父と娘
伝説のハードロックバンド、ロートレックの一夜限りの再結成ライブがいよいよカウントダウンを迎えようとしていた。
全米の、いや世界中の熱狂的ファンたちもメンバー同様、それぞれ様々な人生経験を経てその日を心待ちにしていた。
その中でもギルバート家の長男の妻・シンディの父アーサーは自称「40年間最も熱心なファンのひとり」を名乗っていた。彼にとって最愛の娘の結婚相手がロートレックのギタリストの息子だったという現実は人生最大のサプライズだった。
両家の初めての食事会の時、娘の婚約者の父親レイクに対して握手もそこそこに「サインしてください!」と言って妻に叱られたのも懐かしいエピソードだった。
若い日のレイクによく似た娘婿イーサンは申し分のない好青年だし、ふたごの孫も愛らしく、アーサーは今でも40年間欠かさない日課であるロートレックの音楽を聞きながら充実した幸福感に浸っていた。
そんな彼に娘のシンディから「ロートレック再結成ライブ」の情報がもたらされた。それはもう、シンディの結婚話と孫誕生に次ぐテンションの上がるビッグニュースだった。
アーサーがライブの日程に合わせて職場に休暇願いを提出したことは言うまでもない。しかもレイクのはからいで関係者席を用意してもらったアーサーはあらためて娘がレイクの息子と結婚した幸運を実感したのだった。
「パパに会わせたい人がいるの。彼にプロポーズされたの」
娘を持つ父親のほとんどが恐れるこのひとことに、5年前のアーサーもまた激しく動揺した。
「仕事は何をしてるのかな?」
「お父様の事業を引き継いでるの」
「個人経営は不安定じゃないのか?」
「そうでもないみたい。順調そうよ」
無下に反対して娘に嫌われない程度にアーサーはやんわりと敵の欠点を探そうとしていた。
もちろんこれまでも娘のシンディには何人かのボーイフレンドは存在した。
しかしプロポーズ=結婚となると、アーサーとしては相手が自分以下でも自分以上でも不満だった。
「大きくなったらパパと結婚する」と言った幼い日の娘のことばを信じているわけではないが、なんとなく未知のその男が気に入らないのも悲しい父親の性なのかもしれない。
「イーサンはステキな人よ。きっとパパも気に入るわ」
そう言うとシンディは母親に目配せしてふたりともいたずらっぽく笑った。妻は相手をすでに知っているようだった。それもアーサーにはちょっと気に入らなかった。
娘にあつかましくもプロポーズしたそのイーサン某という男が家にやってくる日。アーサーは少し不機嫌だった。
妻がいれてくれたいつもと同じコーヒーに
「今日のコーヒーは少し苦い」
と言ってみたり、おしゃれした妻に対して
「そのドレスは僕が誕生日にプレゼントしたものだ」
と自分でもワケのわからない文句を言ってみたり。
「だから今日着るのよ、すばらしい日だからよ」
と妻に軽くあしらわれてさらにムッとしたり。
あげくイーサン某を迎えに行ったシンディが「彼にすっぽかれちゃったの」と泣きながら帰って来るという自分でも情けなくなるくらいの虚しい期待をしていたアーサーだった。
一方、プロポーズしたイーサンもかなり緊張していた。
「キミの両親に結婚を許してもらえるかな?」
「大丈夫。保証するわ」
ウィンクしてシンディは答えた。
「でもなんで髪を切っちゃダメだったんだい? ご両親に初めて会うのにだらしない男だと思われないかな?」
スーツの襟がすっかり隠れるくらいに伸びたブロンドの後ろ髪を気にしながらイーサンが心配そうに言った。イーサンとしてはすっきりと刈り上げたスマートな青年実業家のイメージの方が好印象だと思ったのだが、シンディに「髪はできるだけ伸ばしておいて」と懇願されていたのだ。
ドアチャイムが鳴った。ついに敵であるイーサン某がやってきたようだ。よーし、最初が肝心、私は本当はキミのことを歓迎していないんだよ、というところを娘に気づかれないように相手にきっちり悟らせるというとても難しい応対をしなければならない。来客を迎えるアーサーの笑顔は不自然に引きつっていた。その横顔を、妻は必死に笑いをこらえながら見ていた。
「パパ、ママ。イーサンを連れてきたわ」
晴れやかな笑顔のシンディの後ろから現れたスーツ姿の青年。その顔を見たアーサーの笑顔は凍りついた。
「はじめまして、イーサン・ギルバートです」