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黒龍神話  作者: 小池 洋子
第1章 永望帝 梨花
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1-3話 結婚(3)

 妃はぐっすり眠ってしまい、隣に寝ていたソクリが起き出したのに気づきもしなかった。ソクリは女官に服を持って来させると下がらせた。

 一人で着ようと畳まれた服を広げる。いつも着ている官服なのに、何故か色々な場所の紐がしめずらい。ついこの間までは、服は一人で着るのが当たり前だったのに、着せて貰うのに慣れてしまったのかと、苦笑する。


 妃は扉を開け閉めする空気の流れで目が覚めた。いつもは自分が起きるまで、誰も扉を開けたりはしない。何故だろうと、目の前の風景を眺める。そこはいつも見慣れた家では無かった。

 心臓が音を立て、一気に目が覚める。長椅子の側では、先に起き出した夫が服を一人で着ようとしている。

 慌てておき出し、寝台の側に落ちていた上着を拾って羽織る。

「私が致します。」

「まだ、早い。眠っていて大丈夫だ。」

「いえ、私が致します。」


 少し迷いながら、夫に服を着せる。何だか寸法が合っていない気がしたが、男に服など着せた事はない。

「どうした?」

「いえ。」

「もう少し眠るといい。起きても朝食まで待たされる。」

「殿下はどうされるのです?」

「仕事がある。では行く。」

「いってらっしゃいませ。」

「ああ。」

 少し自分に笑いかけると、走るように部屋を出て行ってしまった。外まで見送ろうとして、女官に止められる。


 着替えをし、女官から今日の予定を聞く。王様と白龍公の所へ二人で挨拶、その後は何も予定はない。昨日は一日中儀式で疲れたろうから、ゆっくりしてはどうかと女官は言ったが、さて、どうした物かと迷った。

 初日からあまり出歩くのも気が引ける。書庫へ行ってみたい気もするのだが、果たして、今日それをして良いものかどうかも迷う所である。

 女官は読みたい本があるなら、取ってくると言ったが、家の書庫にある本は全部読みきってしまっている。それ以外に何があるのかすら、よく分からない。

 あれやこれやと考えているうちに、王様への謁見の時間となった。二人で挨拶をしていると、御医が来たと内官の声がする。

 診察に入る御医と入れ違いに白龍公の元へと向かい、これで帰るだけかと思ったが、王様が呼んでいるという。

 御医が王様の病状の説明をするのを二人で聞く。妃は王様が病気というのは知らされていたが、病状が重いというのは知らなかった。

「ソクリは執務室へ行くのだろう。我は、妃と少し話したい。」

「承知致しました。」

 ソクリは部屋を出てしまって、一人残される。どうしたらいいのだろうと、上がり症の妃の心臓はまたもばくばくしだした。


「そんなに緊張せぬでも良い。実は頼みがあるのじゃ。」

「はい、何でしょう。」

 妃はしまったと思った。

「えっと・・・、王様。何なりとお申し付け下さい。」

「そなたは、縫い物が得意なのだろう。ソクリの服を縫ってやってくれ。」

「はい、えっと・・・、何がご入用なのでございますか?」

「必要と思う物。縫いたいと思う物で良い。」

「はい、あの・・・、えっと・・・。」

「王様は、妃様がお暇な時間に、何かされるのには、縫い物がよろしいのではとおっしゃって下さっているのです。」

 側にいた女官が妃に言う。

「あっ、はい。えっと・・・。承知致しました。他にもございましたら、何なりとお申し付け下さい。私は王様の家臣でございますゆえ・・・。」

「確かにそうじゃが、そなたの仕事はソクリの妻として暮らす事じゃ。ソクリの事を一番に考えるが良い。」

「はい。」

「そなた付きにした采女官は、我が幼い頃から仕えてくれていたのじゃ。何でも気軽に尋ねるとよい。」

「ありがとうございます。感謝いたします。」

 妃には王である梨花が自分の事を気に掛けてくれたのが嬉しかった。


 部屋へ戻ると仕立て部の女官を呼んだ。

「王様は何でも良いとおっしゃられたのだが、何が良いかしら。」

「お出かけになる機会も多いですので、貴族の私服でもよろしいですし、官服でもよろしいですし・・・。」

「そう、気になった事が一つあるの。」

「何でございましょう。」

「殿下の官服は、龍衣となるべきではないのか?」

 白海では女王が立った事が今までにない。しかし、王の夫である副君なら、王と同じように龍の紋が入った服を常服として良いはずだった。

「確かにそうでございます。ご婚礼の儀に合わせて龍衣はお仕立てすべきなのですが、殿下は白龍公に遠慮され、白龍公が立太子されるまではお召しにならないと、おっしゃられて・・・。」

「なるほど、そういう事か。では龍衣はないのか?」

「いえ、一着は仕立ててございます。」

「では、それにしよう。刺繍は時間も掛かるし・・・。」

「はあ、そうでございますか・・・。」

 仕立て部の女官の顔色がさえない。

「それはいけない事なのか?」

「いえ、龍紋は金糸でございますし・・・。」

 どうやら、へたくそに金糸で龍紋の刺繍などされては困るという事らしい。

「刺繍は少し練習するわ。では、殿下に小物を入れる袋と、外出着にする。それで良いか?」

「分かりました。お妃様。」

「生地と図案を選びたいから、案内しておくれ。」

「はい。」

 宮の仕立て部屋は、色とりどりの生地であふれ、みな熱心に直しや仕立てをしている。刺繍の図案は沢山あって迷ったが、夫である副君殿下の紋にしてしまった。

 生地も沢山あるのだが、あまり派手な物はどうなのだろうと思い、勧められるまま無難な色にしてしまった。

 仕立て部の女官達は貴族の娘がやる事だから、少しやって後は頼むと言ってくるに違いないと思い込んでいたのだが、それは見当違いだったのに気づいた。

「これは・・・、見事なできばえでござますな。」

 仕立て部を仕切る女官は、世辞でなくそう言った。こういう腕前の女官が仕立て部にいてくれさえすれば、自分も安心して引退の日を迎えられるのにと思った。

「龍衣の刺繍の準備をしておくれ。」

 反論の余地もなかった。


 自分の腕を納得させる為に、刺繍と仕立てを一日中やっていた妃だったが、その間の一週間は殿下は妃の宮には姿を現さなかった。

 父は毎日のようにやって来て、殿下はお泊りになったのかと聞きに来る。そんな事を自分に言われてもと思いはするのだが、妻として何かしてやろうにも来てもくれない事には話もできない。

 父によると、王様のご病気は多少回復はしているものの、重篤である事には変わりなく、殿下は白龍公を立太子する前に摂政に任じてはと動いているのだが、貴族はそれに反対している。王様は宰相を務める殿下への出兵権限委譲を提案したのだが、これは白龍公の勢力である貴族が反対し、どうにもならない。

 殿下は両方の話し合いの場に出席せねばならず、通常の宰相の業務はその合間にしかできないのだと言う。


「殿下はお妃様の事を大変気にしておいでです。今は、お待ちいただくしかないでしょうな。」

「分かりました、父上。でもねえ、暇なのよ。家にいた時は、やってもやっても仕事があったでしょう。」

 男兄弟が三人もいれば、衣服の直しが無い日というのが珍しい位だった。その合間に父や祖父の官服を縫わねばならず、使用人も少ないから、飯の仕度はいつも大騒ぎになっていた。

「本はお読みにはならないので?」

「読むようにと、言われた本は全部読んでしまいました。」

 この娘は昔から本を読むのが早かった。宮で女が読んでおく本の数などたかが知れている。全部を丸暗記してしまったかもしれないと、ため息をつきながら父は思った。

「そうか・・・。書庫へは行っても良いと言われておるのだろう。」

「何度か行ったんですけれど・・・、おもしろそうな本がありそうな場所ほど、ほこりっぽいし、整理されていないし・・・。書庫の整理、私がやっても良いかしら?」

「それは・・・、書庫番の仕事です。」

「そう・・・。弟はどうしているの? まだ、領地かしら?」

「この間、戻って来ました。宮の採用試験を受けさせます。」

「そう、受かるといいわね。」

「受かったら、どうするおつもりで?」

「殿下に頼んで、書庫番にして貰うのよ。ああいうの、得意そうじゃない。」

 兄が二人いる妃にとって、弟はうってつけの小間使いである。長男は兵部に出仕している。次男が領地の経営をが手伝っているのだが、母方の伯父が少し体を壊した為、三男は領地へ手伝いに行っていた。しかし、有能でありながら身分の問題で出世が難しい文官を雇ってたおかげで、領地の経営に問題がなくなり、三男を永中京へ呼び戻した。

「殿下も我が家との連絡係りが欲しいと、おっしゃっていたので、それもいいかもしれんな。」

「受かってくれればね、ふふっ。」

 何かたくらんでいるらしいとは思うが、この娘のやる事などたかが知れている。弟ならばここへ何度来ても問題にはならないし、暇つぶしの話し相手をさせるのには調度良いかもしれない。。

 長男が兵部で出世しているのだし、三男坊まで出世を望むのは欲張りというものだ。元々、のんびりした性格なので、それも良かろうと父は思った。


 妃にとっては、毎日の時間をどう使うかというのが大問題になっていた。一月以上も経つのに、殿下が泊まったのは数回、昼間に来たのは三回ほどだ。

 来ても、さして話をするでもなく、なんとなく気まずい雰囲気のまま、行ってしまう。徐々にやつれている気もするのだが、忙しいのだろうと、そんな気持ちだった。

 手紙を毎日届けさせているのだが、返事は一度もくれない。殿下は文字が下手なので、手紙は苦手だと言っていたと女官は言うのだが、ソクリが書いた文字すら見た事がないので、嘘か本当か検討もつかない。

 そのうちに父が何か言ってくれたのか、梁家の娘から本と手紙が届いた。絶対に宮にはない本だから、読んではどうかと貸してくれた。手紙には、読み比べるとおもしろいので、写本してはどうかと書いてある。

 白海創世の物語で確かにおもしろい内容で、読み出すと止まらない。どうせ一人だしと、椅子を二つ並べ、行儀の悪い格好で座り、夕食を食べながら本を読んでいた。乳母からは食べるか読むかどちらかにしろと注意されたのだが、元々、食べながら何かをやるのが好きな性分で、止められない。

 殿下のお成りという声がしたのは、そんな事をやっている最中だった。今夜は王様との夕食の日で、こんな時間に来るはずはないのにという気持ちだった。

 気にしなくて良いと女官に言う声が聞こえたかと思うと、妃が姿勢を直す暇も無く、扉を開けて殿下が姿を現してしまった。


 殿下は白い歯を見せて笑った。顔に一気に血が上る。

「とりあえずの所、椅子を一つ空けてくれんか?」

「あっ、はいっ。」

 女官が茶を淹れて出て行くまで、二人は無言だった。

「よほどおもしろい本らしいな。」

「あっ、はい・・・とても。」

「食べるなら、早く食べないと女官の仕事が遅くなってしまうぞ。」

「はい・・・。」

 読むのに夢中でまだ、半分も食べていない。妃はさじを手に持った。

「外に誰かいるかしら?」

「はい、何でございましょう。お妃様。」

「殿下に蜜柑をお持ちして。」

「すぐに・・・。」

 籠から蜜柑を一つ取って、おいしそうに食べ始める。

「今日は、王様との夕食では無かったのですか?」

「具合が悪そうなので、早めにお休み頂いた。」

「もう、そんな時間なの?」

「夕食が出されてから二時間以上は経っているんじゃないか?」

「まあ、私ったら・・・。」

 無言のまま急いで食べ、下げて良いと外の女官に声を掛けた。

「食事は早く終わらせてやらんとな・・・。」

「申し訳ありません・・・。」

 穴があったら入りたい気分だった。

「兵部令が、今夜辺り、知らせずに行って見たらおもしろい物が見られるかもしれないと言っておったよ。」

「まあ、おじい様が・・・。」

「しかし、まあ、少し気が楽になった。」

「何がでしょう?」

「行儀が悪くても、怒られたりしないで済む。」

「まあ、私、殿方が行儀が悪くても怒ったりは致しませんわ。」

「そうか・・・。助かるよ。」

「おじい様は何と?」

 兵部令は妃はちゃんとした娘だが、見かけに騙されている。他人ばかりだと、緊張してしまう癖があって、暫くの間はおとなしくしているだろうが、そろそろ、それも限界の時間かもしれないとソクリに言った。


「おじい様は、他人の観察がうまいのよね。」

「そうだろうな。人の本質というか・・・、そういう見えない物が見えているんだろうな。」

「そうなのよね。」

「妃も大したものさ。もう少し気を使ってやれば、女官も妃の味方になってくれるはずだ。」

「何が悪いんでしょう。」

「食事をしながら本を読むか。食事はさっさと済ませて、菓子を持って来させ、女官にもう用はないと下がらせてから、ゆっくりと本を読むか。女官はどちらの妃に仕えたいと思うだろうか?」

「えっと・・・。」

 確かに言われればそうである。自分の家には使用人は少なく、何でも自分でやったから、同じ事をしても問題は無かった。

「申し訳ありません。」

「いいよ。気づいてくれたなら、それで・・・。何かあった時、妃の味方になってくれる女官が必要だから・・・。そう思っておれば。」

「はい、気をつけます。」

「妃のそういう素直な所は好きだよ。」

「まあっ・・・。」

 妃は顔が火照るのを感じた。


「時には力を見せ付ける事も必要だが、それだけで下の者が従うか否かは別の問題。そう思わないか?」

「そうですわね。ああ、でも、私には見せ付ける力などありませんから・・・。」

「そうかあ・・・。仕立て部の女官は、見事な腕前だと言っていたし、記録部令もそう言っていたぞ。あんな美しい字の手紙に下手な字で返事を書いたら、笑われそうに思えて・・・。」

「まあ、笑ったりしません。」

「そうかあ・・・。」

 妃はソクリがくつろいでいる時の顔を初めて見た気がした。

「この部屋に入った時に、前と何か違うと思って考えていたんだが・・・、あの長椅子が変わったんだな。」

「はい・・・。」

「また、妙な形をしているが・・・、北領国の物なのか?」

「いえ・・・、宮の職人が作ったのです。」

「ふーん、何でああいう形になったんだか・・・。」

「えっと・・・。」

 妃はソクリに顔を近づけた。

「殿下が横になられた時にちょうど良い大きさと形にしてみました。」

「我の為?」

「この間・・・、膝枕でお休みになられた時に、今にも長椅子から落ちそうだったので・・・。」

「また、膝を貸してくれるのか?」

「ええ。」

「では試してみよう。」

 妃の手を引いて立ち上がる。妃の膝枕で長椅子に横になった。

「なるほどな・・・。」

 膝枕専用に考えたというだけあって調度良い寝心地だった。


 妃にはソクリが何か考えている様にも、うたたねをしている様にも思えた。静かな時間、この部屋には自分とソクリしかいないのだ。これが幸せな時間という物なのだと実感した。

 それにしてもと、妃は膝の上のソクリの顔を見る。顔色がひどく悪いようにも感じられる。少しの間に大分痩せたのは妃も知っている。

<執務が忙しくて、食欲がないと仕立て部の女官が寸法を取りに行った時に言われたというのだが、原因は果たしてそれだけだろうか?>

 ソクリがもう少し、自分を信じて理由を話してくれればいいのにと妃は感じたが、今は黙っていようと思った。


「父上、この頃、殿下がよく妃の所へ通ってらっしゃるようですね。」

「らしいな。」

 してやったりというのはこういう気分を言うのだろう。老林公は上機嫌だった。

「何があったんでしょう。」

「さあな。まあ、仲が良いのは悪い事ではないだろう。」

「それはそうですが・・・、何かやらかしたのかと妻も心配していて・・・。」

「少しは何かやらかさんと、殿下と仲良くなどなれんさ、ははっ。」

 ソクリは三日と空けずに妃の所へ泊まっていた。それが習慣になると、もう寝殿の端の自室で寝るのが嫌になってしまった。

 小さな異変が起きたのは、もう日差しも夏を感じる頃だった。妃の所へ行き、午後の休憩を取った後、立ち上がろうとした途端に目が回った。立っていられず、長椅子に横になる。

「御医を呼びましょう。」

「騒ぐな。大丈夫だ。」

 ソクリはそのまま気を失ってしまった。ソクリは騒ぎにはしたくないらしいが、医師を呼びたい妃は一計を案じた。

 乳母とと采女官を呼ぶ。

「乳母が具合が悪くなった事にして、医官を呼んでおくれ。そう・・・、口の固い者がいれば、その医官が良いのだが。」

「承知致しました。」

 呼ばれた張医官は脈を取り、顎に手を当てて考えた。

「殿下の具合はどうなのです?」

「水はありますか?」

 女官が湯のみに水を入れる。張医官は針箱の下から紙に包んだ白い粉を、湯のみにいれると少しかき回し、ソクリに飲ませる。

「かゆを持ってきていただけませんか?」

 外の女官にかゆを取りに行かせる。そのうちにソクリが気が付いた。

「何ともない。」

「それは殿下がお決めになる事ではありません。もうすぐ、かゆが届きますから、それを召し上がって下さい。」

 女官二人と妃、それに張医官がにらむ中、かゆを流し込むようにソクリは食べた。暫くして張医官が脈を取る。

「とりあえずの所、大丈夫でしょう。もうすこし水か湯を飲まれるとよろしいかと・・・。」

 湯のみからソクリは水を飲んだ。

「殿下の症状はご病気ではありません。暑気で頭の血が下がってしまったようです。」

「本当にそれだけか?」

「今の所は・・・。」

「それは・・・、どういう意味なの?」

「殿下、ご自分ではお分かりになっていらっしゃらないようですが、満足に食事を取っていらっしゃらないでしょう。このままでは内臓を損ねます。」

「食欲がない・・・のではないのか?」

「理由は分かりかねます。殿下、お妃様にも、色々とご協力を頂いては如何でしょう?」

 張医官はそれだけ言うと、帰ってしまった。


「仕事が残っているから、早く行かないと・・・。」

「今夜は王様とご夕食の予定でしたね。」

「ああ。」

「では、その後、必ずいらっしゃって下さい。父に協力を求めます。」

「誰にも何も言うな。」

 ソクリは怖い目をしていたが、妃はひるまなかった。

「殿下が言わなくても良い事は言わずに済むようにします。ですが、父には協力を求めます。」

「どうするつもりなんだ?」

「それは・・・これから考えます。」

「いいだろう。」


 夜、妃殿に行くと、夜食の用意がしてあった。

「さあ、お召し上がり下さい。」

 ソクリは少し食べたが、あまり食欲がないと、下げさせてしまう。今夜は王様との夕食だったからと言う。今夜はそうなのだろうがと、妃は思った。

「明日、領地からやって来ている親戚が殿下にご挨拶をしたいそうです。父が誘いますから、一緒にお出かけ下さい。」

「それで?」

「お腹一杯召し上がって来て下さいね。我が家は親戚が多いですから、これからは、こういうお付き合いが多々あります。それだけですわ。」

「分かった。」

 ソクリは内心では面倒だと思ったのだが、外戚と料亭に出かけるというのであれば、問題は減る。黄凜が近衛隊の服と身分証を用意してくれはしたのだが、それで宮を出ると必ず尾行され、やり過ごすのにも神経がいる。この頃は待ち伏せしている兵もいて、全員をまくのは容易ではない。


 翌日、ソクリは林親子と一緒に宮を出たのだが、料理が並んでも、誰もやっては来ない。

「誰か、親戚が来ているのではないのか?」

「それは、まあ、急にはやっては来ませぬ。これからは順に呼びますが・・・。」

 ソクリを料亭に連れ出す口実という所らしい。世間話をしながら料理を食べる。

「今年は疫病も少なく、雨もほどほど、夏が暑くなれば米も沢山とれそうだな。」

「そうでございますなあ・・・。我らの領地はこちらと同じ感じですが、金公の領地では、かなり気温が低いとかで・・・、心配しております・・・。」

「赤川だった領地の事か?」

「はい、あの辺りは、この季節に北風が吹くと、作柄が悪くなると農民が言っておるそうで・・・。」

「そうか・・・。うーむ。そう、誰か来る時に、天候や作柄の資料を持って来てくれるように言ってくれないか?」

「はあ、構いませんが・・・。」

「そうか。」

 林公親子は、ソクリに料理を勧め、三人は腹いっぱいになるまで食べた。


 林公親子はソクリがいつになく陽気ではないかと不気味な気がしたのだが、ソクリにとってみれば、料亭で何か食べるのも悪くはないという気持ちだった。普通はこういう席に並ぶのは酒の肴であまり腹にはたまらない。いわゆる酒席では、それが当たり前なのだろうが、ソクリは酒を飲まないから、酒席は苦手といえば苦手だった。いつも行く、庶民の宿屋の飯は味は悪くはないが、庶民の食べ物で、贅沢な食材は使われない。梨花との食事は豪華ではあるが、本来は熱いまま食べたい料理でも、かなり冷めてしまっている。

 今、目の前に並んでいるのは、かなり良い食材を使い、しかも、出来立てを運んできている。こういう食事は初めてだった。

「ここの料理はうまいな。」

「そうですな。以前は宮で料理を作っていた女が料理番です。」

「何故、やめてしまったんだ?」

「蘭花公女の乱で、宮を追放に・・・。」

「そうか・・・、女官まで処分されていたか。」

「仕方ありません。食事は信頼のおける者を置かないと。」

「まあ、そうだろうな。」

 蘭花公女の乱の後、金家紹介の女官を大勢雇い入れている。

「どうかしましたかな?」

「いや、何でもない。この汁物はうまいな。」

「確かに、良い味ですな。普段はこういう物は出ないので気づきませんでしたが・・・。」

「お気に召したなら、次もこういう汁物を出させましょう。汁物は体が弱っている時に良いのだとか・・・、妃様がおっしゃられたので、季節が季節ですから、どうかとも思ったのですが・・・。」


 そういう老林公の顔が、宮では見た事もないほど緩んでいる。

「よほどに、孫娘が可愛いらしいな。」

「それは、もう・・・、孫は子供とは違いまする。」

「白龍は、どこが気に入らなかったのだろうな?」

「理由は直接伺いました。頭が良すぎて、美人なのが困ると・・・、そのように。」

「ふーん。」

 白龍の妃は確かに美しいが、頭のできはというと並程度。比べられるのが困るという事だったのかもしれない。

「そのように可愛がっている孫娘を、何故、我の妃になど入れた?」

「色々考える所もござまして・・・。」

「そこまでして、何が欲しかったのだ?」

「殿下は何をおっしゃりたいのでしょう? 我のような者には殿下のお考えが分かりませぬ。」

「あまりに哀れではないか。」

「哀れ、妃様が・・・、でございますか?」

「ああ、王様が亡くなれば、妃は宮を出ねばなるまい。その後はずっと一人だ。」

「まあ、実家に戻れば一人という事もございませんが・・・、それに、我は孫娘が殿下の妃となって、良かったと思っておりまする。」

「良かった? 何がだ?」

「妃様は殿下に嫁いで幸せだと、そのように申しております。」


「そんな事を・・・。」

 老林公にはソクリが泣いている様に思えた。

「殿下、一つ伺っておきたい事がございまする。何故、殿下は宮ではほとんど食事をされぬのです?」

「誰がそんな事を言った?」

「誰に言われなくても分かります。」

「何か気が付いているんだろう。」

「殿下の口から伺いたいのです。」

「言わなければどうするつもりだ?」

「妃様が王様に理由を尋ねると、そのように・・・。」

「全く、どこでそういう知恵をつけるものだか・・・。妃には内密にできるか?」

「はい、それは妃様にも言われておりまするゆえ。」

「我の食事に砒素をいれる者がいる。」

「砒素・・・、それは何というけしからん事を。」

「毒見役は何をしているのですか?」

「死ぬほどの量ではない。なので、通常の毒見では出ぬ。」

「それで、どうなさるおつもりで?」

「誰なのか、目的は何なのか、分からんのでな。黙殺する。」

「それは・・・また。」

「王様もご存知の事だ。黙っておれ。今の所、それしか方法がない。」


「あの・・・、妃様の食事は大丈夫なのでしょうか?」

「王様が采女官をつけたから、大丈夫だろう。妃では、相手は損になるだろうしな。」

「損? 殿下に毒を入れるのは得になり、妃様では損なのでございますか?」

「ああ、妃に毒を盛ったとして、誰と誰が騒いでくれる? そなた達、親子は騒ぐだろうが、どう煽っても貴族全員が騒ぐとは思えん。そうなると、危険を冒してまで、毒を入れるのは損だ。」

「なるほど、しかし、それならば妃様にも知らせておいた方が良くはありませんか?」

「自由に出歩く事もできぬのだ。食事くらいは普通にさせてやれ。我の話は聞いたが、時期が来るまで話さぬよう口止めされたと、そう言っておけ。嘘をつけば自分で追求しかねん。そうなると、危ない。」

 もうすぐ閉門の時間という護衛兵の言葉が聞こえると、ソクリはすぐに帰り、林親子二人になった。


「失礼致します。お酒をお持ちしました。」

 戸を開け、女将が酒を持って入って来た。

「お酒をお出ししなくて本当に良かったんですか?」

「よいよい。酒はほとんど飲まれぬ方よ。」

 女将は二人に酒を注ぐと出て行った。

「殿下は本当に自決されるおつもりなのでしょうか?」

「おそらく・・・。」

「娘はどうなるのでしょう。」

「まあ、今すぐという事ではない。そんなに先の事を心配しても、どうにもならぬよ。」

「はあ、父上、一つ伺っておきたい事がございます。」

「何だ?」

「娘を殿下の妃に入れた理由です。」

「理由・・・、あるにはあるが、お前にには理解できんかもしれんな。」

「理解できぬほどの理由とは何でしょう?」

「殿下の血を引く子供が白海国にとって必要と思っておるのよ。」

「まさか、謀反など・・・。」

「そんな事は考えておらん。殿下に妃を入れたいと話した時、王様は殿下は何も持っていないからとお答えになった。その意味が今になってようやく分かった。」

「無欲な方ではありますが・・・、何も持っていないというのでもないでしょう。」

「副君殿下という地位の他には何もない。それが殿下の今の状況だ。行く場所も帰る場所もない。殿下は妃様を哀れだとおっしゃったが、少なくとも孫娘には帰る場所がある。行く場所さえあれば、殿下は自決を思いとどまれるかもしれん。」

「はあ・・・しかし、どうなんでしょう。」

「止められぬ時は、妃様も一緒かもしれぬ。」

「そんな・・・。」

「有り得ぬ事ではない。殿下は母を殺してまで、王様をその座につけたのだ。それは、心しておかねばならん。」

「父上は、娘を犠牲にしてまで、何を欲しいというのです?」

「わしが望んでいるのは殿下の血を引くお子だ。その子こそが白海国を救うと思っておる。それだけだ。」

 父の考えている事は分からぬでもない。それでも娘が犠牲になるのは耐えられなかった。

「何か手を打たねば・・・。」

「あせる必要はない。」

「父上は何故、そんなに落ち着いているのです?」

「殿下は妃様を大事に思ってらっしゃる。お子ができれば、考えも変わるかもしれぬ。それまでは我慢だ。」

 老林公はソクリが足しげく蘭花公女の祠堂に通っている事を知っていた。母を殺してしまった事を後悔してはいないのだろうが、殺さねばならなかったという事実には深い悲しみがあると、そう感じていた。


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