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6.見解の相違と目覚め④



 ――――これが私という存在を、自身で認識してからの全てだった。何一つ、誇れる事柄なんてない。


 そんな私にカミサマが言うのだ。アナタは素晴らしく立派な魂であると。呆れ過ぎて、反論する気概も湧かなかった。このカミサマ(仮)は、一体どんな節穴だらけの目をお持ちで?或いは、極端な湾曲術の使い手…それとも世の中には善良な者しかおらず、自ら命を絶つような行動は、誰かしらを救う為だと信じて疑わない極論主義者だったりするのだろうか??グルグルと考えている間にも、自称カミサマの話は続いてく。


 要約するなら、一つ「魂は何度も現世で生死を繰り返し成長する」、二つ「生まれ変わっても同じ生き物のままである」。ご先祖様を尊敬していた過去のウサギたち――残念。三つ「世界は無限にあり世界ごとに生まれる姿が変化する」、つまり私は今までと違う世界で人間としての生を与えられる、という話だった。コレって……喜ぶべきなのか?疑問である。なぜなら私は、ウサギとして生きた三度の命に後悔がないのだ。ちっぽけな小動物として存在し、ありきたりの日々に全力を尽くして、誰にも誇れはしないだろうが、自然の摂理に逆らう事もなく終えた生に、呆れこそすれ不満なんてなかったから。



 ついでに人間という生き物への憧れもない。だって何だかあれはあれで大変そうなのだ。特に三度目で知った人というものは、毎日々、時間に追われるように学び、働き、遊ぶ、を繰り返している。上手く言葉で表せないが、常に余裕というものはなく、見ているだけでも疲れてしまう。野生のウサギとして生活していた以前は、私も生き延びる為に必死だったが、それは当たり前なのだから、別に苦じゃなかった。(…ん。多少無理がある強がり発言だと自覚してるので、触れないでくれれば有難い。)


 知っているのは僅かな一部で、全ての人間がそうではないのだろうけれど、少なくともあんな生き方をしたいとは思わない。十分、充実した毎日を過ごしていた私。新鮮な餌に適度な水、自由な時間や暖かく安全な寝床まで、飼い主である彼女に癒やし、と呼ばれるナニカを提供すれば、手に入るのである。それさえ、こちらが何かをしなくとも、自然に得ているようなのだから、不思議なモノだ。正直、怖い位快適だった。


 しかし、そんな私の意思など全く顧みず、えいっという掛け声と共に、吹き飛ばされるような感覚を味わった瞬間、私の意識は途絶える。――――だから


『私の可愛い愛し子。たっぷり幸せになって、早く私の下へ帰っておいでv』


などという、なんとも愉しげなカミサマの囁きを、知る術はない。遠退いた意識が戻り、いつの間にか閉じていた瞼を上げると


「ふふ、おはようバニラ」


聞こえた優しげな声に、心の中で溜息ひとつ。


 こうして私の新たな人生が、幕を開けたのだった。


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