テンプレ擁護論② 「異世界トリップ」「チート」「主人公最強」
まず、最初のお題はその歴史。
といっても、今回は「異世界トリップ」「チート」「主人公最強」をネタにしてみます。
これらについて、少し歴史をさかのぼってみます。
私の知っている中で、一番古い「異世界トリップ」「チート」「主人公最強」が成り立つ話は、ロボットアニメ、スパ○ボで有名な「聖戦士ダンバイン」です。約30年前の作品です。
異世界バイストンウェルに召喚された日本人の主人公。地上人は強い「オーラ力」を持っていて、それ目当てで召喚された。主人公専用のロボットとか、現代でも十分通用する設定の数々を盛り込んだ名作です。
まあ、「魔神英雄伝」や「NG騎士」でもいいんですけどね、ごく普通の少年が異世界トリップして最強勇者になるのは古き良き日本伝統芸です。
海外の作品については私も良く知らないのであまり言えませんが、「ネバーエンディングストーリー」も読書好きの少年が異世界で活躍する話ですので、主人公最強とは違……うはずですが、ある意味同系統ではないでしょうか? バスチアン少年が最強のマジックアイテムで無茶をするのはチート無双とさほど変わらない気が。いや、そこは各自の判断に任せます。
この頃の主人公はどちらかと言えば状況を受け入れ、周りに支えられながらも成長し、勇者・英雄として活躍します。苦難の連続ですが、ライトな印象があります。ただしダンバインは除く。
約20年前にはSFCのゲーム「魔装機神」で「異世界召喚で勇者認定はお約束」と語られている程度に「召喚勇者」はありふれた存在となっています。魔装機神の世界でもダンバイン同様、「地上人=すごい」が成り立つなど、基本路線に変更はありません。他にも「エルハザード」では地球人がエルハザード世界に行くと何らかのチートを身に着けるなど、異世界トリップ後は強化される作品群が多いですね。
そして「召喚された人」は「召喚した連中」などと仲良く頑張るのですが、基本的に酷い目に合う人が多くなっています。戦争を意識したつくりが増えた気がします。「十二国記」に至っては……。
約10年前のは、ぱっと思い出せないので省略します。
2004年スタートの「ゼロの使い魔」は異世界召喚後のハーレムルートを強くイメージさせる作品ですが、私は詳しくありあせんので。
そして現代。
やっぱり作品紹介は省略します。書ききれないので。
個人的に見る傾向ですが、勇者召喚の場合は「召喚した相手に捨てられる・奴隷扱いされる」か「主人公が召喚主から逃げ出す・離別する」パターン、集団でトリップしたときは「主人公が最弱から成り上がる」パターン。
何と言いますか、最近の作品の共通傾向は「個人主義」の台頭ではないかと思います。分かりやすい「異世界テンプレ」に目が行って、あまり重要視されていませんが。
政治家への不信感、停滞気味に見える社会への不満。これらの現れですかね、などと評論家のような物言いはさておき。
王家を含む、国家への不信感。集団への所属を忌避するチート保有者。これらはある程度の現実を見ながらも自由を望む人の、願望ではないでしょうか。
こうなると、少し重めになってきたイメージがあります。
もしかして、あの頃子供だった我々は、いまだに趣味が変わっていない証左ですかね?
個人的意見ではありますが、娯楽小説において主人公は「格好良さの体現者」であると思います。特に一人称小説ではその傾向が強いでしょう。
ですから、「たった一人、最底辺であがき、力をつけ、仲間を得て、強大な敵に立ち向かう」主人公が好ましく思えるのでしょう。
異世界トリップと言うのは、ある意味「すべてを失った状態」です。
そんな中、チートなどの「自分だけの武器」を振りかざし、主人公最強と言う「成功者」になる。
このテンプレは、基本であり王道ではないでしょうか?