2-9話 目覚め(1)
黄凜は全く反応もないソクリに政務報告をしてどうなるのかと思いはしたのだが、毎朝、昨日の報告と今日の予定を報告する事にした。
ちゃんと着替え、椅子に座っているのだが、言葉は一言も発しない。ゆったりと座っているソクリの姿に向かって話しても、何が起きるという事もなく、むなしい気持ちになる。
青真も同じように報告するよう二の妃に言われそうしているが、青真にはソクリがちゃんと自分の言葉を分かっていると感じていた。
「璽守が、まいりました。」
昨日と同じように青真は座っているソクリに向かって、昨日の出来事や今日の予定などを話す。
* * * * *
自分の魂の中で立ち止まっているソクリの自我にはまばゆい光がさしていた。この光に向かって歩けばいい。自我は少しの間後ろを振り返り、すまないと墓に向かってつぶやき、歩き出した。
自我は、自分がいつも忘れたくないこの思いを捨ててしまったのかを、理解していた。自分が何もかも捨てねば、この光を輝かせる事が出来ない。その為に、闇を飲み込むのが自分の役目なのだ。
* * * * *
「青真、座ったらどうだ。」
話している自分にソクリが言ったのに、青真は言葉を止めた。
「王様・・・。」
青真が椅子に座ると、外にいた女官に茶を持ってくるよう言いつける。
「青真、少し聞きたい事がある。」
「何でしょう。」
「今日は何日だ。」
「二月二十日です。」
「そうか。そんなに日がたってしまったか。」
「ご裁可を頂かねばならない書類がたまっております。」
「まあ、そうせくな。今日でも、明日でも良いのだろう。」
「はあ、申し訳ありません・・・。」
「まずは、今の状況を把握せねばな。」
「宰相を呼びましょうか?」
「そうだな。」
過ぎてしまった事は後回しで良いと言い、二人が感じる現状を話す。赤川はとりたてて何か仕掛けてくる事もなさそうな雰囲気だし、北領の使節団がやって来る以外は外交問題もない。
「急ぎ、決めぬ事はあるか?」
「使節団の準備に関しましては、ご裁可を頂く書類が出来ております。他の急ぎは・・・、御医と青樹の処分についてです。」
「御医と青樹ねえ・・・。青樹は出仕しているのか?」
「いえ、自宅謹慎をしております。」
「青樹を呼ぶように・・・。同席者は老林公、梁公、それと安春だな。」
来る前に御医の処分を言い渡す事にし、執務室へ移動する。青真は玉璽を取りに行き、執務室で黄凜はソクリと二人になった。ソクリは山と詰まれた書類に名を書き込んで行くが、内容は読んでいない。
「内容は確認されないのですか?」
「さっきの話では、ここにある書類は王妃が裁可するばかりになっていると言っていなかったか?」
「そうです。」
「では、まあ、読む必要もあるまい。王妃が納得するまで、報告書を出したのだろう。」
「あっ、はい。」
「王妃はああ見えて、中々に切れ者だぞ。そうは思わなかったか、宰相。」
「あっ、はい・・・。」
「その顔だと、大分、やられたようだな。」
「まあ、そうなりますか・・・。」
「あの、一ついいでしょうか?」
ソクリは署名が終わった書類をどけながら黄凜の顔を見た。
「何だ?」
「あの、僧正様から言われて、色々と考えてみたのですが、王様が我を名で呼ばなくなったのは、いつからで、何がきっかけだったのだろうか・・・と。」
「それは、黄凜が先に我を名で呼ばなくなったからだ。だから我も、そうした。それだけの事。」
「私が先に・・・。」
そうだったと黄凜は思い出した。ソクリは梨花の即位と共に監察部令として任ぜられ、自分は兵部で武将となりはしたものの、官位はソクリの下だった。だから、自分から監察部令と呼ぶようになったのだ。
その後、近衛部令となり官位は同列になったが、呼び方を変える事も無かった。
「王様が先に、私と距離を置こうとされたのかと・・・そう思っていました。」
「白龍は我を政敵扱いするようになったしな。我の友人と白龍が思っては、やりずらかろうと、そう思ったのも事実だ。」
「そうでしたか・・・。」
「あまり深く考えるな。眉間に皺を寄せて怖い顔で考えておっても、あまり良い事はないぞ。」
「はあ・・・。父にも言われるのですが・・・。」
「もう宰相なのだからな。」
「はあ・・・。」
「心配するな。先王様がやれると思っていたのだ。ちゃんとやれる。」
「・・・。」
青真が玉璽を押して書類の裁可が終わり、担当部署へ運ばせる。終わると御医と徐宮医、それに張医官を呼ぶ。
「御医、人は生まれ、いずれ死ぬ、それは王であっても変わらない。故に御医には罪はない。しかし、宮ではそうはいかぬ。それを分かってくれ。」
「御医に任じられた者の定めでございます。どんな罰でもお受け致します。」
「御医は降格。王室の薬剤畑の管理を任せる。民の為に役立つ薬の開発をして欲しい。」
「何と・・・我を宮に残れと、そうおっしゃっておられるので?」
「御医、体が続く限り、民の為に尽くして欲しい。張医官、御医と共に薬草の栽培方法や新薬の開発に当たれ。余宮医は次の御医が任じられるまで代理を任じる。春の採用試験では医官を多く募集する。その中で余宮医以上の腕を持つ医官が採用されれば、その者を御医にするゆえ、王妃の信頼回復に努めよ。」
「王様、新しく採用した医官を御医に任じるなど・・・前例がありません。」
黄凜が言う。
「まだ、採用もしておらんのだ。宮には医学書も沢山ある。余宮医は白海一番の腕を持つ御医からも指導を受けている。それでも敵わぬというのなら、いずれにせよ御医に任じられる人材ではないのか?」
「それは、そうですが・・・。」
「三国統一に向けて、赤川との戦も続く。宮には優秀な人材を集める。前例がないのなんのというのは理由にならん。それは医官に限った事ではない。今は重臣でも、何もせぬでその官位でいられると思うなと貴族に言っておけ。それが我の王としての方針だ。」
「分かりました。」
「余宮医、我はそなたの腕が悪いとは思ってはおらぬ。だが、王妃の信頼を失ってしまっているのは大問題だ。元子も幼いし、公女もおる。医官として日々邁進して欲しい。」
「かしこまりました。王様。」
「医官は下がってよい。」
医官達は執務室を出た。
「張医官を御医に任じるのかと思っていました。」
「そんな事はせぬよ。張医官がどんなに腕を上げ、国一番と言われる程になっても、絶対に御医には任じぬ。」
「何か理由があるのでしょうか?」
「あれ程の医官を御医に任じて宮に閉じ込めるなど、そんな事をしては大損よ。戦場で怪我をした兵が、どれほど張医官に救われている事か・・・。なあ、青真。」
「まあ、そうですね。前はよく戦場で疫病が発生したりしていたのですが、兵に色々と教えてくれるので、そういうのも随分と減りましたし・・・。」
「疫病の現場もしかり。白海では他国より疫病が少なくなっている。」
「そうなんですか・・・。あまり良くない噂もありますが・・・。」
「もっとよく自分の目で確かめてみる事だな。よくない噂が立つ程に張医官がやらねばならない何かがある。」
「王様は理由をご存知で?
「まあな。半分は我が言った事だ。」
「はあ・・・。」
「自分の目で確かめる事も大事だぞ。宰相。」
「分かりました。」
疫病が減っている事やそれに張医官が関わっているかなど、黄凜は知りもしない。ソクリはまだまだ自分が知らない事実を知っているのだろうが、それを自分が知らないのは職務怠慢だろうと黄凜は感じた。
ソクリは下級官吏を次々に呼ぶと、手短に現状を報告させ、ちゃんと仕事をしていたかを確認した。最後に呼んだのは林文官だった。
林文官はソクリが病気の間の日記を持って来た。
「公文書の書き換えはどうなった?」
「はあ、数日前に終わりました。」
「数日前? 随分と時間が掛かったじゃないか?」
「王様、詳細はその日記に書いてあります。ご覧下さい。」
「姉上に、こき使われたのか?」
「まあ、そうです・・・。祖父から伝言で、王妃様は少し出すぎた事をしたかもしれないが、王様を思っての事なので、あまり叱らないでやって欲しいと・・・。」
「分かった。」
「今、外にお出でになっておりますが・・・。何かお伝え致しましょうか?」
「寒いのに待っているのか、入って貰ってくれ。」
王妃はソクリの顔を見ると、良かったと繰り返し言いながら涙を流す。
「心配を掛けたな。もう大丈夫だ。」
「はい、そのお言葉を聞いて安心致しました。」
「随分と頑張ったようだな。ありがとう。」
「いえ、私に出来る事など、ほんのわずか。」
「後で行く。部屋でゆっくりするといい。」
「はい、では失礼致します。」
ソクリは王妃が執務室を出ると、ため息をつく。
「随分とやつれた。」
「そうかもしれませぬな。」
「まあ、それは後から考えよう。」
更に書類への裁可をしていると青樹が来たと内官が告げる。東屋に老林公と青樹、それに安春が待っていた。
「王様、ご快癒、お喜び申し上げます。」
「大分、心配を掛けてしまったな。」
「いえいえ、王様がご病気の間に、とりたてて大事も起きませんでしたからな、これも神の御意思でございましょう。」
「長くなる話は後にしよう。青樹についてだが、砒素の件に関しては不問。処分はせぬ。これは決定だ。」
「ふーむ、理由を聞かせて頂いてもよろしいでしょうかな。」
「一番は柳が抱えていた私兵よ。これらを青樹の下で働かせる。」
「うむ、なるほど。」
「柳商は今どうなっている? 安春。」
一番下座の席にいた安春が、一瞬びくっとし、柳商の現状を説明する。一部の店主が金を持ち逃げしてから、あまりうまくは行っていない。賭場を担保に金を借り、何とか店舗は営業を続けているが、金が集まらず賭場は閉鎖してしまった。金貸しは利子の返済も遅れがちで困っているのだが、私兵がいるので手を出せないと嘆いていると説明する。
「お二人は安春に金を貸してやって下さい。今、柳商が借りている金額と賭場を再開できる額です。」
「ずいぶんと大金がいる・・・が、無利子という事でもないのでしょうな?」
「そうだな、利子は年に一割でいいだろう。まっとうに商売をすればその位の利子は払えるはずだ。」
「あの・・・、王様。私が何を・・・。」
「辞表を出しているのだろう。受理する。柳商をやれ。」
「はあ・・・。」
「私兵の管理は青樹がやる。資金は安春が提供。うんと儲けろ。」
「はあ・・・。」
「やらんのか?」
「王様の仰せの通りに致します。」
安春は周囲にいる重臣の顔色を気にしながら、返事をする。
「では、後は安春と相談して下さい。全部出し切れないのなら、他の貴族に同じ条件で割り振って貰って構いません。」
「しかし、王様。そんなに多額の金を借りても返せるかどうか・・・。」
「利子だけ払っておけばいい。貴族は金貸しじゃないからな。倉に眠っている多少の財は誰でもある。」
「そういう事ですか。分かりました。王様。」
梁公はソクリが言った事をあまり理解していないという様子だったが、老林公は意味ありげな笑い顔で東屋を後にした。
「王様、しかしこのままでは・・・。」
「貴族は何も、言わぬと思うぞ。黄凜。」
「青真はどう思う?」
「はあ・・・。」
「兵部は情報部隊が欲しいと言っていたろう。青樹はその部隊へ異動。官位が下がるから左遷といえばそうなるな。朴副監察部令を昇進させる。監察部の武将達は残りたい者は監察部に残り、兵部へ異動したい者は異動させるように。監察部は宰相の直轄。こんな所だな。」
「監察部の武将達は態度をはっきりさせるという事でしょうか?」
「そうなる。青真、旧青鋼国出身者も決して一枚岩ではないし、今は同じ白海の民だ。左遷されても青樹の下で働きたいという武将も、宰相直轄部隊として働きたいという武将も同じ忠臣だ。ただ、どちらにしろ、あまり昇進は見込めぬ。それは理解しておいてやらないといけない。」
青真と黄凜は頷いた。
青真と黄凜はソクリの執務室を退出し、それぞれの執務室へ戻る事にした。
「そう、先王様が即位した時、今の王様の方が官位が上だったろう。」
「うん?」
青真は少しの間考えた。
「そうだったな。それがどうかしたのか?」
「いや、いい。」
要するに青真はそんな事を考えてはいなかったのだ。鷹揚といえばそうなのだろう。
「一度、父に、親しき仲にも礼儀ありと言われたのだが、向こうが名で呼ぶのでな。王様の会話に引き込まれるとつい・・・。」
「そうか。」
「青樹は処罰なしという事で納得するのだろうか?」
「多分な。それより貴族がなあ・・・。」
「貴族は大丈夫だろう。」
「何故だ?」
「儲け話との取引じゃないのか?」
「・・・。そういう事か?」
「そうとしか聞こえなかったが、違うのか?」
「確かに・・・柳商の金の話しか出なかった。」
「一割・・・、悪くはないな。」
借りる方からすれば、利子は高いには高いのだろうが、返済可能な利子である。高利貸しとはいえない。貸す側にすれば、一年で一割は悪くはない利子である。
「おいおい・・・、青真までがそんな事を言うのか?」
「戦費負担はどの貴族にとっても大きい額さ。ずっと続くとなれば・・・、領地が増えてもなあ・・・。」
取引だと気づかなかったのは不覚だった。しかし、たった一割で貴族が納得するかというのは疑問でもある。
ソクリと青樹は蘭花公女が住んでいた宮殿に向かった。
「ここなら、静かでいいな。」
ソクリは青樹にも椅子に座れと指示する。青樹は椅子には座ったが、うつむいたままだった。
「何故、不問になどされるのです?」
「青真を王に立てたい青忠公から命じられたのだろう。」
「それは・・・。」
「白龍公と我、同時に追い落とす。それが狙いだったのだろうが、それはもう終わった事だ。」
「終わった・・・のでしょうか?」
「そういう事にしておけ。でないと、青真を討たねばならなくなる。それはしたくないし、白海にとって大損よ。」
「確かに・・・。しかし・・・。」
「柳も配下については心配していたのだ。誰なら任せられるのかとな。今になって考えてみると、先王様には我がいて、柳がいた。白龍公には青樹がいた。今は、生き残っているのは我と青樹の二人になってしまった。そうそう宮から出る訳にもいかないが、さりとて、怪しい連中が宮をうろうろするのを黄凜が黙っているはずもない。ならば、青樹がやるしかないんじゃないか?」
「何故、我なのです?」
「他にいないのだ。仕方ないだろう。諦めろ。どんな汚い手を使っても勝たねばならん。しかし、損得を考えれば、汚い手というのも悪くはない。」
「王様・・・。」
敵兵の士気が下がれば、それだけこちらの死者は減る。敵とて逃げ出した兵は助かるという事も意味する。白龍はそういうソクリのやり方に非難の声を上げていた。梨花も多少の事は言いはするのだが、止めろとは言わなかった。手柄は青真軍に全部行ってしまう。
「三国統一。聞こえはいいが、要するに相手を倒すまで戦わねばならんという事さ。恐らく一生それが続くのだろう。もう、赤川との和平などは考えられん状況だ。」
「王様はそれで良いのですか?」
「赤川を併合すれば、金 青真将軍の名は千年先まで残るだろう。それ以外は有象無象、忘れ去られる存在よ。それは王となっても変わらない。」
「その先に何があるのでしょうか?」
「さあな、だが、元子が王位を継ぐ頃には少しは平和な時代となって欲しいと思っている。何も考えずに着いて来い、青樹。全ての罪は我がしょって行く。」
「王様・・・。王様の命に従いまする。」
青樹はソクリに膝を着いて誓った。




