Bobby 2
「おはよう、ジョーイ」
レイクが目覚めたらジョーイはすでにキッチンにいた。コーヒーのいい香りがした。
一緒に暮らし始めてしばらくは目覚めた時ジョーイの姿が隣にないと不安に襲われたレイクだった。目が覚めたらジョーイは窓からジャンプしていた、40年たってもベルリンのあの夜の記憶がレイクにはトラウマになっていた。最近ようやくジョーイの姿がなくても恐怖を感じることはなくなった。
「まるで今の僕はママの姿が見えないと怯えるsuch a babyだな」
レイクは苦笑しながらつぶやいた。
「おはようレイク。今朝も髪が爆発してるよ」
ジョーイが笑った。Tシャツから出ている腕は今でもレスラー並の太さだった。そのジョーイがチェック柄のエプロンをつけてキッチンに立っているというギャップにレイクも笑った。
いい年をしたおっさんふたりが新婚のように暮らし始めた、傍から見たらちょっと引かれるような光景だったが、レイクとジョーイは幸せだった。
「レイク、さっきクリスから電話があったよ。ライブ前にみんなでボビーの墓参りに行かないかって」
「オーケイ。もちろん行くよ」
まだドラッグ依存症になっていない頃のボビーはレイクによくギターのレッスンを施してくれた。そこそこ弾けたレイクだったが、それほど年齢の違わないボビーのギターテクニックは憧れでありしかも日々進化していて、永遠に追いつけないことは明らかだった。それでもボビーは時間が許すとレイクのレッスンにつき合ってくれた。おかげでレイクは皮肉にもロートレックの楽曲のほとんどをマスターしたのだった。まさか自分が尊敬するボビーの代わりにステージに立つなんて、その頃のレイクは思ってもいなかった。
ある年のライブツアー前、ロートレックは山荘にこもって合宿をしていた。合宿中は割と自由で、練習とミーティングだけしっかり参加すればガールフレンドを呼び入れるのも暗黙の了解でアルコールも制限されていなかった。キーボードのアルフレッドにいたっては複数のガールフレンドが鉢合わせになってちょっとした修羅場を演じることもあった。
もちろんレイクとジョーイはガールフレンドを連れ込む必要もなく、自由時間は他のメンバーのカップルとパーティーを楽しんだり山荘周辺をドライブしたりしていた。
合宿中もボビーは時間があるとレイクにギターテクニックを伝授してくれた。
「レイクは幸せだよな。ジョーイはいいやつだし、キミ達はずっとそのままつき合っていくんだろう?」
「そのつもりだよ。ジョーイのことが好きだからね」
その時は父はまだ健在で、事業を継ぐためジョーイと別れることになるとはレイクは思ってもいなかった。
「うらやましいな、この野郎」
とボビーが笑いながらレイクの胸に軽くパンチを入れた。
そういえば、ボビーだけはガールフレンドを連れ込んでいなかった。それでも他のメンバーとのパーティーにはちゃんと参加していた。
「ヘーイ、みんなに発表したいことがある」
リーダーのクリスがガールフレンドの肩を抱いて立ち上がった。
「僕とリタは婚約することにした。ツアー後に結婚式を挙げるよ。彼女のお腹の中には僕たちのbabyがいるんだ」
クリスとリタはキスをした。
「おめでとう、クリス」
いちばんに声を上げたのはボビーだった。
みんな手にしたグラスを合わせてクリスとリタを祝福した。
「おっと、リタはジュースにしろよ。元気なbabyを産んでくれ」
クリスが恋人をいたわった。夜遅くまでクリスの婚約パーティーは続いた。
その頃はまだあまり酒に強くなかったレイクが夜風にあたろうとポーチに出たらすでに人の気配があった。
「ボビー?」
「ハーイ、レイク」
床に座り込んでいたボビーは機嫌がよかった。
「ボビー、飲みすぎた?」
「いや、レイクもやる? 最高にハイになれるクスリだよ」
「ドラッグか?」
「僕の小さな秘密だよ。誰にも言っちゃいけないよ」
その時はメンバーでもない裏方だったレイクはボビーの薬物使用を誰にも言えなかった。恋人のジョーイにさえ言えなかったことをあとで激しく後悔した。
ただ合宿が終わりライブツアーが始まる頃にはボビーのドラッグ使用はメンバー全員が知るところとなっていた。メンバーの前でも平然とドラッグを使用するようになったボビーが街路樹に激突して亡くなるのはその1年後だった。
ボビーの衝撃的な事故死、ベルリンでのジョーイの転落事故。どちらも自殺説が囁かれたが、その二つの悲劇を乗り越えてロートレックは世界的にも安定した人気を得た。