索は出来ないさ。あとはダルバだけど、彼は欲に駆られて、大司教や枢機官の許可を得ず、宝物庫の扉を開けた。その挙げ句、高位聖職者の証である首飾りを奪われ、宝物の盗難まで許した。処罰を恐れて、隠蔽する事も有り得るよ」
レオンはダルバから奪った首飾りを懐から取り出すと、指先で挟んで、街灯にかざした。ザウム教団は太陽を神と崇め、象徴とし、紋章やこの首飾りに用いている。その太陽を象った、赤と金色に彩られた模様が、明かりに反射してキラリと光った。
「ダルバが白状しても、最終的に逃亡した、と判断するには何日もかかる。たっぷり時間は稼げる、ってわけさ」
「余裕を感じると思ったら、そういう根拠があったのですか。それに、口調も変わってきました」
「これが、本来の僕さ。いかなる時も、御子に相応しい立ち居振舞いを、なんてずっと言われてたけど、嫌で嫌で、仕方なかった。もう、自由だ。普通の少年らしくしないとね」
レオンは立ち上がると、にこっ、と笑った。
「夜間の外出は禁止されているわけじゃないけど、ウロウロして、見回りの兵士に見つかったら、怪しまれる。ああ~っ、もう長い一日で疲れて、眠くなったよ。だから、あそこで朝まで休む」
数軒先の、まだ明かりの灯っている宿屋へ向かって、レオンは歩き出した。
◇ ◇ ◇
翌朝、レオンは外から聞こえる喧騒で、目覚めた。
宿屋を出ると、大通りには多くの人が行き交っていた。中央広場には市が立ち、新鮮な野菜や果物などが並んでいる。レオンは、とある店でリンゴを1つ手に取り、銀貨を1枚渡すと、お釣りはいらない、と言った。
「えっ? 多すぎるよ、お客さん! ちょっと!」
驚く店主を尻目に、レオンはさっさと歩き去った。
この国に流通する貨幣は、大金貨・金貨・銀貨・銅貨・銅銭の5種類がある。金貨1枚で、一般的な市民は家族で2~3ヵ月は暮らせた。金貨1枚で銀貨20枚、銀貨1枚は銅貨50枚の価値がある。銅銭は、貨幣が現在の形に統一される前から使われていたもので、形状や重さはバラバラ、数百年を経ている物もある。これは、3~5枚で、銅貨1枚分とされる。大金貨は金貨より2回りは大きく、主として王侯貴族や富裕な商人が使用した。1枚で金貨10枚に相当し、一般市民が目にする事はほとんど無い。
リンゴは、銅貨1枚で2個は買えた。店主が驚くのも、無理はなかったのである。
「随分と太っ腹ですね、レオン」
周囲からはフードで見えないが、シャドウは耳元に貼り付いているようであった。
「ただでさえ荷物が少し重いし、銅貨や銅銭まで、じゃらじゃらさせたくない」
「それなら、少し散財しませんか?」
シャドウの言葉に、レオンはパンッ、と手を叩いた。
「そうだ、西門への道すがら、長旅に備えて買い物をしよう。必要な物は、たくさんあるぞ」
レオンはまず道具屋に入り、丈夫な布と皮で出来た背負い袋、飲み水や食料を入れる小さな皮袋、料理用の小振りな鍋、木製の皿やコップを購入した。新たな背負い袋は幅広い皮のベルトを肩にかけ、金具で固定することができ、非常に安定していたので、レオンは喜んだ。
宝物庫から持ち出した剣があったので、武器屋は素通りした。防具を扱う店では、最高級の皮のブーツと厚手のローブを選んだ。レオンが支払いを済ませて、店を出ようとした時、片隅に無造作に積まれたガラクタの中の、黒光りする鎧が目に留まった。
「ん? それかい? 最近、西から来た旅人から買い取ったんだ。古くなってるけど、モノは良さそうだよ。でも、いわくつき、って話だ。かつて、どこだかで暴れ回った、悪名高きリザードマンのウロコと皮から作られたが、持ち主に災いをもたらすらしい」
店主はブルッと体を震わせた。
「なんか気味が悪くなって。買い取った後に、そんな話を聞かされても、困るんだよね。それから放ったらかしさ」
レオンはその鎧をコンコン、と拳で叩いた。軽くて強靭そうで、確かに良い品のように思えた。
「これも貰うよ」
店主は余計な話をしたな、と後悔していたが、それでも購入すると言われて喜んだ。いそいそとレオンに着せてやり、軽く磨くと、銅貨10枚という安値を付けたが、レオンは銀貨1枚を出して、お釣りは受け取らなかった。
装いも新たに、レオンは店を後にした。
「もはや、いっぱしの冒険者といった格好ですね」
「そうかい? 照れるな。でも、荷物が増えたな……」
保存食として、干し肉や木の実、他にも旅に役立ちそうな物をいくつか買うと、さすがに重くなった。
「ちょっと買いすぎたか……」
そんな愚痴をこぼしながら歩いていると、馬市と駅舎が見えた。これらは東西それぞれの門の近くにあり、馬の売買だけでなく、人や荷物の運搬も請け負っていた。
「そうだ、馬だ!」
レオンは馬市の商人に、一番上等な馬を1頭欲しい、と声を掛けた。
「冗談はよしてくれ。いくらすると思ってるんだ? 金貨10枚でも足りないぞ。駅舎はあっちだ」
顔を半分隠し、荷物を沢山ぶら下げた若い男を見て、商人は呆れた顔をした。
「これでいいか?」
レオンは袋から金貨を30枚ほど出して、手渡した。
「ひえっ!?」
商人は思いもよらぬ大金を受け取り、腰が抜けそうになった。先程の態度はどこへやら、急に愛想が良くなって、馬を引いてきた。葦毛の、美しい馬であった。商人は手際よく鞍と鐙を付けると、レオンに引き渡した。
レオンは荷物を馬の背中にくくりつけると、颯爽と馬に乗り、意気揚々と門へ向かった。
門を出入りをする時は、通行証の呈示が必要であった。自宅の最寄りの役所や町・村の役場で発行され、身分証も兼ねている。
レオンが門の前に達すると、2人の兵士に止められた。
「馬を降りて、通行証を見せていただこう」
「なぜそのようにフードを深く被っている? その顔を覆っている布も外してもらおうか」
レオンは馬から降りると、黙って、首飾りを見せた。通行証など持ち合わせていなかった。
「何だそれは? 通行証は? 顔を見せろと言ってるんだ!」
「………あっ!! 失礼しました、お通りください」
「では」
レオンは再び馬上の人となると、悠然と門をくぐった。
若い方の兵士は、先輩兵士がなぜあっさり通したのかわからず、不服そうであった。その顔を見て、少し年配の兵士は教えてやった。
「お前はまだ知らなかったようだが、あれはザウム教団の高位聖職者の証だ。呈示されたら、優先的に、無条件に通して良いことになっている。あまりお目にかかる物じゃないが、覚えておくんだな」
したり顔で若い兵士に語ったが、少し違和感も覚えていた。
(あの首飾りを持つほどの方々は、事前に連絡を出して、わざわざ呈示はしないし、供の者も多い。お忍びで通る場合に、何度か呈示された事があるが、一人きりという事はなかった。あの若者は、供も連れず、聖職者とは程遠い出で立ち。まるで冒険者だ。それに、あの若さでそんな高い地位に?)
首を捻って考える年配兵士であったが、自分ごときが詮索しても仕方がないし、大勢の人が次々と門を往来するので、かすかな違和感は、頭の片隅へ追いやった。
レオンはついに、王都から外へ出た。
カッポ、カッポという馬の蹄の音を聞きながら、ゆっくりと進み、しばしの間、目を閉じて風を身体中で感じていた。
「ついに、旅立ちですね」
「ああ、そうだね。君の封印を解いて、まだ2日も経ってないんだよな。王都どころか、城外に出ることさえ、想像してなかった。どんな人と出会い、どんな出来事が待ち受けてるのか、楽しみだよ」
「………素敵な冒険になりますよ」
正午を過ぎた頃に、レオンは街道沿いの小さな湖で休憩を取り、パンとチーズを食べた。出発後、そのまま馬に任せて揺られていると、夕暮れになった。次の宿場町まで、もう少し距離がありそうであった。
「もうちょっとだけ、急げば良かったかな? まあ、今さら馬を飛ばす気にはならないけど」
レオンは馬のたてがみを、優しく撫でた。素直で扱いやすい、穏やかな性格の馬であった。
「そう言えば、シャドウ。聞きそびれていたけど……君はいつからあそこに封印されてたんだ? 封印されてた割りに、色々と世界の事も知っているようだし。君のような存在は、見たことも聞いたことも無い」
「………………………」
(肝心なことは答えない、か。)
「とりあえず、このまま大街道を西へ進むのか? 目的地もまだ教えてくれないし」
「………はい、このままで」
「………そうか」
レオンは何となく手綱を引き、馬を止めた。夕日によって、地面に長い影が延びている。その影の頭の方まで見ると―――
もぞもぞと、何かが蠢いている。それは、ゆらゆらと人の形へと姿を変えた。
「シャドウ……?」
レオンは街道の左右を見渡し、誰もいないのを確認してから、声を掛けた。
「何をしてるんだ?」
「影を……食べてました」
「はあっ? 影を? 食べる? 意味がわからないぞ」
「簡単に言えば、力を補充する、といったところでしょうか?」
「本当に君は不思議な事をするな。まあいいや。それで、食べられたほうに悪影響はあるの? 存在感が薄くなるとか……ハハハッ」
「いえ、そういう効果はありません。最初は軽い目眩がするかも」
シャドウに冗談が通じなかったレオンは、少しだけ悲しくなった。
「それで?」
「何度か続くと、かなりの疲労感を覚えます」
「それから?」
「最終的には、衰弱して死ぬんじゃないですか?」
「何だって? ふざけるなよ! 二度とするな!」
レオンを怒らせて、からかうかのように、シャドウは笑った。
「フフフ、ご心配なく。1年以上、毎日でもしない限り、そうはなりません。レオンが倒れたら、私の目的も果たせませんし。あまりにも美味しそうだったので、つい……今回だけです。誓います。他の方のを少しずつ頂きます。生物の影なら、なんでもいけますから」
(本当に誓うなら、いいんだけどね……。)
レオンはその後、しばらく黙り込んでいたが、ふと人の気配を感じ、振り返った。
「!?」
レオンは驚愕した。なんと、そこには見知った顔の、太った男が立っていたのである。
「なっ、ダルバ? なんでこんな所に? 追ってきたのか!」
レオンは馬から降りて、剣の柄を握って構えた。にわかに空気が張りつめ、緊迫感が漂った。不意を突かれたが、夕日を背にしたので、有利な状況であった。
しかし、レオンに精神的な余裕は、全くといっていいほど、無かった。走れそうもないほど太ったこの男が、馬も使わず、これだけ接近するまで気配を感じさせずに、どうやって追い付いたのか、皆目見当がつかなかった。
「1人か? どういうつもりだ?」
ダルバはレオンの問いには答えず、一歩、にじり寄ってきて、ニヤリと不気味に笑った。