第23話 湿地帯の激戦・終編
ちょうど太陽が真上から少し西に動いた頃――――湿地帯の一角は、臭気が立ち込めていた。それは、高台の周辺を埋め尽くす、焼け焦げたリザードマンの屍 が発するものだった。
1000匹を越えるリザードマンの大群に包囲され、危機に直面したレオンたちを救ったのは、エレナであった。突如として、強力無比な呪文を唱え、大半を黒焦げにしたのである。
群れを全滅させて形勢逆転し、黒き鱗を持つ、リザードマンのボスを追い詰めたレオンであったが、虚脱状態に陥ったエレナを、クロード率いる特務部隊に拐われてしまった。
「御子よ、この娘の命が惜しければ、剣を捨てて我らに同行してもらおうか」
配下のリサが抱えているエレナに剣を突き付けると、クロードは酷薄な笑みを顔面に貼り付かせ、レオンを脅迫した。エレナはぐったりして反応がなく、気絶しているようであった。
「隊長の言う通りにしたほうがいいぜ? 手段を選ばない人だからな!」
もう1人の配下、キースがヘラヘラと笑いながら、レオンに忠告した。
「くっ……卑怯な! どこの手の者だっ?」
「我らはボルダンの特務部隊。私は隊長のクロード。我が王の御前に、御子をお連れするのが役目。おとなしく投降しろ」
「ボルダン……? 僕を捕らえてどうするつもりだ」
「それは我が王に直接訊ねればよい」
「御子……。レオンが御子だっていうの?」
リディアが驚嘆の声を上げた。その存在は、西の大陸でも知られているようであった。
「その槍と鎧……竜騎士殿とお見受けする。まさか女性とは思わなかったが……。我らは貴殿と敵対するつもりはない。用があるのは御子だけだ。御子よ、両手を上げてこちらへ来い。そうすれば娘に危害は加えない。約束しよう」
苦悶の表情で視線を地面へと落とし、拳を強く握るレオン。
「バカ言ってんじゃないわよ! エレナを人質にするなんて、もう十分敵対行動してるじゃないの! レオン、脅しに屈したらダメよ!」
「レオン、どうするつもりですか」
ガシャン、と音が響いた。レオンは剣を捨て、おもむろに両手を上げた。
「レオン?」
「エレナの命には換えられない。あの途轍もない魔法……。体に大きな負担を掛けて、僕らを救ってくれたんだ」
レオンは高台から、クロードたちの元へ降りようとと歩き出した。
「待て! そいつは私の獲物ダ! 父の仇をお前たちに渡すわけにはいかナイ」
成り行きを見守っていた黒きリザードマンが、待ったをかけた。レオンが足を止めて振り返る。
「だから、それは勘違いだ。この鎧は……」
「うるさいぞ黒トカゲ! 我らの知ったことか!」
リサが、レオンの言葉を遮るほどの大声で怒鳴った。
「ほぉ、人間の言葉を話すか。モンスターにしては気骨がありそうだが、こちらも譲れぬ。我が隊を討ち倒して、御子と再戦するか? それは無理な話だ。さあ、見逃してやるから立ち去るがいい」
クロードは情けをかけたつもりだったが、このリザードマンには逆効果でしかなかった。
「部下を全滅させらレテ、おめおめと逃げられるカッ!」
尾を地面に激しく打ち付けて怒りを爆発させると、黒きリザードマンは三ツ又の槍・トライデントを振り上げ、高台から躍り上がってクロードに攻撃を仕掛けた。しかし、それは怒りに任せた不用意な行動であった。
「唸れ! 魔剣、悪魔の啼声よ!」
前に出たキースが、柄から剣先まで黒々とした不気味な剣を抜いた。ウワァーン……という空気を震わせる音が、剣から発生した。それは楽器を打ち鳴らした余韻に似ていた。
キースはその剣を、宙を舞うリザードマンに向けて、左から右へと一閃した。黒い衝撃波が命中し、態勢が崩れた所を、リサが追撃する。
「はっ!!」
高く跳躍した獣人族の少女が、瞬時に伸び、硬化した右手の爪で顔面を切り裂き、強烈な蹴りを見舞った。リザードマンは地面に叩き付けられた。
「アシッドミスト!」
クロードが左手の掌をかざすと、酸性の霧がごく狭い範囲に発生し、リザードマンを包んだ。霧はすぐに消滅したが、リザードマンの体表は焼けただれていた。3人の連携の取れた早業であった。
「逃げる機会を与えたのに、愚かなヤツだ」
「無、無念ダ……」
すでに瀕死の重傷を負っていたリザードマンは、一言つぶやいて事切れた。
「あいつら……やるわね」
その鮮やかな手並みは、リディアも認めざるを得なかった。
「あのクロードという男……掌に魔唱石を埋め込んでいますね」
「よく見えなかったけど、そうなのか?」
シャドウの発言にレオンが驚くと、クロードはフッと笑った。
「魔唱石が貴国だけの物とでも? 以前は盛んに産出していたではないか。当然、我が国にも流入している」
クロードはレオンに対して手を広げて見せた。掌の真ん中に、茶色い石があるのがわかる。
「………………」
リザードマンと一斉に飛び掛かれば、事態は好転していたかもしれないが、レオンは剣から離れていた。リディアとシャドウも、リザードマンの想定外の行動に反応出来なかった。その死によって、対立の図式ははっきりしたが、互いに沈黙が支配した。
「さて……。いつまで待たせる気だ? 御子よ、早くこちらへ来てもらおうか」
「こんな可愛いお嬢ちゃんを、傷付けたくないんだけどなぁ」
ペロペロと舌を出し、ヘラヘラ笑うキースのおどけた態度が、レオンとリディアの神経を逆撫でする。
「ほら、ハッキリしなよ! 男ならさっさと決断しろ!」
リサにまるで発破を掛けられたかのように、レオンは観念して、再びゆっくりと歩き始めた。
槍を持つ手が震え、歯を食いしばるリディアと、エレナの落とした水晶の杖を拾い上げ、レオンを目で追うシャドウ。
「リサ、念のため娘をロープで縛っておけ。それにしてもこの娘、恐るべき魔法の使い手だな。目覚めると厄介だ」
「その意見、私も同感だわぁ」
「!?」
クロードらの斜め後方――――湿地帯を囲む岩山の方角から、女の声がすると同時に、魔法の縄がエレナを縛り上げ、そちらへ引き寄せられていった。隠形呪文“カバー”で、巧みに周囲の風景に溶け込んで接近してきた、宮廷魔術師シーラの仕業であった。
フランシーヌ、オルトス、グルカも姿を現した。御子レオン探索隊の出現により、空気が変わった。殊更、エレナを奪われたクロードの動揺は大きかった。
「き、貴様らなぜここにっ? 北へ行ったはずではなかったのか!」
「お前のつまらぬ嘘をシーラが看破し、尾行したのだ! レオン殿! 私と一緒に王都へ帰還しましょう!」
頬を紅潮させて、フランシーヌが叫ぶ。レオンは剣を拾いに戻った。
「あの綺麗な人は誰? まさかレオンの恋人?」
興味津々にリディアが訊ねると、レオンは慌てて首を振った。
「とんでもない! 畏れ多い……。あの方はフランシーヌ姫だよ」
「えっ、お姫様?」
「そうだよ……。姫様っ、僕は王都へ戻る気はありません! やるべき事があるのです! 全てを捨てました。もう御子と呼ばれたくもないのです!」
「なぜ、そのようなお気持ちに……? ご不満があるのでしたら、私が、私が父上に……国王陛下にお願いして……」
「無用です! 御子であるがゆえに狙われ、そこのボルダンの手先は、僕を本国へ連れ去ろうと、仲間を人質にしました。エレナは僕の大事な人です。返して下さい!」
よもや姫が自分と結婚したいがために、連れ戻しに来たなど思いもよらず、レオンは拒絶した。
「何っ!? ボルダン……? ただの冒険者ではないと思ったが、レオン殿を拉致するために潜入した工作員だったのか! 許さん!」
エレナに対する嫉妬より、クロードへの怒りが勝ったフランシーヌは、斧槍ハルバートを手に、クロードへ突撃した。横からリサが、隊長を援護しようと動く。
「お前の相手は俺だっ!」
身軽なグルカが、短剣を抜いてリサに立ち塞がった。両者は体術を駆使し、広範囲を飛び回り、空中で、地上で斬り結ぶ。
「マヌケ面の魔剣士、俺と戦え」
聖騎士オルトスが、キースを挑発して剣を構えた。キースは挨拶がわりに先程の衝撃波を剣から放ったが、苦もなく避けられ、接近戦へと移行した。剣と剣が激しく打ち合い、火花を散らす。剣術は互角であった。鍔迫り合いで、互いの顔が間近になる。
「意外とやるな」
「あんたもなぁ~!」
一方、高台にいたレオンたちの中から、リディアがフランシーヌとクロードの戦いに介入した。
「レオン、隊長のクロードだけは倒すよ!」
空中から電撃を発射しようと試みたリディアだったが、雷光槍は反応しなかった。
(ありゃ? 魔力が尽きたか……仕方ない。)
リディアは気持ちを切り替えて、地上に降り立った。
「姫様、協力します」
「感謝する!」
「くっ……」
第三者の一撃を、クロードはかろうじて躱した。しかし、斧槍戦姫と竜騎士、2人を相手にしてはさすがに防戦一方となり、魔法を使用する暇もない。
「まずはエレナを救出しなければ」
眼下では激戦が展開されていたが、レオンとシャドウはエレナの元へ向かった。
「御子様、それ以上は近付かないでくださぁい。この娘が私の手中にあることをお忘れなく」
シーラは、エレナを自らの魔力で右手から作成した魔法の縄で縛ったまま、レオンに警告した。左手には水晶玉がフワフワと浮かんでいる。
「あなたは……」
「宮廷魔術師のシーラです。以後お見知り置きを」
そう言ってクスッと笑みをこぼした。年の頃は30代後半であろうか。異様に白い肌と、真っ赤に塗られた唇が印象的な、妖艶な美女であった。
「遠目から拝見しましたが、この娘、年端もいかぬ身で複合魔術……それも闇属性を扱うとは、末恐ろしいですねぇ」
「やはり大きな負担がかかる呪文だったんだな。早く治療したいから返してほしい」
「大人しく姫様と王都へ帰るなら、構いませんわ」
「それは応じられない。さっきも言ったけど、僕にはやることがある」
背後から、相変わらず激しい戦いの音がしている。
「…………姫様はなぜレオンを捕らえに来たのですか? 御子という存在を崇拝している、という感じでもありませんね」
「それは……」
シャドウの発した疑問に、シーラは返事をためらった。
(この術で縛れるのは、2人が限度……。いっそのこと、ここは娘を解放するふりをして、この2人を捕縛し、安全圏に移動して姫様を待ちましょうか。)
レオンとシャドウが武器を構えて圧力を掛けると、シーラはエレナを縛っていた魔法の縄を解き、怯えたふりをして、水晶玉を取り落としてみせた。
(王城で聞いた噂通り、宮廷魔術師なんて大した攻撃魔法は使えないんじゃないか? 怯えてるし、魔力の源である水晶玉も落とした。)
だが、これはレオンの全くの油断であった。エレナを一刻も早く救いたい、という焦りも重なり、シーラから倒れているエレナへと注意を向けた。この瞬間をシーラは待っていた。
シーラの両手から伸びた魔法の縄が、あっという間に2人を縛り上げ、その身体を宙に浮かべた。水晶玉がフワリと移動し、シーラの眼前に浮かぶ。
「オホホホホ……甘いですわね、御子様。姫様、御子様を捕らえましたので、先に撤退してお待ちしております」
シーラは水晶玉を通した通信魔法で、フランシーヌに報告すると、わかった、と返事が来た。
「さ、行きますわよ。…………えっ!?」
ほんの一瞬よそ見をすると、縛り上げたはずのシャドウが、縄をすり抜けて立っていた。そしてシーラの後方へ、水晶の杖をポンと投げた。
「一体どうやって……? はっ!!」
異様な圧力を背後に感じ、シーラは振り返った。漆黒のオーラに包まれたエレナが、両手を掲げて佇立していた。左手の腕輪から黒い光が溢れ、水晶の杖もどす黒く変色している。頭上に空間の裂け目のような、亀裂が走った。
「ま、まさか……。黒の…………秘呪?」
今度は演技ではなく、シーラは心底驚き、狼狽していた。いつの間にやら、レオンは自由の身になっていた。
強烈な波動が伝わり、その場にいた全員が戦いを中断した。
「何だあれは?」
「シーラ! 何があった?」
リディアは危険を察知し、いち早く離れた。レオンとシャドウは身を伏せた。
「姫様っ、お逃げくださ……」
我に返ったシーラが、逃げるよう促そうとした時には、すでに手遅れであった。
「……異界に棲む者よ、黒き蛇神よ、来たれ! 黒縄地獄!!」
エレナが呪文の詠唱を終えると、空間の裂け目から、輪郭のぼやけた、黒く巨大な蛇が次々と飛び出した。クロードの特務部隊と姫の御子探索隊、双方の面々は四方に散って逃れようと試みたが、叶わなかった。レオン、シャドウ、リディアを除く全員が、黒縄と形容すべき蛇に巻き付かれ、自由を奪われたのである。
「うわーっ!!」
クロードら3人の特務部隊は、そのまま次元の断層である、裂け目に吸い込まれてしまった。
「ダメだ、エレナ! 姫様たちまでは……」
エレナは目の焦点が定まっていなかったが、レオンの声が届いたのか、腕輪の黒い光が弱まっていった。黒蛇はフランシーヌたちの戒めを解き、裂け目へ戻ると穴は閉じて消えた。
ドサドサと地面に落下したフランシーヌたちは、4人とも精気を吸いとられ、指一本動かすのも困難なほど、疲労し尽くしていた。
崩れ落ち、再び気を失ったエレナを治療した後、レオンが背負った。
「姫様、申し訳ありませんが、このまま立ち去ります。どうか追跡はお止め頂きますよう……」
口も動かないフランシーヌは、倒れたまま、涙を流して見送るしかなかった。にわかに空が曇り、小雨が降ってきた。
フランシーヌの視界の隅からカエルがピョン、と跳んできて、目の前でケロケロと鳴いた。彼女は、そのカエルをいつまでも見詰めていた。




