08,父?の最期
しばらくして高美が出てきた。
「あちらでお話ししましょう」
窓のあるちょっとした小部屋になった休憩所で向かい合って座った。
「まずは本日は辰巳さんのためにお越しいただきありがとうございました」
「いえ」
理は高美の顔を見つめ、首を傾げて訊いた。
「どうやらあなたは単なる会長の部下と言うだけでなく、辰巳さんとも個人的に親しいようですねえ?」
「ええ。わたしたちも幼なじみなんですよ。中学までいっしょでした」
「年も?」
「ええ。いっしょの学年です」
「そのコネで佐津川グループに?」
理の意地悪な質問に高美は大人らしい苦笑いで答えた。
「まあコネと言えばそうですね。我々の時代にはむしろ身元の保証と言うことでコネクションは積極的に採用されていました。まあ確かに、佐津川はその点現在も古い体質が残っていますかな?」
「それで?」
理は本質的な質問をした。
「僕は佐津川辰巳さんの息子なんですか?」
面と向かった質問に高美は駆け引きなしに困った顔をした。
「申し訳ないが、実ははっきりしないのです」
「そりゃ困りましたねえ?」
理は思いっきり渋面を作って詰問した。
「じゃあなんで僕が辰巳氏の息子らしい、ってことになったんですか?」
「はい……。
辰巳さんが倒れられたのは去年の暮れのことです」
「急性白血病だったとか?」
「そうです。大事な方ですから、すぐさま治療のため最高の処置が施されましたが、経過は思わしくなく、ついに医者から余命を宣告されることとなりました。お父上である会長の嘆きはそれはそれはたいへんなもので、医者たちになんとしても命を救えと迫ったものです」
「辰巳さんに兄弟は?」
「弟さんと妹さんがおられますが?」
「二人の型は?」
「型」
高美は何とも苦々しく笑い、白状した。
「そうですね。辰巳さんは投薬と放射線治療を施されながら、骨髄移植のためのドナーを捜されていました。まずはご兄弟=弟さんと妹さん、そのお子さまたち。しかしいずれの方々も白血球の型が合わず、ドナーにはなり得ませんでした。わたしも調べてもらいましたが残念ながらお役に立てず。会長は、ええいどこまでも役に立たん奴らめ!、とそれはお怒りになられましたなあ」
「それはまたひどい言いようじゃありませんか?」
「そうですねえ…」
高美は苦笑し、暴露した。
「弟さんと妹さんは、会長が期待されたほど優秀な方々ではありませんでした。そうした失望もあって、優秀なご長男辰巳さんにはそれはそれはご期待が大きく。一方で無能者と邪険にされた弟さん妹さんは当然面白くなく、兄辰巳さんをことあるごとに悪く言われていたようです。そんな噂が耳に入ってますます会長はお二人を遠ざけられ、という悪循環で。それでついそのように悪し様に言ってしまわれたのでしょうが………」
「なんです?」
「いえ…。まあ、それで父親の嘆きを見かねた辰巳さんが、ついに告白なされたのです、自分には子どもがいるかも知れない、明川理花さんという女性を捜してほしい、と………」
「なるほど。それが僕が辰巳さんの子どもであるらしい根拠なわけですね?」
「そうです。明川理花さんはすぐに見つかりました。結婚されて馬場理花さんになっておられましたが、残念ながら8年前に交通事故でお亡くなりになってらっしゃいました。馬場理花さんには一人の息子がいた。16年前に馬場忠穂氏と結婚されてその息子さんと言うことですが、お二人が結婚されたわずか3ヶ月後に生まれています。俗な言い方で『できちゃった婚』と思われるわけですが、問題なのは、馬場忠穂氏はその4ヶ月前までアメリカの大学に留学されていて、留学中の4年間、一度も日本に帰ってきていないのです。一方で明川理花さんもその4年間一度も海外に出ていません。つまりそこから導き出される答えは……」
「僕は馬場忠穂の実の子どもではない」
「と、いうことになりますね。そこで我々……と申しますかわたしは、俄然あなたが辰巳さんの実の息子さんではないかと考え、あなた自身を調べました。どうやらあなたは非常に優秀な方らしい。そしてわたしがあなたこそ辰巳さんの実子に違いないと確信したのは、先日スタジアムで見たあなたの素晴らしい走りです。わたしはあなたに間違いない!と興奮したものです」
「何故です? 辰巳さんが高校時代テニスをやっていて国体で準優勝したというのは聞きましたが?」
「そのレベルではありません。辰巳さんは高校卒業後5年間、海外でプロテニスプレーヤーとして活躍されていたのです。名前は母方の名字タツミ・サイトウを名乗っておられましたが、世界ランクで20位にも入ったことのある大活躍をされました。トップレベルのテニスはコートの上のボクシングと言われるほど過酷なスポーツです。スピード、パワー、バネ、反射神経、頭脳、そして高いレベルの持久力。あなたは、その資質をすべて備えている! あなたこそ、佐津川辰巳の後継者に相応しい!!」
高美は興奮気味に目を輝かせていた。
「5年間プロとして主にヨーロッパで活躍されて、5年のシーズンが終了すると共にプロを引退され、日本に帰ってこられました。当時謎の日系人プロテニスプレーヤーの突然の引退は話題になったものです。その後辰巳さんはお父上とのかねての約束どおり佐津川グループの後を継ぐ修行に入られました。5年間の間にも通信制でアメリカの大学のカリキュラムを受けられて博士号を修得なさいました。たいへん優秀で、努力家です。佐津川グループの小さな部署から始めて、次第に大きなプロジェクトを、ついには主要な会社の社長を兼任するまでになっておられました。実に、素晴らしい方です」
熱く褒め称える高美に対して、一方理は冷静そのものだ。
「プロテニスプレーヤーですか。僕が辰巳さんの息子である根拠としては弱いように思いますがねえ? 僕を捜していたのは、実は骨髄提供のドナーになってほしいからじゃなかったんですか?」
高美ははっと興奮が一気に冷めて肩を落とした。
「正直に申し上げて、最初はそのつもりもありました。会長の意向はとにかくなにがなんでも辰巳さんの命を取り留めることでしたから。しかし……、それが手遅れだろうというのはわたしも、辰巳さん自身も、感じていましたから………」
「入院して半年ですか? 僕を捜すのにずいぶん掛かりましたねえ?」
「いえ、ですから、辰巳さんはずっと理花さんの存在を黙っておられたのです」
「ああ、辰巳さん夫婦にお子さんはいないんですね?」
「おりません、残念ながら。黙っていたのは子を成せなかった妻への遠慮もあったのでしょうね。辰巳さんがご自分に子どもがあるかも知れないと明川理花さんの名前を明かしたのは今からわずか2週間前のことです」
「たったの?」
理もさすがに驚いた。先ほど顔を拝見したところではその頃にはかなり末期で、やせ衰え、移植なんて受ける体力は残っていなかったのではないかと思われる。理の驚きを見て高美も悲しく微笑んで言った。
「ええ。ですので、おそらく辰巳さんは最期までお子さんのことは秘めたまま逝ってしまわれるつもりだったのでしょう。それをつい言ってしまったのは、お父上の嘆きもそうですし、ご兄弟のこともございますし…、やはりつらい化学治療でつい弱音を吐いてしまった、というのが真相でしょう。
さきおとつい容態が急変いたしまして、私も駆けつけましてお宅へお伺いできずに失礼してしまったのですが、なんとか意識を取り戻されたときにあなたを呼ぼうか尋ねたのです。そうしましたら辰巳さんは首を振って、『すまない。あれはやはり自分の思い過ごしだ。俺に子はいないよ』とおっしゃって、あなたに会おうとはなさいませんでした。そして昨日、とうとうお亡くなりに。ちょうど、あなたがリレーのアンカーを走っていた頃です。わたしもニュースで見ましたが、素晴らしい走りでしたね? 良いはなむけになったでしょう」
臨終を思い出したのか、高美は目を潤ませて顔を斜めに伏せた。
佐津川辰巳という人はずいぶん愛されていたんだなあと理は感じた。
「理さん、どうでしょうねえ?………」
「なんです?」
「あなたが辰巳さんの実の子どもかどうか、はっきりさせませんか?」
「どうして?」
「どうして、とは?……」
「高美さんは、あんまり僕に会いたくなかったんじゃないですか?」
高美はうっと言葉に詰まった。理が訪ねてきたのを知って高美は最初ひどく迷惑そうな顔をしていた。
「いや、お見それしました。……そう、また面倒なことになってはと思ったのですが……。
あなたは……」
高美はこちらこそ不思議そうに理を見つめた。
「あなたこそ、自分の父親が誰か、知りたくはないのですか?」
「さあ?」
理は両手を上に開いた。
「もちろん興味はありますけれどね、野次馬根性的な」
「野次馬…ですか?」
高美は理の本心を計りかねて怪しむように首をひねった。
「僕は父親は馬場忠穂で満足してますので。しがないコンビニの雇われ店長ですがね。僕が知りたいのは父親のことより母のことです」
「お母様、馬場、理花さん?」
「ええ。何故お腹の子、イコール僕、の父親と結婚せずに父忠穂と結婚したのか? その理由は是非知りたいものだなあと思います。ま、知ったところで何が変わるものでもないでしょうけれどね」
「何も変わりませんか? 佐津川グループトップの息子かも知れないのですよ?」
「それに関わる気はありません。面倒、って、そういうことなんでしょう?」
高美はため息をついて椅子に沈み込んだ。
「ええ。そういうことです。しかし」
高美は改めて理を見つめて言った。
「あなたとお話ししてわたしも気が変わった。やはり佐津川グループを率いるのは佐津川辰巳の息子こそが相応しい。理さん。是非、辰巳さんとの血縁関係を明らかにしていただけませんか?」
「つまり、遺伝子検査?」
「そうです」
「ちなみに辰巳さんの血液型は?」
「O型です」
「じゃあAB型の母とAB型の僕で整合性はあるわけですね?」
「その通りです」
「どうしましょう?」
「是非、よろしくお願いします」
高美は改まって頭を下げた。
頭を下げられて理はどうしようかなあと困った。先ほど見た佐津川家の人々に、理はあまりいい印象を受けなかった。まあ家族が亡くなったばかりで明るい顔もないだろうが、なんというか、嫌な険をそれぞれから感じたのだ。まともにいい印象を受けたのは奥さんと思われる泣いていたご婦人だけで。さすが天下の佐津川家の御曹司が妻に迎えるだけにかなりの美人だった。
「理さん?」
期待されて、
「それはまあ、父と相談してから」
と理はお茶を濁した。
「ああ、失礼。それもそうですね。わたしも一度きちんとご挨拶に伺わねば。しかし、あなたも、是非前向きに考えておいてください」
「あはははは…。前向きな野次馬根性でも発揮しましょうかねえー?」
と、元気のないわざとらしい笑い方をして言った。
「理君」
理を呼ぶ声に高美もビクッと振り向いた。休憩室の外に多喜子たち家族三人が立っていた。
「多喜子の学校もあるし、我々も先に帰らせてもらうことにするよ。君も、もういいかい?」
遠慮がちに訊く多喜子の父に高美は立ち上がり、お辞儀した。
「はじめまして、になりますか? 佐津川会長の秘書をしております高美と申します。
代根 敬助様、でいらっしゃいますね?」
多喜子の父も懐かしいような笑顔を浮かべてお辞儀した。
「辰巳君から兄のような人がいるとよく聞いていましたが、あなたが、そうですね? 高美さんですか? お会いできて嬉しいです」
高美も同じ笑顔を浮かべて言った。
「病院にもお見舞いに来てくださっていたのですね? わたしはどうもいつもすれ違いだったようで。辰巳さんに代わりましてお礼申し上げます。ありがとうございました」
「辰巳君は……残念ですねえ」
「まったくです。良い人を亡くしました」
故人の大事な友人二人はお悔やみの言葉を言って慰め合った。
「本日はお忙しいところおいでくださいまして、まことにありがとうございました」
「いえ。あなたとはまた日を改めてゆっくりお会いしたいものですね」
「ええ。是非。その時を楽しみにしています」
高美は理を見て言った。
「あの件、是非良い返事を待ってます」
「弱りましたねえ」
理は困った笑いをし、高美は微笑んで、それではと代根家の家族にお辞儀して長く留守にしてしまった職場に戻っていった。
駐車場へ向かう道すがら多喜子の父は理に訊いた。
「あの件って、奨学金? ひょっとしてどこかに留学でもするのかな?」
「いやあ……」
理は嘘をついたのを申し訳なく思い首を掻いた。並んで歩く多喜子と目で相談し、
「実は僕、辰巳さんの子どもかも知れないんです」
と白状した。
「ええっ?……」
妻と並んで前を歩いていた多喜子の父は驚いて振り向いた。四人は道の途中で立ち止まった。
「君が……、辰巳君の子どもだって? それはいったい……どういうことだい?」
「ああー、実はですねえー…」
理は両親の面倒な秘密を思って今度は頭を掻いた。
「僕、父の本当の子じゃないんです。母の、父と結婚前にできた子でして……。父も僕が誰の子か知らないんですが、どうやらそれが辰巳さんらしいという話でして……」
「本当かい? それは……驚きだ」
「驚きました?」
理はとぼけて訊いた。
「辰巳さんから母とのそれらしい話って聞いたことありません?」
多喜子の父は難しい顔をして考え、
「いや……、聞いたことはないなあ……」
と言った。
「そうですか。じゃあ印象的にどうです? 僕、辰巳さんの子に見えます?」
理は自分の顔を指さして言い、多喜子の父は眉を寄せてじいっと理を見つめ、
「さあー…………。分からないなあー…………。何しろ君のことだって子どもの頃から知ってるし、まさかあいつの子だなんて思って見たこともないしなあ…………………」
と難しそうに言った。
「それ………、本当なのかい?」
「ううーーん……。高美さんは『間違いない!』って言ってましたけどねえ?」
「そうかあ…。身近にいたあの人がそう言うなら…、そうなのかあ………」
多喜子の父は突然現れた親友の息子に戸惑いながら真偽を計るようにじいっと見つめた。
「すごいよねえ?」
と多喜子が言い、父親は、
「え? なに?」
と訊いた。
「だって、マコがタツミおじさんの子だったら、嬉しいじゃない? …まあ、なんか事情がありそうだからあんまりわいわい喜んじゃいけないのかも知れないけど……」
多喜子はそう言いながらやはり嬉しそうな顔をした。たった今最期のお別れをしてきたところで、親しい人の命がこうしてまた身近に引き継がれていることを思うと嬉しいのだろう。
「そうと決まったわけでもないんだけどね」
「それは、はっきりしないのかい?」
「ええ。ですから高美さんは僕に遺伝子検査を受けてはっきりさせてもらいたいって」
「ああ、そういうことなのか」
多喜子の父はグーの手を口に当てて考え込んだ。
「そうだなあ…。そうした方がいいだろうなあ。理君も分かっただろうが、佐津川グループは大きな財閥だ、その血筋となると、色々な思惑を持った人間がいるだろう。歓迎する者も、そうでない者も、両方いるだろうな。そうした者から自分を守るためにも、自分の血筋をはっきりさせた方がいい」
多喜子の父もそうしなさいと言うように頷いた。
「そうですか。じゃあやっぱり、調べてもらいましょうかねえ」
「うん、それがいいよ」
多喜子の父は安心したように微笑み、四人は再び歩き始めた。
歩きながら、何を夢見ているんだか下を向いてニヤニヤしている多喜子の肩を小突き、睨む多喜子に理は言った。
「辰巳さん、ずいぶんいい人だったみたいだな?」
「うん………。そうだね……」
多喜子は、しんみりと、微笑んだ。