第18話 ボルダン、動く
辛くもフランシーヌ率いる御子探索隊を振り切り、ベルカンナポートからの出港を果たしたレオンたち。右手に陸地を臨みながら、船は海面を滑るように進んでいく。
その船縁には、離れ行く港町を憂いの表情で見詰めるエレナがいた。そこへレオンとシャドウがやって来た。
「どうしたの、エレナ」
「……。いえ、出発する前に姉様に挨拶を、と思っていたんですけど…………。あの人たちは、何者だったんでしょうか。特にあの女性の騎士、激しい剣幕で叫んでました」
レオンは思案を巡らせてから、口を開いた。
「お姉さんとは、また会えるさ。……あの騎士は、国王の末娘フランシーヌ様だよ。僕を連れ戻しに来たそうだ」
「お姫様? ではあの方が、噂に聞く斧槍戦姫ですか?」
「そう。いずれ追っ手が掛かるとは予想してたけど、まさか姫様がその任に当たるとは思わなかった」
それを聞くと、エレナが眉をひそめた。
「どういうことですか? なぜレオ様に追っ手が?」
「それは……」
レオンを本物の御子だと信じて疑わないエレナに、レオンはとても真実を語る気にはなれなかった。今さら、偽者だと告げたところで、まともには受け取らないであろう。レオンは一呼吸置いて、
「すまないエレナ。王都を密かに抜け出して、旅に出たんだ。王家と教団には無断で……」
とだけ、絞り出すような声で言った。
「…………。レオ様と初めて出会った日の夜、シャドウという奇妙な存在だけを連れての旅だと知って、よほどの事情があるのだと思いました。でも、なぜそのような……」
「戦争に利用されるからですよ」
シャドウはレオンの苦衷を察し、肩に手を乗せると、交代するかのようにエレナの前に出た。
「エリクセン王国は魔唱石戦争で国内が混乱した際に、ボルダンに侵攻され、領土を失いました。近年になって財政が安定し、国力が回復したので、王家と教団は御子レオンを旗印に、領土奪還の聖戦と称して、年内にも戦争を起こそうとしているのです」
御子を聖戦の象徴として先頭に押し立てる事は、噂には上っていたが、まだ正式な発表はされていなかった。
「御子を信奉する勢力は、王族や貴族にも広まっているそうですし……。時期を見計らって御子の参戦を発表し、士気を上げるつもりだったのでしょうが、その御子が消えたとなれば、大いに動揺することは必至。戦争どころではなくなるかもしれません」
「それで姫様が、レオ様を連れ戻しに来たんですか」
「おそらくは」
「……………」
暫しの沈黙の後、エレナは訊ねた。
「では、北へ……ボルダンとの国境地帯に行く理由は、何ですか。危険ではありませんか」
「いや、とりあえず北に、と思っただけで他意は無いんだ」
なにしろ、シャドウが肝心な行き先を明かさないので、最終的な目的地はレオンも知らないのである。シャドウは封印を解かれた際に、レオンに彼の地へ運んで欲しい、と要求した。それは何処なのか。
「エレナ、シャドウ。国境付近が一触即発の危険地帯であることは、重々承知の上だ。でも、なぜか行かなくてはならない気がするんだよ」
レオンにそう言われると、2人は反対する気にはならなかった。
船はどんどん北上していき、途中多少の悪天候に見舞われたものの、2日後には小さな港町レノに無事到着した。これ以上北へ進んでも、切り立った岩肌の台地が続き、ボルダン領内まで寄港出来る場所は無かった。
「まさか、馬2頭に馬車まで乗せて、慌てて出港する羽目になるとは思ってもみませんでしたぜ」
桟橋に板を渡して、頑丈なロープで固定していた馬車を降ろし、汗を拭きながらデールがぼやいた。
「デール。契約終了だね。これで君の罪は水に流そう」
「もうあんな事しちゃダメですよ。姉様に、エレナが挨拶せずに旅立った事を詫びていた、と伝えて下さい」
「また悪さをしたら、今度は許しませんよ?」
「へ、へい」
デールは4日前、レオンたちが発見した財宝を持ち逃げしようとした時、シャドウに船上で取り押さえられたのを思い出し、ブルッと身震いした。
水と食料を補給すると、デールはすぐに引き返した。レオンは出発を急ぎ、馬と馬車を手際よく馬具で繋ぐ。フランシーヌら追跡隊が陸路を馬で駆ければ、あまり余裕は無い。
レオンは町人たちに幾ばくかの金を渡して、僕たちの事を尋ねる者が来たら、それぞれ適当に答えてくれないか、と頼んだ。レオンたちはとても悪人に見えなかったので、町人たちは引き受けた。
馬車の準備が整うと、レオンたちは港町を出発した。レオンが御者となって馬を操り、隣にエレナがちょこんと座る。シャドウは荷台に乗った。貴族が使用するような豪華な物ではなく、主に商人が使う、荷台に幌を張った普通の馬車であった。
港町を出ると、すぐに北方街道にぶつかった。レオンが左折する前に右へ目をやると、街道が海沿いに、遥か南まで延々と続いているのがわかった。今にも、砂煙を上げてフランシーヌたちが現れそうである。レオンは街道に入ると、北へ進路を取った。
「この新しい黒毛の馬なんだけど、メイって名前はどうかな」
「覚えやすくていいですね」
周辺の地図を広げていたエレナは、ニコッと笑った。
「私も異存はありません」
荷台からシャドウの声がした。
「よし、キアラ、メイ! これから頼むぞ」
2頭の馬にレオンの呼び掛けが通じたのか、少しだけ速度が上がったように感じられた。
◇ ◇ ◇
寒々しく、華美さの欠片もない、石壁の広間。その奥の数段高い位置に、赤い絨毯が敷かれている。重厚な造りの椅子には、片肘をついてやや身体を傾け、顎髭を撫でる男が座っていた。背後の壁には、剣と斧が交差した旗が掛けられている。
ここはボルダン王の居城、ブリスクス。玉座の間であった。ボルダン王ゴランは、配下の報告に耳を傾けていた。
「陛下。隣国の王都エリクシアに潜入している密偵から、鳥が放たれました。密書によると、城内で騒ぎがあり、御子が行方不明になったとのこと。城下でも噂になり、王家と教団が火消しに動いたそうです」
「ほう……? 御子と言えば、神の子として戦に担ぎ上げられるそうだが」
数ヵ月以内に、隣国エリクセンが聖戦と称して領土奪還を企てているのは、既に周知の事実であった。それに対抗して、ボルダンも軍備の増強に努めている。
「はっ。仰せの通りにございます。まだ公式発表はありませんが、間違いないかと。国民は勿論、王族や貴族にも御子の信奉者が増えているようで……。大聖堂の一室に籠っていると告示がありましたが、騒動以来、誰も姿を見た者はおらず、動揺が広がっているようです」
「それは面白い。よもや、不慮の事故か、病で死んだのではあるまいな? 必死で隠そうとしているなら、滑稽だが」
「それも有り得るかとは存じますが」
報告者は傍らに控える大臣に、1枚の紙を差し出した。それが王の手元に渡される。それはレオンの似顔絵であった。
「騒動から数日後、その手配書を持って聞き込みをする者がいたそうです。大聖堂に忍び込んで宝物を奪った盗賊との触れ込みで。さらに何日か後には、あのフランシーヌ姫が武者修行に出ると突然言い出し、わずかな供を連れて、西へ疾駆していったとのこと」
ゴラン王の目がギラリと光った。
「フッ、斧槍使いのおてんば姫か。1度手合わせを願いたいものよ。…………この手配書の盗賊が御子で、西へ逃げたのを姫が追跡、ということか? わざわざ姫が追うのは解せぬが……。クロードを呼べ!」
兵士が呼びに走ると、やがて1人の男が現れた。ほっそりとしていて、顔色はやたらと青白く、冷たく冴えた目をしていた。
「陛下、お召しにより参上致しました」
「うむ、クロードよ。例の御子とやらが、どうやら逃亡したらしい。余はこれを捕らえて、逆に利用したいと思う。そこで、お主の特務部隊に働いてもらいたい。多少は傷付けても構わぬ。必ず生かして余の元へ連れて参れ」
「ははっ。お任せ下さい」
「この手配書を持って行くがよい。その少年が御子だ。詳細はそこの者から聞くように」
クロードは王に一礼すると、報告者と共に広間から出ていった。レオンたちの知らぬ所で、新たな脅威が発生したのである。
一方、レオンたちは分かれ道に差し掛かっていた。
「えーっと、アドル伯爵領はこの辺までで、このまま北方街道を行くとバリス騎士団領。右はエンセンドール侯爵領ですね。どうします?」
(このまま国境地帯へ直行するべきだろうか?)
レオンが腕組みして悩んでいると、右から2人の男が、息せき切ってやって来た。馬車の横で座り込み、激しく喘いでいる。
「どうしました?」
見るに見かねてレオンが尋ねると、半泣きで若い方の男が応えた。
「この先で、突然モンスターに襲われたんだ。荷馬車を置いて命からがら逃げて……。助けてくれないか?」
「もうこの辺りまで来ると、いつモンスターの襲撃を受けるかわかりませんね。レオ様、助けに行きましょう」
「そうだね。さぁ、後ろに乗って」
「おおっ、ありがたい!」
親子らしい2人は、後ろに乗り込んだ。
しはらく走ると、道端の土手に落ち、斜めにひっくり返りそうになっている荷馬車が見えた。モンスターの姿はなく、荷物が荒らされ、食料品は無くなっていたが、馬と荷台は無事であった。
散乱した荷物を集めている間に、シャドウが凄まじい力を発揮して荷馬車を上に押し上げた。
何度も頭を下げて、商人親子は礼を述べた。レオンがまあまあ、と笑っていると、前方から煙がもくもくと上がっているのが、木々の間から垣間見えた。
「何でしょう?」
「この先に小さな村があるので、そこかもしれません」
「行ってみよう!」
商人の言葉に、レオンたちは煙の上る方へと急行した。果たして、そこには村があった。確かに煙がもうもうと上がっている民家があったが、そこかしこに転がっているのは、モンスターの死骸ばかりである。
村の広場へ行ってみると、1人の騎士が数匹のモンスターと戦っていた。華麗な槍さばきと、その穂先から電撃を飛ばして、あっという間に片付けていく。
「やあああっ!」
澄んだ掛け声を上げて最後の1匹を串刺しにすると、死体を踏みつけて槍を引き抜き、ブンッと血を振り払い、槍の柄で肩をトントン、と叩いた。まだ暴れ足りない、といった所作であった。
戦闘が終了し、村人たちは家や教会から恐る恐る出て来ると、騎士を遠巻きにしてざわざわしていた。レオンはその騎士の方へと、ゆっくりと近付いていった。




