第22話 湿地帯の激戦・後編
夜通し続いた蛙の大合唱が止み、ひっそりと静まり返った湿地帯に朝が訪れた。水面上には霧が発生し、視界は非常に悪かったが、日が昇り、気温が上がると風とともに霧はほとんど晴れて、大分見通しは良くなった。
ひんやりとした空気が流れ込み、感覚を刺激する。目を擦りながらテントから這い出したリディアは、洞穴の中を流れる小川で、魔唱石を洗うレオンを見た。
「やあ、おはようレオン。うるさかったね……カエル」
レオンは濡れた手の水分を布で拭き取り、黄土色の石もきれいに拭った。
「おはよう。僕は疲れてたから、気にならなかったよ」
「スゴい精霊召喚だったしね~……。で、その魔唱石なんだけど」
「これ? オーガの目に嵌まっていた物だし、洗おうかと思って」
レオンが掌に乗せた石を、リディアはひょいと取り上げた。間近で食い入るように見詰めている。
「存在は知ってたけど、見るのは初めてなんだ。私も身に付けたら、新しい力が目覚めるのかな」
「それは人によるけど……。少なくとも、魔力は向上するんじゃないか?」
いつの間にか、雷光槍がリディアの真横に浮かんでいた。
「私は魔法が苦手だから、魔力を消費するのは、この槍から電撃を放つ時くらいだけどね…………。ん~っ、ところでレオンって何者なの? 普通の冒険者じゃないよね。昨日の戦いぶり、あれは……」
急に詰め寄られたレオンは、どう答えるべきか苦慮していると、小さな羽虫が飛んできて、リディアの鼻先に留まった。
「きゃっ、虫っ!」
慌てふためき、リディアは目を固くつぶって手で追い払った。
「おはようございます」
「わっ!?」
2人の間に割って入るように、シャドウが現れた。レオンの裾から出てきて、実体化したのである。一瞬目を閉じた間に、至近距離に出現したので、リディアはのけ反って驚いた。
(なんなの? 気配も感じなかった。)
「虫が苦手なんだ? 意外だね 」
リディアの反応や仕草を見て、レオンはプッと吹き出した。
「そんなにおかしい? 虫は嫌いなの!」
頬を紅潮させて、プイッと顔を背けたが、すぐにシャドウに向き直って指を差した。
「それよりシャドウ、いったいどこから出てきたのよ? 大体あなたは一緒に食事もしないし、あまり感情を見せないしさぁ、どういう……」
「ふわぁ~っ、どうかしたんですか~」
欠伸をしながら、ゴソゴソとテントから顔を覗かせるエレナの間延びした声に、リディアは気勢を削がれた。
「あ~っ、もういいわ。朝食を終えたらさっさとリザードマン退治に出発しましょっ!」
リディアは魔唱石を携えて、馬車へ食材を取りに行ってしまった。レオンは返してもらおうかと迷ったが、預けておくことにした。
「ここはリディアに持たせてみるか」
「フフッ、新たな能力が開眼するんでしょうかねぇ」
「新たな能力と言えば、今朝、神聖魔法を修得していた事に気付いたよ」
「強大な精霊術を行使したことで、レベルが上がったのでしょう」
「そうか、それで……。よし、やるぞ!」
石を積んだ竈に、エレナが魔法で火を起こしていた。食事の準備は女性2人に任せて、レオンは剣や鎧の点検を始めた。
馬車と2頭の馬を残して出発したレオンたちは、湿地帯のどこかにある、リザードマンの巣を探した。昨日の戦いに参戦して来なかったのは、距離が離れていたため、とレオンは推測していた。
モンスターが踏み固めたであろう細い道や、軟らかい地面の部分を進むと、大きな水草が生い茂る地域に入った。
なおも突き進むと、水草を編んだ家らしき物が、遠くに視認された。
「まさか、リザードマンが家を? そんな知能や文化があったのか? てっきり水中に潜んでいるものとばかり思ってたけど」
「レオ様、なんでしょう? この臭い……」
とても生臭い、鼻が曲がるほどの悪臭が漂ってきて、一同は顔をしかめた。
「シャドウはなんで平気な顔をしてるわけ?」
平然としているシャドウに対し、リディアは怪訝な面持ちであった。
「私は気になりませんね」
「どういう鼻してるのよ。風邪でも引いてるの?」
(そうか、シャドウに味覚があるはずないけど、嗅覚もないのか。)
レオンが1人で納得していると、左方の沼から、泥だらけのリザードマンが3匹浮上し、襲い掛かってきた。悪臭が酷くなる。
レオンは素早く反応し、太陽剣を抜くと、飛び上がった先頭の1匹が落下する所を、斬り払った。脇腹を切り裂かれ、前のめりに倒れるモンスター。
幸いにも相手は素手だったので、高熱を発した剣によって、難なく後続の1匹を肩から斜めに斬り倒した。
「あんたたち臭いのよっ!」
もう1匹は、リディアの槍が首を貫通し、絶命した。レオンとリディアは、武器に付着した泥を水溜まりで洗い流した。
「いよいよ奴らの棲息地だな。よし! …………プロテクト! ホーリーブレス! リカバー!」
レオンは神聖魔法で全員の物理防御力を高め、神の祝福で力を授かり、更に体力の回復まで行った。今朝になって修得している事に気付いた呪文とは、後に唱えた2つであった。
「おおっ? 力が湧いてくる」
全身を淡い光に包まれ、リディアは気合いが注入されたようであった。
(昨日もですが、やはり、私は効果が無いようですね。)
(やっぱりそうか。でもリディアの手前、シャドウだけ呪文を掛けないのは不自然だし。)
2人がひそひそ話をしていると、あちこちの水面からリザードマンがぬうっと姿を現した。
「レオ様、正面からも来ますよ!」
曲がりくねった道の先は、ちょっとした広場になっていた。そこに何匹か集まってきている。
「あそこで戦おう!」
「よ~し、張り切っちゃうよ!」
リディアが先頭を切って弾かれたように疾走し、次々と道を塞ぐ敵を薙ぎ倒していく。道の両側から迫る者は、レオンが斬り、シャドウが鋼鉄のメイスで撲殺した。
「フレイム! ライトニング!」
エレナは昨日の戦いの後、いくつかの呪文を試し、中級の呪文が安定して発動した。これなら、不安定な念導術に頼る必要もなくなる。かつての力を順調に取り戻しつつあることを実感し、嬉し涙を流していた。
ゴブリンと違い、リザードマンは初級の呪文で倒すのは難しい。1人でそっと流した涙を思い返し、エレナは確実に仕留めていった。
レオンたちは広場に到達すると、円陣を組んで互いの死角を補った。リザードマンは統制が取れておらず、バラバラに襲って来たので、それぞれ前面に集中し、死体の山を築いた。
辺り一体の敵は掃討され、動く者はいなくなった。レオンたちは一息ついて、エレナは青い魔法薬を飲んで魔力を回復した。
「レオンの魔法の効果もあるけど……。魔唱石のおかげで絶好調よっ!」
今朝がた、レオンから預かった魔唱石を懐に忍ばせたリディアは、魔力が高まっていた。先行して、リザードマンの‘家’へ向かっていく。
それは、眼下に広大な水面を望む、高台に建てられていた。通常の緑色とは異なる、2回りは大きい黒い個体が中からのっそりと現れ、こちらを向いて槍を突き上げ、何か叫んでいる。
その声を合図に、湖面を埋め尽くさんばかりの、大量の新手が出現した。
「あれがボスね!」
リディアは真っ先に攻撃を仕掛けたのだが……。
「!?」
くるっと旋回した強力な尾の一撃をまともに受け、リディアは対岸まで吹き飛ばされた。
「痛たたっ……。油断した」
「リディアっ!」
少し遅れたレオンたちは、リディアの身を案じた。
「私は平気よ! それよりもっ……!」
雷光槍から、電撃が放たれた。魔唱石の影響でリディアの魔力が高まり、威力が増していた。バリバリッと音を立てて、水面に落ちると、一度に10匹以上も感電死させた。電撃を放つ度に、湖面に浮かぶ死体が増えていく。
「ぬっ……! あいつメ!」
「なにっ? このリザードマン、人間の言葉が話せるのか?」
「グフフフ、そうダ。俺は特別ダ。…………むっ? その鎧……貴様、父を殺しタ冒険者なのカ?」
レオンは、黒いボスがぎこちなく話す事よりも、あらぬ誤解を受けている方が気になった。
「なんのことかわからないぞ! これは店で買った代物で……あっ」
レオンはこの旅に出る時、王都の店で鎧を購入したが、店主が語ったいわくを思い出した。
「確か、どこかで暴れ回っていた、悪名高いリザードマンから作られた、って話だったな。持つ者に災いをもたらすとか」
「我が父を愚弄するナ! 許さんぞ、人間メ!」
ボスは巨大な三ツ又の槍――トライデントを低く構え、何度も突いてきた。レオンは半身に構えてかわす。そこへ足下を払うように尾の一撃が来たが、これも跳んでなんとか避けた。
レオンも反撃するが、上半身の鱗は硬く、容易には斬れそうにない。
湖面の死体の上を、フワリフワリとリディアが跳んで、リザードマンが集結する岸辺に突っ込み、電撃を乱発して食い止めていた。だが数が多く、他の地点からも上陸し、レオンたちを包囲にかかる。
「先程までのザコとは違いますよ!」
高台を目指して殺到する敵と、シャドウとエレナが激突した。今度は剣や盾、投げ槍を装備している個体が多かった。エレナは高台をよじ登ってくる者を、魔法で落として回った。
「爆ぜよ、ファイアボール!」
太陽剣から、火球が発射された。以前より数が5~6個に増え、サラマンダーの力の一部が剣に宿り、威力も向上している。
「かわされたっ?」
ボスは腹這いになって頭上に流し、火球は後方から登ってきた数匹を丸焼けにした。
「やるナ……。だが、まだまだ仲間はいるゾ!」
後続のリザードマンが、次々と水中から現れる。リディアもシャドウも、押され気味になってきた。シャドウは数匹の攻撃を受け止め、押し返し、メイスで粉砕するが、ジリジリと退く。
「数が多すぎるよ~っ!」
リディアも弱音を吐き始めた。レオンも有効なダメージを与えられず、苦戦している。サラマンダーを召喚すれば形勢逆転し、一気に片を付けられるだろうが、無防備になる精霊術は、この状況では自殺行為であろう。
(ああ、このままじゃみんなが、レオ様が……。)
エレナは心臓の鼓動が高鳴り、脈打つのが聴こえた。懸命に戦う仲間の姿、眼前の光景が、ひどく緩慢に見えた。そして無意識に腰の袋に左手が伸び、何かを握り締めた。
「はあああああっ!!」
小柄なエレナが発したとは思えない掛け声と、空気を震わす振動。一番近くにいたレオンとボスは揃ってエレナを見た。
「……エレナ? ……これは……?」
左手から右手の水晶の杖へ、どす黒い物が流れ込んだ。
「ヘルファイア!」
中心が青白く揺らめく黒い炎が四方へ散り、リザードマンが密集する所を直撃した。黒い火柱が上がる。
「……インフェルノ!」
吹き上がる火柱がエレナの飛ばした風と合体し、炎の旋風と化した。混乱し、逃げ惑うリザードマンを焼き尽くしていく。危険を感じたリディアは退避した。だいぶ数は減ったが、まだまだ残っている。
「ブラックスフィア! ……サンダーボルト!」
黒い球体が空中で静止し、そこへ雷撃呪文が撃ち込まれた。すると内部で反射し、増殖していく……。
「サンダーストーム!!」
無数の雷撃が、球体から放射状に放たれた。雷が雨のように降り注ぎ、リザードマンの大半を黒焦げにした。残るは30匹ほどである。エレナは虚脱状態なのか、立ち尽くしていた。
「すっごい! エレナやるぅ!」
この程度なら、リディアには物の数ではない。シャドウと協力して尽く倒した。ついに1000を越えるリザードマンを全滅させたのである。
「バカな……。我が配下が全滅だト? あの魔法使いは何者ダ?」
「エレナ、大丈夫なのか?」
レオンは眼前の強敵に注意を払いながらも、エレナをチラリと見た。しかし、うつむいているので表情は窺えない。
リディアとシャドウが戻ってきた。
「さあ、いくらお前でも、我々を同時に相手にしたら無事では済まないぞ」
「グググ……」
ボスが後退りをした。水中に逃げる行動にも見えた。
「そこまでだ、御子よ!」
そこにはクロード率いるボルダンの特務部隊がおり、エレナが捕らわれていた。3人が離れた隙にリサが素早く抱き抱え、連れ去ったのである。レオンは王国とは別の追っ手がいたのを悟り、冷や汗が流れた。




