第24話 いわれなき罪
湿地帯の外れにある洞穴――――すっかり日も暮れ、小雨がしとしと降る中、馬車や荷物を隠していた穴の中で、レオン、シャドウ、リディアの3人は焚き火を囲み、暖を取っていた。
湿地帯における激闘に終止符を打ったのは、エレナの恐るべき魔法であった。黒縄地獄という呪文が発動した結果、御子レオンの捕縛を狙った隣国ボルダンの特務部隊は、空間の裂け目に吸い込まれた。その一方で、フランシーヌ姫が率いる王国の追っ手は、黒い大蛇に巻き付かれると、身動き出来ぬほどに精気を吸い取られ、昏倒した。
その直後からエレナは気絶し、今も焚き火の横で、昏々と眠り続けている。レオンは神聖魔法の治療に加え、魔法薬や、バジリスクの干物を細かく砕いて飲ませたが、効果のほどは不明であった。
「あのシーラとかいう魔術師……。エレナの呪文が闇属性の複合魔術だの、最後のは‘黒の秘呪’とか言って驚いてたけど……。その類いの呪文で消耗したエレナには、通常の治療は効きにくいのか…… シャドウは何か知ってるか?」
揺らめく炎に照らされたシャドウの表情が、ふと緩んだように見えた。
(いつも無表情のシャドウが笑った?)
レオンとリディアは、奇しくも同じ事を考えた。
「黒の秘呪……あれは伝説と謳われた太古の魔法です。あまりの威力と、制御が難しく術者にも危険が及ぶため、封印されたと聞き及びます。エレナの魔法の腕輪から、黒い光が溢れていましたね。ということは、魔唱石の力。私たちに黙って、手に入れていたのでしょう」
「それは考えにくいけど……」
レオンの率直な意見は、間違ってはいなかった。7日ほど前、海賊の宝を発見した洞窟で、岩肌に隠されていた小箱。エレナの魔法で吹き飛んだその中身が、その魔唱石であった。当の本人であるエレナが、知らず知らず魔法の腕輪に取り込み、なんらかの波動や魔力の脈動も皆無だったので、シャドウはそう感じたのである。
「あ~、もう。エレナの意識が戻ったら、ゆっくり訊けばいいじゃない。それよりも……」
薪を火にくべながら、リディアはレオンを正面からじっと見据えた。
「レオンがあの御子様とはね。でも私は教団の信者でもないし、畏まったりしないよ」
「僕はそれで一向に構わない。それで?」
「お姫様が自ら連れ戻しに来たのに、レオンはきっぱりと断った。それに加えて、全てを捨てた、御子と呼ばれたくない、とも言った」
「………………」
目線を火に落としたレオンに、リディアは小首をかしげた。
「なんでそんな行動に走ったの?」
「それは…………」
「私たちの出会いは偶然じゃないと思う。私はこれから先も一緒に行きたい。だから話して」
レオンが横目でシャドウを見ると、シャドウは小さく頷いた。意を決したレオンは、事の始まりから、今日に至る旅の経緯を包み隠さず話した。実は偽者の御子で、いずれ抹殺されるという、ただ一点だけを除いて――――
話の冒頭で、レオンがシャドウの封印を解いたくだりに合わせ、シャドウは黒い影に戻り、旅の途次に出会った何人かに変身してみせた。リディアは目を白黒させていたが、長話を黙って聞いていた後、ニコッと笑った。
「戦争の旗頭にされたくない、ってわけね。でも、レオンが前線であの精霊召喚をぶちかましたから、すぐに決着がつくんじゃないの?」
「自然と共に生きる精霊術士は、数が少ない上に、世俗の争いには関心がありませんからねぇ。レオンが火竜サラマンダーを召喚したら、ボルダン軍はさぞかし肝を潰すでしょうが……」
「僕は国家間の戦争には興味が無いよ」
そう言うと、レオンはパチパチと音を立てる薪を静かに眺めた。すると、歩み寄ってくる気配がしたので、レオンがふと顔を上げると、そこには手を伸ばすリディアがいた。
「改めてよろしく」
レオンもおもむろに立つと、2人は笑顔で固い握手を交わした。こうして、リディアは正式にレオンたちの仲間となった。
翌朝、エレナはようやく意識が戻り、よろよろと起き上がった。朝食の匂いで覚醒したらしく、朝から食欲旺盛であった。
「その食べっぷりなら、もう心配なさそうね」
「なんだか凄くお腹が空いちゃって」
全員の視線を集めているのに気が付いたエレナは、はにかみながら野菜のスープをお代わりした。
食事を終えると、レオンは昨夜の事を話し、リディアを仲間に加えた事を伝えた。エレナは喜んで、
「よろしくお願いします」
と、ペコリと頭を下げた。リディアもおどけて真似をし、皆が笑い声を上げていると、シャドウが冴えた声で訊ねた。
「ところでエレナ。昨日の魔法ですが、あれは永らく使い手の絶えていた、まさに秘呪。それを魔唱石が呼び起こした。私やレオンの目を盗んで、いつの間に腕輪へ取り込んだのですか?」
「そんな言い草はないだろう? エレナが僕たちに黙っているわけがない」
エレナは居住まいを正して、仲間を順番に見回した。
「あの時、意識はありました。声は聴こえていたんです。シーラとかいう魔術師の言っていた複合魔術は、これのおかげです」
袋から取り出されたのは、髑髏を模した飾りであった。
「それは確か、港町の店で買った……」
「はい。前の持ち主……おそらく闇魔術を極めた人の『念』が、私に力を与えてくれました」
「最初のは念導術だったのか。あんな強力な物もあるんだな」
「でも『黒の秘呪』については、わかりません。魔唱石を内緒で手に入れたりなんて、してません。それだけは信じて下さい!」
エレナの涙を浮かべた必死の訴えに、最初から微塵も疑っていなかったレオンとリディアは、シャドウを詰った。
「だから言っただろう。エレナを疑うなんて筋違いだ。元々、あの腕輪に眠っていたんじゃないか?」
「そうよ。つまらない嘘を付くような娘じゃないでしょ」
2人の剣幕に気圧されたわけでもないが、シャドウは引き下がった。
(きっかけはどうあれ、黒の秘呪の使い手に見えるとは……。フフフッ、レオンとエレナの出会いも偶然ではなく、必然……。まさに運命。)
「お2人とも落ち着いて。つまらぬ疑いをかけて申し訳ありません。信じましょう。エレナ、許して下さい」
「私は気にしてませんから……。それより、提案があります」
真面目な顔でビシッと挙手するエレナに、レオンは面食らった。
「なんだい?」
「東のエンセンドール……略してエンセン公爵家は、代々様々な魔術書や、それらに関する記録を収集し、居城内の一室に収蔵しているそうです。なんとか閲覧させてもらえれば、黒の秘呪についても何か判明すると思います」
「何言ってるのよ。そんな貴重な資料の閲覧を、大貴族様が簡単に許すはずがないわ。門前払いされるかも」
リディアは眉をひそめたが、レオンは顎を撫でながら、思案を巡らせていた。
「エンセン公爵か…………。うん、とりあえず行ってみよう」
「え? 何か勝算でもあるの?」
「面識でもあるのですか?」
「まあ、いいからいいから」
仲間の懸念をよそに、レオンは目的地をエンセン公爵家の居城、コーンワールに定め、出発の準備に取り掛かった。
レオンたちは一先ず、湿地帯のモンスターを残らず討伐した事を報告するため、依頼主である、モンスターに襲撃された村へ戻る事にした。
なだらかな丘陵地帯を、馬車が進んでいく。草地には、レオンたちの馬車が行きに残した轍と、追っ手の馬が踏み荒らした跡が延々と続いている。それを辿っていったので、帰りは楽であった。
「いや~っ、これがレオンが話してた海賊の財宝かぁ。オーガの洞穴の宝と合わせたら、かなりの価値ね! 金貨6000枚? いや、7000枚? これならお金に困ることはないわね。エヘヘ」
馬車の荷台で、リディアは布で覆われていた宝箱を勝手に開け、宝石や金貨の煌めきに愉悦していた。レオンたちと出会った時には、すでに手持ちの金銭が尽きかけていたので、尚更であった。
ガタガタと振動する荷台の様子を窺い、御者をしているレオンの横に座るエレナは、少し呆れていた。
「リディアって俗っぽいというか……。レオ様はどう思います?」
「いいんじゃない? 我は竜騎士なり! 俗世間に一切興味無し! なんて付き合いづらい生真面目な印象を抱いてたけど、親しみを感じるよ。……リディア! 洞穴の分は、村長に渡すからね! モンスターの被害に遇った近隣の村などに、配ってもらうつもりだ!」
エレナに手綱を渡すと、レオンは荷台に向けて大声をあげた。宝石に頬擦りしていたリディアは、レオンの言葉に仰天した。
「えええっ? 全部返すの? もったいないよ!」
「お金ならもう十分にあるから! これ以上の大金は不用だよ!」
リディアは不満そうであったが、シャドウがなだめた。
「まあまあ。元々、苦しむ村人のために、高尚な竜騎士であるあなたが、無償で引き受けたのですから。諦めなさい」
その後、昼前に1度休憩を挟み、速度を上げた馬車は夕暮れには村に帰り着いた。広場に、兵士を十数人従えた役人らしき男が、村長と話しているのが見えた。
「あっ、巡察使様、湿地帯のモンスター討伐を依頼した、竜騎士様とお供の方々の馬車です」
「何っ?」
レオンは馬車を止めると、役人には目もくれず、シャドウに宝箱を運ばせ、村長の前にドンと置き、開けてみせた。どやどやと集まってきた村人たちは、そのまばゆい輝きを放つ金貨や宝石に、感嘆の声を上げた。役人は輪の外へ押し出された。
「村長さん、湿地帯のモンスターは全滅させました。そしてこの宝箱は、ゴブリンを従えていたオーガの洞穴にあった物です。これをモンスターの被害に遇った近隣の村などに、分け与えて下さい」
「な、なんと? モンスター討伐だけでなく、このような……」
そこへ、まだ名残惜しそうに宝をチラチラと見る、リディアがやって来た。
「おぉ竜騎士様、お供の方のお話は、本当なのですか?」
(そうか。そう言えば、リディアのお供って事になってたんだ。)
レオンが苦笑すると、リディアは槍を高々と天に突き上げた。
「えぇ。ゴブリンやリザードマンなど、私の敵ではありません。この槍で縦横無尽に斬りまくりました。その宝も遠慮なく受け取りなさい。ハッハッハッ」
「おぉ、さすが竜騎士様!」
「ほとんど1人で片付けたのですか?」
「宝をあっさりと……。なんて無欲な。やはり高潔なお方だ」
「それに比べて、どこぞの領主様は、全然あてにならないよなぁ」
「村長! 今宵は村をあげて、竜騎士様たちを歓待する宴を催しましょう!」
村人たちが盛り上がっていると、役人が血相を変え、人と人の間を掻き分けて輪の中心へ入ってきた。
「待て待て~い! 私を無視して、何を騒いでおるか! 竜騎士だと? 怪しい奴らめ!」
「あなたは? お役人のようですが」
「私は公爵家の巡察使、ノダールであ~る! 領内を見回るのが役目。さてさて、そのような大金を村人に与えるとは……。大方、農民反乱でも企てているのであろう? さてはボルダンの間者だな。宝箱もこちらが預かる」
「何を訳のわからない事を言ってるんですか!」
あまりに一方的な、理不尽極まりない裁定に、エレナは怒りを露にした。村人たちは少しずつ下がり、輪が広がっていく。エレナを手で制して、レオンが進み出た。
「いいでしょう。公爵様の前で申し開きします」
「レオ様!?」
「ちょっと、何を……」
エレナとリディアは、いわれの無い罪で投獄されるのでは、と不安に駆られた。しかし、レオンは泰然としている。
「何だとっ? ……フンッ、潔いではないか。では城まで同行してもらおうか」
ノダールは、落ち着き払っているレオンが少々気になったが、滅多に来ない領内の外れまで足を伸ばした甲斐があった、と内心ほくそ笑んでいた。主君たる公爵が、そのでっち上げた罪を信じるなら手柄になるし、無罪放免する代わりに宝を没収するのもよい、と考えた。
ピンと両端を跳ね上げた口髭を撫で、ニタニタといやらしい笑みを貼り付かせるノダールに、レオンたちは嫌悪感を覚えた。
「エレナ、リディア、ここはレオンに任せましょう」
シャドウがつぶやくと、2人は不承不承従った。
ざわめく村人たちを尻目に、レオンたちは馬車の前後を兵士に挟まれ、公爵家の居城、コーンワールへ連行されることになった。
「この先の宿駅へ向かう!」
すでに薄暗くなっているにも関わらず、ノダールの号令の下、一行は村を後にした。空には一番星が瞬いていた。




