第2話 脱出
「御子様、お目覚めの時間でございます」
扉に取り付けられた鉄輪で、カツン、カツンと叩く音が聞こえた。
レオンは、ガバッと跳ね起きた。
「あ、ああ、もう起きています。すぐ行きますので」
起床の時刻を報せに来た者は、お急ぎを、と一言だけ残し、扉の前から、足早に去っていった。
「………………夢、だったのか?」
ホッと小さな溜め息をつくと、レオンはベッドから立ち上がった。毎朝、起床後はすぐに、大聖堂の祭壇で祈りを捧げるのが、日課であったので、急いで着替えなければならない。
「嫌な夢だったな。僕が偽者の御子だなんて……それに、黒い影のようなあれは……僕の不安を暗示していたのか?」
(夢ではありません)
「!?」
レオンは、どこからともなく響いて来た声に驚いた。声の主を探したが、誰もいない。大聖堂内で特別に個室を持つ身であったが、部屋にあるのは、簡素なベッドと机に椅子、あとは衣服を入れる小さなタンスのみ。身を隠す場所はどこにも無かった。
耳を澄ませてみたが、窓の外から鳥のさえずりがしているだけで、部屋の中は静かであった。
「空耳か。疲れてるのかな」
「ここですよ」
今度は、はっきりとした声がレオンの耳に届いた。それは服の裾からはみ出した、小さな影が発したものだった。
「なっ………」
「夢ではないことが、わかりましたか?」
「あれが、夢ではない? すると、君は……シャドウ……なのか?」
レオンは、まだ信じられないといった面持ちで、小さな影を見つめた。
「ええ。貴方に取り憑かせて頂きました。気絶した貴方は私に精神を半ば支配されながらも、無意識にここへ戻ったのですよ。さあ、旅立つ準備を」
「僕に取り憑いただって? 何を勝手な真似を! 旅立つ準備? 一方的に話を進めるな!!」
レオンは怒りをあらわにしたが、徐々に顔が曇り、うなだれた。昨夜、池の畔で聞いてしまった会話が事実であったという衝撃が、目の前の不可思議な存在よりも、大きかったのである。夢かと思えば再び、残酷な現実を突き付けられる。あまりの目まぐるしさに、頭が混乱していた。
「貴方の意識に入り込んだ時、様々な思いが伝わってきました。自分が偽者の御子だと知っても、ここに留まるつもりですか?」
「……………………」
「いずれは始末されてしまうのですよ? 御子という存在を演じ続ける理由が見当たりません。窮屈な毎日を過ごしてきたのなら、私に協力して旅に出て、自由を謳歌しましょう」
「……………………」
シャドウはレオンの服の裾や胸元、腰のあたりからも、ザワザワとはみ出してきた。
「貴方は……」
「その、貴方と呼ぶのは止めてくれないか。僕の名はレオン。そう、ただのレオンだ」
レオンは大分、落ち着きを取り戻していた。
「何故、僕なんだ? 他の者では駄目なのか」
「もはや手遅れです。そもそも、私の封印を解いたのは、レオンですよ。私を遥かなる彼の地へと運ぶ義務があります」
「もう僕から離れるつもりはない、ということか…。それで、彼の地、とは? どこへ運んで欲しいんだ」
「ひとまず、王都から西へ。道中、ゆるゆると説明しましょう。昨夜にも言いましたが、これこそ、運命。いや、神に与えられた使命……」
そこまで言うと、シャドウは急に服の中へ引っ込んでしまった。
(少々、力を使い過ぎました。話の続きは、また今夜にでも……。)
「えっ? おい、ちょっと……」
何度か問いかけてみたが、返事はなかった。どうやら、眠ってしまったらしい。
しばらくの間、立ち尽くしていたレオンであったが、みるみるうちに、身体中に生気が漲って来た。真っ暗な部屋に、窓から朝陽が射し込むように、心の中にあった闇が払われ、晴れ晴れとした気分になったのである。
確かに、シャドウの言う通りであった。このままでは、国政を担う権力者と教団に都合の良いように利用されて、始末される。それも、国王と大司教のつまらない嫉妬で。しかも、殺害後は美談を捏造し、神格化させ、未来永劫、金集めの道具にするつもりでは? レオンはそんな気がしてならなかった。
「シャドウと共に旅に出る事が、この世で自分に与えられた役割、使命だというなら、それも悪くない」
レオンはゆっくりと着替えると、朝の祈りを捧げるために、部屋を出ていった。
◇ ◇ ◇
夜になり、1日の予定を滞りなく終えて、レオンは自室に戻った。日中、幾度か小声でシャドウを呼んでみたが、無駄であった。平静を装い、普段通りに過ごしていたつもりでも、どうやって、市街地へと繋がる王城の門を突破するのか? 王都を出たら、どんな冒険が待ち構えているのだろう! と、思いを馳せ、興奮を隠しきれなかった。いつもと様子が違う御子様を訝しく思う者もいたが、今日は機嫌が良ろしいようだ、と思う程度であった。
「シャドウ、もう起きているか?」
窓から入る僅かな月明かりを見ながら、レオンは問い掛けた。
「…………………………あぁ、もう夜ですか。おはようございます。いや、こん…」
「僕は決めたぞ」
シャドウの言葉を遮って、レオンは右手の拳を天に突き上げた。
「旅に出る。どんな困難が待ち受けていようとも、君を目的地まで運ぼう。生まれて初めて、明確な目標を持った気がするんだ」
「………フフフ……嬉しいですよ、レオン。その気になりましたか。では早速、出発しましょうか」
「いや、ちょっと待ってくれ。気が早いな。まだここを脱出する計画も、準備も無い」
「では、今すぐ準備を始めて下さい」
有無を言わさぬ口調であった。
レオンはその言葉に突き動かされたかのように、そっと部屋を出た。まず、旅に必要なのは路銀である。大聖堂の宝物庫には、金貨・銀貨が溢れ、宝飾品や魔法道具も豊富に保管されていた。そこから拝借しよう、と考えたのである。いや、返すつもりは毛頭無いので、単なる泥棒であった。
本来なら、聖職者、しかも神の下僕である御子が、盗賊さながらの盗みを働くなど、許される事ではない。だが、レオンは気にも止めていなかった。自分が偽者の御子ならば、もはや教団とは何の関係もない。今日限りで決別したのだ! そう自分に言い聞かせて、罪の意識を打ち消していた。
宝物庫や書庫などの鍵の管理を任されている、ダルバという男の部屋の前で、レオンは足を止めた。実はこのダルバ、男色家として密かに知られており、以前、大胆にも、レオンに熱烈に言い寄ってきた事があった。その時やんわりと拒絶したのだが、それからたまに遭う度に、ねっとりと熱い視線を送ってきた。
顎と首の境目がわからないほどに、でっぷりと太り、脂ぎった顔と突き出た腹を思い出すと、寒気を覚えるレオンではあったが、彼の想いを利用しない手はない。呼吸を整えると、扉を静かに叩いた。
間もなく、扉が開いた。このような夜更けに訪ねてくる人物を、不審に思う表情がありありと浮かんでいたが、意中の人、御子様であると分かると、たちまち喜色満面になった。
「おぉ、御子様! 一体どうなされたのです?」
「ダルバ殿、お話したいことが……よろしいですか?」
「えぇ、何でしょう?」
ダルバは、レオンを部屋の中へ招き入れた。
「まさか、御子様が私の部屋を訪問されるとは、夢想だにしませんでした。どうぞ、こちらへ……」
恭しく頭を下げて、椅子を差し出したダルバに対し、レオンは腰を降ろそうとはしなかった。
「………それで、お話しとは?」
「一度だけ」
「…………?」
「一度だけなら、お相手しても構いません」
ポカンと口を開け、レオンの青い瞳を凝視していたダルバは、ようやくその意味を悟ると、相好を崩した。
「誠によろしいのですか?」
興奮で鼻息を荒くし、今にも掴みかかって、ベッドへ押し倒しそうな勢いである。
「その前に一つだけ、お願いがあります」
「私めに出来る事であれば、何なりと」
レオンの手を握りしめ、涎を垂らさんばかりに、口をだらしなく開けている。レオンは、手を振りほどきたい衝動を、必死に抑えた。
「宝物庫には、金銀財宝が山のように積まれている、と聞きました。以前から、中を拝見したいと思っていたのですが、なかなか言い出せず……」
「それならお安い御用です。今なら人目にも付きません。少々お待ちを」
ダルバが部屋の隅へ移動すると、ガコン、と音がして、本棚の横の壁が動いた。床に仕掛けを作動させる装置があり、壁の中には、鍵の保管庫が隠されていた。ダルバは首に掛けていた鍵を手にすると、小声で呪文を唱えて、魔力を込めた。鍵が黄金色に輝くと、鍵穴に挿し込み、ゆっくりと回した。魔力が保管庫の隅々まで行き渡ると、ようやく扉が開いた。
「では、ご案内しましょう」
宝物庫の鍵を取り出すと、ダルバは部屋の扉を静かに開け、廊下の左右を見渡して、人気の無い事を確認した。そして、ランタンを手に、静かに先導を始めた。
ほどなく宝物庫に到着すると、ダルバは金で美しく装飾された大きな錠前に、鍵を挿し込み、両手で重厚な鉄製の扉を押し開けた。ギギギッ、と大きな音が響いたので、教団関係者の寄宿舎から離れてはいたものの、レオンは誰かに聞かれないかと、気が気でならなかった。
中へ入り、今度は二人掛かりで、慎重にゆっくりと扉を閉めた。そのおかげで、先程よりは小さな音で済んだ。
改めて室内を見て、レオンは息を飲んだ。目に飛び込んできたのは、金色に目映く光る装飾品、宝石が散りばめられた短剣や、豪華な調度品の数々。近くの宝箱には、金貨・銀貨が溢れんばかりに入っていた。まさに、目の眩む光景であった。ここで、レオンは不思議な点に気付いた。ランタンの光で、広い部屋の全体が見通せるはずがない。壁に備え付けられた器具から、光を放っていた。
「この光は……?」
「御子様はご存知ありませんでしたか? これは夜光石という、日が落ちると光を放つ、神秘的な石です。なんでも、遥か北方の地で産出されるとか。近年になり、西の大陸との交易を通じて、輸入されるようになりました。市街地の街灯にも使われております」
「そのような石が、遠方から……」
ダルバはレオンの横顔を眺めつつ、ニヤニヤと嫌らしい笑顔を浮かべていた。
「それにしても、御子様のご要望は、意外でした。神の子も、金銀財宝の輝きの前では、人の子と同じですかな?」
ゲヘッ、ゲヘへッ、とダルバは下品な笑い声をたてた。
「もうそろそろ、私の部屋へ戻りませんか?」
ダルバがレオンに手を伸ばしてきた刹那――――
ドフッ、と鈍い音がして、ダルバは前のめりに倒れた。
レオンが強烈な一撃をみぞおちに叩き込んだのである。
「悪いけど、僕にそういう趣味は無い」
床に横たわったダルバを冷然と見下ろし、その首に掛けていた、高位聖職者の証である、ペンダントを奪った。そして、金貨や銀貨が詰まった袋を何個か手にし、棚から魔法道具もいくつか取って、近くにあった大きな布で包んだ。さらに、部屋の中央に仰々しく飾られていた剣が目に留まり、腰に差した。
レオンは自室へ戻ると、荷物を降ろして、フーッと大きく息を吐いた。
「レオンもいざとなると、大胆ですね」
いつの間にか、服の裾からチョロチョロと、シャドウが飛び出していた。
「君の声に促されて、咄嗟に思い付いたんだ」
「これで、脱出する計画があれば良かったのですが……」
「…………」
「あの男の性格からして、目覚めたらここへ乗り込んでくるのでは? あまり悠長なことは……」
「わかった。取り敢えず城門へ向かおう」
レオンは動きやすい衣服に着替え、ローブを纏いフードを深く被って、顔の下半分に布を巻いた。そして荷物を背負い、城門へと向かった。
巡回する番兵をなんとかやり過ごし、レオンは城門の近くへ達した。
(勢いでここまで来てしまったが、どうする……?)
城門の前には、かがり火が焚かれ、夜光石の外灯もいくつか設置されている。何人もの衛兵に気付かれずに、城門へ到達するのは不可能に思えた。たとえ発見されなかったとしても、一人で城門を開く術が無い。鉄製の格子戸が下ろされ、門には大きな木製の閂が通っている。
(教団の密命を受けている、と伝えて開けさせるか? ……いや、この時刻では……。確認のために大聖堂へ問い合わせるかもしれない……。)
(衛兵たち全員に金を握らせて、通過させてもらうか? しかし、それも……。)
レオンが思案を巡らせていると、城の方から、ガラガラと荷車の音が聞こえてきた。
(これだ!)
それが出入りの商人の荷馬車と踏んで、レオンは行動を起こした。暗がりで待ち構えて、荷台に乗り込み、荷物に紛れて隠れる。果たして、近くに来た馬車の荷台には、空の木箱やタルが満載されていた。
(よし、やるぞ!)
馬車が城門正面の、王城の最初の門に差し掛かって速度が落ちた瞬間を狙って、レオンは見事に飛び乗った。剣は隙間に押し込み、自分はタルに身を潜めた。このタルには果物が入っていたらしく、ほのかに香りが残っていた。
やがて、荷馬車は城門の前で止まった。
「ラザンか。いくら王家御用商人とは言え、このような時間に下城とは、どういうことだ?」
衛兵の隊長らしき男が、声を掛けた。
「これは申し訳ありません。城内で話が弾み、ついつい酒杯を重ねまして。今回は、姫様や王妃様をはじめ、注文が多かったものですから。早く帰って手配をしませんと、納期が遅れてしまいます。あなた方が、お咎めを受けるかもしれませんなぁ」
隊長は苦虫を噛み潰したような顔をして、富裕な商人を睨んだ。ラザンは、涼しい顔をしている。
「城門を開けよ!!」
隊長の命令で、10人程の衛兵が、力を合わせて門を開けた。
(よし、やった!)
レオンは心の中で叫んだ。
ラザンが、出発しようとすると、隊長が立ち塞がった。
「待て、一応荷物を改めさせてもらう。規則なんでね」
隊長はいくつかの木箱を開けて、中を確認し、後ろの方へやって来た。
(くっ、まずいぞ……。)
レオンは緊張で、冷や汗が吹き出した。そしてレオンの潜むタルの蓋に、隊長の手が触れた。
「もうその辺でよろしいでしょう?」
ラザンの声で隊長は蓋から手を離し、戻っていった。
「お勤めご苦労様です。少ないですが、これを皆さんの酒代にして下さい」
ラザンから隊長に、数枚の銀貨が手渡された。隊長はチラッと手元を見ると、黙って引き下がった。最初から、これが目当てのようであった。
「よし、通せ!」
ガラガラと音を立てて、荷馬車は動き出した。
(やった、やったぞ! 脱出成功だ!)
偶然現れた荷馬車に、レオンは心の底から感謝した。こうして、旅は始まったのであった。