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黒龍神話  作者: 小池 洋子
第3章 今上帝 光栄
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3-15話 救い

 ソクリが天命を終え、神の業火で焼き尽くされたその時、何が起きたのか、それを知っているのは、ソクリの魂の外側から全てを見ていた巫女の小雪だけだった。


   *   *   *   *   *

<黒龍よ。お前の仕事は終わった。>

 光の玉から声がした。

<左様でございますか。>

 ソクリが答える。

<よくぞ、ここまで闇を集めたな。褒美を一つやろう。願いを言うがいい。>

<我を焼き尽くし、闇を光にお戻し下さい。>

<何も残らぬぞ。>

<はい、承知しております。>

<人の輪廻に戻りたくはないのか?>

<何度生まれ変わっても、罪を償う事はできませぬ。>

 ソクリの魂の中にある前世の記憶には、罪を犯す姿ばかりだった。

<閻魔の僕として生きる事も出来る。>

<全てを終わりにして頂きたく思います。>

<では、その願いかなえよう。>

 火の中に飛び込んできた光常が見えた。

   *   *   *   *   *


 そこで終わりだった。龍涙石から見た光景と今の光景が全て繋がった。天命を果たす為に人としての罪を重ねねばならなかったのだ。人としてあまりにも悲しい魂ではないかと涙が出た。小雪は紙に筆を走らせると、大妃に手紙を書いた。

 巫女からの手紙を呼んだ大妃は手の振るえが止まらなくなった。

「誰か。」

「何か御用でございますか? 大妃様。」

「急ぎ、主上にお目通りを。」

「お伝えしてまいります。」

 女官から大妃の様子がおかしかったと聞き、光栄が急いでやって来た。

「母上、どうしたのです?」

「これを。」

 大妃は小雪の手紙を光栄に渡した。

「これは・・・、これは本当なのですか?」

「恐らく・・・。」

「父上と二の妃様が亡くなられたなど・・・。」

「天女様もです。」

「それは・・・。」

「光常公子がどうなったのか・・・。」

「これは小雪が魂の世界で見た事なのですね。」

「多分・・・。」

「我が神殿へ行って参ります。」

 王が神殿に行くと、神殿兵が出迎えたが、小雪は、気を失ったままだという。

「他に事情が分かる者はいないか?」

「私達ではどうにもなりませぬ。小雪巫女様が気がつかれましたら、すぐにお知らせ致します。」

「分かった。いつでも良い。待っている。」

 今夜は気が付かないかもしれないと巫女は言ったが光栄は部屋で知らせが来るのをじっと待った。


 最初の知らせは卓商の鳩だった。『大君、妃、死。公子、治療にて東風向かう』

「何だ、これは。」

 手紙を受け取った卓は宰相の部屋に急いだ。

「これは・・・。」

 これが本当なら一大事である。黄凜は光栄の執務室へ行く。

「何と・・・。やはり本当だったのか。」

「やはりと言いますと・・・。」

「小雪巫女が魂の中から父上が亡くなったのを見たと・・・。」

「それで・・・。」

 光栄は張医官を呼ぶよう言い、椅子に座った。

「小雪巫女は何を見たのです。」

 光栄は小雪巫女の手紙を差し出した。


『閻魔の命にて人の闇を集めし黒龍、役目を終え、天の業火にて魂を焼き尽くし、光となりて天に戻る。天帝、黒龍に願いを聞くが、我の罪、全て焼き尽くす事こそ天帝の慈悲と答えり。』

 もう一枚の紙には光常がソクリを助けようとして火の中に飛び込んだのが見えたと書かれていた。

 やって来た張医官は暫し目を閉じた。

「東風へ行ってくれ。」

「命であれば、どこにでも参りますが・・・。難しいかもしれませぬ。」

「何故、そう思う?」

「火の中に飛び込んだとすれば、考えられるのは火傷です。軽ければ水で冷やすなどして布を巻くなどします。どの医師にとってもできるのはそこまで、治るか直らぬかはどの程度の火傷だったか否か・・・。医師の腕が良くても出来る事は限られているのです。重ければ安静が第一ですが、こちらに向かっているという事が何を意味するのか・・・。」

「それでもいい、できる限りの治療をしてやってくれ。」

「一つ、伺っておきたい事がございます。」

「何だっ!」

 張医官があまりに落ち着いていて、黄凜の頭に血が上った。

「お怪我がひどく、手足の肉が腐りかけていた場合には、切り落とす事になっても構わぬでしょうか?」

 光栄は苦しそうだった。

「構わぬ。公子の命が助かるというならそれでも構わぬ。」

 光栄の手は震えていた。

「切り落としてもお命をお助けできるかは、分かりませぬ。ですが、最善を尽くします。」

 すぐに仕度をすると張医官は東風へ向かった。


 東風へ向かう馬車の中で光常はぐったりしていた。一度、心臓が止まった。何とか息を吹き返した物の、苦しそうにうめいている。明花と青順、それに深月はほとんど眠らずに光常の看病をしていたが、流石に疲れが出ている。馬車の中で明花と青順は居眠りをしていた。

 深月も疲れてはいたが、逆に全く眠れなかった。


 神殿は三日間燃え続け、その間、西神殿を守る朱雀巫女はその前から動かなかった。朱雀巫女の目には闇が光となって上って行くのが見えた。人として生まれながら、閻魔の命で闇を集め続け、天帝様の業火で魂を焼き尽くされねばならない運命を持って生きた大君が哀れだった。自らの魂を妖に糧として与えていた為に、そう長くはなかったろうという事であっても、一緒に最後まで共をした二の妃も哀れだった。


「隊長、東風が見えてきました。」

 馬車を操っていた神殿兵が言う。

「ここまでは何とかなったな。」

「きっと、医官が待っています。大丈夫ですよ。」

「だといいな。」

 この状態ではいつ息を引き取ってもおかしくない。明花が光常を宮へ戻すと言い出した時に止めなかったのは、息を引き取るなら宮でと考えたからだ。

 東風で張医官の顔を見ると公女と青順はほっとした顔を見せた。二人とも医師としては新米である。治療日誌を見せ、状態を説明する。

「息が苦しそうで、一度は心臓が止まって・・・。」

 青順が言う。

「苦しいのですよ。」

 張医官は布を取るように言うが、絶対に駄目だと明花が言う。

「では傷のない所だけにしましょう。」

 布を切っていくのも難しいのだが、それは深月が手を貸した。手を少し布に差し込むと綺麗に内側から裂けてゆく。

「少し肺が縮んでしまっています。」

 張医官が胸を数回圧迫すると光常は大きく息をした。そして、鍼を打つと、顔色がみるみるよくなって行く。

「公女様、青順医官、ここからは私が診ます。だから少し休みなさい。」

「でも・・・。」

「私が疲れたら代わって貰わねばなりません。お休み下さい。」

 張医官に言われて、明花と青順は用意された部屋に行く。

「深月隊長もお休み下さい。」

「もう少ししたらな。」

 張医官は脈を取ると、白い粉を大量に混ぜた湯を飲ませる。痛み止めの薬を煎じるよう医女に言うと、椅子に座った。

「何か我に言いたい事でもおありか?」

 疲れた様子なのに部屋から出ない深月を不思議に思って張医官が聞く。

「公女様だが、多少力を持っておられる。」

「ふーむ。それはどんな?」

「人の血の流れが分かるようだ。」

「ふーむ。何をしたんです?」

「公女様ができるのは見る事だけだったので、血管につまった何かを我が壊したのだ。」

「なるほど、それで体中にちゃんと血が回っているのか。普通だと、体の一部が腐り始めていてもおかしくない。」

「まあ、その、何というか・・・。腐るには元があってな、それをなくせば腐らんのだ。」

「えっ。」

「黴も生き物なのよ。」

「ふーむ。生き物・・・。」

「公子様は生き残られるように思う。」

「それで?」

「更に過酷な運命が待っているのかもしれぬなと思ってな。」

「ふーむ。」

「誰かに知っておいて欲しかったのよ。それだけだ。では、我も少し休む。」

 深月も部屋に行った。薬湯を飲ませると光常は少し楽になったように見えた。


 重傷を負った光常を乗せた馬車が東風へ向かっている頃、孫博士と西神殿ではソクリの遺体を捜すべく、焼け落ちた神殿の片づけをしていた。孫博士の目にはその焼け跡はひどく異様な光景に見えた。外側は普通の火事と同じように木が炭になって焼け残っているのだが、ソクリがいた祈りの部屋に近づくにつれて真っ白な灰が多くなって行く。

 一緒に遺体を探している辛 道鳴将軍は、命令をする以外は一言も口を聞かない。焼け落ちた瓦や柱などを取り除き、床が見えて来たのだが、人の遺体らしき物は見えない。

「確かにここにおられたはずなのに・・・。」

 辛 道鳴将軍が不思議そうに言う。

「孫博士、あの白い灰が大君のお骨でございます。」

 巫女が指差しながら言う。

「お骨を入れる壺を持て。」

 孫は木の燃えカスとは明らかに違う白い灰を、巫女が言うまま壺に入れる。となりにはわずかだが骨の欠片が残っている。

「二の妃様のお骨でございます。」

 散らばっていた骨を別の壺に入れる。骨を入れた壺を抱き辛 道鳴将軍は涙を流した。無残な遺体を見るのも辛いが、骨すら残らぬ程に天の業火なる火で焼かれて死ぬなど、天帝様もひどい事をなされると思った。

「巫女様、天女様は見えぬか。」

「はい・・・、そう、その石の下です。」

 巫女が指差した石をどけると、怪しい色に輝く石があった。

「これは・・・。」

「天女様のご遺体でしょう。」

 孫が石を持ち上げると、その下に二つの色のついた石があった。両方を手に持ち巫女の方へ向かう。

「これは・・・。」

 巫女が石に手を触れる。

「この石は神器でございます。」

「なんと・・・。」

 小さな石は本神殿に納めるのが良いと巫女は言った。

「神器なら、小さな石もこの神殿に納めた方が良いのではないのか?」

「いいえ、この石は本神殿で眠りたがっています。」

「そうか。」


 他にも元は髪飾りと思われる金の塊などがみつかり、遺骨と共に孫は白海の宮へ向かった。途中の東風では光常の治療をしていたが、一応の危機は脱したかもしれないと張医官に言われる。

「助かるかもしれないのか?」

「公子様の体力がどこまで続くかという戦いになりますが、何としても宮へはお連れしたいと思います。」

 まだ、意識の回復しない光常を残し、孫は宮へ急いだ。

「天女様、大君、二の妃様のご遺骨をお持ちいたしました。」

 重臣達と共に執務室にいる光栄の前に骨壷の入った箱が置かれる。光栄は無言だったが孫は説明を続ける。

「永花公女様のご遺骨は天帝様の加護で神器となったとの事で朱雀神殿に納め致しました。小さな石も神器となりました永花公女様のご遺骨でございます。本神殿で眠りたがっているとの事ですので、お持ちいたしました。王様の手で本神殿にお納め下さい。」

 言い終えると、孫はゆっくりと、お辞儀をした。暫くの間、床に着けた頭を上げなかった。体が震えている。頭を上げた孫の目には涙が浮かんでいる。


「天女様はこんな小さな石となってしまったのか。」

 光栄は無表情のまま、七色に光る鮮やかな色のついた小さな石を見ながら言う。

「葬儀の準備をするよう。」

 礼部令が承知しましたと言うと、孫は部屋を退出した。内官に案内され、大妃殿に行く。

「苦労をかけたの。孫副城主。」

「我は、何もできず・・・申し訳ありません。」

「そなたも怪我をしたと聞いている。大丈夫なのか?」

「我の火傷など大した事では、ございません。公子様に比べれば・・・。」

「大分良いという手紙を先程受け取ったのだが、容態はいかがだった?」

「張医官は、ここからは公子様の体力に掛かっていると言っておりました。ですが、何としても宮へお戻ししたいと・・・そのように。」

「そうか。まだ、生きておるのだな。」

「はい。意識は戻っておりませんでしたが、傷は回復に向かっているように見えました。」

「ならば、よい。大君の御魂が光常公子を守ってくれよう。」

 声は落ち着いているが、手がわずかに震えているのを孫は見逃さなかった。悲しいのだろうが、死を悼んでばかりもいられない。ソクリばかりか、光常もいない西白を守りきれるのか、それは誰しもが不安に思っている。


「王様へとお預かりしました。先ほどお渡しする事もできたのですが、大妃様からお渡し頂く方が良いかと思います。」

 今、仕掛けれられば西は危うい。公子妃から預かった本があるが、どうすべきか迷っていると孫は本を大妃に差し出した。

「ふーむ。」

 大妃は本を開いた。

「棋譜か。色々と考えておられたのだな。公子妃は何か言ってはおらなかったか?」

「王様が王として止むに止まれぬ判断をされた時、これが必要になるだろうと、公子様がおっしゃられたそうです。」

「そうか、葬儀が終わったら、我から渡そう。」

 その声は何かを決意している様にも感じられた。


 孫は暫くの間、林家に滞在する事にした。宮の林本家には、葬儀の為に出てきている一族と長光大博士がいた。

「こんなに早くお亡くなりになられるとは・・・思ってもみなんだ。」

 長光大博士が言う。

「老齢ではあったが、まだまだお元気だったしの。公子様も大怪我、さて、どうした物か・・・。」

「先程、大妃様に棋譜をお渡しした。」

「そうか。」

 大君は色々な事をとても色々心配されたいたと孫が言う。

「それはそうだろうの。王が行った配置を考えれば、心配せぬ方がおかしい。」

「金家の謀反を疑っておられたのか?」

「いや、大君はそれは疑ってはおらぬ。しかし、貴族は違うからの。」

 青樹を右将軍に据える事には反対はしなかったが、長男の青栄は最前線の城主、回りは朴家、辛家、それに林家で囲んでいる。

「戦でも反乱でも大君と、公子様が後ろに控えてさえいれば、どうにでもなるのだろうが、いずれにせよ、青栄は討ち死にしかない。我は、それでは困ると思っておるのよ。」

 長光は孫に本音を吐いた。辛家が勢力を伸ばしているとはいえ、旧青真軍が強いのは確かである。青風が死んで軍を辞した将軍もいる。ここで青栄が戦死という事になれば、軍を辞する者はもっと増えるだろう。青栄に従う兵が育つまで、金家の兵は温存すべきというのは孫も同意見である。

「お前は、違う配置が良かったと思っているのか?」

「これを・・・。」

 長光が考えた兵の配置と人事案だった。

「ふーむ。」

 孫は金 青栄さえ信用できるなら、悪くはない案だと思った。

「どうして、お前がこんな物を持っている。」

 孫が聞く。

「頼まれたので書いただけの事。」

「誰にだ?」

「王様に決まっているだろう。」

「そうか。」

 この人事案は、貴族からの強い反対に合ってしまった。

「それで、これをどうするつもりだ?」

「朴宰相様も退かれるつもりだしの、お前から辛 道柱公に渡してくれぬか。」

「何故、我が・・・。」

「我では目立つからの。辛 道柱公がそれに反対するようなら・・・。」

「反対なら何なのだ?」

「暫くはこのまま平行線を辿るしかない。」

「うーむ。西側が負けるというのか?」

「負けるとまでは行かぬかもしれぬが、一番危うい城は陥落するかもしれん。」

「一番、危うい城?」

「北松城よ。元の東風首狩り鎌を使う騎兵などもいるから、強いには強いかもしれぬが、平野戦ならともかくも、篭城となると無理がある。」

「ふーむ。今までは父に従って謀略をやっておったのだろう。兵法にも通じているではないか。」

「それは、そうだが、謀略といっても凡人の域は出ぬ。こちらの手に相手が乗っている間は強いかもしれぬが、予想外の手で仕掛けられた時に脱する方法は分からない様に思う。」

「随分と、詳しいじゃないか。」

「伊家とは、付き合いが長いんでの。」

「理由は何だ?」

「ただの家出よ。居心地がいい。」

「ふーむ。」

「我に言えるのはそれだけだ。」

「お前は、出仕はせんのか?」

「そんな事をしたら研究の時間が無くなってしまう。」

「その割りに、研究ではない金稼ぎをやっているじゃないか。」

「仕方ないのう・・・。西洋の書物を買うにも金が掛かる。」

「そう、一度聞いておきたかったんだが、お前の専門は何だ?」

「地質学に決まっておるだろう。石と金属は大地の中を知る手がかり。我は大地を研究しているのだ。」

 昔、自分が子供の頃に山に行き、石の中に貝殻があるのを見つけた。一緒にいた大叔父は大地も動いているのだろうと言い、石に興味を持った。崖の岩に見える縞模様はどうして出来たのか。不思議な事ばかりである。

「土木はどうなんだ?」

「あれは仕事よ。やらんと、親父殿が小遣いをくれんのでな。」

「小遣いねえ・・・。良い、ご身分だな。」

「お前が思っている程は、使っておらぬよ。ではな。」

 一緒に飲んでいた酒もなくなり、長光は部屋に戻った。


 翌日、大君の葬儀には民も含め長い行列が出来た。光栄は悲しんでいる間も無く、政務に戻らねばならなかった。宰相も宮を去り、辛 道柱公を宰相に任じる。

 宰相が他の者の人事を発表すると、貴族達は、王様御考え直し下さいを繰り返す。

「そんな事をされてはなりません。金家は過去に何度も謀反を起こしております。その金家の当主に大将軍を任じるなど、到底許される事ではございません。」

「金家がいつ謀反を起こしたというのだ。」

「それは・・・。大君がお許しになられたからでございます。」

「我は謀反の罪を犯した者を許した事などない。それは、亡くなった大君も同じだ。」

 辛宰相には王の決意が嬉しかった。そもそも、青真軍が謀反を起こした時にも、青樹が動かなかったからこそ、今の白海がある。辛宰相にはそう思えた。

「王様、貴族には我から話をしたいと思いますが、いかがでしょう。」

「それは、構わぬが、将軍の人事異動に伴う兵の配備は、一刻も早く済ませたい。」

「承知致しました。」

 辛宰相が言うと、光栄は頷き、便殿を出た。

「朴兵部令、金右将軍、行って兵の配置を考えるように。」

 二人は兵部の執務室へ戻って行った。


「宰相様。こんな事を認めてはなりません。」

「似ておる。」

「何が、でございますか?」

「状況が東風が陥落した時と似ておるように思う。あの時も、こんな風に、永望帝と貴族の意見が対立した。 今、この人事に反対し、黒山から切り取った領地を失ったら、皆はどう責任を取るつもりなのだ?」

「辛宰相様はこの人事で大丈夫と思っていらっしゃるのですか?」

「我が黒山王なら、この機会を逃さずに城の一つも取り替えそうとするがな。」

 貴族は黙った。謀反も危険だが、黒山からの侵攻はそれ以上に脅威である。

「まだまだ、我慢せねばならんという事よ。」

 辛宰相の静かな声が、貴族の耳には冷たく聞こえた。

「今回は文官の人事異動は無かったが、上奏が必要か?」

「我々がいなくなって、国は立ち行くと思っておられるのか?」

「仙才が一人いれば、何人分の仕事をするのからのう・・・。」

 長光大博士を呼ぶつもりかと重臣達は思った。

「来て頂けるはずもない。」

「一番上というなら、来ていただけるのではないかのう。」

「一番上?」

「宰相としてなら、来ていただけると思う。弟子も大勢いるし、人材には困らぬ。」

「そんな、馬鹿な。」

「今、黒山から侵攻を受ければ、ここにいる全員で責任を取らねばならぬ。そうではないのか?」

「ですが、宰相。金 青樹公は・・・。」

「問題は金 青樹右将軍ではない。旧青真軍と旧青鋼国の民は互いに勢力争いをしているが、王様が金家を切って捨てるなどと思えば、旧青鋼国の民として一枚岩となり反乱を起こすかもしれん。その時、白海はどうなるのか、考えた事はあるのか?」

 金家の兵は強い。旧赤川の貴族が金家に従えば、白海との兵力は同程度になるだろう。内戦が勃発すれば、黒山と北領が黙って見ているはずもない。


 辛宰相が右の執務室に行くと、兵部令と金右将軍が来ていた。

「貴族はどうだった?」

「納得はしない物の、この状況で城を奪還されるなどの事態は避けたい様子でございます。ですが、大将軍という地位に就けるのには多少の無理があるように思います。」

「では、どうする?」

「副将軍の地位では如何でしょう。」

 通常は大将軍の補佐として置かれる地位だが、大将軍がいない今ならば、軍部の将軍の一番手となる。しかし、大将軍のような大きな権限は持たない。宰相は大将軍の地位は空座にして、本来なら大将軍の権限で行う人事などは光栄が直接行ってはと進言する。

 妥協点としてはそれしかないかと光栄は辛宰相の意見に従う事にした。

「では人事はそれで行くしかないか。」

 青樹は頷いた。


「今、移動する兵の説明を受けていた所だ。」

 光栄は見ていた書類を辛宰相に渡した。

「青真軍の弓部隊と山岳戦になれた武将を剣聖将軍につけるのですな。なるほど。」

「剣聖は武将としての経験が少ないが、やりにくくはないだろうか?」

「剣聖は心配いりません。東風にも青真軍が配備されておりましたし、毎年、訓練に参加しておりました。」

「そうか。辛宰相が言うなら大丈夫だろう。」

 光栄は裁可の署名をして印を押した。

「公子様のご様子は如何でしょうか?」

「生き残ってくれる。今はそう願うしかない。母上もそう信じておられる。」

「王様、今後の計画はもう決めていらっしゃいますか?」

「暫くの間は膠着状態で良いかと思う。戦が続いて、宮の財も大分減っておるし、民はもっと苦しかろう。剣聖の城はどうにか守って貰いたいのだが、将軍や兵を沢山失うという事になれば、叔父上達の城は、一旦は諦めても仕方ないかと思う。」

「経済回復を優先させるという事ですな。」

「そうなる。今は、無理すべき時ではないと思う。将軍達も若い。黒山を併合できるのは、将軍達が歴戦の兵となる頃かもしれんな。」

「分かりました。我は、兵の育成に力を注ぎます。」

「そうしくれ、副将軍。」


 朴兵部令は帰りに黄凜の家に寄り、話をする。

「無難な手だが、悪くはない。狙い時は今度、黒山で揉め事がありそうな時だ。」

「揉め事?」

「王位継承よ。今の王には二人の公子がいるが、親のやった事を見ているからの。」

「それは、そうですが、そんなにうまく行きますでしょうか?」

「王位継承で揉めない事の方が少ない。」

「そうですな。」

「卓が東風へ行って様子を見てきたんだが、お命は何とか取り留めたものの、ひどい状態らしい。」

「悲しいですな。」

「確かにそうなのだが、公子を押したい勢力が、諦めてくれれば、一応の所、心配事は減る。」

「ふーむ。」

 従兄弟である黄凜が昔から冷静な事は知っていたが、こんな形で見捨てられてしまう光常は哀れだった。

「もう、意識が戻られていてな。救いだとおっしゃったそうだ。」

「救い?」

「兄である王様と自分が生きる道が見つかったと・・・、公子様も心の奥底では王になりたいという気持ちは捨てきれなかったのだろう。」

「そう・・・ですか。」

「公子様が少し後ろに下がられれば、西は案外うまく行くかもしれん。」

「赤川貴族ですか? 使えない連中ばかりらしいではないですか?」

「大君も公子様も、怖い所があるからな。意見などして罪に問われるのが怖かったのかもしれない。城主が琴将軍ならば、文句でも意見でも言い易い。」

「琴将軍は大変そうですな。」

「西白城主に大抜擢だからな、頑張るだろう。」

「真面目ですからな。」


 光常が宮へ戻ったのは三ヶ月後だった。宮に到着したと連絡を受けた内官が迎えに出ると、どんな様子か見ておきたい貴族が集まった。

 籠から内官の手を借りて降りた公光常の顔には布が巻かれている。内官の手を借り杖をついても歩くのがやっと、目も見えないらしいと感じると、光常を王にと思っていた貴族は、これではもう駄目だと諦めるしかなかった。

 便殿で光栄に帰還の挨拶をすると、光常は父の祠堂へ行った。遺言で墓は作らず、遺骨を納めた箱が肖像画の隣に置かれている。


 張医官とは別の医官が一緒と思ってよく見るとそれは青順で医女の服を着た明花は、庶民のように日焼けしていた。

 夏の間は宮で静養していたのだが、秋になると西白へ戻ってしまった。

「母上、公子はもう西白に着いたでしょうか。」

「そうじゃのう・・・。」

 光栄と大妃は、茶を飲んでいた。

「もう少しゆっくりしていても良かったのに・・・。」

「子が生まれたとなれば、一刻も早く会いたかろう。」

「そうですね。男子だというし、我も少し安心致しました。」

「何を言っておる。主上とて、そのうちに男子が生まれますぞ。」

「それでも、一人もいないよりは安心です。王妃も少しは圧迫されずに済むでしょうし・・・。」

 大妃は王妃の決心を知ってはいたのだが、それは光栄には話さなかった。


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